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日本文学(上代 中古 中世 近世 近代 战后)

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日本文学(上代 中古 中世 近世 近代 战后)
日本文学(上代 中古 中世 近世 近代 战后) 阿日本文学史:上代の文学(,,,年まで)中古の文学(,,,,年まで)中世の文学(,,,,年まで)近世の文学(,,,,年まで)近代の文学(,,,,年まで)(明治と大正) 現代の文学(,,,,,現在) 上代の文学 一 上代の文学概観: 集団?口承の文学 個人?記載の文学 二 神話?伝説?説話: 古事記(歴史書) 日本書紀(歴史書) 風土記(地誌) 三 詩歌: 万葉集 漢詩文 四 祭祀の文学: 古事記: 編者 選録? 太安万侶 誦習 ?稗田阿礼 成立 和銅五年(,,,) 目的 国内的に思想の統一を図る 内容 三巻からなり、上巻は神代 中?下巻は人の代 文体 漢字の音調を使う 特色 史書、文学的、 意義 現存する日本最古の作品 日本書紀: 編者 舎人親王 成立 養老四年(,,,) 目的 対外的に、先進国中国に対して、日本の優勢を示す 内容 ,,巻、巻一、二が神代 文体 純粋な漢文体 特色 編年体、歴史的 意義 六国史の最初 風土記:諸国の地誌であり、完本は『出雲風土記』 文章 漢文体 私的な伝承筆録: 奈良末期の『高橋氏文』(たかはしうじぶみ)と 平安初期の『古語拾遺』(こごしゅうい) 仏教説話集 『日本霊異記』(にほんりょういき) 万葉集 編者 未詳 大伴家持(おおとものやかもち)が関係 奈良時代後期に成立 内容 ,,巻にわたり、約,,,,首の和歌が収められる。基本的には、雑歌、相聞、挽歌の三分類が認められる。天皇や皇族から一般庶民に至るまで、幅広い層の和歌を収録している点が最大の特徴 記 万葉仮名 史的評価 現存する最古の歌集、和歌という文学形態を完成させた。 東歌(あずまうた)と 防人歌(さきもりうた) 歌風の変遷 第一期(壬申の乱,,,年まで) 明るく素朴な歌風 額田王(ぬかたのおおきみ)(女流歌人) 第二期(平城京遷都,,,年まで) 長歌、短歌の形式確立。枕詞、序詞、対句が発達。 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)長歌の様式を完成させた歌人。 第三期(天平五年,,,まで) 個性的な歌人が独自の歌境を開く。 大伴旅人(おおとものたびと)、 山上憶良(やまのうえのおくら)、 1 高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)、 山部赤人(やまべのあかひと) 第四期(天平宝字三年,,,まで) 理知的、技巧的な傾向が芽生える。 大伴家持 歌体の種類と形式 片歌 五七七 短歌(九割) 五七五七七 長歌 五七五七„五七七 旋頭歌(せどうか) 五七七五七七 仏足旋頭歌 五七五七七七 漢詩文 懐風藻(かいふうそう) 祭祀の文学 7,,年 言霊(ことだま)信仰 祝詞 神への祈りの言葉 宣命(せんみょう) 天皇が大きな出来事について国民に宣り聞かせる言葉。 表記 宣命書き 時代と社会 貴族の時代(中古文学) 一 政治的背景: 律令体制 藤原氏の摂関政治 院政 二 文化的背景: 唐風から国風へ 仏教の影響 三 社会的背景: 一夫一妻多妾制 もののあはれ 四 風土的背景: 貴族たちの広大な邸宅 平安文学の特質 一 貴族文学 二 唐風から国風へ 三 女房文学 四 もののあはれ 時代の不安感につれて仏教思想の無常観や宿命観が誘発され、感傷的?耽美的な「もののあはれ」の美意識が深められ、これが平安文学の基調である。 平安文学の概観 一 前期(平安遷都から,,世紀中ごろまで): ,)国風暗黒時代 (勅撰三集の漢詩集) ,)国語文学の興隆 和歌と散文 二 中期(藤原氏全盛時代): ,)宮廷女流文学(物語、日記、随筆) ,)和歌 勅撰和歌集 三 後期(院政時代): 歴史物語 説話物語 詩歌 漢詩文の盛行 (大陸文化の影響) ,)勅撰三集 凌雲(新)集 文華秀麗集 経国集 ,)私撰漢詩集 菅原家 菅家文草 空海 性霊集 和歌 一 和歌の復興 (仮名文字の発達、歌合 の流行) 2 二 古今和歌集 三 古今和歌集以後 三代集 古今 後選 拾遺和歌集 八代集 後拾遺 金葉 詞花 千載 新古今 四 私家集 和泉式部集 山家集(西行) 古今和歌集(第一勅撰和歌集) 成立 延喜五年(,,,) 醍醐天皇の勅命 撰者 紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑 内容 約,,,,首の和歌を、春部、夏部、秋部、冬部、恋部、などの部立てによって,,巻に分類する。この整然たる組織は、勅撰集の手本となった。また、その序文は仮名序(紀貫之)と真名序(紀淑望)とからなる。 歌体 長歌、短歌、旋頭歌の三種、短歌が大部分。 古今和歌集の価値: 一 最初の勅撰和歌集であり、和歌の社会的地位を漢詩と同等にまで引き上げ、以後の勅撰和歌集の選集の契機となった。 二 その整然たる構成や配列は、後続和歌集の手本となり、その歌風は明治時代に至るまで、長く和歌の規範となった。 三 紀貫之の「仮名序」は、和歌の本質、機能、歴史、有名な歌人の批評などを述べ、仮名文字で書かれた最初の本格的な文学論として、その文学史的意義が大きい。 歌風の展開:力強い万葉集の「ますらをぶり」である歌風に対して、優美な歌風を賀茂真淵から「たをやめぶり」と評した。 第一期 「読み人知らず」の時代 万葉調の素朴さ率直さである歌風に似ている和歌が多い。 第二期 六歌仙の時代 七五調が主流となり、技巧的になったがまだ率直な歌風。 第三期 撰者の時代 修辞が盛んに用いられ、心情を理知的に詠む、優美で繊細な「古今調」が確立した。 六歌仙:『万葉集』の完成以後、和歌は漢詩文に押されて衰えたが、,世紀から次第に復興した。その原動力となったのが六歌仙である。 在原業平 『伊勢物語』の主人公とされる。 小野小町 美人としての評判高い女性歌人だ。 大友黒主 大伴黒主 文屋康秀 喜撰法師 僧正遍昭 古今和歌集の撰者(代表歌人) 紀友則 撰者の首座だったが、完成前に死亡。穏やかで、雅やかな歌風である。 紀貫之 「仮名序」を記すなど、中心的な撰者として活躍。理知的で技巧的な歌風。その他、『土佐日記』を著した。 凡河内躬恒 官位は低かったが、歌合などで活躍し、機知に溢れた歌を詠んだ。 壬生忠岑 繊細で華麗な歌風が特徴で、即興歌や叙景歌に優れている。 3 歌謡:謡い物としての上代の歌謡は貴族に受け継がれて、神楽歌、東遊歌が神事に用いられ、催馬楽、風俗歌が遊びの宴で謡われた。 朗詠 漢詩や和歌もメロデ?ーをつけて歌われ、「朗詠」と呼ばれる。藤原公任撰の『和漢朗詠集』がある。 今様 当世風の歌謡の意味で、催馬楽、朗詠などの古風に対して言われた。『梁塵秘抄』は後白河法皇が、当時の雑芸集を集めたものである。 物語文学-―――物語(作り物語、歌物語)、歴史物語、説話物語(仏教説話集、世俗説話 集) 物語流れ: 作り物語(伝説を生かしつつ創出された物語)―――竹取物語、宇津保物語、落窪物語 歌物語(和歌を主題とする物語)―――伊勢物語、大和物語、平中物語 ? 源氏物語?擬古物語(中世)?御伽草子?仮名草子?浮世草子 現存する最古の作り物語『竹取物語』は、『源氏物語』で「物語の出で来はじめの祖」と評された。 歌物語の最初の作品である『伊勢物語』は、和歌と散文とを融合させ新しい物語文学の世界を切り開いた。 日本古典文学の最高傑作である『源氏物語』は、作り物語の空想性と歌物語の叙情性と日記文学の自照性など、先行文学の流れを集大成した長編物語である。 源氏物語:,,,,年頃成立、紫式部作。五十四帖からなり、内容上、次の三部に分けられる。 第一部 (,(桐壺,,,(藤裏葉) 光源氏の栄華の極み 第二部 (,,(若菜上,,,(幻) 人生の苦悩が深く描かれる 第三部 (,,(匂宮,,,(夢浮橋) 光源氏の死後、匂宮、薫大将と宇治の姫たちとの愛の葛藤、満たされぬ恋の種々相である。 歴史物語 栄華物語 歴史物語という新しい文学様式を作り出した。仮名文で書かれた最初の歴史物語。道長礼賛に始終する。 編年体 大鏡(,,世紀初め)紀伝体 文徳,後一条 今鏡 (,,,,)紀伝体 後一条,高倉 ? 合わせて鏡物或は四鏡と呼ばれる 水鏡 (,,世紀末)編年体 神武,仁明 増鏡 (,,,,)編年体 後鳥羽,後醍醐 説話文学 平安初期 最初の説話集と言える『日本霊異記』は、薬師寺の僧 景戒が編集したものだ。 平安中期 仏教の説法のためのテキストと見られる『打聞集』がある。 平安後期 世俗説話集 『江談抄』 仏教説話と世俗説話を集大成したのは『今昔物語集』である。現存する最大の説話集。天竺、 4 震旦、本朝の三部構成。 日記 仮名日記の先駆である『土佐日記』は、紀貫之が女性仮託の作だ。仮名文日記文学という新しいジャンルを創造した。 蜻蛉日記 藤原道綱の母。 内省的な批判性は源氏物語に大きな影響を与えた。 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 菅原孝標の女。回想的に記述 随筆 枕草子 日本最初の随筆、平安女性文学の最高傑作として、『源氏物語』と併称され、「古典文学の双璧」と呼ばれる。特に、随筆文学という新しいジャンルを創造した意義が大きく、中世の『方丈記』、『徒然草』とを「三大随筆」と呼ばれる。 清少納言の作。類聚的章段、日記的章段、随想的章段に分類できる。 「もののあはれ」という源氏物語に対して、「をかし」の文学である。 源氏物語と枕草子 史的評価 内容 作者 成立 書 最初の随筆 宮中での見聞や事物に関清少納言中,,,,枕草 三大随筆の一つ する評言などを自由な筆宮定子に出年頃 子 「をかし」の文学 致で綴った随筆 仕 物語文学の集大成 虚構の貴族社会を舞台と 紫式部 ,,,,源氏 日本文化全体への影して写実的に愛の諸相を 中宮彰子に年頃 物語 響大 描いた物語 出仕 「あはれ」の文学 中世の文学概観:,,,,,,,,, 鎌倉、室町、安土桃山 政治的背景 武士が主導していた封建制の時代、武家争乱が続いた動乱の時代 文化的背景 新仏教の流布、隠者が活躍していた時代 風土的背景 京都と鎌倉 中世文学の特質 一 新旧文化の結合を基盤とした文学貴族文化と武家文化と相互に影響しあって融合した。 二 隠者文学 貴族からの脱落者、出家遁世した知識人 三 仏教の影響 「諸行無常」と「因果応報」 四 集団制作の傾向 軍記物語や連歌など 詩歌 和歌 歌合 六百番歌合、千五百番歌合 勅撰集 新古今和歌集 私家集 金槐和歌集(源実朝、鎌倉) 5 連歌 菟玖波集 水無瀬三吟百韻の連歌 新古今和歌集 撰者 源通具、藤原有家、同定家、同家隆、同雅経、寂蓮法師 成立 ,,,,年に後鳥羽院が命じ、,,,,年に,,巻が成立、以後切り継ぎが行われた。 内容 短歌ばかり約,,,,首の和歌を収録、万葉集の歌は収めるが、古今集らの勅撰集の歌は載せず、当代の歌人の歌に重点が置かれる。 価値 万葉集、古今集と並び三大歌集と称され、「幽玄」という理念が完成され、新古今調と呼ばれる時代的特色を打ち出した。 新古今集の特徴:部立ては、春?夏?秋?冬?恋など、古今集と共通のものがある他、神祇、釈教という宗教的なものを含むのが特徴だ。修辞法では、体言止め、初句切れ、三句切れが多く、きわめて精巧であり、特に本歌取りの技法が発達していた。歌風は、かつての王朝の華やかさへの回想や憧憬が強く感じられる。王朝文化が衰退していく現実を背景に、王朝を理想とする世界を追求しようとする姿勢が顕著である。 三大歌集の比較 歌風 表現 修辞 調子 歌体 雄大、素朴、男直感的、枕詞、 五七調、二句切 長歌、短万葉 性的(ますらを写生的 序詞 れ、四句切れ 歌、旋頭 ぶり) 歌 優美、雅、典雅、理知的、 縁語、 七五調、 短歌が主 古今 女性的(たをや技巧的 掛詞、 三句切れ 比喩 めぶり) 幽玄、有心、 感覚的、 本歌取り体七五調、初句切短歌 新古今 物語的、絵画言止め れ、三句切れ 的 注:新古今以後の勅撰歌集、擬古物語と御伽草子、説話文学と歴史物語、軍記物語などは省略 平家物語:,,世紀中頃成立。,,巻。平家一門の栄華と滅亡を中心にして大きく三部に分けることができる。第一部(,,,)第二部(,,,)第三部(,,,,) 文体 和漢混交文で、律文と散文を巧みに織り交ぜ場面に応じて変化の妙を極める。 価値 軍記物語の最高傑作。仏教の無常観の上に立ちながら、盛者必衰の世界を描きあった。旧来の貴族社会を打ち破っていく武士の姿を躍動的に描いている。 平家物語以後 太平記 ,,巻からなり、半世紀にわたる南北朝の抗争を描いたもので、仏教の無常観が底に流れている「平家物語」に対して、儒教の道徳観と仏教の因果論とが根底となっておる。武士道精神を主張し、後世の国民精神へ影響するところが大。 「義経記」は後世の,判官物,の源として、「曾我物語」は,曾我物,の源流となった キリシタン文学 日記?紀行: 女房日記?建礼門院右京大夫集、 弁内侍日記 紀行日記?海道記、 東関紀行、 十六夜日記 (阿仏尼) 6 随筆:随筆を書いたのは、公家の末流で、ことに隠者となった人々である。 方丈記 鴨長明、序文、五大事件と、自身に関する述懐との三部からなる。文体は洗練された和漢混交文で、格調が高い。なお、作者には私家集として「鴨長明集」、歌論として「無名抄」、さらに説話集の「発心集」がある。 徒然草 吉田兼好は独自の無常観をもとに、諸事を批評したもので、序段と,,,段の章段からなる。 三大随筆の比較 枕草子 清少納言 成立 ,,,,年頃 内容 約三百段。 文体 和文(雅文) 特色 をかしという知的な美的感覚。 方丈記 鴨長明 成立,,,,年 内容 序段(無常観による命題提示)、前段(五大災厄)、後段(自己省察) 文体 和漢混交文 徒然草 兼好法師 ,,,,年頃 ,,,段からなる。 文体 擬古文?和漢混交文 特色 無常の美を確立。 劇文学 能と狂言 能:成立 室町初期 観阿弥?世阿弥の父子 美的理念 「幽玄」(花)を理念として、象徴的、夢幻的に演出する。 代表作 花伝書 (世阿弥) 狂言:成立 室町時代 作者は多数。 内容 室町時代の世相を笑いの面からとらえた現実的性格の文学。 美的理念 「をかしみ」を主とし、写実的要素が強い。 