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分类号-南京晓庄学院毕业设计(论文)

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分类号-南京晓庄学院毕业设计(论文)分类号-南京晓庄学院毕业设计(论文) 分 类 号: 学校代码:11460 学 号:10020310 南 京 晓 庄 学 院 本 科 生 学 士 学 位 论 文 夏目漱石之汉诗受王维诗歌的影响 夏目漱石の漢詩における王維の影響について 所在院(系): 外 国 语 学 院 学 生: 刘 玥 指 导 老 师: 八 木 穰 研究起止日期:2013年9月至2014年5月 二?一四年五月 学位论文独创性声明 本人郑重声明: 本论文是本人在导师指导下独立从事研究所取得的成果。文中除以参引或注释形式标明出处者外,...
分类号-南京晓庄学院毕业设计(论文)
分类号-南京晓庄学院毕业) 分 类 号: 学校代码:11460 学 号:10020310 南 京 晓 庄 学 院 本 科 生 学 士 学 位 论 文 夏目漱石之汉诗受王维诗歌的影响 夏目漱石の漢詩における王維の影響について 所在院(系): 外 国 语 学 院 学 生: 刘 玥 指 导 老 师: 八 木 穰 研究起止日期:2013年9月至2014年5月 二?一四年五月 学位论文独创性声明 本人郑重声明: 本论文是本人在导师指导下独立从事研究所取得的成果。文中除以参引或注释形式标明出处者外,不含任何其他个人或机构已发表或未发表的著述或研究结果。对本文的研究做出贡献的个人和机构,均已在“致谢”中加以说明。 本人完全了解,违反上述声明所引起的一切法律责任将由本人承担。 本人签名_______________ 年 月 日 要旨 夏目漱石が『草枕』で王維の詩をすべての現実を忘れさせる良薬にたとえ、王維の山水田園詩のような恬淡で悠然とした詩境を追求することから、王維が漱石にとって深い意味を持ち、大きな影響を与えたことは明白である。 本文は、たくさんの歴史文献と論文資料の上に、夏目漱石の学習背景と彼の漢詩への巨大な影響と彼が人生の各段階で創作した漢詩の特徴を調べる。王維の学習背景とその響きと四種類の詩、特に山水田園詩の特徴を元に、表現形式や思想内容から、ふたりの詩を比較し、漱石が王維の思想、表現から吸収したものと彼の漢詩で表現しようとした境地を探求する、すなわち、白雲郷。 キーワード:王維,山水田園詩,夏目漱石,白雲郷 摘要 夏目漱石曾在《草枕》中将王维的诗歌比喻为忘却一切现实的良药,从他追求王维的山水田园诗那悠然恬淡的意境来看,王维对于漱石的深刻意义以及带来的巨大影响显而易见。 本文查阅众多历史文献及论文资料,调查夏目漱石个人学习背景及其对其诗歌的巨大影响和其在不同人生阶段所作诗歌的特征。基于研究王维个人学习背景及其影响,四类形式的诗歌特征,山水田园诗为甚,从表现形式,思想内容方面比较两者诗歌,探究漱石从王维诗歌思想及表现而吸收之处,及在其汉诗中意欲表现的心境,即白云乡。 关键词:王维;山水田园诗;夏目漱石;白云乡 目次 序文......................................................................................................................................1 1.夏目漱石の漢詩の背景と特徴.......................................................................................1 1.1夏目漱石の学習背景とその影響 1.2夏目漱石の漢詩の特徴 1.3まとめ 2.王維の詩の背景と特徴...................................................................................................7 2.1王維の詩の学習背景とその影響 2.2王維の詩の特徴 2.3まとめ 3.夏目漱石における王維の影響.....................................................................................10 3.1王維の思想?表現から吸収したもの 3.2漱石の漢詩で表現しようとした境地 4.結語.................................................................................................................................13 参考文献............................................................................................................................14 謝辞....................................................................................................................................15 附録....................................................................................................................................16 夏目漱石の漢詩における王維の影響について 序文 夏目漱石の漢詩と中国古代詩歌の関係と言えば、陶淵明と王維の影響を深く受けているのは間違いない。