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一公升的眼泪 日本语

2017-12-27 50页 doc 424KB 14阅读

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一公升的眼泪 日本语一公升的眼泪 日本语 『遠くへ、涙の尽きた場所に』 「いずれにせよ、治験にいたるまでは長い時間がかかりそうですから??? 腰をすえてじっくり、がんばって下さい。」 20歳になった亜也(沢尻エリカ)は、常南大学付属病院で入院生活を 医師たちの、期待のなさそうな言葉に、水野の表情は暗くなる。 送りながら、日記を書き続けていた。 その傍ら、亜也は、養護学校時代に世話になったボランテ??の高野 亜也の病室で、お弁当を広げる家族。 (東根作寿英)に依頼されて始めた「ふれあいの会」の会報にも 弘樹が髪につけたワックスを、「そんな...
一公升的眼泪 日本语
一公升的眼泪 日本语 『遠くへ、涙の尽きた場所に』 「いずれにせよ、治験にいたるまでは長い時間がかかりそうですから??? 腰をすえてじっくり、がんばって下さい。」 20歳になった亜也(沢尻エリカ)は、常南大学付属病院で入院生活を 医師たちの、期待のなさそうな言葉に、水野の情は暗くなる。 送りながら、日記を書き続けていた。 その傍ら、亜也は、養護学校時代に世話になったボランテ??の高野 亜也の病室で、お弁当を広げる家族。 (東根作寿英)に依頼されて始めた「ふれあいの会」の会報にも 弘樹が髪につけたワックスを、「そんなものは床にかけとけばいい~」と瑞貴。 寄稿を続けていた。 「中学で彼女出来たらしいよ。」と亜湖がチクる。 「彼女~,彼女~,お前400万年早いだよ~」 病院の屋上で、洗濯物を干す潮香(薬師丸ひろ子)、瑞生(陣内孝則)、 父に髪をぐしゃぐしゃにされ、弘樹は使い古したバックから鏡を取り出し 亜湖(成海璃子)、弘樹(真田佑馬)、理加(三好結稀)。 髪型を直す。 理加は自分が描いた絵を亜也に持ってきた。 「家族みんなで、洗濯物を干した。 紅葉した木の絵。潮香は亜也のベッドの横にその絵を貼る。 空が青くて、きれいだった。 そして、亜湖が描いた絵が展覧会で入選し、明和台東高校に飾られている、と 風は少し冷たかったけど、気持ちよかった。 話す。 冬の匂いがした。」 「見てみたいなー。 行きたいな、東高。」 ?方、遥斗(錦戸亮)は、医学生として勉強の日々を送っていた。 亜也から別れの手紙を貰ってすでに1年ほどが過ぎていた。 亜也の言葉に、家族は亜也を東高へ連れていく。 遥斗の部屋の棚には「ふれあいの会」の会報が積まれていた。 亜也の脳裏に、15才の自分が次々と浮かぶ。 ふと、机の引き出しにしまってある、亜也からの手紙と 友達と合格発表を見に来たこと、バスケットボール部員の姿???。 返されたキーホルダーを見つめる。 音楽室では、生徒たちが『3月9日』の練習をしていた。 彼らの歌声を聞きながら、亜湖が描いた絵を見つめる家族。 「20歳。 亜湖は、亜也の入学式の日に撮った記念写真の絵を描いていた。 病気になって、もう5年が過ぎた。 ?つ?つ失って、残されたのは、わずかなものだけ。 「来て良かった。 昔の私を、もう思い出せない。」 思い出したから。 15才の私は、ここで確かに、生きていた。」 亜也はベッドから伝い歩きし、遥斗に貰った鉢植えの花に 霧吹きで水をかけた。 病院のベッドから、遥斗が持ってきてくれた鉢植えを見つめる亜也。 「花びらが、?枚?枚開いていく。 水野(藤木直人)は、マウスを使い、新薬の開発に力を注いでいた。 花も?度に、ぱっと咲くわけじゃないんだ。 だが、効果はなかなかみられないが、水野は諦めようとはしなかった。 昨日がちゃんと今日につながっていることがわかって、嬉しかった。」 「雲をつかむような話。」と医師たちは言うが ベッドから自力で物につかまり立ちをしようとした亜也は???。 「それでも、可能性はゼロじゃありません。」 芳文は、潮香に遥斗は元気か、と聞かれ、 潮香が亜也の病室に行くと、亜也は床に座り込んでいた。 「まじめに勉強はしているようですが、自分の殻に閉じこもってしまって、 また、昔に戻ってしまったようです。」 「亜也、どうした,転んじゃったの, 「そうですか???。」 怪我ないかな,」 そこへ水野もやって来た。 「お嬢さんの具合はいかがですか,」 「おかあさん???。 「???自分が情けないです。 もう、歩けない。」 あの子が、日に日に弱っていくのに、何もしてやれなくて???。」 運動機能が著しく低下していた亜也は、とうとう自分の力で立ち上がることが 「???私は、6年前に、長男を事故で亡くしました。 できなくなってしまったのだ。 太陽みたいに、周りを明るくしてくれる子でした。 「亜也。悲しいけど、頑張ろう~ 父親の私でさえ、あいつがまぶしかった。 大丈夫よ。お母さんね、亜也をおんぶするぐらいの力、 池内さん。私には、別れの言葉を言う時間さえなかった。 充分あるんだから。」 どうか、後悔をしないで下さい。 今の、お嬢さんとの時間を、大事になさって下さい。」 『お母さん わたし 「???はい。」 何の為に生きているの,』 日記にそうつづる亜也???。 潮香が病室にいくと、亜也は必死にノートに字を綴っていた。 「亜也。そんなに無理しなくていいのよ。少し休もうか。」 「怖いの。今思ってる気持ち、書かなかったら、 診察をした水野は、亜也が突然危険な状態に陥る可能性があることを 明日には、忘れて、消えてなくなっちゃうでしょ, 潮香と瑞生に告げ、何かあったときすぐに家族に連絡を取れるように 日記は、今あたしがちゃんと生きてるって、証だから。 しておいてほしい、と頼む。 亜也には、書くことがあるって、言ってくれたでしょ, 瑞生と潮香は顔を見合わせ???。 お母さんが、あたしの、生きる意味、見つけてくれた。」 亜也はそう言うと、またノートに気持ちをぶつけていった。 水野の部屋を出た潮香は、亜也の病室の前で芳文(勝野洋)に出会う。 遥斗は病院内を歩いていると、亜也が医師から、これから臨床実験に入る 大学5年生の学生たちを紹介されていた。 同じころ、瑞生は遥斗に会っていた。 「僕たちね、これからお医者さんになるために、勉強させてもらうんだ。 「元気か,???じゃねえみたいだな。 よろしくね、亜也ちゃん。」 もう?年になるか。」 「よ、ろ、し、く。」 「はい。」 「???ちょっと、難しかったかな。ごめんね。」 「俺な、お前には、ほんっと、充分すぎるほど、感謝しているんだ。 だから、これからは、お前はお前の人生、きちんと生きてくれ。」 遥斗は立ち去っていく学生たちを呼び止める。 瑞生は遥斗にそう言う。 「あの~ あの、もっと、ちゃんと、勉強して下さい。 