近世の文学概観(江戸開府の,,,,,大政奉還の,,,,年) 社会的背景 対外的には、鎖国政策、国内的には、幕藩体制、身分を行う。 文化的背景 印刷技術の進歩と寺子屋の発達が町人文学の誕生を促す。 風土的背景 東海道 江戸文学の特質 ,)町人文学 ,)上方文学から江戸文学への移行 ,)漢学(朱子学)と国学との対立 江戸文学の展開 上方文学 (,,,,,,,,,) 俳諧 貞門派 談林派 松尾芭蕉 小説 仮名草子、草双紙 浮世草子(西鶴) 劇文学 浄瑠璃 (近松) 歌舞伎 7 江戸文学 (,,,,,,,,,) 韻文文学 俳諧(蕪村と一茶) 川柳 狂歌 小説 黄表紙、洒落本 読本 人情本、滑稽本 詩歌 和歌 前期 契沖(「万葉代匠記」)、賀茂真淵(国学の樹立者 「万葉考」)、本居宣長(国学 の完成者 「古事記伝」、「源氏物語玉の小櫛」) 後期 香川景樹と「桂園派」 俳諧: 俳諧連歌?貞門(松永貞徳)?談林(西山宗因)?蕉風(芭蕉)?天明期 与謝蕪村?化政期 小林一茶 ?俳句 芭蕉と蕉風: 俳諧 最初の俳諧集 『虚栗』 芭蕉七部集 『冬の日』(蕉風の基礎確立)、『猿蓑』(代表作、「さび」、「しおり」、 「細み」)、『炭俵』(「軽み」の美を開く) 紀行文 『野ざらし紀行』、『笈の小文』、『更科紀行』、『奥の細道』 俳論 ,不易流行, 蕉門の俳論 蕉門十哲 向井去来の『去来抄』、服部嵐雪の『三冊子』 蕪村と一茶と柄井川柳 与謝蕪村 画家で、浪漫的?唯美的な俳風 小林一茶 弱者への同情と強者への反抗心が強い。俗語や方言を使い、人間味あふれた生活俳句を樹立した。 川柳 柄井川柳 (,前句付け,五七五) 特質:,)季語や切れ字の制限がない ,)人事が主で ,)世相や人情を風刺する 仮名草子と浮世草子 ? 仮名草子 『伊曾保物語』最初の西洋文学翻訳 ? 浮世草子 井原西鶴 好色物 好色一代男、好色五人女、好色一代女 武家物 武道伝来記、武家義理物語 町人物 日本永代蔵、世間胸算用 説話物 西鶴諸国ばなし、本朝二十不孝 江島其磧 気質物 世間子息気質、浮世親仁形気 草双紙 赤本、黒本、青本、黄表紙、合巻の順序で展開した絵双紙を総称して草双紙という。 赤本?黒本?青本 子供や婦人向き小型の絵本 黄表紙 大人向き絵入りの短編小説。 恋川春町の『金々先生栄華夢』 と 山東京伝の『江戸生艶気樺焼』 合巻 長編小説、何冊も合わせて出版する 8 柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』 読本(読む文章を主体とする) 前期読本 (上方に流行、中国の短編小説をもととした伝奇小説) 代表 上田秋成の『雨月物語』と『春雨物語』 後期読本 (江戸を中心、勧善懲悪や因果応報の思想が濃厚) 代表 山東京伝 曲亭馬琴の『椿説弓張月』と『南総里見八犬伝』 洒落本?人情本?滑稽本 洒落本 (遊里を舞台とし、,通,を教えるもの) 山東京伝の『通言総籬』 人情本 (庶民の恋愛を描いた風俗小説) 為永春水の『春色梅児誉美』 滑稽本 (笑いを目的として書かれた小説) 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』 式亭三馬の『浮世風呂』と『浮世床』 浄瑠璃と歌舞伎 浄瑠璃 近松門左衛門の『曾根崎心中』 ,時代物,と,世話物, 紀海音、竹田出雲、豊竹若太夫 歌舞伎 完成期 坂田藤十郎、市川団十郎 隆盛期 並木正三 爛熟期 鶴屋南北の『東海道四谷怪談』 集大成 河竹黙阿弥 ,白浪物, 近代文学の誕生期(明治,,,,,) 背景 ,)自由民権運動の失敗 ,)甲午中日戦争と日露戦争の勝利 ,)国粋主義の盛行 特質 : ,)写実主義と浪漫主義の二潮流が並行しながら展開していった ,)擬古典主義の中心である硯友社の風靡 文学の展開 一 写実主義期(リ?リズム)?理想主義期:二葉亭四迷 硯友社(尾崎紅葉ら)(以上之二つは写実主義)幸田露伴(理想主義)北村透谷と『文学界』樋口一葉 二 浪漫主義期: 森鴎外 国木田独歩 三 甲午戦争後の社会小説 二葉亭四迷: 評価 日本代文学の創始者であり、批判的リ?リズム文学の先駆者でもある。 文学活動 :,,,,年『小説総論』を発表。 ,,,,年『浮雲』を発表したが、中絶して、一時創作の筆を絶った。 ,,,,年大阪朝日新聞東京出張となり、日露戦争ロシ?関係の記事を送るかたわら、再び 9 小説の筆をとって、『其面影』などを書いた 浮雲:評価:当時日本文明の現実の歪みを風刺的に描いている近代小説の骨格をもったリ?リズム文学の先駆である。 主人公 孫兵衛(旧思想) 文三(新思想) お勢 お政(旧思想) 本田昇(えせ新思想) 表現 ,言文一致,をめざした新文体が工夫され、後半では熟した口語文体にまで成長している 浮雲の特色:,)お勢を、文明開化の知識人の性格を象徴させた同時に、欧化主義の日本に象徴させて、日本の近代化を批判した。 ,)人物の性格や心理を精細に分析して活写した。 ,)『浮雲』は口語による小説の最初の試みでもあった。言文一致(「だ体」という根本的な態度を確立したことは、近代小説の展開に大きな意味がある 硯友社: 尾崎紅葉を中心とする近代日本最初の文学結社で、明治,,年に結成され、同人雑誌「我楽多文庫」を出して活躍した。 特徴:擬古典主義であり、戯作的文学であったが、近世文学から近代文学に移る過渡的な役割を果たした。 尾崎紅葉 文学的活動:,,,,年「二人比丘尼色懺悔」(雅俗折衷体)を出世作として発表した。西鶴を模倣して「二人女房」、「三人妻」を発表。 ,,,,年「多情多恨」(「である」調)を発表。 ,,,,年から,年間にわたって「金色夜叉」(代表作)を連載し、未完のまま終わった。 近現代文学史の区分: 一 明治、大正(近代) 昭和、平成(現代) 二 近代前期、近代後期、戦後 三 近代文学の啓蒙期(明治維新から十九年まで) 近代文学の誕生と成長(写実主義期と浪漫主義期) 近代文学の確立と展開(自然主義期と反自然主義期から、大正末期プロレタリ?文学やモダニズム文学まで) 現代文学の成立(昭和前期の文学) 戦後の文学、 近代文学の背景と特質 背景:,)欧米文化の輸入、模倣。 ,)個人主義や自我の覚醒。 ,)国粋主義、皇室中心主義、軍国主義 特質:,)西欧文学の影響。 ,)小説中心 (私小説が主流)。 ,)戦争文学 啓蒙期の文学(明治元,十九年) 背景:,)文明開化、明治政府改革。 ,)啓蒙思想家の活躍 (西周、中村正直、福沢諭吉)。 ,)前代思想の残存 10 特徴:,)実用主義で、文芸は軽んじられた。 ,)文学を政治啓蒙の手段とした。 ,)『小説真髄』は初めて近代文学の方向を明らかにした 啓蒙期文学の展開: 一 江戸戯作文芸の流れ (仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』と『安愚楽鍋』) 二 翻訳小説 (織田純一郎の『花柳春話』と川島忠之助の『,,日間世界一周』) 三 政治小説 (矢野竜渓の『経国美談』と東海散士の『佳人之奇遇』) 四 坪内逍遥の『小説真髄』と『当世書生気質』 坪内逍遥 評価 西欧文学の理解のもとに旧時代の勧善懲悪主義を批判し、写実主義による新小説を提唱実践して近代文学を基礎づけた先覚者 文学的活動:,)小説 『当世書生気質』 『細君』 (二葉亭四迷との交友)。 ,)評論 森鴎外との,没理想論争,。 ,)劇作 『桐一葉』。 ,)翻訳 『ハムレット』をはじめ、沙翁全集の翻訳 『小説真髄』 一 『小説真髄』の内容 (明治,,,,,) 上下二巻からなり、上巻は本質論、下巻は技法論という構成 二 『小説真髄』の基本点: ,) 文学の自律性を主張した。 ,) 文学の中心ジャンルに小説をすえた。 ,) 写実主義を提唱した 三 『小説真髄』の価値:近代日本最初の文学理論書 硯友社の系譜:硯友社?川上眉山 広津柳浪?永井荷風 山田美妙 尾崎紅葉?泉鏡花、小栗風葉、徳田秋声 大勢力となり、明治20年代の文壇を支配した観がある。 硯友社の価値 ,)文学の価値を広く社会一般に知らせ、出版界をも発展させた。 ,)当代の文学を改良し、各方面に新分野を切り開き、こうした努力は写実主義を進展させ、次の時代を拓く自然主義文学の台頭に一つの契機を与えた。 ,)擬古典主義であり、真の近代文学とは言えないが、近世文学から近代文学に移る過渡的、架橋的な役割を果たした。 硯友社の成立 背景:欧化主義の風潮は、政府が密かに進めていた条約改正の失敗とともに退潮を見せ、思想界や一般社会において、盲目的な欧米一辺倒を批判する国粋主義の反動を招いた。1885年、尾崎紅葉、山田美妙らが中心となり硯友社を結成した。近世の古典を尊重して、それに学ぼうとしながら、写実主義の文学を進めた。機関誌「我楽多文庫」を創始、のち「文庫」と改題。 山田美妙 ,概括, 1885年に尾崎紅葉らと硯友社を結成したが、すぐに硯友社を離れ、坪内逍遥の影響下に文学改良主義者として小説、新体詩、演劇、批評などに旺盛な活動をした。 ,文学的活動, 逍遥の『小説神髄』によって改良主義者に転じて、「言文一致論概略」など 11 で文体改良論を固めつつ、「武蔵野」や「胡蝶」などの詩的な歴史物語を口語体(「です体」)でつづった。 尾崎紅葉 ,概括,近代最初の小説家の結社硯友社を興して首領となり、明治20年代の最有力作家である。種々の方法を試みて時代風俗と人間を描き、文学における芸術性と大衆性をともに生かすべく努力した。『金色夜叉』などにより、明治大正期を通じてのベストセラーである。 ,文学的活動,:,,,,年「二人比丘尼色懺悔」(雅俗折衷体)を出世作として発表した。西鶴を模倣して「二人女房」、「三人妻」を発表。 ,,,,年「多情多恨」(「である」調)を発表。 ,,,,年から,年間にわたって「金色夜叉」(代表作)を連載し、未完のまま終わった。 『金色夜叉』 長編小説。1897年から六年間にわたって断続的に連載され、未完のまま終わったが、高利貸しを「金色夜叉」としたところに新意がある。 主人公 間貫一、宮、富山 主題 金銭と愛情との相克を描き、人生においては金よりも愛のほうが永続的で大事なものだということを訴えている。 制作中からすでに上演された人気作であり、紅葉文学の集大成とも言える作品である。 幸田露伴 ,概括,紅葉と同じく西鶴に学びながらまったく対照的な作品世界をつくりあげて、明治20年代に紅露時代を築いた。小説のほかに史伝、随筆、評論、考証などに大きな業績を残している。 ,文学的活動, 前期(理想主義期) 『露団々』を処女作とし、『風流仏』によって一躍文壇に声名を馳せた。『五重塔』などの代表作を発表したが、文壇作家としての幕を閉じる。 後期 創作より、考証、注釈、翻訳に入る。晩年は「芭蕉七部集」の研究に没頭した。 紅露の比較 露伴の作風:,)東洋的倫理観に基づき、気骨ある男性を描き、理想主義的。 ,)文章は、厳粛な気分が漂う文語文体。 位置 文章 題材 作風 系譜 硯友社の首領 言文一致体 情緒的な女 西鶴に傾倒 紅葉 写実的 性 独立 文語文体 気迫ある男理想主義的同上 露伴 性 森鴎外 作品:評論?月草 史伝?渋江抽斎 小説?安部一族、雁、舞姫 詩歌?うた日記 翻訳?即興詩人、於母影(詩) 『舞姫』 短編小説。1890年『国民之友』に発表。 主人公 太田豊太郎、エリス、相沢 価値 二葉亭四迷の『浮雲』とともに日本近代文学の出発点を示す記念碑的な作品で、二つの作品は同様に近代知識人の挫折とその悲しみを描いているにしても、『浮雲』は「反逆者の悩み」であり、『舞姫』は「妥協者の悲しみ」である。近代最初のテーマ小説であり、西欧小 12 説作法によって作られた短編小説の鼻祖である。文体においても、格調の高い漢文体、優美な和文体、論理的叙法を骨格とする欧文体を巧みに融合調和した雅文体。 北村透谷と『文学界』 背景 絶対主義天皇制の確立 主張 硯友社の旧い文学意識に批判の目を向け、当時の文壇の一隅から若々しい近代的な自我の叫びをあげ、浪漫主義文学運動を先導した。 成立 1893(明26)年雑誌『文学界』を創刊し、思想的文学の中心は、北村透谷である。 評価 『文学界』の浪漫主義運動は、のちの文学者とくに明治30年代の浪漫主義や自然主義の作家に大きな影響を与え、日本近代文学の骨格を形作った。 『文学界』の同人 北村透谷のほかに、島崎藤村、上田敏らがいて、田山花袋、柳田国男、樋口一葉たちも寄稿している。透谷の評論、一葉の小説、藤村の詩が前?中?後期をそれぞれ『文学界』を代表している。しかし、小説には一葉の作品のほかに見るべきものが乏しく、評論と詩が中心であった。思想的には、前半は透谷に見られる自我の拡充、内部生命の尊重がリードしており、後半は上田敏の芸術至上主義がリードしている。 北村透谷 1868年 神奈川県に生まれ、はじめ政治家を志したが、失敗してから文学に転じ、 1891年『楚囚之詩』を自費出版した。 1892年『女学雑誌』に評論「厭世詩家と女性」を発表する。 1894年(26歳)に自殺した。 代表作 「厭世詩家と女性」 (日本において初めての大胆な自由恋愛の宣言)。 「内部生命論」(自我の尊厳と人間性の探求を主張する文芸論) 樋口一葉:美しい彗星の如く現れて消えてしまった,今清紫,ともいわれた天才女流作家である。 ,経歴, 15歳のとき「萩の舎」の塾に入門し、和歌を中島歌子に学び、その後小説を半井桃水に学んだ。明治27、28年から『文学界』に寄稿して、文壇に注目されたが、若年にして世を去った。 ,作風, 西鶴調の雅俗折衷の文体を用い、社会底辺で貧困と封建道徳の風習に縛られて生きる女性の哀れさ、抒情豊かにリ?ルに描いた。 代表作: 大つごもり 短編小説。1894年『文学界』に発表。 たけくらべ 1895年に発表。一葉の小説中最も有名であり、演劇、映画にも脚色上演されている。小説の特色は何といっても吉原の裏町を舞台としたことである。 十三夜 抒情性の強い作品である。 日記 16歳から書き始めた日記が、読者を予想せず赤裸々に自分をつづったもので、一葉研究に欠かせない資料である。 国木田独歩 評価 独自の自然観と人間観によって山林海浜に住む名もない,小民,への共感と自然への憧憬をうたった短編小説を発表する。本質的には知性的な浪漫主義作家。晩年は自然主義的傾向。 文学特色:,)「人間の教師」であることを文学者の使命とみる文学観である。 ,)「山林海浜の小民」や都市の「小民」など下積みの平凡な人々への共感と愛情が込められている。 13 文学的活動:三期に分けられる。,)1895年から1901年の前半まで、自然と人間の交錯を描いた浪漫的抒情の時期である。「山林に自由存す」などの抒情詩、随筆「武蔵野」、小説「源おぢ」。 