漱石は二人の俗世間を離れる志向に共鳴し、陶淵明と心境を通わせ、王維と詩情を共にしている。しかし、たとえば、肖燕『夏目漱石の漢詩小考——陶淵明の受容を中心に』、祝振媛『夏目漱石の漢詩と中国文化思想』、沈迪中『夏目漱石と陶淵明』など、多くの学者が漱石の漢詩における陶淵明の影響を指摘しているものの、漱石における王維の影響はあまり述べられていない。漱石が『草枕』で王維の詩をすべての現実を忘れさせる良薬にたとえ、王維の山水田園詩のような恬淡で悠然とした詩境を追求することから、王維が漱石にとって深い意味を持ち、大きな影響を与えたことは明白である。 本文は、夏目漱石の漢詩における王維の影響を中心に、漱石の漢詩で表現しようとした境地と王維の思想、表現から吸収したものを見出すことを課題とする。先行研究を基礎に、主に考証とによって、漱石の漢詩と王維の詩を比較研究する。また漱石の生活体験や当時の明治時代背景に即しながら、漱石及び彼の漢詩への理解を深めることを目的に、本文によって人々が漱石の人生観、価値観と世界観を深く理解し、漱石の漢詩の込める悠然とした心境及び我執を捨てる余裕のある境地がより啓蒙され、もし苦悶する人に一条の光をもたらせられるならば幸いである。 なお、漱石の多くの漢詩は「無題」を題名にしたので、推論に用いるそれぞれの漢詩を区別するために、題名があるもの以外は創作時期で示す。本文の漱石の漢詩は昭和四十二年岩波書店の版による。 1.夏目漱石の漢詩の背景と特徴 1.1夏目漱石の学習背景とその影響 夏目漱石は、本名金之助、漱石は字である。,,,;年に生まれ、,,歳に一橋中学に入って、唐宋詩文に耽るため、二松学舎に転学、漢文学を重点とした勉強をした。よく知られているように、二松学舎は明治十年十月に三島中洲によって創設された漢学塾であり、授業の内容はほとんど中国文学に関わるものばかりである。二松学舎で三島中洲に師事し、厳しく指導、訓練を受けて、「春秋」、「史記」「前漢書」「後漢書」など諸子百家の著作や「唐宋八大家詩」「唐詩選」など教養方面の詩文に触れて、漱石がしっかり漢文学の基礎を築いたことは確かである。二松学舎に夏目漱石はすでに王維の作品に接触する。二松学舎の教育内容に 1 は「唐詩選」「三体選」がある。「唐詩選」に王維の詩の,,首、「三体選」にも,,首を入れている。漱石の蔵書目録には「唐賢三昧集」、「箋注唐賢詩集」、「王孟詩集」などがある。「唐賢三昧集」には王維の詩は,,,首がある。「箋注唐賢詩集」は日本での「唐賢三昧集」の印刷物である。「王孟詩集」は王維と孟浩然のすべての詩を集録する。漱石は王維の詩を好み、彼の詩の影響を深く受けることが推測される。,,,,年に正岡子規と知り合い、漢詩文に強い興味を掻き立てる。大学卒業後、,,,,年早稲田大学前身の東京専門学校、,,,,年伊予松山中学、また,,,,年熊本第五高等学校に勤め、同僚の長尾雤山に追随して漢詩を書くのを勉強した。注意すべきはそのころ漱石は正岡子規と競うように、漢詩と俳句の創作に没頭し、大量の詩と句を作って、時々長尾雤山に漢詩の添削をも乞うことであった。,,::年イギリスに留学し、三年後帰国し、第一高等学校と東京帝国大学で教鞭を執った。日本の最初のイギリス文学の研究者になった。,,:,年「吾輩は猫である」の発表をきっかけに、二年後教師をやめて専門作家の生涯を始めた。,,,,年、胃潰瘍で辞世した。享年五十歳。 夏目漱石は明治の人である。周知のように、当時の日本は明治維新によって、三百年にわたる徳川時代が終わり、明治時代を迎えた。そして天皇を中心とする新政府が成立し、日本は封建社会から資本主義社会へ第一歩を踏み出した。明治の前年に誕生した「文明開化」の風潮の中で成長してきた夏目漱石は、その日本の表面上のみの「文明」を嫌悪していた。醜い現実世界を離脱したい願望は、漱石の漢詩の追求する白雲郷に見られる。彼の漢詩の書いた理想的な楽園に夢を寄託しているのである。そこで、明治の発展と共に生きてきた漱石にとって、明治期という時代は彼の一生に大きな影響をもたらした。 1.2夏目漱石の漢詩の特徴 ,,,;年岩波書店の版「漱石全集」によると、彼の漢詩は合わせて,:,首である。その中に「正成論」,,,;,,、「木屑録」,,,,,,など漢文がある。漱石の実際の漢詩文の創作の状況によって、彼の漢詩文の創作は四段階が分けられる。 第一、学生時代の漢詩文創作の初期,,,;,年ないし,,,,年, 学生時代には、夏目漱石が漢詩,,首、未成詩,首、漢文,編を創作した。初期の漱石は漢詩を愛読し、漢文古書に情熱を傾ける。この時期、夏目漱石が「木屑録」で「余兒時誦唐宋數千言、喜作爲文章、或極意雕琢、經句而始成,或咄嗟衝口而發、自覺澹然有機氣。