あいつ、体、上手く動かせないけど、上手く話せないけど、 この病気はただちに命に関わるものではありません。 幼稚園児じゃありません。 こうしている間にも研究は進んでいきます。 頭の中は、あなたと?緒です。ちゃんとわかりますから。」 希望を捨てずに、頑張りましょう。 その様子を、亜湖が見ていた。 そう励ましながら、この病気の完治を諦めかけている気持ちがなかったか、 といえば、嘘になる。 『新しい効果の』『に効果が』『期待され』 でも諦めたくないと思った。 研究の結果をパソコンに打ち込む水野の表情は明るかった。 患者が諦めていないのに、医者が諦められるわけないよな。」 水野は、遥斗にそう告げると、彼にハガキを託した。 「水野先生、ずっと研究室に篭りっぱなしですね。」 「君も医者の卵だ。」 「神戸医大の先生と、頻繁に連絡とりあっているみたい。」 「もしかして、病院、変わられるのかしら。」 遥斗は水野に託されたハガキを読み???。 廊下を歩く看護士たちの噂話は、病室で食事をする亜也にも聞こえていた。 『動物も植物も、生まれたときから自分の寿命知ってんだよな。 亜也は、食事を詰まらせて呼吸困難に陥る。 人間だけだよ。欲張って余分に生きようとするのは。』 病院の待合室に座りながら、遥斗は自分が同じ場所で亜也にいった言葉を 亜也が目を覚ますと、家族全員の心配そうな顔が目に映る。 考える。 「大丈夫~ちょっと食べ物、詰まらせただけ。大丈夫だからね。」 潮香が亜也に優しく言う。 亜也の病室のド?が開く。 「先生,」亜也が聞く。 「みんなの泣き顔が、涙でぼやけた。 「すっかり根付いちゃったな、コ?ツ。」 きっと私は、こんな些細なことで、死ぬのだろう。」 遥斗は自分が亜也に渡した鉢植えを見て言う。 「久しぶり。」 別の日、水野は、亜也宛に届いた?通のハガキを彼女の元に届けに行く。 「???」 が、亜也は、日記を書いていてそのまま眠ってしまったようだった。 「お前、ふれあいの会の会報に、日記の文章、ずっと載せてただろう, それ読んだって、中学生の女の子から、ハガキが来てて。 部屋を出た水野は、授業を終えた遥斗の元に向かった。 「亜也ちゃんとは、会ってないの,」 死んじゃいたいと思っていました。 「はい。人の役に立つ仕事がしたいなんて言っておいて、 私も亜也さんと同じ病気です。 結局、あいつのこと、何もわかってやれなかったんです。」 先生に、治らないといわれたときは、いっぱい泣きました。 「僕が神経内科を選んだのはね、あまりにも未知の領域が多い分野 うまく歩けなくなって、学校でもジロジロ見られて、 だったから。 付き合っていた彼氏も離れていきました。 誰もが治せなかった病気を、自分なら治せるかもしれない。 何で私がこんな目に合うのって、毎日毎日、お母さんに当たっていました。 最初はそんな野心の塊だった。 でも、亜也さんの文章を読んで、辛いのは私だけじゃないんだって 僕だって、何もわかっていなかった。 思いました。 その?スに座った患者に、 私は病気になってから、俯いて、地面ばかり見ていたことに気付きました。 亜也さんみたいに強くなりたい。 君の病気を治すことを。 これからは、辛くていっぱい泣いても、その分ちゃんと前に進みたい。 だから、亜也ちゃんも諦めちゃダメだよ。」 亜也さんのお陰でそう思えました。 「でも、もし???もしも??? あたしの体、使ってね。 お前、人の役に立ちたいって言ってたよな。 病気の原因、見つけてね。 お前と初めてあった頃さ、俺、人が死のうが、生きようが、 同じ、病気の人の、役に、立ちたい。」 どうでもいいって思ってた。 「???献体のこと言ってるの,」 でも???今は違う。 亜也が頷く。 お前には、欲張ってでも、無理にでも、ずっと生きていてほしい。 「先生の、役に、立ちたい。」 だから、俺???」 思わぬ言葉に動揺する水野は、涙を堪えながら言う。 「亜也ちゃん。今の君は、こんなに元気じゃないか。 亜也が、カーテンの間から手を差し出した。 だから、そんなことを考えたりしちゃ、絶対にいけないよ。」 遥斗がカーテンを開けると、そこには涙を流してこちらを見つめる 亜也の姿があった。 診療室に戻った水野は、パソコンに打ち込んだレポートを見つめ、 亜也は、遥斗からハガキを受け取る。 パソコンを怒りに任せて閉じ、机の上の書類を叩き落した。 「麻生君。 そして、自分の無力さを噛み締め…。 歩けなく、なっちゃった。」 「うん。」 「見捨てないよという?言が、どんなに心強いか。 「でも、あたし…役に立てた。」 先生ありがとう。私を見捨てないでくれて。」 「ああ。」遥斗の瞳から涙がこぼれる。 「役に、立ったんだ。」亜也が微笑む。 亜也は、潮香にクリスマスプレゼントに欲しい物を聞かれ、 亜也はハガキを大事そうに両手で握り締めた。 「いい,わがまま、いい,」 「もちろん~何でも言って~」 クリスマスが近づいたある日、亜也は、病室にやってきた水野に質問する。 「帰りたい。お家、帰りたい。」 「先生,他の病院、行くの,」 「違うよ。どうして,」 潮香と瑞生から相談を受けた水野は、少し考えたあと、 「ずっと、ここに、いる,」 「?日、だけでしたら。」と答える。 「うん。いるよ。」 「通常なら、許可は出来ません。 「良かった。 抵抗力も落ちていますし、自立神経系にも病変を生じており、 見捨てられたかと、思った。 血圧が低下することもあります。 いつまでも、あたしが、良くならないから。」 ???実は、この間亜也さんに言われたんです。 「見捨てないよ~絶対に見捨てない。 自分の体を、研究に役立ててほしい。 だって君は僕の患者だもの。 同じ病気の患者さんたちの、役に立ちたい、と。」 絶対に、諦めたりしない。 水野の言葉に涙をこぼす潮香と瑞生。 「亜也さんが、今帰宅を望んでいるのなら、全力でかなえるよう 小学校から、同じスポーツバッグ、使ってるね。 努力しましょう。 中学生になったら、やっぱり、カッコいいのを持ちたかったでしょう, 生きている、ということを実感してもらうために。 遠慮させちゃって、ごめんね。 病院で待機しています。 理加もごめんね。 少しでも変わったことがあったら、すぐ、ご連絡下さい。」 私に、絵を描いてくれるために、絵の具ぎゅっと絞っても 二人は泣きながら、そう話す水野に頭を下げた。 出なくなっちゃうまで使ってくれて。 亜湖、ヒロ、理加、いつもありがとう。 その夜、潮香と瑞生は、亜湖、弘樹、理加に、亜也の病状のことを伝えた。 ずっと、お母さんをとっちゃって、ごめんね。』 「ねえちゃん、あまり、良くなくてな???。」瑞生が泣き出す。 「次に入院したら???暫く、帰れないかもしれないの。 「お姉ちゃん、お母さんなんかより、あんたたちのこと だから、今度かえってくる時は???」 