2)1901年の後半から1905年までの、次第に 写実に傾いた理知的浪漫主義の時期で、「牛肉と馬鈴薯」、「春の鳥」などの作品ある。 3)1906年から1908年までの現実主義の時期である。「窮死」、「二老人」など、現実を諦視し、都市下層民の生活を同情をこめて描いた。 泉鏡花: ,評価, 明治?大正?昭和の三代にわたって三百余編の作品を発表。感覚的文体と矯激な美意識に支えられた浪漫的?神秘的文学に独自の境地を開いた。 ,文学的活動,:,)小説「照葉狂言」「高野聖」「歌行燈」 観念小説「夜行巡査」{外科室」 ,)戯曲 「日本橋」 徳富蘆花:弱者の側に立って、特異なキリスト教文学者である。清新な自然描写を確立し、社会小説?告白文学?紀行文などに真価を発揮する。 ,文学的活動,:,)翻訳 トルスト?を紹介したことは注目される。 ,)小説 「黒潮」 「不如帰」。 ,)紀行?随筆 「自然と人生」 観念小説と悲惨小説 観念小説とは、当時作家が社会の不合理に対する抗議を一つの観念として、作品に具象化したものである。代表作 泉鏡花の「夜行巡査」「外科室」、川上眉三の「書記官」 悲惨小説(深刻小説)とは、戦後社会における社会の矛盾に着目し、庶民生活の悲惨な様相に取材し、社会組織の罪悪や欠陥を究明しようとした小説。代表作 広津柳浪の「今戸心中」 観念小説や悲惨小説は、作者の社会認識も自覚も幼稚で、内面の深化に至らなかった。 社会小説 社会小説とは、観念小説?深刻小説の素材領域を拡大し、社会的変革を裡に持ちながら、その由縁を描こうとし、さらによりよき社会を願おうとした小説を指す。 代表作家と作品:内田魯庵の「くれの廿八日」「社会百面相」(社会小説の第一人者) 徳富蘆花の「黒潮」などがある 浪漫主義をまとめて 浪漫主義:詩歌?土井晩翠、島崎藤村、与謝野晶子 小説?森鴎外 (舞姫)、泉鏡花、国木田独歩、徳富蘆花 評論?北村透谷 (内部生命論)、高山樗牛 (美的生活論) 近代文学の成立と展開 時代区分 1906(明39)年から1923(大12)年関東震災まで。 背景:,)朝鮮、中国を侵略し、第一次大戦に参戦して、帝国になった。 ,)社会運動の勃発、政府の弾圧(幸徳秋水らの大逆事件) ,)大正デモクラシーの思潮を背景に、「米騒動」やロシ?革命などの民衆運動も高まった。 ,)思想的においては、個人主義、自由主義、合理主義、現実主義などの?デオロギーが深化した。 概観:自然主義文学?独自の道を歩んだ鴎外と漱石 耽美派の文学 14 大正の出発となった白樺派の文学 芥川龍之介を代表とする「新思潮」派 近代リ?リズム、石川啄木、「奇跡」派、「三田文学」派、「種蒔く人」のプロレタリ?文学 自然主義 自然主義とは、ナチュラリズム(仏)の訳語で、19世紀の後半エミール?ゾラの提唱によって起こり、やがてほとんど全ヨーロッパの中心となった文学思潮である。 主張 自然科学(ダーウ?ンの「進化論」、ベルナールの「実験医学序説」など)の方法を、人間およびその社会に適用して、真実に迫ろうとした。(ロマン主義に反対) 代表作 ゾラの「実験小説論」 日本の前期自然主義: 中江兆民が彼の訳した「維氏美学」にいち早くゾラの名を紹介 森鴎外がゾラの「実験小説論」の概要を紹介 小杉天外や永井荷風がはじめてゾラ?ズムを日本の文学に取り入れようとした 小杉天外の「はつ姿」と「はやり唄」(文学史上最初の自然主義の宣言) 永井荷風の「地獄の花」 自然主義文学 日本の自然主義文学は、天外や荷風によって確立されたのではなく、ロマン主義詩人から出発して、散文へと転身した田山花袋や島崎藤村によって確立された。 背景 ,)社会的変化 ,)西欧文学の影響 ,)世代の変化 藤村の「破戒」(1906 明39)と花袋の「蒲団」(1907 明40)により、日本自然主義の文学が成立した。 自然主義の作家:評論?島村抱月、田山花袋、岩野泡鳴、長谷川天渓 小説?岩野泡鳴、正宗白鳥、徳田秋声、田山花袋、島崎藤村 島崎藤村 評価 日本近代詩の創始者とも言うべき浪漫派詩人で(「若菜集」)、小説家に転じて、「家」と「個人」の問題を扱った長編を相次いで発表して、自然主義を代表する作家となる。 文学的活動 ,)『文学界』時代。 ,)『若菜集』による詩的自立。 ,)詩から散文へ。 ,)『破戒』による作家的自立。 ,)『春』から『家』へ。 ,)『新生』から『夜明け前』へ 〈略歴〉1872年長野県に生まれる。 1888年キリスト教の洗礼を受ける。 1897年『若菜集』出版。 1899年小諸義塾の教師として信州に赴任、秦フユと結婚。 1905年義塾を辞めて上京。『破戒』執筆中に三女死亡。 1906年『破戒』出版。次女、長女死亡。 1908年『春』連載。1910年『家』連載。妻死亡。 1913年姪との事件で渡仏。(1916年、帰国) 15 1918年『新生』連載。 1926年秘書加藤静子と再婚。 1929年『夜明け前』連載。 1935年日本ペングラブ会長就任。 1943年脳溢血のため死去。 代表作: 『若菜集』 日本近代詩の出発点で、恋愛の喜び、漂泊への思いなどを詠んだ浪漫的な抒情詩集。(初恋、旅、北村透谷の死、恋人の死) 『破戒』 日本における自然主義文学が確立された記念碑的作品であり、被差別部落出身の青年教師瀬川丑松は、自分の素性を隠せという父の戒めを破り告白、新しい一歩を踏み出す。 主人公 部落民 瀬川丑松、猪子蓮太郎、大日向という知人、六左衛門の娘(高柳の妻) 高柳、校長、勝野文平 銀の助、生徒たち、お志保 『破戒』の意義:,)「部落民」を見下す不合理な封建的身分制度を批判し、人間解放の大きな社会問題を提起している。 ,)職業や階層により人物が描き分けられ、人物の性格や心理の描写も優れている。 ,)文体も完全な口語文体で貫かれていて、画期的なものである。 『春』は過去に遡り、『文学界』成立当時の三年間の藤村とその周辺に題材をとって、『文学界』 同人の青春群像図を描いた小説である。また、前半では、群像を描いたが、 後半になっては自伝的小説になった。 『家』は藤村一族を題材にして自伝的小説である。日露戦争後の農村に残っている古い二大家(島崎家、姉の嫁ぎ高瀬家)が、資本の浸透のために没落し、退廃していく中で、主人公三吉(藤村)の若い声名が苦闘する姿を描いている。自然主義文学の最高傑作と定評されている。 『新生』 姪こま子との不倫な関係を冒険的に、大胆に暴露することで「新生」を願って書いた。これは、藤村、ひいては日本自然主義文学中最大の典型的な告白小説である。告白したことの誠実さを評価する人がいる一方、芥川龍之介が藤村を「老獪な偽善者」と言った。 『夜明け前』は、青山半蔵(モデルは作者の父)の23,56歳までの生涯を核とし、1853年黒船騒ぎから維新前後の巨大な社会的変動を写実的に描こうとした歴史小説の傑作である同時に、彼の自伝的作品系列の最後の長編でもある。 田山花袋 概括 日本自然主義の確立者、推進者として活躍し、多くの文学者に影響を与えた。 文学的活動:前期 習作期より自然主義文学にいたるまで 中期 自然主義文学 後期 自然主義退潮以降晩年まで 代表作:『蒲団』 『田舎教師』 『生』 『妻』 『縁』(三部作) 『蒲団』は「自己の内なる真実の表現こそ文学の本道」という文学観を確立して、日本自然主義の方向を決定していたばかりでなく、私小説という日本独特の小説形式が流行する端緒を開いた。主人公 竹中時雄、 横山芳子(女弟子) 『田舎教師』は、文学的方法において、主観的価値観による文学的処理を加えず、すべての現象をありのままに描写すべきだという「平面描写」論によって客観的に描いた作品である。 徳田秋声 日本自然主義の勃興と軌を一にして自らの文学的資質を開花させ、その客観的な現実描写、無理想無解決に通ずる透徹した筆致により、,生まれたる自然派,と呼ばれる。 代表作 「新世帯」(1908 明41) 16 正宗白鳥 自然主義の波とともに文壇に登場し、知識人の孤独と無気力な人生を描き、評論活動にも見るべきものが少なくなかった。 代表作 『何処へ』(1908) 岩野泡鳴 象徴主義詩人として出発したが、評論「神秘的半獣主義』、『新自然主義』などによって、自然主義の異色の存在となった。人生は無目的だとする独自の哲学から、刹那主義の文学を唱えた。花袋を観察的自然主義といえば、泡鳴は行動的自然主義であった。また、泡鳴は視点を主人公一人に限定する「一元描写」を主張して、花袋の「平面描写」に対抗した。 日本自然主義文学の特異性 ,)日本の自然主義文学は、思想的に強烈な自我意識を押し出すことによって「自然派にしてロマン派的性格を兼ね備え、かつ後者の果たすべき役割を果たした」ということである。 ,)虚構性の否定、社会性の欠乏が日本自然主義文学の基本的な特色である。彼らは事実の「真実」を追究するが、芸術上の真実性を忘れ、私小説の誕生を促すことになった。 ,)社会問題に対する「無理想無解決」の傍観的態度で、実行を避け、観照に徹し、現実の醜悪と暗黒の暴露に始終した。 反自然主義: ,概括, 近代日本文学の主流である自然主義文学に対して、対立もしくは独自の文学を主張する思潮?傾向を総称して反自然主義および反自然主義文学という。正岡子規の影響を受けた夏目漱石とその門下生達。また同じく子規の下から高浜虚子ら『ホトトギス』のグループ。森鴎外?上田敏およびその影響下の『スバル』。および与謝野鉄幹?晶子の『明星』同人たち。 耽美派 白樺派 新思潮派 夏目漱石:,概括, 西洋化を急ぐ日本社会と、その中に生きる人間の心理とを、鋭く分析しまた痛烈に批判した文学者であった。近代日本の代表的作家であり、最も多くの読者を得た作家の一人と言えよう。国民的大作家とも言えるほどの根強い人気を持ちながら、「漱石山脈」と言われる多くの門下生を育てたことも無視できぬ。 漱石の略歴:1867年江戸牛込み馬場に生まれる。 1868年塩原家の養子となるが後年復籍。 1881年二松学舎に入学、漢学を学ぶ。 1884年大学予備門予科に入学。 1890年東京帝国大学英文科入学。 1895年愛媛県尋常中学校(松山中学)に赴任。 1896年熊本の第五高等学校に赴任。中根鏡子と結婚。 1900年?ギリス留学。「英国ぎらい」になった。 1903年帰国。一高?東大講師となる。神経衰弱。 1905年『吾輩は猫である』。 1906年『坊ちゃん』 『草枕』。 1907年教職を辞し、朝日新聞社入社。『虞美人草』連載。胃病悪化。 1908年『夢十夜』 『三四郎』。 1909年 『それから』 養父に金を無心される。 1910年『門』 胃潰瘍で入院。修善寺の大患。 1911年文学博士号辞退。 1912年『彼岸過迄』 『行人』連載。 17 1914年『こころ』 講演「私の個人主義」。 1915年『硝子戸の中』 『道草』。 1916年『明暗』連載中に胃潰瘍悪化、死去。 ,文学活動,:,)前期は1905年『吾輩は猫である』の発表から、1907年朝日新聞に入社するまで。この時期の本職は講師で、小説は余技として書かれた。渋い傍観者的な立場で、人間や社会を笑い、風刺するのが特色であり、明るい作品が多い。 ,)中期は朝日新聞に入社して職業作家の生活を始めから、1910年修善寺療養まで。続いて発表した『三四郎』、『それから』、『門』は中期の三部作と呼ばれた。この時期は笑いと傍観の立場を捨てて、人間の真実と社会現実との葛藤を中心テーマとしているのが特色である。後期は1910年修善寺の大患以後の時期で、主な作品に『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』という後期三部作、自伝的作品『道草』、死により中絶された『明暗』がある。修善寺の大患で一時的な「死」を経験したことが、漱石の人間観、死生観に大きな影響を与える。この時期の中心テーマは、人間内部に巣食うエゴ?ズムの追求であり、暗く重い作品が多い。 漱石の作風:漱石は余裕派?高踏派などと呼ばれ、鴎外とともに、反自然主義の立場で活躍した。東西の幅広い知識を背景に、小説?俳句?漢詩など様々なジャンルにわたった作品を残している。非人情を理念として出発しエゴ?ズムの解剖を経て、やがて則天去私の世界(『明暗』を通して)を目指した。 漱石の門下:評論―――安倍能成、阿部次郎、和辻哲郎 小説―――森田草平、武者小路実篤、寺田寅彦、久米正雄、芥川龍之介。 〈作品〉: 『我輩は猫である』 長編小説。1905,1906年『ホトトギス』に断続的に連載。生まれてすぐに捨てられた猫の「我輩」は、中学教師の苦沙弥の家に住み着く。明治のいわゆる知識人たちや金の亡者金田一族のような人間を猫の目を通して風刺的に描いた。日本近代文学史上風刺小説の傑作であり、知識人の虚偽を批判すると同時に、これらの知識人を通してブルジョ?ジーの本質を暴き、金権主義を鋭く批判して、明治政府の官僚、警察などを辛辣に風刺している。 『坊ちゃん』 長編小説 1906年。正義感に富む潔癖な青年を主人公に、正義を愛する人間と不正を企てる人間とに二分して、社会の不正に対する作者の反抗意識を正面から描きだす。 『草枕』 短編小説 1906年。「非人情」の世界に憧れ、俗世間から逃れて旅を続ける青年画家が、鄙びた温泉町で美しい那美という女性の「憐れ」の表情に胸中の絵を完成させる。 『夢十夜』 小品。1908年朝日新聞に載る。十夜の夢を描いた小品集である。十夜の夢が何を意味しているかを解くことが大変むずかしいが、いくつかの例外を除いて、悪夢に近い無気味さを特徴としてもよいであろう。 『三四郎』 中編小説。1908年朝日新聞に連載。大学進学のため上京した小川三四郎は、池のほとりで知り合った里見美禰子に心を惹かれるが、美禰子が常に謎めいた存在であり、結局結婚により三四郎の世界から消えていく。 『それから』 中編小説 1909年朝日新聞連載。父や兄から経済的援助を受け、いっさい働かず「高等遊民」である長井代助は、友人平岡に譲った昔の恋人、三千代に再会する。彼女を愛していたことを悟り告白して、結婚するが、友達や父兄に絶縁される。 『門』 1910年発表するが、『それから』の後日談である。封建的束縛から飛び出したものの、世俗の圧力と友人を裏切った罪の意識から、暗い世界を生き続ける小ブルジョ?知識人の精神的悩みを描き出した。 中期の三部作は、人物や場面の違いはあるが、いずれも社会的秩序と人間の自我との対立 18 という問題を中心にしたもので、日本近代文学中深刻な思想性を持つ作品と認められている。しかし、『門』あたりから、漱石は前作に見られた文明批判性を捨てて、社会的悪の追求よりも、人間内面の追求に向かい、それを後期の作品につないでいっている。 