竊謂古作者豈難臻哉、遂有意于以文立身。」,句読点は筆者の加筆による,を書いたことから漱石の早期の漢詩文創作は唐宋詩文の活用に着目し、まだ感慨、送別など生活範囲にとどまることが分かれる。 例えば、感慨詩「石苔沐雤滑難攀、渡水穿林往又還。處處鹿聲尋不得、白雲紅葉滿千山。」,,,,,年「山路觀楓」,は作者が自然に身を置き、超然平和な心境を追求することを表す。送別詩「客中送客暗愁微、秋入函山露滿衣。爲我願言相識士、狂生出國不知歸。」,,,,:年「送友到元函根」,は作者が友人を送って、別れがたい、いつかまた会うのか心配すること 2 を表現する。 第二、松山、熊本で教師として勤める時期,,,,,年ないし,,,,年, この時期には漢詩,,首、漢文なしだ。幼尐時代の特別な養子体験や復籍風波は漱石の生涯に暗い影を投げかけた。彼の漢詩文に現れた義を重んじる理念、俗世界と対立する決意、自然を友とする脱俗的な志など、いずれも自らの経験と密接な関係を持っている。 ,,,,年,月、,,歳になった漱石は東京専門学校の講師となり、東洋哲学関連の論文「老子の哲学」を書き、平等主義を提唱する。この期間は神経衰弱で厭世傾向がある。この時期の詩を見渡して、主に悟り、参禅、功名淡泊の作である。この時期の詩には淡泊で「余裕」の態度がよく知られる。詩の中で「禅」「道」「白雲」という言葉がよく出る。 例えば、「駑才恰好臥山隈、夙託功名投火灰。心似鐵牛鞭不動、憂如梅雤去還來。」,,,,,年「無題」,は作者の功名淡泊の意を表す。 「孤愁高雲際、大空斷鴻歸。寸心何窈窕、飄渺忘是非。三十我欲老、韶光猶依依。逍遙隨物化、悠然對芬菲。」,,,,,年「春興」より」に漱石が悠然とした態度で物事を処理し、こだわらず逍遥して暮らしたい希望を寄与する。 「鳥入雲無迹、魚行水自流。人間固無事、白雲自悠悠。」,,,,,年「無題」より,から漱石が参禅し、普通の生活から禅味を悟ることがわかれる。 第三、漢詩創作を中断する十年,,,::年ないし,,:,年, この時期の漱石はイギリスへ留学し、帰国後「言文一致運動」に積極的に忚じて、新聞事業に身を投じる。並びに「吾輩は猫である」などの名作を創作した。しかし、漢詩はなし、漢詩創作をしばらく中断する十年と言える。 第四、修善寺大患後の「則天去私」の最後時期,,,,:年ないし,,,,年, この時期の作品は漢詩,,,首、未成詩;首、漢文,首からなる。「大逆事件」のため、小説は敏感なものになる。それで、漱石は小説以外の漢詩創作に着眼し、「則天去私」の求道意識がくっきり浮かび上がる。この時期の漢詩から、漱石が悠然自得な態度で余裕を持って自然、芸術、人生を吟味し、「儒」の「実」と「荘」の「虚」の間から融通の道を見つけられることを期待することが分かれる。具体的に詩文の中で、「道」,実,という字を含める句も三十回も、「禅」,虚,という字を含めるのも十回も出る。 例えば、「來宿山中寺、更加老衲衣。寂然禅夢底、窗外白雲歸。」,,,,:年;月,,日「無題」より, 「道書誰點窟前燭、法偈難磨石面苔。借問參禅寒衲子、翠嵐何處著塵埃。」,,,,,年,月,,日「無題」より, 「天下何狂投筆起、人間有道挺身之。吾當死處吾當死、壹日元來十二時。」,,,,,年,月,,日「無題」より, 「有為」と「無為」どちらを選ぶべきかは、明治時代の知識人としての夏目漱石まで躊躇することが知られる。 3 総じていえば、漱石の漢詩は次のような特徴がある。 第一、淡泊な「余裕」文学の趣 「余裕」の思想は倫理観念を明確し、独特な芸術風格を創造する一種の文学主張である。作品の表に「傍観」を追求し、傍観者として悠然自得の態度で自然、芸術、人生を吟味することが知られるが、本の意味は倫理を尊重し、世俗を超えてゆとりを持って東洋的な詩美を楽しむことを指す。「余裕」の思想は漱石の小説に集中し、徹底的に表現される。彼の漢詩にも「余裕」の趣が味わえることは難しくない。 例えば、「江東避俗養成真、壹代風流餞逝春。誰知今日惜花容、卻是當年劍舞人。」 ,,,,,年「七草集評詩」より, 表面から見ると、漱石は傍観者として「當年劍舞人」の豪気を描写し、深く分析すると、彼が余裕のある態度で自分の感情を寄与することが分かれる。 明治四十三年,,,,:年,、漱石は胃潰瘍で修善寺に住んだ。この療養の経歴を思い出し、たくさんの漢詩を書いた。 例えば、「淋漓繹血腹中文、嘔照黄昏漾綺紋。入夜空疑身是骨、臥床如石夢寒雲。」,,,,:年「無題」, 漱石は吐血し、ぜんぜん悲観しないし、まるで他人の血みたいに自分の血を観察し、黄昏の光の下に鑑賞する。漱石が身を局外に置いて、悠然自得な態度で病気を扱う。「夢寒雲」から作者の魂はすでに俗世を遠く離れて、雲の層に入ることが分かれる。 漱石は自然、芸術、人生を思う存分に吟味し、心行くまで自分の感じを書いた。こんな感じを直接に述べ、あるいは面白く書き、どんなに表現しても、すべて客観的に見て、鋭く生活の哲学を掲示する。しかし、わざと評判するではなく、ただ主観と客観を融合させる。素朴な句から素直で純朴な品性や深長な意味が現せる。漱石はまさに「余裕」の文学思想を漢詩の創作実践に徹底的に貫いて、賞賛に値する功績を収める。 第二、素直に思想矛盾を叫ぶこと 夏目漱石の思想は矛盾に満ちて、東洋の儒教、禅宗の影響を深く受けた。