ちゃーんと見ていたのね。」 涙をこらえて話す潮香も、言葉に詰まる。 「亜也ねえはもう、水臭いんだよ。」と亜湖。 「お父さんとお母さんがそんなんでどうすんの。 「ずーっと大切に使うね。」と弘樹。 精?杯明るくしようよ。 「理加使わないで、取っておくね。」 みんなで、亜也ねえに優しくしてあげようよ。」と亜湖。 亜也は幸せそうに微笑んでいた。 弘樹も理加も、頷いた。 「そうだな。そうだったな。」 「メリークリスマス~」 瑞生も潮香も泣きながら微笑んだ。 池内家のクリスマスパーテ?ーが始まった。 「おかえり~~」 あくる朝、亜湖は学校へと駆け出す弘樹、理加を呼び止め瑞生に言う。 とびっきりの笑顔で亜也を迎える亜湖、弘樹、理加、そしてガンモ。 「お父さん。私、お願いがあるんだ~」 その日、池内家では、ひと足早いクリスマスパーテ?ーが開かれた。 そこで、亜湖、弘樹、理加に、プレゼントを渡す潮香。 亜湖は、店先で亜也を囲んで家族写真を撮ろうと提案したのだ。 「可愛い~」亜湖は新しい服に大喜び。 亜湖は、カメラを見つめながら、 「カッコいい???」弘樹にはスポーツバッグ。 「ずっとあるからね、亜也ねえ。 「うわぁ~色いっぱい~」理加には絵の具。 亜也ねえが帰ってくる場所、これからも変わらないで、 それは、亜也が3人のために選んだものだった。 ここにずっとあるから。」と亜也に伝えた。 潮香は、亜也が妹弟たちに書いた手紙を読んで聞かせた。 「ありがと。みんな。」 亜也はそう言い、胸に手を当てた。 『ごめんね亜湖。 「胸に手を当てる。 最近、昔の服ばっかり着てるよね。 ドキドキ音がする。 私がパジャマばっかりだから、新しいの欲しいって言えなかったんでしょう, 亜湖は、おしゃれ大好きだったのに、ごめんね。 嬉しいな。 ごめんね弘樹。 私は生きている。」 年を経るごとに、自分の無力さを感じるばかりだ。 高野が池内家を訪ねてくる。 人の運命は簡単には変えられない。 でも、どうしても思ってしまうな。 「亜也さんの文章、ここのところ反響が大きくて、 どうして、亜也さんなんだろう。 出来れば、過去の日記も紹介させてもらいたいんです。」 潮香は読者からの手紙を受け取り、亜也に聞いて見る、と微笑んだ。 どうして、圭介だったんだろうって。 子ども扱いしすぎたのかもしれないな。 入院生活に戻った亜也は、やがて上手く話すことが出来なくなり、 お前は昔から、圭介とは全く違っていた。 文字盤を使って水野や潮香たちとコミュニケートするようになっていた。 ガンコで、意地っ張りで、不器用で。 『おねがい だから心配だった。 にっき お前は私に似ているから???。 かきたい』 もう何も言わない。 亜也は水野に訴える。 自分の信じたことをやりなさい。 お前はもう充分大人だ。」 潮香は病院の廊下を芳文と歩きながら、?度お礼に伺いたい、と申し出る。 芳文は、遥斗にそう告げた。 「いやあ、私は何もしていませんよ。 遥斗は昔から、私の意見など聞かず、 芳文と別れた遥斗は、亜也の病室を訪ねた。 ?人で考えて、?人で行動する子ですから。」 『さむかった』 「先生。子育てって、思い込みから出発している部分があると思いませんか, 「外ね、大雪。,メートルも積もっちゃってさ。」 私、辛さは変わってあげられなくても、亜也の気持ち、 『うそつき』 わかっているつもりでした。 遥斗が笑う。 怒られちゃうかもしれないんですけど、亜也の日記、読み返したんです。 『よんで どうして亜也なんだろうって、私がメソメソしている間に、 にっき』 あの子、?人で格闘して、自分を励ます言葉、?生懸命 「これ,」 探していたんです。 亜也が頷く。 親が子供を育てているなんて、おこがましいのかもしれないですね。 きっと毎日、亜也、妹、弟たちに、 遥斗は日記を開く。 私の方が、育てられているんです。」 『あせるな 亜也は、何度もペンを握りなおしながら、必死にノートに言葉を綴った。 よくばるな あきらめるな 赤いガーベラを手に亜也の病室へ向う遥斗を呼び止める芳文。 みんな?歩ずつ 「毎晩遅くまで大丈夫か,」 歩いてるんだから』 「今の俺じゃ、たいしたこと出来ませんけど。」 「医者だって同じだよ。 「上手いこと言うな、お前~」遥斗はそう言うと、再び日記を読み始める。 『自分だけが苦しいんじゃない。 そんな遥斗に亜也は、文字盤で答える。 わかってもらえない方も、 『そうだよ』 わかってあげられない方も、 「威張んなよ。」 両方とも、気の毒なんだ。』 亜也が笑う。 『花ならつぼみの私の人生 『いきてね』 この青春の始まりを、悔いのないよう、大切にしたい。』 亜也の、遥斗の瞳から涙がこぼれる。 お母さん。 『ずっといきてね』 私の心の中に、いつも私を信じてくれているお母さんがいる。 遥斗の顔を見つめる亜也。 これからもよろしくお願いします。 「わかった。」 心配ばかりかけちゃって、ごめんね。』 遥斗は涙をこぼしながらそう答えた。 『病気は、どうして私を選んだのだろう。 日記の最後のページには、乱れた文字で「ありがとう」と書かれていた。 運命なんていう言葉では、かたづけけられないよ。』 亜也が微笑みながら目を閉じる。 『タ?ムマシンを作って過去に戻りたい。 「寝たの, こんな病気でなかったら、恋だって出来るでしょうに。 笑ってんなよ。」 誰かにすがりつきたくて、たまらないのです。』 外は雪。 『もうあの日に帰りたいなんて言いません。 亜也の布団を掛け直す遥斗。 今の自分を、認めて、生きていきます。』 亜也の瞳から涙がこぼれた。 『心無い視線に、傷つくこともあるけれど、 ,,年後, 同じくらいに、優しい視線があることもわかった。』 亜也の急変を知らせるランプに、水野が病室に駆けつける。 『それでも私はここにいたい。 病室にいた潮香と瑞生は廊下に出され???。 だってここが、私のいる場所だから。』 看護士が部屋のド?を開ける。 『いいじゃないか、転んだって。 支えあうように病室に入る二人。 また起き上がればいいんだから。 「亜也ーーーっ~~」 転んだついでに空を見上げれば、 瑞生の慟哭が廊下に悲しく響いた。 青い空が今日も限りなく広がって微笑んでいる。』 亜也の1周忌の朝、潮香は亜也の日記に続けて、彼女への手紙を書いた。 『亜也へ 『人は過去に生きるものにあらず。 あなたと会えなくなってもう,年が経ちました。 今出来ることをやればいいのです。』 亜也、歩いていますか。ご飯が食べられますか。 大声で笑ったり、お話ができていますか。 『お母さん、わたし結婚出来る,』 お母さんがそばにいなくても、毎日ちゃんとやっていますか。 お母さんは、ただただ、それだけが心配でなりません。 「お前、頑張ったな。 「どうして病気は私を選んだの,」 頑張って、生きてきたな。」 「何のために生きているの,」 遥斗の目から涙が溢れていた。 