『こころ』 中編小説 1914年に発表。「先生と私」「両親と私」「先生の遺書」の三部からなる。学生の「私」は視点で、つなぎ役であり、主人公は「先生」である。先生は、他人はもちろん、自分をも信ずることができなくなり高度な自己否定に至り、ついに自殺による倫理の達成に到達する。乃木殉死は、鴎外に 『興津弥五右衛門の遺書』を、漱石に『こころ』を構想させた。対照的な文学者の精神がここに共通性を見ることが、「最も強く明治の影響を受けた」からであろう。 『道草』 自伝的小説、1915年に発表。『心』において、漱石は人間のエゴ?ズムを追求したが、『道草』においては、自分自身の家庭生活を解剖することによって、家族関係における人間の、特に自己のエゴ?ズムの醜さを告白した。それは作家としての漱石の一種の「自殺」行為であり、「去私」的な行為と見ることができる。 『明暗』 1916年に連載中に死去したので、「暗」の部分しか書けなかった。市民社会の対人関係において人間心理を追求して、登場人物のすべてが虚栄?嫉妬であるという、人間奥のエゴ?ズムを鋭く突いたところに特色があり、「則天去私」に到達したのである。真の個人の生き方は、自己から出発して他の自己を発見し、その「自我」調整のため、個人尊重の思想と同時に個人否定の思想をも持つべきだというのが「則天去私」である。 新聞小説『坑夫 』と自伝的小説『道草』を除いて漱石の小説は、だいたい誰が誰と結婚かということをテーマにしている。そして、男の主人公はほとんど「高等遊民」であり、つまり働かない者や生活力のない者である。女の主人公は二種類に分けられる。それぞれは気質が高く虚栄心が強い女性と従順で控えめな女性であるが、どちらの女性も独立しようとしたり働いて家計を助けようとしたりしない。 鴎外の文学活動:,)第一期は帰国してから、甲午中日戦争に従軍するまで、浪漫主義紹介時代という。 ,)第二期は、甲午中日戦争から日露戦争までで、「小倉時期」ともいう。文筆活動から遠ざかる。 ,)第三期は、豊熟の期、「文壇再活躍の時代」であり、反自然主義期である。 ,)第四期は、歴史小説、史伝の期である。 評価と作品:批評?翻訳?創作の多方面にわたり指導的立場で活躍し、近代日本文学の最高峰として夏目漱石と並称された。 森鴎外の後期活動:小倉左遷以来、中央文壇を離れた鴎外は、日露戦争から帰ってきて、「スバル」を拠点に文壇に復帰した。その原因は、 ,)陸軍における位置が安定し。 ,)「スバル」が創刊され、著作発表の機関となり。 ,)自然主義文学への反感。 ,)夏目漱石が1905年以来、次々に傑作を発表して文名を高めたので、それに刺激されたことである。 略歴:1862年 石見の国に生まれる。 1874年 第一大学区医学校予科に入学。 1881年 東京帝国大学医学部卒業。 19 1884年 ド?ツへ官費留学。 1888年 帰国。陸軍軍医教官となる。 1889年 海軍中将赤松の長女登志子と結婚。『於面影』(訳詩集)「しがらみ草子」 1890年 『舞姫』 『うたたかの記』 離婚。 1892年 『即興詩人』 (翻訳小説) 逍遥と「没理想論争」を展開。 1899年 小倉に赴任。 1902年 荒木志げと再婚。 1904年 日露戦争に出征。 1907年 陸軍軍医総監になる。 1909年 『半日』 『ヰタ?セクス?リス』(自然主義に対する挑戦として書かれた作品)。 1910年 『青年』連載。 191,年 『雁』連載。 1912年 『興津弥五右衛門の遺書』(これから歴史小説の創作に入る)。 1913年 『阿部一族』。 1914年 『大塩平八郎』 『安井夫人』。 1915年 『山椒大夫』 『最後の一句』 文学論『歴史其儘と歴史離れ』を発表した。1916年 『高瀬舟』『寒山拾得』『渋江抽斎』(これから歴史小説にかわり史伝に夢 中なる)。 1922年 『伊沢蘭軒』 肺結核?萎縮腎のため死去。 〈作品〉 『青年』 鴎外の唯一の長編小説で、漱石の『三四郎』に刺激を受けて書かれた作品。 『雁』 中編小説で、鴎外文学の最高傑作と評される。貧しさのために高利貸の妾となったお玉は、大学生の岡田に恋をする。その境遇から抜け出すきっかけを岡田に求めるお玉が、偶然の重なりから二人は結ばれずに終わる。(明治社会に生きる貧しい女性の悲劇的運命の厳しさが浮き立たれる) 『興津弥五右衛門の遺書』 乃木殉死後五日目に完成した歴史小説の第一作である。全く「功利の念」のない無償の献身という武士精神を賛美し、殉死を肯定する念を表す。 『阿部一族』 第二作。殉死という武士道のモラルの形骸化、非人間性を暴き、殉死制度に対する作者の懐疑と批判が中心となっている。 『歴史其儘と歴史離れ』 歴史小説を書く上での対立する二つの態度を説いた。作家の主観を避けて歴史的事実を再現しようとする客観的な歴史小説は「歴史其儘」に属しているの対して、歴史に題材を求めながらもっと自由に、作者の空想や解釈を働かせた主観的な歴史小説は「歴史離れ」に属している。鴎外の書いたそれまでの作品は前者で、それ以後の作品は後者に属する。 『山椒大夫』 だまされて人買いの手に落ちた安寿と厨子王は山椒大夫に売られてしまう。安寿は自らの命を犠牲にして、厨子王を都へ逃す。力の弱い人間が、力のある強権者に対して苦しい戦いを経て最終的に打ち勝つというテーマ。 『寒山拾得』 短編小説。俗吏を痛烈に風刺したが、そこには自嘲的な意味も込められている。身分意識から人間の真の価値をみようとする退官前の鴎外の思想の変化を示す作品である。 鴎外の生を一貫するものは、官僚にして文学者として生き抜いてきた姿勢から生まれる公と私、封建と近代、西洋と東洋、保守と合理、国家と個人という二元的矛盾であった。『舞姫』『雁』『高瀬舟』『寒山拾得』などの作品は、このような矛盾から生まれた作品で、近代日本の二元的矛盾が如実に反映されているし、鴎外自身の精神のありかたの証明でもあったと言 20 える。 教養 態度 作風 主題 分野 人柄 耽美派 道義的心 エゴ?ズムの追求俳句? 親分ばたで 特に英文 余裕反自漱 ,概括, 写理的 から則天去私をめ 然主義 石 小説 門弟多数 学 実ではなく空ざす 想を、倫理的倫理的教 現実との関係のあ 翻訳? 傍観主義 特に独冷静で主 価値ではなく化的 る倫理問題の追求 評論? で 文学 知的反自鴎 外 美的価値を、 小説? 然主義 孤高を保っ 内容よりも技戯曲 た 巧的完成を求めた文学流派であり、その芸術観は芸術至上主義的であり、享楽主義及び快楽主義を信条とする。永井荷風、谷崎潤一郎が代表的作家である。 ,展開,: パンの会の詩人、歌人(『明星』から脱退) 森鴎外や上田敏が率いる『スバル』の同人 永井荷風が主宰する『三田文学』 谷崎潤一郎を文壇に登場させる第二次『新思潮』 ,主張, 卑小な人間とその醜悪な暗い側面を追求する自然主義文学に反発して、美を人生の最高のものとし、人生の意義は美の享楽と創造にあると主張する。 ,背景, 日本資本主義の異常な発展と、これに伴う都市文化の全盛 (自然主義文学が地方出身の知識青年を主体とする農村型の文学であるとすれば、これは、近代資本の成熟を土台とする都市型の文学である。 永井荷風 ,概括, 初期の荷風は旧文芸?旧道徳に反発してゾラの文学を移植した。のち、外国で身につけた個人主義や自由を愛し、クラシックを尊重する精神に基づく官能的色彩の強い小説を発表。自然主義全盛の文壇に耽美派の旋風を巻き起こした。大逆事件のころから反時代的戯作者的態度を強め、情調と文明批評とが一体となったユニークな作品を示した。孤高反俗の姿勢をもって、徹底した個人主義を貫いた。 荷風の略歴:1879年東京市にうまれる。高等商業学校付属外国語学校清語科に学び、広津柳浪の門に入る。ゾラに心酔してフランス語を習い、『地獄の花』を発表したが、ゾラの浅い模倣にすぎなく、 1903年から父の進めで?メリカ、フランスに外遊し、 1908年五年ぶりに帰国後『あめりか物語』、『ふらんす物語』を公にして作家的地位を確立する。 1910年鴎外の推挙により慶応義塾大学教授となり、『三田文学』を創刊主宰して、耽美派に有力な拠点を提供するとともに、多くの耽美派の作家を育成する。反実利的な耽美派の文学し文化勲章を受章(1952)。 1959年反俗の生涯を閉じた。 ,)第一期は、明治30年代のゾラ?ズムの時代である。(『地獄の花』) ,)第二期は、帰国後『あめりか物語』、『ふらんす物語』を発表してから、『三田文学』を創刊して、耽美派の時代である。(『新帰朝者日記』 ,)第三期は、世間を捨てて戯作者の時期である。「大逆事件」を契機に、自己を江戸時代の戯作者のような存在に位置づけ、以後、遊里を舞台に娼婦を描き、数々の戯作を残した。(『花火』 『腕くらべ』 『濹東綺譚』)太平洋戦争中は、戦争に全く非協力な傍観者としていき 21 続けながら、『罹災日録』などを発表し、戦争下の世相の記録として注目された。 代表作: 『新帰朝者日記』 短編小説。1909年『中央公論』に発表。西洋崇拝と明示文明批判の二本の柱から成っている。荷風は明治文明を実利にのみ重点を置いた外形ばかりの文明とだけ見ていたなではなく、それが上からの近代化にすぎないということを、漱石のいった,内発的,でなく、,外発的,であることを見抜いていたことは真に驚くべきである。 断腸亭日乗 1917年から1959年の死の前日まで書き続けられたこの作品は、風俗資料としても貴重であるが、独居の孤独な生活に支えられたその反俗精神は他に類例を見ない。その記事は天候、花鳥風月、読書、世相への批判、東京の風俗の変遷、女性との交渉などにわたっている。この日記の特色は単なる自家備忘のための記録ではなく他日発表されることを意識して書かれている点にある。日記文学の位相を保って創作的性格が強く示されたが、記事の虚実をめぐってさまざまな見解が提出された。 谷崎潤一郎 ,概括,谷崎は約六十年の間第一線の作家としてひたすら小説を書き続けた。作風の変化に応じて、悪魔主義、耽美主義、変態性欲的、古典主義などと呼ばれたが、詮ずるところ生涯を通じて追求したのは、被虐的な性向をもった男性にとっての理想の女性(女性崇拝、官能美崇拝)とはいかなる存在であるかということであった。母性思慕という谷崎理解の上での重宝な言葉も結局は右の範疇に含まれてしまう。 谷崎の略歴:1896年東京市に生まれた。府立第一中学、旧制一高英法科を経て東京帝大国文科に入学したが退学となり、 1910年小山内薫らと第二次『新思潮』を発刊し、『刺青』、『麒麟』などを発表して、永井荷風の激賞により華々しく文壇に登場した後、創作に専念する。帝国芸術院会員、文化功労者、?メリカ文学芸術名誉会長となる。また、毎日出版文化賞、朝日文化賞、文化勲章、毎日芸術大賞などを授与された。 1965年没した。 ,文学的活動,:,)初期(1910,1923)耽美主義、悪魔主義の時代である。『刺青』『麒麟』などを発表し、新時代の文学到来を告げる鮮明な旗印であった。『悪魔』『続悪魔』などの作品で悪魔主義の作家としての名をほしいままにする。,)後期(1924,1965)古典主義の時代。大震災を経験した谷崎は関西へ移住し、『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』を書き出して、日本古典への回帰を示した。そして、1938年から谷崎は『源氏物語』の現代語訳の仕事に専念しはじめる。戦後、終生のテーマを古典の世界に生かした作品が続き、『細雪』などを発表した。 代表作: 『刺青』 若い刺青師清吉が、ある美しい女(芸妓)の背に巨大な女郎蜘蛛の形を彫るという筋の物語で、被虐と虐待という病的変態性欲を描いた。 『痴人の愛』 関西移住後に書かれた作品であるが、当時の風俗を通して女性崇拝と被虐を明解に描ききった傑作で、初期作品の集大成と見るべきものである。主人公ナオミのモデルは千代子夫人の妹せい子である。 『蓼食う虫』は谷崎と千代子夫人との離婚の,予覚,として書かれた作品である。(1915年に結婚した千代子が、谷崎にとって理想な女性ではないが、1930年離婚した同時に佐藤春夫の妻となる。) 『春琴抄』 短編小説。年来追求して来た被虐と女性崇拝の極致である。発表当時にこれほどっ絶賛された谷崎の作品は他にはない。(1931年古川とみこと結婚したが、根津松子を思慕して、『春琴抄』の女主人公は松子である。1935年みこと夫人と離婚して、同年松子と結 22 婚した。) 『細雪』 『源氏物語』の影響のもとに書かれた長編小説。敗戦後谷崎は疎開先からいち早く京都へ戻り、『細雪』を発表して、大衆的人気を獲得した。大阪でも指折りの資産家であった蒔岡家の四人姉妹が中心人物である。鶴子(既婚者だが平凡)、幸子(既婚、明るく派手好きの女性)、雪子(三十歳だがまだ独身で、優柔不断)、妙子(最も近代的かつ活動的な女性) 白樺派 ,概括, 明治43年(1910)四月創刊、大正12年(1923)終刊の雑誌「白樺」に依拠し、活動した人々を指す。「白樺」は美術雑誌としての一面を強くもちつつ、同時代の「三田文学」とともに反自然主義の立場をとり、大正中期には人道主義的傾向を強めて、文壇の内外に影響を与えた。 ,成立, 「白樺」は、学習院関係者による回覧雑誌「望野」「麦」「桃園」のメンバーがして公刊した同人誌である。はじめから特定の共同の主張があって結成された流派ではなく、それぞれの個性的な才能を伸ばし鍛えるための道場として結成されたのである。 ,同人, 武者小路実篤、志賀直哉、木下利玄、有島武郎、有島生馬、里見弴たち ,文学的活動,: ,)初期(1910,1914) 自我の肯定や個性の伸長を理念としていたので、主我的な個性主義がおのずからこの派の際立った特質となった。「網走まで」以後、強烈な自我の反照を簡潔鮮明な文体によって綴った志賀直哉は、同じく「『それから』に就て」で出発した武者小路の評論、小説、詩における活動とともに初期「白樺」の中心をなした。 ,)中期(1914,1918) 第一次世界大戦の頃になると、この派の人々にも社会的関心が強くなって、この派一般としては、トルスト?や人道主義的傾向が強まり、人道主義が特質となった。それに同調しえなかった志賀は沈黙し、里見は脱退していった。武者小路は、「白樺」中期の人道主義時代、あるいは理想主義時代の支柱となるべきものである。 ,)後期(1919,1923) 1919年頃から、社会的関心が強化されつつあり、社会改造の思想と絡み合って、武者小路は九州の日向に「新しき村」の創設に出かけた。