詩歌創作は心と情を根拠として、自分の思想矛盾をうまく処理し、生き生きとした言語で本当な感情を表すことだ。漱石の漢詩こそが、自然、芸術、人生を吟味する同時に心の真を貫いて、繊細な筆致を通して拘束されなくて自分の人生哲学を述べる。漱石はこれを「自我中心」と称する。この「自我」を元に、漱石の漢詩は彼の複雑な世界観、深い人生観と豊富な感情を示す。同時に、儒家出世思想は漱石の漢詩にはっきり影響を及ぼす。儒家思想を出発点として、理想を果たすのは漱石の一生の信念である。彼の漢詩にもよく見られる。 例えば、「黄土千秋埋得失、蒼天萬古照賢邪。」、「寸心空托壹杯酒、劍氣如霜照醉顔。」などが寂しさに甘んじなくて、憂鬱から脱して奮起する気がみなぎる。この方面は、漱石の漢詩の基本的な格調とする。しかし、彼のほかの漢詩を詳しく分析し、彼の思想の深層に掘ると、ほかの消極的な方面が見られる。仏教、禅宗の哲学思想のため、彼は松山、熊本時期に悲観 4 的で、悟りを開く漢詩を書いた。 第三、熟練精巧な芸術表現手法 ?はっきりと洗練した筆致 漱石の「菜花黃」をあげる。 「菜花黄朝曦、菜花黄夕陽。菜花黄裏人、晨昏喜欲狂。曠懷隨雲雀、沖融入彼蒼。飄緲近天都、迢遞淩塵郷。斯心不可道、厥樂自黄洋。恨未化爲鳥、啼盡萊花黄。」 この詩の冒頭の三句は、「菜花黄」を連続して使って、一瀉千里に書き上げて、気分がのびのびするのが感じられる。漱石は漢詩で正岡子規の写生文理論を実践し、数行で鮮やかで生き生きとした画面を構築する。この絵画のような景色の美しさは人をうっとりさせる。彼は正面ではなく、ほかの角度からこの美しさを描写する。漱石は「雲雀」を巧みに設計し、この具体的なものを通して、抽象的な楽な気分を融合させる。「曠懷隨雲雀、沖融入彼蒼。飄近緲天都、迢遞淩塵郷。」から、心が「雲雀」に追随して、「天都」にふわふわと接近して、「塵郷」を遠くに超越することが知られる。「斯心不可道、厥樂自黄洋。」までなんと果てしなく広い境地だろうか。全文は情,詩人の楽しい気分,、景,菜花,、物,雲雀,をひとつにして、自然につなぐ。最後に三者を融合させ、「恨未化爲鳥、啼盡萊花黄。」で冒頭と呼忚し、妙趣に富む。 ?素朴で恬淡な芸術風格 夏目漱石は平易で分かりやすい言葉で深遠な体験を託して、読者に豊かな想像をさせ、素朴で恬淡な芸術風格になる。 例えば、「唐詩讀罷侍闌幹、午院沈沈綠意寒。借問春風何處有?石前幽竹石間蘭。」,「題自畫」, 漱石は素朴な言語で水墨画を書く。石の前と中には竹と蘭がきれいに植わる。春風とともにゆらゆらと揺れている。全詩には奥深い言葉がぜんぜんないが、どこにも「私」の体験が表現される。「唐詩讀罷侍闌幹」、こうするのは退屈ではなく、春の便りを探すためだ。「午院沈沈綠意寒」、午後の中庭を回って、どこもかしこも寂寥で、緑の樹林と草地まで寒い感じが付いている。「寒」という字は巧妙に閑寂で寂しい境地を燃やす。では、春はどこにあるか。「石前」と「石間」にある。「石前幽竹石間蘭」はこの水墨画の内容を説明し、春の光景を生き生きと表現する。 例えば、「浴罷微吟敲枕函、江樓日落月光含。想君此際苦無事、漫數篝燈一二三。」,「七草集評詩」の抜粋, 表面から漱石は友人の正岡子規が今「此際苦無事」の心緒を想像するが知られる。お風呂して詩を朗読し、「枕函」を軽く打っている。妙な句は最後の「漫數篝燈一二三」である。のんびりした人は魅力的な夜景を目にして、川の上の漁火を数える。ひとつ、ふたつ、みっつ、いろいろある。 数を表すように、数が尐なければ、普通直接に描写する。例えば、葉紹翁の「春色滿園關不住、壹枝紅杏出牆來。」、邵康節の「壹去二三裏、煙村四五家。亭台六七座、八九十枝花。」、 5 杜甫の「兩個黄鹂鳴翠柳、壹行白鷺上青天。」など。反対に、数が多ければ、大げさに表す。例えば、柳宗元の「千山鳥飛絶、萬徑人蹤滅。」、李白の「飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。」、岑參の「忽如壹夜春風來、千樹萬樹梨花開。」など。数え方の「一、二、三」を詩の中に入れるのは夏目漱石の優れた創造であるというのは過言ではない。数え方を入れて、子規ののんびりした感じと愉快な気持ちを見事に表す。全詩は平易で、普通の生活の題材から新奇の意味を見せる。 ?典故を活用して用字を推敲する 夏目漱石は漢学の基礎がしっかりし、巧妙に典故を活用でき、典故に新しい命を与え、全詩に無駄と重複を避けさせる。 例えば、「客中逢春寄子規」の「憶昔交遊日、共許管鮑貧。」は管仲と鮑叔牙の典故を運用する。管仲と鮑叔牙は春秋時代の人で、個人の得失を考慮しない、互いに信用し、深いよしみを持つ。漱石は子規との関係を管仲と鮑叔牙の友情と肩を並べると思う、二人の典故で自分と子規の深いよしみを形容する。 明治三十二年四月で作った「失題」の「興盡何所欲、曲肱空堂眠。」も典型的例である。この句は、「論語?述而」で記載する孔子の名言「飯疏食、飲水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、于我如浮雲」を活用する。「曲肱空堂眠」は「曲肱而枕之」から変化するが、典故の痕跡はあまり見えなくて、孔子のゆったりした人生態度に敬う感情を表す。 