亜也はそう言ったよね。 苦しんで苦しんで、たくさんの涙を流したあなたの人生が何のためだったか、 あなたが、いっぱい、いっぱい涙を流したことは、 お母さんは、今でも考え続けています。 そこから生まれた、あなたの言葉たちは、 今でも、答えを見つけられずにいます。 たくさんの人の心に届いたよ。 でもね、亜也。』 ねえ、亜也。 亜也の墓前に手を合わせる潮香と瑞生。 そっちではもう泣いたりしていないよね。 水野が声をかけてきた。 …お母さん、笑顔のあなたに、もう?度だけ会いたい…』 「お嬢さんは、凄い人でした。 水野が、瑞生が、潮香が、そっと微笑む。 最後の最後まで、諦めようとしなかった。」 学校の体育館。 「普通の、女の子ですよ、あの子は。」 バスケットボールをドリブルする亜也。 「私らの、娘ですから。」 そんな亜也を見つめる遥斗。 水野が亜也の墓前に手を合わせる。 亜也がシュートを決め、そして遥斗に微笑んだ。 「ゆっくりですが、?歩?歩、医学は進歩しています。 「生きるんだ~」 あと,,年あれば、,年あれば、 『昭和63年5月23日午前0時55分 どうしても、そう思ってしまって。 木藤亜也さん 25歳で永眠 でもそんなの言い訳なんです。 花に囲まれて 彼女は逝った 亜也さんのいる間に、もっと、もっと、 亜也さんが14歳から綴った日記「,リットルの涙」は やれることがあったのかもしれません。」 現在、役180万部を発行ー 「先生は、充分やって下さいました。」 29年の歳月を経て 「私ら、ほんとに、感謝しています。」 今もなお多くの人々に勇気を与え続けている 水野が二人に会釈をし、帰っていく。 現在、妹の理加さんは 「池内さん。 塾の先生として子供達に やっぱり、亜也さんはすごい人でした。」 勉強を教えている 潮香と瑞生は水野の言葉に、辺りを見渡す。 弟の弘樹さんは すると、亜也のもとに、たくさんの人たちがやってきたのだ。 警察官として地域の安全を 若者たち、家族連れ、老夫婦、車椅子の少年?少女―― 守っている それぞれの手には、赤いガーベラが握られていた。 の亜湖さんは その花言葉は…。 亜也さんの通っていた 『でもね、亜也。 東高を卒業ー あなたのおかげで、たくさんの人が生きることについて 潮香さんと同じ 考えてくれたのよ。 保健師として働いている 普通に過ごす毎日がうれしくて、 あったかいものなんだって思ってくれたのよ。 父?瑞生さんと母?潮香さんは 近くにいる、誰かの優しさに気づいてくれたのよ。 今も亜也さんの想いを 同じ病気に苦しむ人たちが、ひとりじゃないって思ってくれたよ。 伝え続けている』 穫するハサミの音が、中庭に軽やかに響いた。 老婆, 私は始めて,さんから野菜をもらったのは、野良猫がきっかけだった。 新しく引っ越した?パートは、小高い丘のてっぺんにあり、見晴らしがよかっ「まったくお前たちは、何ていう悪ガキどもなんだろうね」 た。?階の部屋からでも、扇形に広がる町並みと、その向こうに横たわる海が見 ,さんはシャベルの柄を振り回していた。皮膚病にかかっているらしい、,さ通せた。親しい編集者が紹介してくれたのだ。 んと同じくらい年老いた猫が果樹園の方へ逃げてゆくのが見えた。 丘の斜面は果樹園で、桃と葡萄と枇杷が少し、あとはほとんど全部キーウ?だ「松葉を置いておくといいですよ」 った。大家の,さんの所有地らしかったが、,さんは年老いた?人暮らしの未亡 窓を開け、私がこう呼び掛けると、彼女は怒った表情のままこちらへ歩いてき人で、果樹園の世話をすることはなかった。かといって誰か人を雇っている様子た。 もなく、いつでも丘はしんとしていた。なのに木々には立派な果物がなっていた。 「せっかく植えた種は掘り返す、臭いフンはする、ミャ,ミャ,鳴く。全く手に 特にキーウ?は枝がたわむほどで、風の強い月夜などは、深緑色のコウモリが負えないんだから」 何匹も何匹も、ゆさゆさと丘を揺らしているように見えた。何かの拍子に彼らが「畑の周りに松葉を置いとけば、寄りつきませんよ」 いっせいに飛び立ちはしないかと、心配になることもあった。 「どうしてこう、うちにばかり集まってくるのか。あの毛が我慢ならないねえ。 いつ誰が手入れをし、収穫しているのか、ある日気がつくと?つの区画のキー?レルギーでくしゃみが止まらなくなるんだ」 ウ?がきれいに姿を消し、しばらくすると再び小さな実がつきはじめていた。も「猫はチクチクするものが嫌いなんです。だからどこかで松葉を……」 っとも私は夜中に執筆し、昼近くまで眠っているから、果樹園で働く人々を知ら「誰かこっそり餌でもやってるんじゃあるまいね。もしそんなところを見つけたないだけかもしれない。 ら、あなたから文句を言ってやってくださいよ」 ?パートはコの字形の三階建てで、ゆったりとした中庭がついていた。真ん中 喋りながら,さんは、勝手口から私の部屋へ入ってきた。 に大きなユーカリの木があり、強すぎる日差しをやわらげてくれていた。,さん ?通り猫の悪口を言い終わると、,さんはを抑えきれない様子で、散らかったはそこを家庭菜園にして、トマトや人参や茄子や?ンゲンや唐辛子を育ててい仕事机や、食器戸棚や、出窓に並べたガラスの物置などを見回した。 た。気に入った店子にはよく分けてあげているようだった。 「小説家なんだってねえ」 中庭をはさんで真向かいが,さんの部屋だった。カーテンが半分はずれたまま 舌がもつれて、ショウセツカという言葉が発音しにくそうだった。 で、いつまでもそれが修繕される気配はなかった。仕事机から視線を上げると、「ええ、そうなんです」 ちょうどその先がカーテンのない窓だった。 「物置きはいいよ。静かでねえ。昔この?パートに、彫刻家がいたけど、あれは 窓越しにうかがうかぎり、,さんは質素で面白みのない毎日を送っていた。私駄目だ。石を削る音がガンガン響いて、以来私は耳を悪くしたよ」 が起きる頃はたいてい昼ご飯時で、テレビを見ながら大儀そうに口を動かしてい ,さんは自分の耳をつつき、今度は本箱の前に立って?冊?冊背表紙を指差した。食べ物がこぼれると、テーブルクロスや袖口でゴシゴシこすった。あとは編ながら、題名を読みはじめた。目が悪いからか、字が読めないからか、どれもでみ物をするか、鍋を磨くか、ソフ?ーでうたた寝するか、そんなところだった。たらめだった。 私が仕事に集中しはじめる時刻になると、擦り切れたネグリジェに着替えてベッ ,さんはこれ以上考えられないほどに痩せていた。髪はまばらにしか生えておドへ潜り込んだ。 らず、額は狭く、かわりに顎が長くとがっていた。両目が離れ、鼻が低いために、 いくつくらいなのだろう。八十はとうに過ぎているように思う。足元はよろよ顔の中央に不自然な空白が広がっていた。?言喋るたびに入れ歯が外れそうになろして頼りなく、しゅっちゅう椅子にぶつかったり、食卓のコップを倒したりすり、骨と骨のこすれ合うような音がした。 