一方、有島武郎は武者小路の新しき村を批判しつつ「宣言一つ」で有産階級の限界を公言。自らは自家農場に踏み切り、社会主義に向かって進み出た。「白樺」を包囲する社会は、大正デモクラシーから、プロレタリ?による闘争の時代へと移りつつあり、廃刊を必然の帰結とした。 「白樺」派の特色: ,)「白樺」派の作家たちは、学習院出の貴族階級出身であったという特殊な存在から、自我を肯定する個性主義を主張し、解放された市民文学らしい、明るく清新な文学を確立したということである。 ,)「和而不同」「十人十色」ということである。始めから共通の主張があって結成されたのではなく、小説家?詩人?画家それぞれの個性の伸長のための結集である。また、彼らの文学的傾向や文学運動に対する態度も同じではなかった。 武者小路実篤 ,概括, 小説家?劇作家?詩人?随想家?画家であり、書家?思想家?宗教家?夢想家、「新しき村」唱道者、人生の教育者、出版人、美術評論家„ „とも言え、多方面にわたって活躍している。ペンネームに,無車?不倒翁,を用いたが、文字通りの天衣無縫、闊達自在に思索し、語り、描き、実行し、それら総量が見事に調和している、希有な統一体。 ,略歴, 1885年に東京市に生まれる。学習院初等、中等、高等科、東大社会学科を中退。1910年「白樺」、1918年七月「新しき村」を創刊し、同年11月に宮崎県に「新しき村」を創設。第一次世界大戦の時、「人道主義の文学」を主張したが、第二次世界大戦中には、「大東亜戦争私観」を発表し、日本文学報国会、大東亜文学者会などで活躍して、戦後は戦争協力 23 者として公職追放になった。1976年九十歳で死去。 ,文学的活動,:,)トルスト?傾倒 学習院時代の武者小路はトルスト?に傾倒していたが、その熱は激しいものであった。 (『荒野』 )。 ,)エゴ?ズム賛美 東大入学後、トルスト?のキリスト教的禁欲的愛他主義を乗り越え、エゴ?ズムを大胆に肯定する「個人主義」の時代に入る。この時期が「白樺』の初期にあたる。(『お目出たき人』)。 ,)自己の拡大と調和 盲目的なエゴ?ズムが深化し、拡大され、自他、個全、真善美は矛盾せず、完全に調和する。いわゆる,白樺派の人道主義,の開花である。(『友情』 『幸福者』 自伝小説『ある男』)。 ,)実り豊かな後期 プロレタリ?文学の台頭期には、『井原西鶴』などの伝記や『友情』の延長線の物語『愛と死』などを発表した。戦後、挫折することを知らない底抜けの明るさの持ち主である武者小路は、『真理先生』(『幸福者』の延長)により復活した。 ,代表作解説, 「それから」に就て 評論。「白樺」創刊号巻頭に発表。 夏目漱石の長編小説『それから』に寄せた同時代批評である。筆者にとって夏目漱石は,真の意味での先生,であるが、この評論は賛美ではなく、思想と技巧に批評を試みた。 『友情』 中編小説 客観的に野島、大宮、杉子という三者の関係を描き、二人の男性が女性一人をめぐる争いではあるが、野島?大宮の友情は高められていく。失恋小説?恋愛小説というよりも、友情の青春心理小説と言えよう。 有島武郎 ,概括, 近代的な自我の解放と確立を目指した理想主義的な白樺派の一員であり、激情性とロマンテ?シズムを底に秘めながらも、幅広い教養に基づいて、手法としては,西欧リ?リズムの日本における最も正統の継承者,として、代表作『或る女』をはじめとする数々の小説戯曲において活躍した。また真摯な,愛の人,として、キリスト教や社会主義によって目覚めさせられた社会的被抑圧者に対する深い同情に基づく思想的活動によっても大きな影響を与えた。 ,略歴,:1878年に長男として生まれ、学習院時代は、皇太子の学友に選ばれた。1896年学習院を卒業して、札幌農学校に入学した。 1901年の一年間の軍隊生活は、彼を軍隊嫌いにし、戦争反対の人間に育て上げた。 1903年、?メリカに留学して、1908年帰国した。翌年、安子と結婚して、1910年『白樺』の同人となった。 1916年、妻と父の死を契機として本格的な作家生活に入って、作品を次々に発表した。 1922年7月には、私有財産の放棄を宣言し、さらに狩太の有島農場を小作人に無償譲渡するという農地解放を断行した。 1923年に、人妻波多野秋子ともに自殺した。 ,文学特色, ,)まず、豊かな西欧文学的風格、ふり幅の大きな想像力のはばたき、登場人物の性格やそれを取り巻く社会的環境や自然描写など、本格的なリ?リズムの手法において、日本文学史上他の追随者を許さぬ特異な地位を占めていること。 ,)また、『白樺』派作家の一般の作家の視野に入らなかった農民、漁夫など下層勤労者や、社会の被抑圧者としての女性たちの苦しみや悲劇を深い同情と連帯感とをもって描き出したことである。 ,代表作, 『カ?ンの末裔』(1917) 短編小説。 人間を取り巻く「自然」と「社会」に対してどう関 24 わって生きるのが真に人間的であるのか、という問いかけがこの作品のモチーフであった。 『生まれ出づる悩み』(1918) 中編小説。この作品は故郷を愛し、一家のため漁夫として働きながら、芸術への執着も断ち切れ寸暇を惜しんでスケッチを積み上げた主人公に対する賛歌であった。 『或る女』 長編小説。その内容と手法の上で日本の数少ない西欧的本格的リ?リズム文学の傑作の一つである。主人公の早月葉子は、母の反対を押し切って、木部孤筇と結婚したが、すぐ離婚して、木村という男と婚約を結んだ。が、途中で倉地という船の事務長に惹かれて、倉地との関係で社会から批判を浴びたばかりでなく、健康も損ない、死んでしまった。 志賀直哉 ,概括, 明治末期から大正?昭和時代にかけて活躍。とくに、武者小路実篤らと興した『白樺』に因んで、白樺派の作家と称される。主な作品に、日常生活での出来事を題材とした私小説的な『大津順吉』『和解』や、自然との交流による深い心境を示した『城崎にて』、完成するまで二十余年を要した大作『暗夜行路』などがある。その透徹したリ?リズムは近代小説の模範文体として高く評価され、「小説の神様」とさえ言われた。 〈略歴〉1883 宮城県に生まれる。 1900 内村鑑三に出会う。 1901 足尾銅山鉱毒問題をめぐって、父と衝突。 1902 学習院中等科を落第し、武者小路、木下利玄と同級になる。 1906 東京帝国大学英文科入学。 1908 国文科に転科。 1910 大学中退。『白樺』創刊。創刊号に『網走まで』発表。 1912 『大津順吉』。 1913 『清兵衛と瓢箪』 里見弴との散歩中、山の手線電車にはねられ重傷。後、城崎温泉へ。 1914 勘解由小路康と結婚。 1917 『城崎にて』『好人物の夫婦』 父との和解し『和解』発表。 1920 『小僧の神様』『焚火』。 1921 『暗夜行路』を連載開始。 1923 『白樺』廃刊。 1929 父死去。 『豊年虫』。 1937 『暗夜行路』完結。 1946 『灰色の月』。 1971 肺炎、全身衰弱で死去。 ,文学的特色, ,)志賀直哉の文学は、父親との不和、和解の狭い個人的体験を中心に取材した作品が多く、広い社会的視野がない。 ,)彼は自己が中心で、自己の好悪、快不快によって現実の善悪正邪を判断している。つまり、鋭い感受性がそのまま文学に化している。 ,)志賀文学のもう一つの特色は、鋭い神経と感性、対象をリ?ルに見透かす冷徹な目、緊密な構成力、過不足のない的確な描写力である。彼は特に短編に長じ、優れた心境小説を創造しあげた。 ,文学的活動, 四期に分けられる ,)「戦う人」の時期(1910,1914) 自我中心主義によって、既成の価値観からの解放を企て、父の権威に反抗した時期である。 25 ,)「和解する人」の時期(1917,1928) 対立?葛藤の文学、運命と戦う文学の時期から、和解?調和の文学、運命を受け入れる文学の時期に移る。 ,)「眺める人」の時期(1933,1942)である。文学上の戦いを終えた人の静かな人生観照の時期であった。 ,)「回想する人」の時期(1946,1972)、敗戦以後の時期。戦後は、荒廃した風景と人心を活写した「灰色の月」を発表して、注目を集めたが、以後文壇とは関わらず、悠々自適な晩年を過した。 志賀の作品は、おおまかに、作家自身の体験をもとに書いた私小説的作品と、当時の社会現象を書いた作品、という二系列に分けられる。そして、私小説的な部分は、「戦う人」としての対立?葛藤の文学と、「調和する人」としての調和の美を追求した和解?調和の文学に分けられる。 ,代表作, 『網走まで』 短編小説。処女作である。或る時東北線を一人で帰ってくる列車の中で前に乗り合っていた女の人とその子などから、勝手に想像して小説に書いたものである。全編には、女性への同情と封建的夫権制への怒りが満ちておる。 『清兵衛と瓢箪』 瓢箪好きの少年と、それに反対した父や教師との対立の物語である。この小説は、芸術創造の情熱を賛美し、俗世の偏見をユーモラスに風刺したものである。 『城崎にて』 養生のため城崎温泉に行った作者が、目撃した3匹の小動物ーー蜂、鼠、いもりの生から死への様相を感動深く描き、自らも死に親しみを感じるようになった感情の変化を描いた心境小説の傑作である。 『和解』 中編小説。『大津順吉』『或る男?其姉の死』とともに三部作の関係にあって、それらを読めば不快や和解の全貌を的確にしることが出来る作品である。この作は、父との和解の誠実で克明な記録であり、作者の精神史上でも一つのエポックを作った代表的な私小説的な作品である。 『暗夜行路』 唯一の長編小説。時任謙作は、身の秘密を知って悩んで、京都へ行き、美しい女性直子と見知って、幸福な結婚生活を踏み出す。しかし、直子が従兄との間に過失を犯し、謙作が大山に登り、一夜を過す。虚構の事件を設定しながらも、作者自身の内面的発展を主人公に託した自伝的要素の強い作品である。 その他の白樺派作家 実篤のあとに『白樺』派の中心となった長与善郎は、戯曲『項羽と劉邦』を経て、東洋的、調和的な人格完成の思想を展開した『竹沢先生と云う人』を発表した。 里見は、善悪の対立を心理的に描いた『善心悪心』、『多情仏心』などを発表した。彼はまもなくこの派を離れるが、とくに心理描写に優れていた。 新思潮派 ,概括, 広義には、明治40年10月創刊の第一次以来、東大文科関係者を中心に十数次にわたって発刊されてきた同人誌『新思潮』によった人々をいうが、ごく一般には大正期に華々しい活躍をみせた、第三次、第四次の構成メンバーに限定して用いる例が多い。いわゆる新現実主義の一派として新理知派ないしは新技巧派とも称された。 ,成立, 大正3年2月、芥川、菊池らが第三次『新思潮』を創刊し、同年9月をもって廃刊する。それから二年を経た大正5年2月第四次を刊行する。 ,意義, 一足さきに自然主義を排しておこった白樺派、耽美派の人々に対しては、同調しないが素直な共感をよせ、大道としては反自然主義の道を歩んだ。 26 ,同人, 菊池寛、芥川龍之介、久米正雄、松岡譲、山本有三などである。彼らは、感情的実感よりも、冷静な観察によってとらえた人生の現実を、理知的に独自の解釈を加え、技巧を重視し、鮮明なテーマ小説を著すのが特色である。 ,同人の共通点, ,)彼らは、自然主義の「現実暴露の悲哀」にも、白樺派の個人完成を目指す理想主義、人道主義にも、また、耽美派の現実逃避や退廃的な美にも心から共鳴できず、現実を、日常生活に即して冷静に観察し、その矛盾を指摘しようとした。 ,)彼らは、主知的で分析的傾向が強かったことから、新理知派、新技巧派と呼ばれたことである。 ,)このごろから目立ってくる労働者階級の台頭、その文学運動に対して、きわめて動揺的であって、社会や現実に積極的に働きかける意欲に欠けていたことである。 芥川龍之介 ,概括, 作品の多くは、人間性の内奥に潜むエゴ?ステ?ックな弱さを剔抉してみせることにあったが、他方、柔らかな人間的情愛に根ざす抒情味あふれる作品も少なくない。晩年には、自己の文学的宿命を凝視して自伝的題材に傾くが、繊細な神経と自意識によってあくまで知的に再構成された人工の心象風景である。芥川は、学識は和漢洋にわたり、和歌、俳句を読み、詩を書き、古美術、演劇にも深い理解をもっていて、東洋的文人の風格を備えた最後の作家である。 ,略歴,:1892年 東京市に生まれ、生後九ヶ月ごろ母ふくが発病し、母親の実家芥川家に引き取られる。 1913年 東京帝国大学英文科入学。 1915年 「帝国大学」に『羅生門』を発表。漱石の木曜会出席。 1916年 第四次新思潮発刊。創刊号に『鼻』を発表し、漱石に絶賛される。 『芋粥』『手巾』。 1917年 『或日の大石蔵之助』『戯作三昧』。 1918年 塚本文子と結婚。大阪毎日新聞社社友となる。『地獄変』『蜘蛛の糸』『枯野抄』『奉教人の死』。 1920年 長男誕生。『秋』『杜子春』。 1921年 大阪毎日海外視察員として中国へ。 1922年 健康状態悪化、神経衰弱を訴える。『藪の中』『将軍』。 1923年 菊池寛創刊『文芸春秋』に『侏儒の言葉』連載。 1925年 『大導寺信輔の半生』。 1927年 『玄鶴山房』『河童』。東京田端の自宅で睡眠剤による自殺。遺稿に『西方の人』『歯車』『或阿呆の一生』『続西方の人』 ,文学的活動, ,)初期(1916,1920)は五年間で、歴史小説の時期である。芥川は過去の世界に題材を求め、それを知的に再構成して、現代的な解釈を施す歴史小説を書き始めたのである。芥川の歴史小説は、時間的に古代から明治初期にわたり、地域的には日本、中国、?ンド、ロシ?に及んでおり、作風には、鴎外の歴史小説に学んだところがあるが、違うところもある。鴎外はあくまでも歴史の事実を尊重し、史実をできるだけ忠実に語ろうとしたのに対し、芥川の創作の目的歴史的事実に近代的解釈を施して、そこに自己の見方を語ろうとしたのである。 ,)中期は1920,1924年までで、彼の目が書物を離れて、現実的な世界に向けられた時期である。この時期は歴史小説から自伝的小説へ移転する過渡的時期とも言える。芥川が現代物に移ったのは、十月革命勝利後の日本の情勢の変化に影響されたからである。 27 ,)後期は、1925,1927年までで、死の影がうす暗く漂っており、自伝的作品を書いた時期である。中国旅行以来健康を害して、様々な病気を誘発して苦しむとともに、母の発狂と関連して、芥川の脳裏に死の影が漂っていた。さらに、歴史小説にマンネリズムを感じ、現代小説にも時代の声との違和感を覚え、自伝小説へ転換した。 ,作品の分類, 王朝物 『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』『藪の中』『六の宮の姫君』など 切支丹物 『奉教人の死』『南京の基督』など 江戸物 『戯作三昧』『枯野抄』など 開化物 『舞踏会』など 現代小説 『秋』『蜃気楼』『歯車』など 保吉物 『保吉の手帳から』『少年』など 童話 『蜘蛛の糸』『杜子春』『犬と笛』など エッセ? 『西方の人』など 警句(箴言)集 『侏儒の言葉』 『羅生門』(1915)短編小説 「今昔物語」巻39の「羅生門登上層見死人盗人語」を取材し、一部に同巻31「太刀帯陣売魚嫗語」の挿話を用いて、一編の近代心理小説にしたものである。まぎれもなく芥川における“作家の誕生”を告知する作品である。 『鼻』(1916)短編小説 夏目漱石に激賞された出世作である。「今昔物語」「宇治拾遺物語」から材を取り、,傍観者のエゴ?ズム,の心理と、自尊心のおろかさに対して、諧謔に富んだ新しい人間解釈を施した。 『芋粥』(1916) 短編小説 人生の理想は達せられないうちに価値があるので、それが達成されると、かえって幻滅を感じるという主題で書かれた小説である。やはり「今昔物語」から材を取った人間の弱さ、おろかさを追求した作品である。 『戯作三昧』(1917) 短編小説 一口に言って、芥川の“芸術派宣言”とでも呼べる作品の端緒をひらいた作である。早くには『芋粥』で,日本の自然派の作家とは、大分ちがふ,という自己の立場を宣言していたが、そうした反自然主義的立場を芸術至上主義的傾向としていっそう明確にし、作品内部に形象化された主題として提示した。 『地獄変』(1918) 短編小説 「宇治拾遺物語」巻3や「古今著聞集」巻11に取材した小説である。人間性を放棄することにより芸術の完成を得るという、作者自身の芸術至上主義を語る作品である。その素材処理の見事さ、緻密な構成、洗練された文体など、すぐれた短編小説家としての才能が遺憾なく発揮されている。 『枯野抄』(1918) 短編小説 従来は芥川自身の言,先生の死に会ふ弟子の心持といつたやうなものを私自身もその当時痛切に感じてゐた。その心持を私は芭蕉の弟子に借りて書かうとした,によって、師漱石の死に出会う芥川ほかの弟子たちの気分を伝える作であるとされたきた。 『舞踏会』(1920) 短編小説 発表当時はさほど評価の高い作品ではなかった。吉田精一は,『舞踏会』は短いが美しい短編で、開化期中での佳作である,と従来の見解を訂した。 『河童』(1927) ある精神病患者が体験を語る形式で書いた一種の寓意小説である。河童の社会に託して、この世と人間とを風刺した寓意小説であり、芥川自身の生活や思想を告白した小説でもある。河童の国にあるすべては、作者をとりまく現実の風景でもあった。 菊池寛 ,概括, 芸術至上に対し、文学の社会化を主張した戯曲?小説を発表し、新理知主義の一人として活躍、実生活尊重の精神を貫いてジャーナリスト、編集経営者の手腕を振るい、ま 28 た、芥川?直木の両賞を設置するなど文学の普及と発展に大きな功績を残した。「1935(昭和10年)は、新人育成のため芥川賞?直木賞を設置し、のちには菊池寛賞(1936)を設けた。菊池は文学者の地位向上にも力を注ぎ、文壇の大御所的役割を果たした。 ,略歴,:1888年、香川県高松市に、三男として生まれる。高松中学、東京高師(操行悪く除籍)、明治大学、早稲田大学に在籍後、一高文科に入学したが卒業直前友人の罪を着て退学。京都大学に入学している間、テーマ小説や戯曲を発表、卒業後は記者となり、まもなく結婚、文壇的地位を確立する短編小説を次々に書いた。,,,,年以降、戯曲の上演、評論でも新発見を見せ、大衆文芸に新生面を開いた。戦時中は大東亜文学者大会日本代表を勤め、戦後公職追放を受けた。,,,,年急死。 ,文学的活動, ,)戯曲 『玉村吉弥の死』を第三次新思潮に発表したのが処女作。ついで『屋上の狂人』、『父帰る』などを第四次新思潮に発表したが、認められなかった。しかし、『父帰る』が,,,,年上演するに及び、にわかに世評を得た。 ,)小説 彼の短編小説は、現代物?自伝物?歴史物に大別するのが便利である。『身投げ救 助業』が実質的な意味での処女作で、『島原心中』とともに現代物の代表作である。自伝物は、『大島が出来る話』、『無名作家の日記』などがある。歴史物は、『忠直卿行状記』を最初とし、『恩讐の彼方に』を筆頭とする。菊池は、百数十篇の短編のほかに、また『真珠夫人』をはじめとする30篇近くの長編も残した。 ,)ジャーナリスト活動 大学卒業後、上京して新聞「時事新聞」の記者となり、,,,,年に、誰にも気兼ねなしに書ける雑誌『文芸春秋』を創刊し、また、それを母胎に『演劇新聞』、『映画時間』、『創作月刊』、『夫人サロン』などつぎつぎに新雑誌を発刊し、文芸の大衆化への推進力となった。また、菊池は文芸講演、身辺雑記、時評などの面での先駆的役割を果たしている。 ,代表作解説, 『父帰る』 (1917) 戯曲 第四次新思潮。戯曲としては初め認められなかったが、,,,,年から繰り返した上演によって見直され、菊池の代表作となった。 『無名作家の日記』(1918) 日録体の自伝小説。この作は、自己の文学的煩悶や焦燥感を日記の形で告白したものである。ここでは、近代知識人の持っているエゴ?ズムが描かれている。菊池はこのような自己観察の私小説を『啓吉物』と言って、約20編ある。 『忠直卿行状記』(1918) 最初の歴史小説。この小説は、史伝にある暴君の生活に対して、近代的自意識から解釈を加えたテーマ小説であり、歴史の衣をかぶせた現代小説であった。 『恩讐の彼方に』(1919) 翌年『敵以上』と劇化上演された小説である。この作品は、敵討ちという封建的慣習に潜む非人間性を批判し、また、人間は悪にも、全精力を打ち込んだ公共事業は、他人を感動させるということなどを主題としたものである。 ほかの新思潮派作家 山本有三 (1887,1974) 戯曲から小説に転じた作家で、合理的?進歩的?良識的人生作家。『女の一生』などの作品がある。 久米正雄(1891,1952) 第三次新思潮に社会劇『牛乳屋の兄弟』を発表して一躍世の注目を浴び、のち通俗小説に転向する。 豊島与志雄(とよしまよしお)(1890,1955) 情緒的な筆致で人生の超現実的な神秘境地を描く。作品が『野ざらし』など。 29 奇蹟派 大正元年(1912)九月から二年五月にかけて広津和郎?葛西善蔵?相馬泰三らによって、文学同人雑誌『奇蹟』が創刊された。彼らは葛西善蔵を除けば、すべて自然主義文学の牙城であった早稲田大学の出身である。『奇蹟』雑誌は廃刊された後、同人たちは『早稲田文学』を主な発表舞台としたので、「新早稲田派」とも呼ばれた。そこには『奇蹟』派の同人ではなかったが、宇野浩二や細田民樹をも加えて、後期自然主義の一派として位置づけられている。 『新思潮』や『三田文学』派は、漱石や鴎外を支柱とし、共通して反自然主義的立場をとり、主知的な、あるいは耽美的な方向をたどった。『奇蹟』ーー『新早稲田派』は、平凡な私的生活を執着しており、自然主義の文学方法から完全に脱却しているものはほとんどなかった。 前期自然主義と後期自然主義 前期自然主義が現実暴露という外部現実であったのに対し、後期自然主義は内部的な心理の現実を掘り下げようとする、心理的リ?リズムに傾き、独自な私小説、心境小説の成熟を促したのである。『奇蹟』派の文学は、『白樺』の無条件の明るさに対して、薄暗い灰色の雰囲気が特徴的である。 代表作家 広津和郎(,,,,,,,,,)は、父柳浪の血を引き、自然主義の影響を受けつつ、自分の暗い生活を描いて風格ある短編作家?批評家。早稲田大学中『奇蹟』の創刊に参加し、その後、評論「怒れるトルスト?」で当時のトルスト?熱を批判して注目され、小説家としては、「神経病時代」で認められた。ほかに、『波の上』は、自分の不幸な結婚生活の悩みを告白した私小説である。 葛西善蔵(1887,1928)は、典型的な破滅型の私小説家である。彼は芸術に生きるという思いだげをただ一つの救いとして、その小説のためには自分の実生活を徹底的に破滅していく作家であった。彼は、現実的生活者としての敗北は芸術家としての勝利だと確信していた。貧窮のうちに生涯を過ごし、自虐的精神の上に立脚して、自己及び家族を題材とし、極北的な自然主義的私小説を書いた。代表作に、「哀しき父」や「子をつれて」などがある。 宇野浩二。宇野浩二(1891,1961)は、『奇蹟』とは関係がないが、広津と葛西に親しく、同系の作家である。彼は1919年『蔵の中』『苦の世界』を発表して注目を浴びた。その後、『山恋ひ』『子を貸した屋』などを発表して流行作家となった。これらはみな、自己の身辺に取材し、おかしみをたたえた説話体の独特の文章を書き、ユーモ?の底に常に一抹の哀調の漂う人生を描いた作品である。 主な文芸雑誌一覧 第四次新第三次新奇蹟 白樺 第二次文学しがら我楽多雑誌名 思潮 思潮 新思潮 界 み草紙 文庫 大5 大3 大1 明 43 明43 明 26 明22 明 18 創刊 芥川龍之久米正雄 広津 武者 谷崎潤北村森鴎外 尾崎紅 中心人物 介、菊池和郎 小路 透谷 葉、 一郎 寛 実篤 山田美 妙 日本近代詩歌 30 一 新体詩のあけぼの (西洋近代詩の影響) , 新体詩抄(詩集) 明治15年。外山正一ら , 於母影(訳詩集) 明治22年。森鴎外たち 二 浪漫詩 , 北村透谷 :? 「文学界」を率いて浪漫主義運動の先駆をなした詩人?評論家。 ? 「楚囚の詩」、「蓬莱曲」、「内部生命論」 , 島崎藤村: ? 透谷死後、その遺業を受け継ぎ、新体詩を大成した。 ? 「若菜集」「一葉舟」「夏草」 土井晩翠: ? 藤村と並んで新体詩の双璧とされた。 ? 「天地有情」 「暁鐘」 , 与謝野鉄幹:? 雑誌「明星」を主宰し、男性的な詩文を読んだ。 い 門下に、高村光太郎、石川啄木、北原白秋ら。 ウ 詩歌集「東西南北」、「天地玄黄」など。 三 象徴詩 (フランス象徴詩の影響) , 海潮音 (明38年、上田敏が訳。) 詩壇に画期的な影響を与え、日本象徴詩の聖典と称された。 , 薄田泣菫 (すすきだ きゅうきん) 古語や雅語を自在に駆使して、古典的?浪漫的な詩体を完成した。 , 蒲原有明:? 日本象徴詩の第一人者。幻想的で幽玄な詩風。泣菫と並び称された。 ? 「春鳥集」 「有明集」 四 口語自由詩 (自然主義の影響で) 相馬御風 早稲田詩社をつくって口語自由詩運動を展開した。 五 耽美派の詩人たち 1 北原白秋: ? 官能的?情緒的詩風によって明治から大正にかけて詩壇を代表したのち、象徴詩?理想主義的詩風に転じた。 ? 「邪宗門」 「思ひ出」 , 木下杢太郎:? 東大医学部卒の医学者。耽美的?情緒的詩風。 ? 「食後の唄」がその代表的詩集。 , 高村光太郎:? 耽美的詩風から出発したが、理想主義的へ。 ? 「道程」 「智恵子抄」 六 理想主義的詩風 1 高村光太郎 , 室生犀星(むろうさいせい): ? はじめ、素朴で野性的?情熱的な詩風であったが、のち理想主義的詩風に進んだ。 ? 「愛の詩集」 「抒情小曲集」 七 新理知派の詩 1 萩原朔太郎:? 口語詩の完成者。象徴詩人。病的感覚に幻想を交錯させた特異な詩風を創造した。 ? 「月に吠える」 「青猫」 「純情小曲集」 2 佐藤春夫:? 古典的な抒情詩人で、小説作品も詩人的風格に富む。 ? 詩?小説のほか戯曲?評論にも多彩に活躍。 31 ウ 処女詩集「殉情詩集」のほか著作が多い。 3 宮沢賢治:? 宗教心に基礎をおく宇宙感覚と生活実践に裏付けられた強い人道主義に支持され、内部重量感に満ちた詩風。 ? 詩集「春と修羅」のほか、多くの童話作品がある。生前は無名の一地方詩人であったが、死後注目を集め、世にひろまった。 近代の短歌 一 革新運動期 , 落合直文 浅香社を創立し、和歌の改良を実践した。 2 佐々木信綱 竹柏会による「心の花」を発行して新風を唱道した。「思い草」「新月」 , 与謝野鉄幹 :? 浅香社に属し、はじめ男性的な歌を詠んだ。 ? 新詩社を結成、「明星」を発行、浪漫派時代を招来した。 4 与謝野晶子:? 明星派の浪漫的作風を代表する情熱歌人。 ? 唯美的?幻想的?主情的な歌風。 ウ 「みだれ髪」が代表作。 , 正岡子規:? 万葉集尊重と写生主義を提唱。近代短歌を確立した。 ? 根岸短歌会を結成、のち?ララギ派の源流となった。 ウ 歌論に「歌よみに与ふる書」がある。歌集は「竹之里歌」など。 二 自然主義的傾向 1 尾上柴舟 車前草社を結成、反「明星」の叙景歌運動を展開。 2 若山牧水 旅と酒を愛し、自然の秘奥に参入し、平明温雅に詠んだ。「別離」などがある。 3 石川啄木 浪漫派として出発。自然主義?社会主義的傾向に進んだ。三行書き、口語的発想で、生活実感を感傷的に詠んだ。代表作は「一握の砂」「悲しき玩具」 三 耽美派の歌人 北原白秋 浪漫主義にも自然主義にも不満で、退廃の美に陶酔して、近代的感覚と異国的幻想により、耽美的な新味を開拓。「桐の花」「雀の卵」など 四 ?ララギ派と日光派 伊藤左千夫 長塚節とともに?ララギ派の基礎を築いた。 「?ララギ」根岸短歌会(子規主宰)の機関誌。子規没後の明36年伊藤左千夫が中心になって「馬酔木(あしび)」を創刊したが、41年に至り「?ララギ」と改め、子規の写生主義を展開、浪漫派に対抗して、大正初期から歌壇の主流となり今日に至った。大13年、反?ララギの超結社的雑誌「日光」が創刊された。 俳句 一 俳句の革新 正岡子規 :経歴 明治30年、雑誌「ホトトギス」を発刊、蕪村に学んだ「写生」の説を実践して近代俳句を確立した。 門下 夏目漱石、河東碧梧桐、高浜虚子 作品 俳論に「俳諧大要」、句集に「子規句集」、随筆に「墨汁一滴」。 短歌革新 ?ララギ派 俳句革新 ホトトギス誕生 二 俳壇の分裂 子規没後、門下の双璧、虚子と碧梧桐は主張を異にして分裂。虚子は伝統主義に努めた一方で、碧梧桐は客観写生を感覚的に深化徹底させようとして、新傾向運動を起こした。 32 河東碧梧桐 子規没後、その写生主義を前進させ、象徴主義とも言うべき新傾向を起こした。 高浜虚子 大正2年より俳句に復帰し、新傾向俳句に対抗して客観的な写生論をとなえ、伝統的定型俳句を守った。俳誌「ホトトギス」を主宰し、優れた門下を養成した。 プロレタリ?文学 第一期は、1921年の「種蒔く人」の創刊から、1923年関東大震災を機に政府が社会主義者を弾圧、「種蒔く人」が廃刊するまで。小牧近江は、金子洋文らとともに1921年二月に秋田市で「種蒔く人」の同人雑誌を創刊し、10月には東京で再刊した。この期の指導的文芸評論家は平林初之輔で、代表的な評論には「文芸運動と労働運動」があり、作品としては、金子洋文の「地獄」などがある。