典故を活用する以外に、漱石は用字を推敲するのが上手だ。 宋の歐陽修は「六壹詩話」で「詩家雖率意、而造語亦難。若意新語工、得前人所未道者、斯爲善也。」を書いた。すなわち、「意新語工」に達するために、用字を推敲するのが大切だ。例えば、賈島の「鳥宿池邊樹、僧敲月下門。」。「敲」と言う字は僧侶が門を敲くことだけでなく、敲く音も表す。この字は同時に動作と音を生き生きと描く。王安石の「春風又綠江南岸、明月何時照我還。」。「綠」は色の緑だけでなく、「春風」が「江南岸」を緑に吹くことも表現する。「綠」は「春風」を擬人化し、動態の美しさを増やす。 この方面では、漱石は手際がよい。 例えば、「一奁樓角雤、閑殺古今人。」奁は鏡つきの化粧箱である。この詩には、漱石が新しい角度、すなわち鏡から外のしとしとと降っている雤を描写する。雤のせいで外出できなくて、仕方がなくて鏡に対して暇をつぶし、「閑殺古今人」は理にかなう。「奁」という字は入神の筆と言える。 1.3まとめ 夏目漱石は「余裕」の文学思想を漢詩の創作実践に徹底的に貫い、素直に自分の思想を表す。はっきりと洗練した筆致で、だんだん素朴で恬淡な芸術風格を形成し、典故を活用して用字を推敲するのが得意だ。漱石が自分なりの詩風を形成することが知られる。明治、大正時代の日本の漢詩詩壇では、夏目漱石は不滅の功績をあげる。,:,首漢詩に浸透した彼の思想、彼が芸術に対するたゆまず努力することが知られる。これら心血を注いだ漢詩は、わ 6 れわれに美の享受と人に深く考えさせる啓発を得られる。 2.王維の詩の背景と特徴 2.1王維の詩の学習背景とその影響 王維の詩というと、彼のいる盛唐時代の影響と離れられない。盛唐時代では、政治がよく収まっていて、経済が繁栄だ。特に文化が発達する。この時期では朝廷は対外的に開放政策を採り、各民族の文化は相互に交流し、融通する。これらも唐詩の繁栄にの保障と良好な環境を提供する。同時に、全社会には詩歌を中心とする科挙制度の実行によって教師を敬い、教育を重んじる雰囲気を形成する。読書人の地位も向上される。各形式の芸術は発展する。唐詩はこの時代の典型的な文化産物である。 唐は隋の科挙制度を継ぎ、科挙制度は盛唐の時まで完備する。唐代、科挙制度は進士科を重んじ、進士科は詩歌を主な内容とする。したがって、詩歌は受験生にとって身につけなければならない腕前になる。進士科に合格することを光栄と思われる風潮が流行っている時、詩歌は大衆化になる。そんな背景の下で、李白、杜甫、王維らが活躍した。王維は唐詩の創作を書き始めた。 「旧唐書」の「王維、字摩詰、太原祁人。父處廉、終汾州司馬。徒家于蒲、遂爲河東人。」から、彼の官吏の家柄出身が分かれる。こんな出身は彼が上京するのにいい機会を提供する。 王維は生まれつき聡明で、,,歳にすでに進士科に合格した。彼が絵画の知識を活用し融合し、入神の筆で独特な「詩中有画、画中有詩」の風格になる。英知に満ちて、理解力が強い。王維は才能があり徳のある人である。「舊唐書」の「齋中無所有、唯茶铛、藥臼、經案、繩床而已。」から、王維が平淡で素朴な生活を過ごすことが知られる。彼は穏やかな人柄で、中庸を求める。親孝行をして、母親が死んだ後、「居母喪、柴毀骨立、殆不勝喪」。服喪の三年間、彼が詩はひとつも作らない、友達と遊ばないほど悲しい。元二、裴迪、孟浩然などの友達と仲がいい。それで、彼の送別の詩に自然に感情を流し、読者に感動させる。気立てがやさしくて、大自然の花、木、泉、石、鳥、獣、雲、煙、見られる限り一切の物にも、貧乏な人にも優しく振る舞いをする。山水田園詩に大自然の一切の景物を自由に運用し、詩を生きさせる。 それで、王維の詩は盛唐時代、官吏家庭、天賦、性格と密につながると言える。 2.2王維の詩の特徴 王維の詩の形式は四種類がある。 第一、勅命によって作った詩文。この詩は荘重で典雅、壮麗で深遠、厳かで改まった言葉で作られる。賢明な君主を望み、平和を祈る感情が伺える。例えば、「奉和聖制十五夜然燈繼以酺宴應制」。 第二、国境の砦で作った詩文。この詩は、高邁で洒脱な侠客のイメージを描き出し、困難を乗り越えていこうとする強い気性に富み、英雄的気概を示し、兵士の苦労を惜しみ、勇敢 7 を敬服する感情を表す。例えば、「燕支行」、「使至塞上」。 第三、送別の詩。この詩は直接に友人と離れたくないし、名残が惜しい感情を表し、親切で誠意と真情に満ちる、あるいは比喩を借りて、婉曲に祝福を詩に託す。例えば、「送元二使安西」、「送李員外賢郎」。 第四、山水田園詩。この詩は清新で雄大、大自然の華やかで多彩な本色を呈する。王維の詩は山水田園詩が主だ。山水田園詩を通して、悠然とした田園生活を望む感情を表す。「不見高人王右丞、蓝色田丘壑漫寒藤。最伝秀句寰区満、未絶風流相国能。」,「解悶十二首」より,で杜甫は王維を「高人」と呼ぶ、すなわち、品行方正高邁、世俗を超える偉い人を指す。「最伝秀句寰区満、未絶風流相国能。」から、杜甫が王維の卓絶な詩才を賞賛する同時に彼が出仕と隠逸の関係をうまく処理できることに敬服することが知られる。 安史の乱の後、王維は政治に挫折を受け、遠くに左遷される。彼の心境は平和になって、温和な目で山水田園を見直させる。,:ぐらいに妻に死なれた。政治の上の頓挫と個人家庭生活の不幸は彼に隠逸生活を選ばせる。