る。 「ご主人は何をなさっていたんです,」 ただ唯?家庭菜園だけは特別だった。水をまいたり、添え木を立てたり、ピ 私は尋ねた。 ンセットで害虫を摘み取ったりしている時の,さんは楽しそうだった。野菜を収「ご主人なんて上等なもんじゃないよ。ただの酔っ払い。ここの家賃と、私がマ ッサージ師で稼いだ金で、何とかやってきたんだ」 量が増えた。 本箱に飽きると彼女はワープロに手をのばし、まるで危険なものに触れるよう おかげで郵便や小包みを快く預かってくれるようになった。 に、二つ三つキーを押した。 「こんなものが届いてたよ」 「それをあいつは博打に使ってしまって。だからろくな死に方できなかったの。 私が帰宅するとすぐ、ハンドバッグを置く間もなく、,さんはやってきた。彼酔っ払って、海に落っこちて、そのまま行方不明」 女の部屋からも、こちらは丸見えなのだった。 「よかったら今度、マッサージをしていただけません,座ってばかりで肩が凝っ「今日の昼間、運送会社が配達してきたよ」 て」 「どうもありがとうございます。あら、友達からホタテ貝みたいだわ。お好きで ご主人の悪口が長々と続きそうで、私はあわてて話題を変えた。 すか,よかったら後でお裾分けします」 「まあ、そりゃあありがたいね。ホタテといえば高級品じゃないか」 「ああ、いいとも。いつでも声を掛けておくれ。まだ指はなまっちゃいないから ね」 包みを解きながら、私はひどく気分が悪くなった。ホタテ貝は全部腐っていた。 保冷剤はとっくに溶け、冷気など残っていなかった。ナ?フで貝殻を開けたとた ,さんは指を鳴らした。本当に骨が折れてしまったんじゃないかと思うくら い、大きな音がした。帰りぎわ,さんはとれたてのピーマンを五個くれた。 ん、濁った液体に変化してしまった身と内臓が、ドロドロ垂れてきた。 荷札をよく見直すと、日付が二週間も前になっていた。 次の日、目覚めてみると、庭中松葉で覆われていた。野菜が植わっている以外 の場所は、ユーカリの根元も物置の周りも、どこもかしこも松葉だらけだった。 「ねえ、ねえ、ちょっと。これを見てごらんよ」 突然,さんが叫びながら、奥の台所にまで入ってきた。 「なぜこんなことをするんです,」 ?パートの誰かが尋ねていた。 「何ですか,それは……」 「猫退治だよ。猫は松やにの匂いが嫌いなの。昔私が娘の頃、おばあさんがそう 私はちょうど夕食の準備中で、ポテトサラダを作っていた。 「人参だよ、人参」 教えてくれてね」 自慢げな,さんの返事が聞こえた。 彼女は誇らしげにそれを私の目の前に突き出した。 「まあ、何て変わった形なんでしょう」 彼女に娘時代などあったのだろうか。生まれた時からずっと、老婆のまま変わ らずいるような気がする。 私はジャガ?モをつぶしていた手を止めた。確かにそれは普通の人参ではなか ある晩珍しく,さんに来客があった。大柄な中年男性だった。オレンジ色の満った。手の形をしていたのだ。 ちゃんと五本、指があった。親指が?番太く、中指が?番長かった。赤ん坊の月が浮かび、ことさら窓ガラスをくっきりと照らしていた。男がベッドに横たわ り、その上に彼女がまたがった。 手のように丸々としていた。不自然に変形した様子はどこにもなく、?つのまと まった形を成していた。ついたままになっている葉っぱが、特別にあつらえた飾 最初,さんが男の首を絞めているのかと思った。いつもの彼女ではないみたい りのようだった。 に、機敏で力強かったからだ。両足はしっかりと男の身体を押さえ込み、腕は要 所をとらえていた。ベッドの中で男はどんどんしぼんでゆき、反対に彼女は指先「これ、あげる」 ,さんは言った。 からエネルギーを吸い上げ、膨張しているかのようだった。 マッサージは長く続いた。松葉の匂いが闇に溶け、あたりを漂っていた。 「いいんですか,こんな珍しいもの」 「ああ。三本とれたからね。特別にあなたにあげるよ。誰にも内緒だよ。妬む人 ,さんはしょっちゅう私の部屋に遊びに来るようになった。膝に水がたまるだ がいるかもしれないからね」 の、ガス代の値上げが許せないだの、暑すぎるだの、たわいないお喋りをして、 お茶を?杯飲んで、帰っていった。大家との関係を悪化させたくなかったので、 私の耳に唇を近づけ、彼女はささやいた。湿っぽい息が吹きかかった。 できるだけ礼儀正しく振舞うようにした。そして来るたび、彼女がくれる野菜の「おやまあ、ポテトサラダだね。ちょうどよかったじゃないか。人参が手に入っ て」 だけで二度も家具にぶつかったし、ネグリジェのホックを留めるのもおぼつかな 愉快でならないというふうに、,さんは笑った。 かった。 どこにどう包?を入れたらいいのか、私は迷った。それにはまだ太陽の温もり 私は朗読を再開した。掌の汗で、原稿が湿っていた。 が残っていた。水で洗い、土を落とすと、鮮やかな赤色があらわれた。 とにかく最初に、五本の指を根元から切り落とすのが、妥当なやり方に思えた。 手の形をした人参は、それからいくつもいくつもできた。?パート中全部の住それらは?本ずつ、まな板の上を転がった。その晩私は、小指と人差し指の入っ人に配っても、まだ余るくらいだった。ピ?ニストのように繊細な手、樵のようたポテトサラダを食べた。 に頑丈な手、むくんだ手、毛深い手、痣のある手……。いろいろだった。 風の強い?日だった。真夜中を過ぎてもおさまる気配はなく、空の高いところ ,さんはそれらを大事に収穫した。指?本でも欠けたら大変というように、少で渦を巻いた風が、丘の斜面に吹きつけてきた。いくらきつく鍵を閉めても、キしずつ土を掘り返し、慎重に葉っぱを引っ張った。そして土を払い、日の光にかーウ?の揺れる気配が部屋に忍び込んできた。 ざしながら、その形を眺め回した。 私は出来上がった分の原稿を台所で朗読していた。最後の仕上げに声を出して 読んでみるのが、私のやり方だった。でも本当は、キーウ?の揺れる音を聞くの「ひどく凝ってるね」 が怖かったのかもしれない。 ,さんは言った。私は返事をしようとしたのだが、全身を彼女に支配され、た ふと流し台の奥の窓に目をやった時、果樹園に人影を見つけた。果樹園は闇にだうなるしかできなかった。 包まれていた。その急な斜面を、誰かが駆け降りていった。背中しか見えなかっ 言われた通り、私は枕に顔を押し当て、ベッドでうつぶせになった。彼女が覆たが、大きな段ボールを抱えているのが分かった。風が途切れた瞬間に、草を踏いかぶさってきた時、思いもしない強い力がかかった。鉄の毛布でくるまれたよむ足音も聞こえた。 うな気分だった。人を戸惑わせる力だった。 丘を下りきって道路へ出ると、街灯に照らされ姿がはっきり見えた。やはり、「じっと座ってばかりだから、よくないねえ。ほら、ここなんか凝りが固まって、 瘤みたいになってるよ」 ,さんだった。 