「種蒔く人」の果たした役割は平林を主とする理論活動に代表され、実作は相対的に貧しかった。 第二期は、1924年の「文芸戦線」の発刊から、1928年「ナップ」結成まで。1924年6月、旧「種蒔く人」の同人を中心に「文芸戦線」を創刊した。わずか六ヶ月で休刊し、翌年7月、第二次「文芸戦線」が復刊された。同年12月、「日本プロレタリ?文芸連盟」(プロ連)を結成するに至った。「文芸戦線」の指導的理論家は青野季吉だ。1927年6月に、青野季吉、葉山嘉樹、蔵原惟人等16名が「プロ芸」を脱出して、「労農芸術家連盟」(労芸)を結成し、「文芸戦線」を機関誌とした。「プロ芸」は「プロレタリ?芸術」を創刊して機関誌とした。さらに同年11月には、「労芸」から蔵原惟人ら多数が脱出して「前衛芸術同盟」を結成し、「前衛」を機関誌とした。第二期の指導的評論家は青野季吉で、代表的評論は「『調べた』芸術」、「自然成長と目的意識」などである。この時期の代表的な作家としては、葉山嘉樹、黒島伝治や、「治療室にて」の平林たい子など。 葉山嘉樹は、「文芸戦線」時代に最も卓抜な才能を示した作家である。代表作は、「海に生くる人々」「セメント樽の中の手紙」などがある。 黒島伝治は、実生活に体験した悲惨を、社会的抗議として文学の世界になげつけることで出発した作家である。代表作、「渦巻ける鳥の群」、「武装せる市街」 第三期は、1928年の「ナップ」(機関誌 「戦旗」)結成から、1934年に「日本プロレタリ?作家同盟」が壊滅するまで。「プロ芸」は、早くから「労芸」から脱出した「前衛」支持の態度を明らかにしていたが、その後両者の合同協議会、「日本左翼文芸家総連合」の成立などを通じて、統一の機運が盛り上がってきた。ナップ成立から、1931年11月、ナップ(ナップの中心は1929年2月改組された日本プロレタリ?作家同盟 略称ナルプ) が コップ(「日本プロレタリ?文化連盟」 と、より大きな組織に結成されるまでの3年間が、プロレタリ?文学の全盛期である。この時期における指導的理論家となったのは、蔵原惟人である。彼は「プロレタリ??レ?リズムへの道」などを発表した。 代表的な作家は、小林多喜二、徳永直らである。そのうち小林多喜二の「蟹工船」、徳永直の「太陽のない街」が、葉山嘉樹の「海に生くる人々」と並んで、プロレタリ?文学の三大傑作に数えられている。 小林多喜二 「転換期の人々」 「党生活者」 徳永直 「最初の記憶」 「先遣隊」 芸術派の文学 大正末?昭和初期の芸術派の文学をモダニズム文学とも呼んでいる。芸術派の文学とは、新感覚派の文学、新興芸術派の文学、新心理主義の文学を総合して呼ぶのである。 新感覚派 新感覚派の文学運動は、菊池寛主宰の『文芸春秋』の同人であった横光利一、川端康成、加 33 宮貴一、今東光らを中心に、その他片岡鉄兵、十一谷義三郎ら14名の新進作家が、1924年10月、同人雑誌『文芸時代』を創刊することによって始まるのである。一切の伝統と権威に対する否定精神と機械化した現実への反抗が彼らの共通点であり、またはこの派の主張である。こうして、「革命の文学」をめざす『文芸戦線』のプロレタリ?文学と、「文学の革命」をめざす芸術派の文学が相対立して存在するようになった。 新感覚派の文学的背景: 一、第一次世界大戦とロシ?十月革命後、日本のブルジョ?社会の動揺、プロレタリ?文学の台頭およびブルジョ?文学の行き詰まりである。 二、関東大震災が人間に与えた精神的影響と震災後の都市化現象である。 三、第一次世界大戦後、西欧前衛芸術の移植とその影響である。 新感覚派の文学特色: 第一、新感覚派の文学は、機械文明の発展と震災による人間性喪失の危機感、虚無感を強く反映した文学である。 第二、新感覚派の文学は、擬人法や比喩などの表現技巧上の革新に重点を置いた文学である。 第三、新感覚派の文学は、病的にまで鋭い神経や感覚、清新な用語、象徴や暗示でもって、実人生の存在とその意義を捉え、表現しようとした。 横光利一 ,文学的活動,:初期は、新感覚派の時期(1923,1930)である。『蠅』、『日輪』、『頭ならびに腹』、『上海』、『春は馬車に乗って』。 中期は、新心理主義の時期(1930,1935)である。新感覚派の手法では人間を描ききれないと感じたらしく、新心理主義に脱皮した。『機械』、『紋章』、『時計』。 後期は、東洋的精神主義の時期(1935,1947)である。国粋思想の優位を証明しようとする長編『旅愁』を発表したが、未完におわる。 ,代表作, 『蠅』(1923) 短編小説。横光はこの小説によって、人生というものを、冷静に、かつ客観的に見つめていくのだ、という自らの姿勢を、悲喜こもごもの人生を背負った人々の死を見下ろしながら、ただひとり飛び上がる目の大きな蠅の姿に象徴させようとした。 『機械』(1930) 短編小説。 一労働者の独白の形で書き、工場に働く人々の心理を、新心理主義手法即ち「意識の流れ」の手法を借りて描き出した小説である。 川端康成 ,概括, はじめ横光利一と並び、新感覚派の代表的作家として斬新な作風を注目されたが、戦後は日本の伝統美を継ぐ姿勢を強くした。絶えず突きつけられる虚無の脅かしさを超え、つらく醜い現実の中にも確かに存在する美しいもの、純粋なものを見つけ、そこに生きる意義をかけていこうとするのが、作家的営みの中心だった。骨格の確かな写実的作品より、人の心のゆらめきを、微妙に象徴的にとらえることを得意した。時評家として多くの新人を世に送り出し、また戦後はペンクラブの活動に力を尽くし、日本初のノーベル文学賞受賞者となった。 代表作『伊豆の踊子』、『浅草紅団』、『禽獣』、『末期の目』、『雪国』、『古都』、『千羽鶴』、『眠れる美女』、『山の音』。川端の作品に一貫して表現されるのはさまざまな日本の美しさであった。1968年、「日本人の心の真髄を、すぐれた感受性をもって表現するその叙述の巧みさ」という理由でノーベル文学賞を受賞した時、川端は『美しい日本の私』と題して講演を行った。日本人二人目の受賞者となった大江健三郎の講演の題は『あいまいな日本の私』。 34 ,代表作, 『浅草紅団』 浅草近くに住まいしたのを機に、浅草の風俗や人情を題材に求め、新感覚派風の代表作である『浅草紅団』以下の「浅草もの」を書き、新心理主義的作風の佳作『水晶幻想』などを書く。 『雪国』 主人公 島村、駒子、葉子。美しい雪国における虚無的な愛を描いた。写実の作品でもないし、非現実の霊魂譚でまない。『雪国』に自然描写が多いが、その自然はありのままの自然でありながら、同時にそれは、作の心やヒロ?ンの姿と重なり合う象徴的な自然でもある。 新興芸術派 『文芸時代』廃刊後の1930年4月に井伏鱒二、堀辰雄、、梶井基次郎、、阿部知二、小林秀雄たち33名の中堅、新進作家が、「新興芸術派倶楽部」を結成した。彼らは、プロレタリ?文学運動に対抗し、純文芸の擁護を旗印した。 井伏鱒二 ,概括, ユーモ?とペーソスをたたえた文体で、エゴ?ズムや人間の悲劇をやわらかく包み込むといった作風の数々の名作を生み、文学活動五十年の余にわたるその間、一度として筆の滞ることなく、当初は文壇の傍系に位置すると思われていたものの、時が過ぎてみるとゆるぎなく昭和文学の核としての地位を築き上げていたという、その意味では本当の個性的な実力派の作家であるといい得る。 ,代表作, 「山椒魚」、「屋根の上のサワン」、「本日休診」、「黒い雨」 梶井基次郎 ,概括,宿痾の肺病を背負い、倦怠、憂鬱、不安に侵された心に、束の間の生の緊張、輝きを与えてくれる非日常的な心的現象を、理知的な観察にうらうちされた、感覚的文体で精緻に描いた。その二十余の珠玉の短編は、昭和の古典とも称される。 ,代表作, 『檸檬』、『城のある町にて』、『冬の蠅』、『闇の絵巻』 堀辰雄 ,概括, 昭和初期の軽佻浮薄なモダニズム文学隆盛の最中に、透徹した知性と清新な叙情性の溢れる作品をもって登場。生? 死?愛 の主題を深めた諸作で昭和文学史上に大きな足跡を残した。 ,代表作, 『聖家族』、『美しい村』、『風たちぬ』 伊藤整 ,概括, 創作、理論の両面にわたって、二十世紀文学の方法を積極的に取り入れながら、私小説的作品の与える感動を純粋な芸術的因子として抽出し、作品化することをめざした。文学史的には、新感覚派を知的?心理的方向に批判的に継承しつつ、プロレタリ?文学に対峙する,芸術派,の代表的理論家兼実作者として文壇に登場し、戦中?戦後にわたって、現代日本文学史上まれに見る幅広い活動を行った。 ,代表作, 『若い詩人の肖像』、『氾濫』、『小説の方法』、『小説の認識』 戦争文学期 特徴:,)プロレタリ?文学の弾圧ーー転向文学の発生; ,)戦争文学の流行。 35 ,)抵抗文学の難航。 ,)既成大家の活動。 転向文学:権力に屈してマルクス主義作家としての政治性や思想性を放棄した「転向文学」が軍国主義の強化とともに相次いで現れるようになった。転向作家にはさまざまな種類があった。 ,)良心的苦悩を私小説的に描く作家、島木健作、立野信之たちである。 ,)転向の社会的責任を自覚し、再起の準備をしている作家で、中野重治らである。 ,)転向してまったく逆の方向、つまり右翼に走った作家、その代表は林房雄である。 従軍作家 石川達三: 『中央公論』の特派員として南京に着いて、衝撃を受け、『生きている兵隊』を書き上げた。彼は時代と社会に強い関心を寄せ、進歩的正義感の旺盛な長編を書く一方、政治的発言や行動も積極的に行う社会派作家である。,代表作, 『生きている兵隊』、『蒼氓』、『武漢作戦』(戦争に順応する姿勢を示すために書いた小説) 丹羽文雄: 戦時中は、「ペン部隊」として戦地へ派遣され、『海戦』、『還らぬ中隊』などの戦争文学を発表したが、その本領を発揮しえたのは戦後で、『厭がらせの年齢』はじめおびただしい作品を書いた。主なものは、家族内の複雑な心理の嵐を描いた実験小説『幸福への距離』、敗戦直後の社会風俗を背景に新興宗教の種々相を描いた『蛇と鳩』などがある。 火野葦平: 転向後文学に専心していたが、中日戦争が始まると陸軍として出征し、杭州湾上陸作戦、南京侵略戦争に参加して杭州で新年を迎えた。応召前発表した『糞尿譚』により戦地で芥川賞を受賞した彼は、軍報道部の命令で従軍日記という体裁で『麦と兵隊』という作品を発表し、戦争を肯定する立場を取って、ベストセラーとなった。火野は、ついで『土と兵隊』、『花と兵隊』と兵隊三部作を書き、戦争文学の質と方向を決めた。 抵抗文学:宮本百合子は極めて困難な状況の中で評論集『明日への精神』、『文学の進路』などの評論を発表したが、これらはフ?シズムの権力から人間と文学を守ろうとして戦った記念碑と言える。同時に、『乳房』、『朝の風』その他の小説と、戦後発表された夫宮本顕治との往復書簡『12年の手紙』などの作品は、暗黒時代における百合子の不朽の作品であり、抵抗文学を代表するものである。 既成大家 ,)島崎藤村 『夜明け前』 ,)谷崎潤一郎 『春琴抄』 ,)永井荷風 『濹東綺譚』 太平洋戦争中は、戦争に全く非協力な傍観者としていき続けながら、『罹災日録』などを発表し、戦争下の世相の記録として注目された。 ,)横光利一 『旅愁』 中島敦:敦の作家生活は死の直前の約八ヶ月。1942年病弱でついに33歳で死去するが、この一年満たない間に、『山月記』や『名人伝』が世に出た。中島敦の作品は中国の古典から題材を得たもの、南洋諸島に赴任した際に題材を得て創作されたもの、そして過剰な自意識に悩む人間の有様を描いたものの三つに大きく分けられる。どの作品も、軍事色が濃くなりつつある時代の波に左右されることのない敦自身の教養と、揺るぎない独創性に支えられている。 『悟淨歎異』、『李陵』 時代と文学についての概観 36 第一期は、敗戦から朝鮮戦争勃発までの五年間(1945,1950)である。(老大家の復活と左翼作家の活躍) 第二期は、朝鮮戦争の勃発から「安保闘争」までの十年間(1950,1960)である。この十年をまた1955年石原慎太郎の『太陽の季節』の登場をさかいに前期と後期に分けることもできる。(第三の新人、戦後派) 第三期は、1960年の「安保闘争」からの60年代の文学を指す。(戦後派の解体、新人作家の活躍) 第四期は、1970年前後の公害問題と、1973年以後の70年代と80年代の文学である。この時期には、「脱?デオロギーの内向的文学世代」という「内向の世代」が活躍する。 老大家の復活 永井荷風 『踊子』 谷崎潤一郎 『細雪』、『少将滋幹の母』 正宗白鳥 『戦災者の悲しみ』、『日本脱出』 志賀直哉 『灰色の月』 里見弴 『姥捨』 老大家の復活は、敗戦直後の文学的空白を埋める役割を果たした。 左翼作家 宮本百合子 『播州平野』、『道標』 徳永直 『妻よねむれ』 中野重治 『五勺の酒』 佐多稲子 『私の東京地図』 平林たい子 『かういふ女』 宮本百合子は、戦争中非転向の立場を取り続け、戦後民主主義文学の中心人物として活躍した日本有名な女流作家である。 新戯作派(無頼派)作家:占領下の戦後の混乱のなかで次に活躍しはじめて、それまでの秩序が打ち砕かれていくのとともに、自嘲的でデカダンス(退廃的)な作風で小説を書いた人々は、世間から新戯作派或いは無頼派、反秩序作家とも称される。 代表作家 太宰治、坂口安吾、織田作之助石川淳、伊藤整 太宰治:,概括, 過剰な自意識と屈折した疎外感を斬新にして多彩な手法で表現する一方、その奔走な語りと優れた才能によって道化と不安に彩られた独自のロマネスク世界を創出した。 ,代表作,『道化の花』、『魚服記』、『富嶽百景』、『走れメロス』、『津軽』、『 斜陽』、『人間失格』 坂口安吾 評論『堕落論』、小説『白痴』 織田作之助 『世相』 石川淳 『黄金伝説』 戦後派文学 第一次戦後派としては、戦後派作家のうちで、敗戦直後の比較的早い時点において、内容的にも方法的にも既成文学を乗り越えて新しい文学を目指そうとした一群の作家、すなわち野間宏、椎名麟三、梅崎春生、中村真一郎を挙げるのが通説である。1946、1947年に登場した以上の作家を第一次戦後派と呼び、1948、1949年に登場した武田泰淳、大岡昇平、三島由紀夫、安部公房、堀田善衛らを第二次戦後派と呼んでいる。 37 野間宏:京都帝国大学仏文科卒業。大学時代に反戦運動に参加する。卒業後に召集を受け戦地へ赴き、思想犯として陸軍刑務所に入る。自らの大学時代の反戦運動の体験を題材にした『暗い絵』や、軍隊の実態を描き出した『真空地帯』、戦争で後に残された人々の心の苦しみを生々しく切り取り描いた『顔の中の赤い月』、ラ?