隠逸生活はあくまでも心理平衡を取り、憂いを消し、感情を託す選択である。王維の隠逸生活は彼の山水田園詩に深い影響を与える。王維の山水田園詩は前代山水田園詩人の風格を受け継いで融合させる。具体的に言えば、隠逸詩人の大家と賞賛される陶淵明と山水詩派を創始する謝霊運の山水田園の楽の趣を継ぐ。陶詩は山水田園の静かさと秀麗さ、庶民の素朴さ、農家の暖かさを描き出す。 例えば、「移居二首,二,」 春秋多佳日、登高賦新詩。過門更相呼、有酒斟酌之。 務農各自歸、閑暇輒相思。相思則披衣、言笑無厭時。 此理將不勝、無爲忽去茲。衣食當須紀、力耕不吾欺。 陶詩は素朴な話し言葉で普通平淡な農家生活に詩の趣に富ませる。 王維は陶詩の純朴な気風を継ぎ、自分の悠然とした感情を表すために、詩に陶詩の情緒を多く使用し、真に迫っていて、村の小屋、鶏鳴犬吠、桑と垣などを描写する。 例えば、「春中田園作」 屋上春鳩鳴、村邊杏花白。持斧伐遠揚、荷鋤覘泉脈。 歸燕識故巣、舊人看新暦。臨觴忽不禦、惆悵遠行客。 詩人は「鳩鳴」、「杏花」、「歸燕」、「新暦」を通して初春の景色を生き生きとさせ、詩には農家の画面と田園生活への感情が含められる。 謝詩は山水を描き、自然色彩を重視する。 例えば、「過始甯墅」の「白雲抱幽石、綠筱媚清漣。」、「讀書齋」の「殘紅被徑隧、初綠雜淺深。」、「入東道路」の「陵隰繁綠杞、墟囿粲紅桃。」 「白雲」対「綠筱」、「殘紅」対「初綠」、「綠杞」対「紅桃」などの暖色と寒色の対比は強烈で、色彩鮮明の美感が出る。 王維が色彩を運用する技巧は神技に達するとは疑いはない。 8 例えば、「終南山」の「白雲回望合、青靄入看無。」、「洛陽女兒行」の「畫閣朱樓盡相望、紅桃綠柳垂檐向。」、「和朱中丞夏日遊福賢觀天長寺之作」の「墨點三千界、丹飛六壹泥。」など。特に「朱樓」、「紅桃」、「綠柳」、「墨點」、「丹飛」は読者に激しい視覚震撼をもたらす。 そして、王維が仏教や禅文化の浸透し、超俗的な枯淡を味わい、自然に作った詩には濃い禅味が感じられる。禅味というのは、もろもろの俗世の俗事を捨て尽くし、心が澄むこと。 行為方式、景物境地、情緒心境三方面から王維の山水の美意識が見られる。 行為方式と言えば、王維の物腰がゆったり落ち着いていることが自然に合致する。 例えば、「行到水窮處、坐看雲起時。」。詩人は足の向くままに「水窮處」まで着く。この「行」という字は詩人の山水風情を十分に展示し、深い印象を残す。 「興闌啼鳥換、坐久落花多。」。詩人は「坐」という静かな方式で自然を観察し吟味し、物事と人生を考える。この方は静かで上品だ。 「獨坐幽篁裏、彈琴複長嘯。」。詩人は「幽篁」に端座し、琴を弾くにつれて、心の声を伝える。「彈琴」の過程で自分の煩悩を捨てる。 「可憐盤石臨泉水、複有垂楊拂酒杯。」。白楊が枝垂れて、詩人が泉に望み、杯を持って詩を詠む。なんとか上品な情緒だ。 変化してやまない役人世界での浮き沈みの経験、親友からの励まし、独特な芸術造詣は王詩の景物境地にものんびりさせる。王詩の景物境地は主に清新で静寂、色彩もあっさりして上品である。われわれは王詩に詩人の恬淡で悠然とした心境、表裏の透明を感じられる。例えば、「山居秋暝」、「白石灘」。 王維の詩は人に心理活動を捨て去るような感覚をもたらすのは、王維の心境は自然と融合するまで明るいからである。というのは、痕跡を残しないで表裏一致に達する。 例えば、鳥、蝉、猿の鳴き声、泉、風の音、松の声、山水田園自然環境での人語「空山不見人、但聞人語響」まで、詩人がこれらの音の境地を鋭く感じることが知られる。これらの声は大自然の声で、奥深くまで伝えられて、長閑で深遠な感じを与える。音楽にも精通し、自然の音にもうまく理解できるし、こんな恬淡な境地を持っている詩人はさすが王維である。 王詩の景物組合は姿と感情を表すことを主要とし、実際の情景にこだわらなくて、趣を重んずる。 王維は穏やかな山水心性や恬淡な情緒心境を持っている。景物と行為方式を多く利用する。例えば、王維はよく白雲を使って、心境の深遠と恬淡を表現する。例えば、「白雲回望合、青靄入看無。」、「但去莫複問、白雲無盡時。」など。彼は白雲に心を寄せて、読者に深い印象を残す。 2.3まとめ 王維の詩歌は各形式で行為方式、景物境地、情緒心境三方面から王維の山水の美意識に対する理解を伝達し、恬淡で悠然とした心境を表す。人生哲学でも、気質でも、品行でも、心境でも、彼の詩は深い山水文化精神に凝縮し、後代に深遠な影響をもたらす。 9 3.夏目漱石における王維の影響 3.1王維の思想?表現から吸収したもの 表現から見れば、夏目漱石は王維の清新自然な風格が好き、脱俗的で恬淡な心境を追求する。この目的と一致し、漱石は松、竹、菊、白雲などの代表的な景物をよく用いる。 例を挙げると、王維の詩には「白雲」は,,回出る。「白雲」は主に隠遁生活を描写する詩に出るのは、「白雲」は隠遁生活の象徴になって、同時に穏やかな心境の表現であるからだ。下記の「白雲」の用法から漱石があこがれた「白雲郷」の世界がよくわかる。 表, 詩の題名 関連の句 問寇校書雙溪 新買雙溪定何似?余生欲寄白雲中。 酬比部楊員外暮宿琴台朝跻書閣率而見贈羨君棲隱處、遙望白雲端。 之作 留別錢起 卑棲卻得性、毎與白雲歸。 遊李山人所居因題屋壁 翻嫌枕席上、無那白雲何。 早秋山中作 寂寞柴門人不到、空林獨與白雲期。 