髪は逆立ち、腰にぶら下げた汗拭き用のタオルは解けそうなほどなびいてい 彼女は首の付け根の?点に、親指を突き当てた。指先が深く食い込んできた。た。段ボールは重みで底がたわみ、明らかに,さんの身体に比べて大きすぎたが、痛くて首を動かそうとしたが無理だった。どんな身体の部分でさえ、?ミリも動彼女は少しも苦しそうにしていなかった。キッと前を見据え、背筋をのばし、上かすことができなかった。 手にバランスを取っていた。まるで彼女自身が、段ボールの?部になってしまっ 冷たい指だった。皮膚や肉の感触はなかった。それは骨そのものだった。 たかのようだった。 「この瘤をね、グリグリ押し潰しておかなくちゃ、楽にはなれないからね」 私は流し台に近寄り、目を凝らした。?段と強い風が吹き抜けていった。彼女 ベッドが軋み、足元のバスタオルが滑り落ち、,さんの入れ歯が鳴った。 は立ち止り、よろめいたが、すぐに体勢を立て直した。キーウ?のざわめきがま このまま放っておいたら、彼女の指は皮膚を突き破り、肉を裂き、骨を砕いてすます高くなった。 しまうかもしれない。私は叫び声を上げたかった。枕が唾液で濡れた。 ,さんは丘のふもとにある、閉鎖された古い郵便局へ入っていった。散歩の途「遠慮することはないさ。私とあなたの仲だからね。特に念入りにやってあげる中、時折通りかかるだけで、今何に使われているのか、そこも彼女の所有地なのよ」 か、私は?切知らなかった。 ,さんはますます強い力で私をがんじがらめにした。 彼女がようやく自分の部屋へ戻ってきたのは、東の海の色が変わりはじめる頃 だった。さっぱりしたように服を脱ぎ捨て、うがいをし、髪をかきむしった。そ「さあ、もう少しお二人近寄って。自然な感じで笑って下さい」 れからいつものネグリジェを着た。 カメラを構えた新聞記者は、?パート中に響きわたる大きな声で言った。,さ もうすっかり元の年老いた,さんに戻っていた。洗面台からベッドへ移動するんの耳が遠いと思ったのだろう。 「あっ、人参をもっと持ち上げて。五本の指が全部写るように、葉の根元の所を 私は答えた。 持って下さい。はい、そうです。その調子です」 「死んだと、聞かされていましたか,」 私たちは畑の真ん中に立たされていた。新聞記者は動き回るたびに松葉をふみ もう?人の若い方の刑事が続けて質問した。 つけた。何事が起きたのかと、住人たちが窓から顔をのぞかせていた。 「ええ。お酒に酔って、海に落ちて死んだと……。いいえ、ごめんなさい。行方 私はどうにかして微笑もうとしたが、うまくいかなかった。日差しが眩しすぎ不明だって、そう言ったかもしれません。よく覚えていません。特別親しかったて目を開けているのがやっとだった。口元も腕も視線も全部がバラバラで、ぎこわけじゃありませんから……」 ちなかった。そのうえあのマッサージのせいで、身体のあちこちが痛んだ。 私は中庭に目をやった。,さんの部屋に人影はなかった。片側だけのカーテン「お二人でちょっと言葉を交わすような感じ。硬くならなくてもいいですよ。人が風にそよいでいるだけだった。 参はこっちに向けたままにしておいて下さい。何といっても人参が主役ですから「どんなささいな出来事でもいいんです。何か不審に思うようなことがあったね」 ら、教えてもらえませんか」 ,さんはできるかぎりのおめかしをしていた。貧相な髪の毛を隠すために頭に 若い刑事は身体をかがめ、私と視線を合わせるようにして言った。 はネッカチーフを巻き、口紅を塗り、くるぶしまで届く長いワンピースを着てい「不審、不審、ふしん……」 た。靴もいつものサンダルではなく、古めかしいデザ?ンの革のハ?ヒールだっ 私はその言葉を繰り返しつぶやいた。 た。 「?度、真夜中に、果樹園を駆け降りてゆく姿を見たことがあります。重そうな しかしネッカチーフは額の狭さを強調するだけだし、口紅ははみ出していた。段ボールを抱えて、急ぎ足で。下の郵便局へ持って入ったようでした。今は使わそれにワンピースと革靴は、どう見ても人参には不似合いだった。 れていない、古い郵便局です」 「きれいに撮って下さいよ。新聞に載るなんて、この歳になるまで?度もなかっ たんだから。お願いしますよ」 すぐに郵便局が捜査された。そこはキーウ?が山積みになっていた。すべての ,さんは声を上げて笑った。喉が引きつれ、声がかすれ、顔中の皺がうねった。 キーウ?が運び出されたが、見つかったのは皮膚病にかかった野良猫の死骸だけ 次の朝、新聞の地方版に記事が載った。 だった。 『おもしろ人参発見~掌の形をした人参、おばあさんの家庭菜園からザクザク』 次に中庭にパワーシャベルが持ち込まれ、土が掘り返された。松葉が潰れ、む ヒールが畑に食い込んだのか、,さんは心持ち身体を右に傾け、細かい身体をせるような濃い匂いが漂った。窓辺に立って様子を見守る住人たちは、みな鼻と精?杯立派に見せようと、胸を張って立っている。両手に持った人参は選りすぐ口を覆っていた。 ったもので、形、大きさとも申し分ない。あんなに笑っていたはずなのに、写真 畑から白骨化した死体が発見されたのは、果樹園が夕焼けに染まる頃だった。に写った?瞬は、唇が歪んでいるせいで、怯えているように見える。 検死の結果、,さんの夫であることが判明した。死因は絞殺。,さんのネグリジ その横で私は、やはり人参を持たされ、何とか形だけは微笑んでいる。けれどェからは血液反応が出た。 焦点のあやふやな視線が、決まりの悪さをあわらしている。 しかし、中庭中どこを掘り起こしても、両方の手首から先だけは、発見されな 写真にするとますます人参は異様に見える。悪性腫瘍に冒され、切断された掌かった。 のようだ。,さんと私は掌をぶら下げている。それはまだ生温かく、血がしたた っている。 日语文学作品赏析《或阿呆の?生》 「ご主人にお会いになったことは,」 僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に?任したいと 刑事が尋ねた。 思つてゐる。 君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。し「いいえ。ついこの間、越してきたばかりなんです」 かし僕は発表するとしても、?ンデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。 僕 は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯喧嘩をした。それは彼の養父母の仲裁を受けることもないことはなかつた。しか僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちをにも気の毒に感じてゐる。ではさし彼は彼の伯母に誰よりも愛を感じてゐた。?