フワークとも言うべき大作『青年の環』がある。 椎名麟三:『美しい女』、『自由の彼方で』 梅崎春生:『桜島』、『砂時計』、『幻化』 中村真一郎:長編小説『死の影の下に』で注目を浴び、『春』『夏』『秋』『冬』の四作品を一つの作品の中の連作としてとらえた四季四部作を発表するなど、斬新な文学的試みを行った。 第二次戦後派 武田泰淳: 東京帝国大学支那文学科中退。司馬遷を研究。「中国」という呼び名を広めた。在学中に左翼運動に関わり、検挙された後、日中戦争に送られる。自らが敬愛した中国との戦闘は彼に大きな衝撃を与えた。主な作品に、『司馬遷』、『風媒花』、『蝮のすゑ』などがある。 大岡昇平:戦後の文学活動は自らの戦争体験を基軸としながらも、自己の存在を徹底して凝視することによって、自己を普遍化させた。また戦争と戦後社会という混乱した時代にあって、同時代人の文学的指標となりえている。,代表作, 『武蔵野夫人』、『野火』、『歩哨の眼について』、『歴史小説の問題』 安部公房:初めは観念的作風であったが、芥川賞受賞作『壁ー,?カルマ氏の犯罪』の前後から前衛的な作風に転換。変形譚と,,的発想を核とする寓意的手法で成功を収めた。『砂の女』以後は、書き下ろし長編小説で勝負し、一作ごとに現代文学の地平を切り開き、国際的評価を得ている。,代表作, 『赤い繭』、『砂漠の思想』 三島由紀夫:日本の古典主義から出発、唯美的なナショナリズムに帰結した。格調高い文体で海への憧憬と死への美学を虚構の世界に展開し、芸術至上主義的な古典美を追求した作家。,代表作, 『金閣寺』、『潮騒』、『仮面の告白』、『豊饒の海』 堀田善衛:1945年中国に派遣され、上海で武田泰淳を知り、敗戦後上海にとどまり、1947年帰国。国際都市上海での体験を踏まえた『祖国喪失』などを発表し、朝鮮戦争下における、非情な政治のメカニズムのなかの人間の苦悩を描いた『広場の孤独』によって芥川賞を受け、文壇に登場した。以後『歴史』、『時間』など中国を舞台にした作品系譜などを発表した。彼の文学は、国際的視野をもった観念性の強いところに特色がある。 戦後派文学の特質 ,)いわゆる「政治と文学」の問題についての鋭い問題意識である。 ,)「実存主義的傾向」である。 ,)「在来の日本的リ?リズムと私小説の揚棄、正確にはそれの希願と呼ぶべきもの」が挙げられる。 ,)「視野の拡大」である。 中間小説: 戦後の言論?表現の自由化に伴い、出版ジャーナリズムが飛躍的に巨大化し、,,,,年雑誌『小説新潮』の創刊ごろから、中間小説が流行し始めた。純文学者が純文学の芸術性を備えながら通俗小説のおもしろさを盛った読物小説を書くようになった。このような純文学とも、通俗小説とも「どちらともつかぬいわは疑似純文学、疑似通俗小説の総称」を中間小説 38 と呼ぶようになり、中間小説が掲載された雑誌を「中間雑誌」と呼ぶようになった。石川達三、石坂洋次郎、獅子文六、丹羽文雄らがこの傾向の作品を多く発表し、高見順、井上靖、平林たい子らも純文学と中間小説の両面に筆を取っている。 石川達三(1905,1985)は、『風にそよぐ葦』、『人間の壁』などの新聞小説を次々に発表した。社会的時事的な背景とスケールをもっていて、戦後の世相に深く根を下ろしていることは評価される。 井上靖:井上靖(1907,199,)は、詩人として出発し、記者生活と文学の二筋道を歩んだ。『猟銃』につぐ『闘牛』で芥川賞を得て文壇に登場した。中間小説のブームに乗って『あすなろ物語』、『氷壁』など多くの作品を発表し、『天平の甍』、『楼蘭』、『敦煌』、『蒼き狼』などの歴史小説の佳作も発表した。『氷壁』はベストセラーとなり、中間小説のもっとも華々しい担い手となったの彼の代表作である。 原爆小説 原爆の悲惨さをいち早く文学の世界にとりあげたのは、直接的な被爆体験をもつ原民喜や大田洋子であった。彼らは自己の悲痛な体験を精神の最深部から搾り出すようにして、作品に形象化し記録した。被爆は戦争の問題であると同時に戦後の問題でもあった。しかし、?メリカの占領下の時代であったため、原爆のことはタブーになっていた。 原民喜(1905,1951)は、『夏の花』以後、『廃墟から』、『廃滅の序曲』の三部作のほか、『鎮魂歌』や『心願の国』を発表した。 大田洋子(1906,1963)は、広島の原爆投下に出会い、九死一生を得た後、その怒りと苦しみを肉的体験に深め、長編『屍の街』を完成し、『半人間』などを発表した。 そのほか、峠三吉の『原爆詩集』などとともに、被爆作家ではない阿川弘之の『魔の遺産』は、原爆後遺症の問題をあつかった作品として忘れることのできないものである。 「第3の新人」の文学:いわゆる「第3の新人」と呼ばれる作家たちが文壇に登場したのは、朝鮮戦争の終わりごろのことである。「第3の新人」という呼称の定着は、山本健吉の評論「第3の新人」に由来したもので、特需文学という評価とともに貶めるニュ?ンスを伴っていた。「第3の新人」には、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三、三浦朱門、遠藤周作らが代表的作家である。 「第3の新人」の特質: ,)1952,1955年の間に文壇の登竜門である芥川賞受賞によって文壇に送り出されたこと。 ,)反政治的姿勢で、閉鎖的小市民性を持ったこと。戦中青春を重苦しく過ごした彼らは、左?右両翼を問わず、政治や?デオロギーに対する嫌悪や警戒を示し、自己の個人的資質の世界を守り、ごくありふれた市民生活に取材した。 ,)私小説的伝統への復帰の流れに棹さしたこと。個人的体験を感覚的に描くことに力点を置いているので、私小説への接近が特徴的である。 安岡章太郎 『陰気な愉しみ』、『悪い仲間』 小島信夫 植民地的国民「わびしい日本人」の姿を描いた『?メリカン?スクール』で芥川賞受賞。 庄野潤三 『ブールサ?ド小景』で芥川賞受賞。 遠藤周作 『白い人』は第二次世界大戦下におけるナチの暴挙の中での信仰と悪魔の相克という人間本質への問いかけの作品で、芥川賞を得た。そのほか、『海と毒薬』、『沈黙』などがあるが、後者は、転びキリシタンと神の恩寵の問題を扱い、キリスト教の日本的な土着という課題に挑んだ宗教小説であるとともに歴史小説である。 「内向の世代」の文学:1970年前後に文壇に登場してきたのが「内向の世代」と呼ばれる古 39 井由吉、黒井千次、阿部昭、柏原兵三ら一群の作家たちである。「内向の世代」という呼称は、小田切秀雄によるもので、「脱?デオロギーの内向的文学世代」という規定で、社会的意識が乏しく、個人的状況下における自我の凝視という時流を批判したものであった。 「内向の世代」の文学的特色: ,)日常的言語によっての小説世界を成立させている。 ,)「非現実世界」を「日常性」に導入し、シュールレ?リズム的な方法が取り入れられている。 ,)都市生活が小説化されている。 ,)「無意味な人間が、無意味な場所で、無意味に生きている」その一粒の砂のような生存の姿であるということ。 古井由吉 処女作『木曜日に』(1968)、『杳子』(1970 芥川賞受賞) 黒井千次 『時間』 『群棲』 阿部昭 『子供部屋』 『大いなる日』 『司令の休暇』 小川国夫 ヨーロッパ各地を旅する体験を下に書いた『?ポロンの島』 中間小説と大衆文学:井上靖や石川達三など中間小説の代表的作家の後、若い世代の作家五木寛之、小田実らが中間小説を発表している。中間小説は、芸術性と物語性を備えた大衆文学とも言える。大衆文学はもと時代小説と通俗小説を指すものであるが、広義には、推理小説、冒険小説、ユーモ?小説、怪奇小説、少年少女小説を言い、,,を含む場合もある。 中間小説 五木寛之 『蒼ざめた馬を見よ』(1966、直木賞受賞) 、 『青春の門』(全12部からなり、大河小説である) 立原正秋 現代人の虚無の美をとらえた『白い罌粟(けし)』で1965年直木賞受賞した。 時代小説 吉川英治 人生求道小説『宮本武蔵』(1935,1939)、歴史の興亡と人間の運命を庶民の眼を通して描くという視点と史観から、『新平家物語』(1950,1957)を発表した。吉川の登場によって、従来の興味本位の大衆文学の地位が高められ、国民文学になった。 山本周五郎もまた時代小説を知的に高めた作家の一人である。 封建女性の生き方の美しさを描いた『日本婦道記』、 『樅ノ木は残った』 大仏次郎 『鞍馬天狗』(1924,1959)シリーズは、百万人の小説として現代まで人気を博している。 司馬遼太郎 『梟の城』(1958,1959、直木賞受賞)。『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』など多数の歴史小説を書いた。司馬の歴史小説の特質は、歴史の問題に現代的裁断や解釈を加えるものである。 推理小説:推理小説は、1946年木々高太郎によって命名され、科学小説や考証小説まで含めていたが、今日では戦前の探偵小説と同義に用いられる。探偵小説の確立者は江戸川乱歩である。 木々高太郎 『新月』 松本清張 『或る「小倉日記」伝』で43歳で芥川賞を受けて認められる。『張込み』から推理小説に転じ、『点と線』、『砂の器』で社会派推理小説の領域を拓き、政財界の暗部を暴いた『深層海流』、『日本の黒い霧』、『昭和史発掘』などへと発展した。 40 ,,小説:,,小説は空想科学小説のことで、科学的空想のもたらす驚異?冒険?恐怖などに充ちた事件を主題とする小説である。 小松左京 『地には平和を』で,,作家としての地位を確立して、『日本沈没』など多くの,,を発表した。 星新一 『セキストら』 『黒い光』 高度成長下の文学:戦後日本の経済は、1955年ごろから経済の高度成長期に入り、1970年ごろになって、高度成長が終わり始めるのである。この時期の文学を、,)1955,1960年の石原慎太郎?開高健?大江健三郎を代表とする「戦後世代』の時期。,)1960,1970年の『人間として』という雑誌を創刊した高橋和巳?小田実?柴田翔らが登場し活躍した時期 と二つの時期に分けられる。 「戦後世代」の文学:高度成長期に入って、快楽的自我の充足を求めて既成の秩序や習慣、観念を破り出る「あまりにも時代にぴったり」する世代を描く石原慎太郎が『太陽の季節』(1955)で芥川賞受賞により登場し、それと全く対立的な性格の作家開高健が『裸の王様』(1957)で、大江健三郎が『飼育』(1958)によってそれぞれ芥川賞に当選して、二系列の新しい文学世代が活躍した。彼らを一般的に戦後世代の文学ともいっている。 石原慎太郎:一橋大学在学中『太陽の季節』を『文学界』に発表して第一回文学界新人賞と同年芥川賞を受けて、学生作家として文壇に登場した。『太陽の季節』の出現は、画期的な事件であった。文学的の側面からだけ見ても、「もはや戦後ではない」、文学的世代の交替ということを示していた。(戦後派文学との区別:戦争によって青春を奪われた傷痕の有無、極限状態における人間と日常生活における人間についての描写) 開高健: 開高健は驚くべき雑多な?ルバ?トをしながら大阪市大法科を卒業した。1957年『 裸の王様』で芥川賞受賞となり文壇に登場した。その後ベトナム戦争で米軍部隊を取材して、『輝ける闇』を発表。闇三部作として『夏の闇』『花終わる闇』がある。 大江健三郎: 現代を核に支配される危機的時代として認識し、その全体的表現を志向する小説家。戦後青年の虚無的心情を、固有の?メージと文体で描いた初期から、常に時代とともにあって、状況と主体に真摯な関心を持つ。また自己の特異な文体に対しても、小説理論家としての方法意識によって不断の変革を試みる。 小説の他、評論?講演?書評(芥川賞審査や文芸時評を含めて)のジャンルにおいても意欲的な活動を続ける。詩的想像力による独自の世界と時代に向けた発言が認められ、1994年ノーベル文学賞を受賞した。 ,代表作, 『死者の奢り』(1957)、 『人間の羊』(1958、「壁の中の人間」の監禁状態を追求した) 『飼育』 (1958、芥川賞受賞) 『個人的な体験』(1964) 『万延元年のフットボール』(1967、谷崎賞受賞) 『核時代の想像力』(1970) 『人間として』の文学 安保闘争(1960)は、文学界にも大きな影響を与えた。これを契機に高度成長下の文学の第二期に入る。第二期を代表する作家としては、高橋和巳、小田実、柴田翔および開高健らで 41 あった。彼らは、戦後世代の文学を批判的に継承して、現代の危機の意味と、危機を超克する方向を探索して行ったのである。 高橋和巳:京大大学院中国文学博士課程終了。吉川幸次郎のもとで六朝文学を専攻。1962年知識人の悲劇的運命を描いた『悲の器』で絶賛される。昭和日本の全精神史といわれる『邪宗門』上?下巻(1966)で驚異的博識と構成力を見せた。京都大学助教授となるが、1968年前後からの大学闘争において、学生を支持して、辞職。 小田実 旅行記『何でも見てやろう』(1961)はベストセラーとなった。小説『?メリカ』、評論『日本を考える』、『日本の知識人』など次々と新しい視点を提示した。 柴田翔 『されどわれらが日々,』(1962)で芥川賞受賞。東大の助教授となり、かたわら『十年の後』、『贈る言葉』などを発表して、新時代の知識人作家として特徴づけられる。 他の新人作家:この時期、以上の作家のほか、新人作家でありながら、自己の個性的才能により目立った作品を発表している。 北杜夫 『夜と霧の隅で』(1960上の芥川賞受賞)、 『楡家の人びと』 三浦哲郎 (私小説の新人作家) 『忍ぶ川』(1960下の芥川賞受賞) 辻邦夫 『パリの手記』 平成の文学 村上春樹:『ノルウェ?の森』がベストセラーになった村上春樹は、長編『ねじまき鳥クロニクル』、阪神?淡路大震災をモチーフにした連作短編『神の子どもたちはみな踊る』を発表。小説以外でも『約束された場所で』など、?ンタビューという手法を選んで現代社会に生きる人の心を描き出す。 村上龍 『希望の国のエクソダス』など現在の問題を直視した作品を次々に発表。 吉本ばなな 『キッチン』で若い読者の心をつかんで、短編集『体は全部知っている』 山田詠美 『放課後の音符』 『僕は勉強ができない』 また、ロック歌手の辻仁成、パンク歌手の町田康、演劇の柳美里が芥川賞を受賞。他分野出身の作家も活躍している。 現代の詩歌 『荒地』 『暦程』 『四季』 『詩と詩論』 鮎川信夫、 草野心平、 堀辰雄、中原中也、 三好達治、西脇順三郎田村隆一 金子光晴 伊東静雄、立原道造 42
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