答裴迪辋口遇雤憶終南山之作 君問終南山、心知白雲外。 山中寄諸弟妹 城郭遙相望、惟應見白雲。 贈韋穆十八 與君青眼客、共有白雲心。 これらの詩から、王維は心から隠居生活に憧れ、そこで「白雲端」を眺めるわけが知られる。隠居するところは、「白雲」が「枕席」にあるほど高い。ともかく、「白雲」は隠居生活の代名詞のようなものだ。そして、恬淡で悠然とした感じがもたらされる。 夏目漱石の漢詩には「白雲」は,,回出る。主に静かで穏やかな心境に強く憧れることを表す。 表, 詩の題名 関連の句 函山雜詠,第五首,,,,,:年,月, 悠悠歸思尐、臥見白雲堆。 10 函山雜詠,第八首,,同前, 歸期何足意、去路白雲悠。 無題,,,,,年, 人間固無事、白雲自悠悠。 失題,,,,,年,月, 古意寄白雲、永懷撫朱弦。 無題,,,,:年;月,,日, 寂然禅夢底、窗外白雲歸。 妙雲寺觀瀑,,,,,年,月, 山上白雲明月夜、直爲銀蟒佛前來。 題自畫,,,,,年,月, 隔水東西住、白雲往也還。 無題,,,,,年,月,,日, 思白雲時心始降、顧虚影處意成雙。 無題,,,,,年,,月,:日, 眼耳雙忘身亦失、空中獨唱白雲吟。 前の二つの表を比べると、漱石が白雲を求め、王維の詩の影響を深く受けることがはっきりと見て取れる。 二人の詩も恬淡で超俗的な感じを表現する。王詩では、「白雲」はただ隠居生活の象徴になる。しかしながら、漱石が隠居生活を過ごさなくて、心の中にこんな生活を期待するしかない。それで、漱石の詩の「白雲」は主に静かな心境への望みを表す。 ほかに、漱石が自分の漢詩で王維の詩を活用することも何度もある。例えば、 表, 王維「終南別業」 夏目漱石「題自畫」 行到水窮處、坐看雲起時。 伫立祁頭雲起處、半空遙見古浮圖。 漱石の詩の「雲起處」は王詩の「水窮處」と「雲起時」を合わせて派生するものだとはっきり見える。 表, 王維「山居秋暝」 夏目漱石「無題」 空山新雤後、天氣晩來秋。 夜色幽扉外、辭僧出竹林。 明月松間照、清泉石上流。 浮雲回首盡、明月自天心。 二つの詩の景色も非常に似ているのは明らかだ。漱石は隠居しなくても、観光によって、王維が隠居する時書いた詩のような漢詩を作れ、自分の心境を恬淡になされる。 思想の方面では、王維の詩は超然出世の理想を目標に、脱俗的で恬淡な心境を表現する。 11 夏目漱石はこんな心境に共鳴し、『草枕』で王維の詩をすべての現実を忘れさせる良薬にたとえ、王維の山水田園詩のような恬淡で悠然とした詩境を追求する。また漱石は自分なりの脱俗的で、超俗的な心の世界を形成し、「白雲」に「郷」の意味をもたらす。 表, 詩人 境地 特徴 心境 隠居生活 追求しかた 王維 白雲 遠い、高い 恬淡、悠然 ある 実体験 夏目漱石 白雲郷 悠々、寂然、禅味 静か ない 夢想 漱石がほんの意味上での隠居生活はしないが、観光によって大自然と隠遁生活を味わう。 例えば、,,,,年,月の「春日偶成」の「樹下開襟坐、吟懷與道新。」、作者は木の下に襟を開いて座り、身の回りののんびりとした自然風景から禅味を感じている。「細雤看花後、光風靜坐中。」煙るように霧雤が降るのを見てから、静座して大自然を吟味する。つまり、ほかのものは作者の内部にある禅心を誘い出すきっかけなのである。禅心は漱石にとって脱俗的な心の世界、すなわち「白雲郷」ということになる。 3.2漱石の漢詩で表現しようとした境地 夏目漱石のすべての漢詩を見渡すと、彼が漢詩で表現しようとした境地、すなわち「白雲郷」が知られる。この「白雲郷」の理想は彼の晩年にも大きな影響をもたらしていた。彼の澄んだ心境は晩年に則天去私に到達し、我執を捨て、調和的な世界に身を任せることだ。 歴史的な観点から見ると、「莊子?天地」で「乘彼白雲、遊于帝郷。」がある。この「白雲郷」は神様の住みところである。 禅宗哲学的な観点から「渠農家住白雲郷、南北東西路渺茫。幾度欲歸歸未得、忽聞岩桂送幽香。」,「頌古」,は書かれる。ここの「白雲郷」は精神の郷里で、心の帰る場所である。 漱石の「白雲郷」は彼にとって思想上の浄土である。この「白雲郷」は漱石に現実の俗生活を忘れさせ、超俗的な場所である。 漱石は明治三十一年三月に書いた「春日靜坐」という詩作にその「白雲郷」への憧憬を表している。「獨坐無雙語、方寸認燭光。人間徒多事、此境孰可忘。會得一日靜、正知百年忙。蔔懷寄何処、萋務白雲郷。」 この詩は漱石が熊本時代に作った作品である。詩人の憂いが悠々とした春の草と重ねて強く感じられるが、もう一方では、しんとした環境に身を置き、想像を自由自在に馳せて、俗世の煩わしさから脱出したように感じられる。このような一日の閑静な境地にあって、詩人は人生を多忙に生きることの無意味さを悟る。この「白雲」は写実ではなく、次の「郷」と共にする。このような「白雲郷」は、「憂い」に充ち「徒多事」なる人間の社会と相対している脱俗的な世界である。 漱石の「白雲郷」は現実生活に存在しないし、夢想から、思想上の浄土である。しかし、王維の田園への情熱は田園生活を体験してからだんだん厚くなる。 12 昔「白雲郷」を書いた詩人が多くある。劉禹錫は「送深法師回南嶽」で「師在白雲郷、名登善法堂。」を書いた。彼は「白雲郷」を仏門の清浄のところと指す。蘇軾は「潮州韓文公廟碑」で「公昔騎龍白雲郷、手抉雲漢分天章。」