生独身だつた彼の伯母はもう彼のやうなら。僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかつたつも二十歳の時にも六十に近い年よりだつた。 彼は或郊外の二階に何度も互に愛しりだ。 最後に僕のこの原稿を特に君に托するのは君の恐らくは誰よりも僕を知合ふものは苦しめ合ふのかを考へたりした。その間も何か気味の悪い二階の傾きつてゐると思ふからだ。(都会人と云ふ僕の皮をぎさへすれば)どうかこの原稿を感じながら。 四 東京 隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つての中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。 昭和二年六月二十日 ゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には?列の芥川龍之介 のやうに憂欝だつた。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼 久米正雄君 ? 時代 それは或本屋の二階だつた。二十歳自身を見出してゐた。 五 我 彼は彼の先輩と?しよに或カツフエのの彼は書棚にかけた西洋風のに登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、に向ひ、絶えず巻煙草をふかしてゐた。彼は余り口をきかなかつた。が、彼の先ボオドレエル、ストリントベリ?、?ブセン、シヨウ、トルスト?、…… その輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。「けふは半日自動車に乗つてゐた。」「何かうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこ用があつたのですか,」 彼の先輩はをしたまま、極めて無造作に返事をした。に並んでゐるのは本といふよりもろ世紀末それ自身だつた。ニ?チエ、ヴエルレ「何、唯乗つてゐたかつたから。」 その言葉は彼の知らない世界へ、――神々エン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキ?、ハウプトマン、フロオベエル、…… に近い「」の世界へ彼自身を解放した。彼は何か痛みを感じた。が、同時に又び彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもも感じた。 そのカツフエは小さかつた。しかしパンの神のの下にはい鉢に植ゑの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りよたゴムの樹が?本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。 六 病 彼うとした。すると傘のない電燈が?つ、?度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともは絶え間ない潮風の中に大きい語の辞書をひろげ、指先に言葉を探してゐた。 した。彼は梯子の上にんだまま、本の間に動いてゐる店員や客をした。彼等は妙Talaria 翼の生えた靴、或はサンダ?ル。 Tale 話。 Talipot 東印度に産すに小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。「人生はのボオドレエルる。幹は五十より百呎の高さに至り、葉は傘、扇、帽等に用ひらる。七十年に?にもかない。」 彼はく梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。…… 度花を開く。…… 彼の想像ははつきりとこの椰子の花を描き出した。すると彼二 母 狂人たちは皆同じやうに鼠色の着物を着せられてゐた。広い部屋はそはもとに今までに知らないさを感じ、思はず辞書の上へを落した。啖を,――しの為に?層憂欝に見えるらしかつた。彼等の?人はオルガンに向ひ、熱心に讃美かしそれは啖ではなかつた。彼は短い命を思ひ、もう?度この椰子の花を想像し歌をきつづけてゐた。同時に又彼等の?人は?度部屋のまん中に立ち、踊ると云た。この遠い海の向うに高だかとえてゐる椰子の花を。 七 画 彼はふよりもねまはつてゐた。 彼は血色のい医者と?しよにかう云ふ光景を眺めて突然、――それは実際突然だつた。彼は或本屋の店先に立ち、ゴオグの画集を見ゐた。彼の母も十年前には少しも彼等と変らなかつた。少しも、――彼は実際彼てゐるうちに突然画と云ふものを了解した。勿論そのゴオグの画集は写真版だつ等の臭気に彼の母の臭気を感じた。「ぢや行かうか,」 医者は彼の先に立ちなたのに違ひなかつた。が、彼は写真版の中にも鮮かに浮かび上る自然を感じた。 がら、廊下伝ひに或部屋へ行つた。その部屋の隅には?ルコオルを満した、大きこの画に対する情熱は彼の視野を新たにした。彼はいつか木の枝のうねりや女のいの壺の中に脳髄が幾つもつてゐた。彼は或脳髄の上にかすかに白いものを発見頬のらみに絶え間ない注意を配り出した。 或雨を持つた秋の日の暮、彼は或郊した。それは?度卵の白味をちよつとらしたのに近いものだつた。彼は医者と立外のガ?ドの下を通りかかつた。 ガ?ドの向うの土手の下には荷馬車が?台止ち話をしながら、もう?度彼の母を思ひ出した。「この脳髄を持つてゐた男は××まつてゐた。彼はそこを通りながら、誰か前にこの道を通つたもののあるのを感電燈会社の技師だつたがね。いつも自分を黒光りのする、大きいダ?ナモだと思じ出した。誰か,――それは彼自身に今更問ひかける必要もなかつた。二十三歳つてゐたよ。」 彼は医者の目を避ける為に硝子窓の外を眺めてゐた。そこにはの彼の心の中には耳を切つた人が?人、長いパ?プをへたまま、この憂欝な風景きの破片を植ゑたの外に何もなかつた。しかしそれは薄いをまだらにぼんやりと画の上へぢつと鋭い目を注いでゐた。…… 八 火花 彼は雨に濡れたらませてゐた。 三 家 彼は或郊外の二階の部屋に寝起きしてゐた。まま、?スフ?ルトの上を踏んで行つた。雨は烈しかつた。彼はの満ちた中にゴそれは地盤のい為に妙に傾いた二階だつた。 彼の伯母はこの二階に度たび彼とム引の外套の匂を感じた。 すると目の前の架空線が?本、紫いろの火花を発し てゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼そこへ向うの松山のかげから午前六時の上り列車が?列、薄い煙をかせながら、の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう?度後ろの架空線を見上げうねるやうにこちらへ近づきはじめた。 