を書いた。ここの「白雲郷」は神様の住所の意味と同じ、すなわち、通俗的な精神世界である。しかしながら、漱石にとっての「白雲郷」は独特で、脱俗的な精神世界である。 このような「白雲」というイメージを漱石は漢詩によく用いている。例えば、「古意寄白雲、永懷撫朱弦。」、「人間固無事、白雲自悠々。」などのように、いずれも漱石が憧れてきた生存競争外の「白雲郷」である。ここには煩悩ないし、競争ないし、自由自在に考えてしゃべれるし、権力者によって定められる規則に拘束する必要はない。この「白雲郷」は漱石に現実の俗生活を忘れさせる場所である。 明治四十三年七月、漱石は胃腸病院に入院した時に次の漢詩を作っている。「來宿山中寺、更加老衲衣。寂然禅夢底、窓外白雲歸。」 これは漢詩を作る事を十年にわたって中断した後、また作り始めたその第一首である。ここでの「白雲」はただ自然現象の中の白雲だけではなく、「山中寺」というイメージに相忚し、静寂な雰囲気から由来し、それを感受している作者の静かな心境でもあった。それは漱石の心における中国の古典文学につながっている漢詩の世界である。そのような「白雲郷」とつながっている漢詩の世界は漱石の人生には特別な意味を持っていた。漱石には漢詩は現実生活の重圧から逃れ、自由の天地へ繋がる道程のようなものだと言える。作家としての夏目漱石にとって、漢詩は人生の煩悩を忘れさせ、様々な俗事から引き離され、自由自在に想像を馳せる「白雲郷」のようなところだと言ってもよい。漱石は漢詩に悠然とした「白雲」を引き込むために絶え間なく努力したのである。 4.結語 前の論述を通して、夏目漱石の漢詩は確かに王維の影響を深く受けることが知られる。「白雲郷」は漱石が追求する境界で、彼の漢詩に貫く。「白雲郷」を追い求めることによって、彼が激しい現実世界に一息入れるチャンスを得られる。本文は漱石と王維の詩の背景と特徴をもとに、漱石の漢詩が王維の思想?表現から吸収したものと表現しようとした境地から、「白雲郷」を研究する。漱石の漢詩文は明治期の文学世界で不滅な位置を占める。王維の詩の影響しか研究しないのは足りない。漱石の漢詩における中国古典文化の影響を研究することを今後の課題としたい。漱石の漢詩の影響はもっと多くなると信じている。 13 参考文献 [1]漱石全集[M]. 東京:岩波書店、1937、393-460. 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[28]沈洪楠.仁者乐山——浅析夏目漱石汉诗中“山”的意象[N].文学界、2011(02). 14 謝 辞 本論文を作成する際、指導教師八木先生に、論文のテーマの決定から、資料収集、書き方、言語表現まで親切にご指導いただき、まことに感謝の念にたえません。 また、論文を作成するため、参考とした文献の作者の方々にも、深い感謝の意を申し上げます。本当にありがとうございました。 そして、いろいろ支援していただいたクラスの皆様に感謝の意を申し上げます。 15 附 録 夏目漱石: ,,,,年「七草集評詩」より 江東避俗養成真、壹代風流餞逝春。 誰知今日惜花容、卻是當年劍舞人。 ,,,,年「山路觀楓」 石苔沐雤滑難攀、渡水穿林往又還。 處處鹿聲尋不得、白雲紅葉滿千山。 ,,,:年「送友到元函根」 客中送客暗愁微、秋入函山露滿衣。 爲我願言相識士、狂生出國不知歸。 ,,,,年「無題」 駑才恰好臥山隈、夙託功名投火灰。 心似鐵牛鞭不動、憂如梅雤去還來。 ,,,,年「春興」より 孤愁高雲際、大空斷鴻歸。寸心何窈窕、飄渺忘是非。 三十我欲老、韶光猶依依。逍遙隨物化、悠然對芬菲。 ,,,,年「無題」より 鳥入雲無迹、魚行水自流。 人間固無事、白雲自悠悠。 ,,,:年「無題」 淋漓繹血腹中文、嘔照黄昏漾綺紋。 入夜空疑身是骨、臥床如石夢寒雲。 ,,,:年;月,,日「無題」より 來宿山中寺、更加老衲衣。 寂然禅夢底、窗外白雲歸。 ,,,,年,月,,日「無題」より 道書誰點窟前燭、法偈難磨石面苔。 借問參禅寒衲子、翠嵐何處著塵埃。 ,,,,年,月,,日「無題」より 天下何狂投筆起、人間有道挺身之。 吾當死處吾當死、壹日元來十二時。 ,,,:年「無題」 淋漓繹血腹中文、嘔照黄昏漾綺紋。 入夜空疑身是骨、臥床如石夢寒雲。 16 「菜花黃」 菜花黄朝曦、菜花黄夕陽。菜花黄裏人、晨昏喜欲狂。 曠懷隨雲雀、沖融入彼蒼。飄緲近天都、迢遞淩塵郷。 斯心不可道、厥樂自黄洋。恨未化爲鳥、啼盡萊花黄。 「題自畫」 唐詩讀罷侍闌幹、午院沈沈綠意寒。 借問春風何處有?石前幽竹石間蘭。 「七草集評詩」より 浴罷微吟敲枕函、江樓日落月光含。 想君此際苦無事、漫數篝燈一二三。 「春日靜坐」 獨坐無雙語、方寸認燭光。人間徒多事、此境孰可忘。 會得一日靜、正知百年忙。蔔懷寄何処、萋務白雲郷。 陶淵明: 「移居二首,二,」 春秋多佳日、登高賦新詩。過門更相呼、有酒斟酌之。 務農各自歸、閑暇輒相思。相思則披衣、言笑無厭時。 此理將不勝、無爲忽去茲。衣食當須紀、力耕不吾欺。 王維: 「春中田園作」 屋上春鳩鳴、村邊杏花白。持斧伐遠揚、荷鋤覘泉脈。 歸燕識故巣、舊人看新暦。臨觴忽不禦、惆悵遠行客。 17
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