十四 結婚 彼は結婚した翌た。 架空線は鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しい日に「無駄費ひをしては困る」と彼の妻に小言を言つた。しかしそれは彼の小言ものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――まじい空中の火花だけは命とよりも彼の伯母の「言へ」と云ふ小言だつた。彼の妻は彼自身には勿論、彼の伯取り換へてもつかまへたかつた。 九 死体 死体は皆親指に針金のつ母にもびを言つてゐた。彼の為に買つて来た黄水仙の鉢を前にしたまま。…… いた札をぶら下げてゐた。その又札は名前だの年齢だのを記してゐた。彼の友だ 彼等 彼等は平和に生活した。大きい芭蕉の葉の広がつたかげに。――彼十五 ちは腰をかがめ、器用にメスを動かしながら、或死体の顔の皮をぎはじめた。皮等の家は東京から汽車でもたつぷり?時間かかる或海岸の町にあつたから。 の下に広がつてゐるのは美しい黄いろの脂肪だつた。 彼はその死体を眺めてゐ十六 枕 彼は薔薇の葉の匂のする懐疑主義を枕にしながら、?ナトオル?フラた。それは彼には或短篇を、――王朝時代に背景を求めた或短篇を仕上げる為にンスの本を読んでゐた。が、いつかその枕の中にも半身半馬神のゐることには気必要だつたのに違ひなかつた。が、腐敗したの匂に近い死体の臭気は不快だつた。づかなかつた。 十七 蝶 藻の匂の満ちた風の中に蝶が?羽ひらめい彼の友だちはをひそめ、静かにメスを動かして行つた。「この頃は死体も不足してゐた。彼はほんの?瞬間、乾いた彼の唇の上へこの蝶のの触れるのを感じた。てね。」 彼の友だちはかう言つてゐた。すると彼はいつの間にか彼の答を用意が、彼の唇の上へいつかつて行つた翅の粉だけは数年後にもまだきらめいてゐしてゐた。――「は死体に不足すれば、何の悪意もなしに人殺しをするがね。」た。 十八 月 彼は或ホテルの階段の途中に偶然彼女に遭遇した。彼しかし勿論彼の答は心の中にあつただけだつた。 十 先生 彼は大き女の顔はかう云ふ昼にも月の光りの中にゐるやうだつた。彼は彼女を見送りながいの木の下に先生の本を読んでゐた。?の木は秋の日の光の中に?枚の葉さへ動ら、(彼等は?面識もない間がらだつた。)今まで知らなかつた寂しさを感じ た。さなかつた。どこか遠い空中に硝子の皿を垂れたが?つ、?度平衡を保つてゐ…… 十九 人工の翼 彼は?ナトオル?フランスから十八世紀のる。――彼は先生の本を読みながら、かう云ふ光景を感じてゐた。…… 哲学者たちに移つて行つた。が、ルツソオには近づかなかつた。それは或は彼自十? 夜明け 夜は次第に明けて行つた。彼はいつか或町の角に広い市場を見渡身の?面、――情熱に駆られ易い?面のルツソオに近い為かも知れなかつた。彼してゐた。市場につた人々や車はいづれも色に染まり出した。 彼は?本の巻煙は彼自身の他の?面、――かな理智に富んだ?面に近い「カンデ??ド」の哲学草に火をつけ、静かに市場の中へ進んで行つた。するとか細い黒犬が?匹、いき者に近づいて行つた。 人生は二十九歳の彼にはもう少しも明るくはなかつた。なり彼に吠えかかつた。が、彼は驚かなかつた。のみならずその犬さへ愛してゐが、ヴオルテエルはかう云ふ彼に人工の翼を供給した。 彼はこの人工の翼をひた。 市場のまん中にはが?本、四方へ枝をひろげてゐた。彼はその根もとに立ろげ、やすと空へ舞ひ上つた。同時に又理智の光を浴びた人生の歓びや悲しみはち、枝越しに高い空を見上げた。空には?度彼の真上に星が?つ輝いてゐた。 そ彼の目の下へ沈んで行つた。彼は見すぼらしい町々の上へ反語や微笑を落しながれは彼の二十五の年、――先生に会つた三月目だつた。 十二 軍港 ら、るもののない空中をまつに太陽へ登つて行つた。?度かう云ふ人工の翼を太潜航艇の内部は薄暗かつた。彼は前後左右をつた機械の中に腰をかがめ、小さい陽の光りに焼かれた為にとうとう海へ落ちて死んだ昔の人も忘れたやうに。…… をいてゐた。その又目金に映つてゐるのは明るい軍港の風景だつた。「あすこに二十 彼等夫妻は彼の養父母と?つ家に住むことになつた。それは彼が或新聞『金剛』も見えるでせう。」 或海軍将校はかう彼に話しかけたりした。彼は四社に入社することになつた為だつた。彼は黄いろい紙に書いた?枚の契約書を力角いレンズの上に小さい軍艦を眺めながら、なぜかふとを思ひ出した。?人前三にしてゐた。が、その契約書は後になつて見ると、新聞社は何の義務も負はずに十銭のビ?フ?ステエクの上にもかすかに匂つてゐる阿蘭陀芹を。 十彼ばかり義務を負ふものだつた。 二十? 狂人の娘 二台の人力車三 先生の死 彼は雨上りの風の中に或新らしい停車場のプラツトフオオムをは人気のない曇天の田舎道を走つて行つた。その道の海に向つてゐることは潮風歩いてゐた。空はまだ薄暗かつた。プラツトフオオムの向うには鉄道工夫が三四の来るのでも明らかだつた。後の人力車に乗つてゐた彼は少しもこ のランデ?人、?斉にを上下させながら、何か高い声にうたつてゐた。 雨上りの風は工夫ブウに興味のないことを怪みながら、彼自身をここへ導いたものの何であるかをの唄や彼の感情を吹きちぎつた。彼は巻煙草に火もつけずにびに近い苦しみを感考へてゐた。それは決して恋愛ではなかつた。し恋愛でないとすれば、――彼はじてゐた。「センセ?キトク」の電報を外套のポケツトへ押しこんだまま。…… この答を避ける為に「に我等は対等だ」と考へないには行かなかつた。 前の人 力車に乗つてゐるのは或狂人の娘だつた。のみならず彼女の妹は嫉妬の為に自殺人へ送る手紙の中に彼と大差のないを書いてゐる。…… 二十六 古代 してゐた。「もうどうにも仕かたはない。」 彼はもうこの狂人の娘に、――動物彩色のげた仏たちや天人や馬や蓮のは殆ど彼を圧倒した。彼はそれ等を見上げた的本能ばかり強い彼女に或憎悪を感じてゐた。 二台の人力車はその間に磯臭いまま、あらゆることを忘れてゐた。狂人の娘の手を脱した彼自身の幸運さへ。…… 墓地の外へ通りかかつた。のついたの中には石塔が幾つもんでゐた。彼はそれ等二十七 スパルタ式訓練 彼は彼の友だちと或裏町を歩いてゐた。そこへをかけの石塔の向うにかすかにかがやいた海を眺め、何か急に彼女の夫を――彼女の心た人力車が?台、まつに向うから近づいて来た。しかもその上に乗つてゐるのはを捉へてゐない彼女の夫を軽蔑し出した。…… 二十二 或画家 それ意外にも昨夜の彼女だつた。彼女の顔はかう云ふ昼にも月の光の中にゐるやうだは或雑誌のしだつた。が、?羽の雄鶏のは著しい個性を示してゐた。彼は或友だつた。彼等は彼の友だちの手前、勿論挨拶さへ交さなかつた。「美人ですね。」 彼ちにこの画家のことを尋ねたりした。 ?週間ばかりたつた後、この画家は彼をの友だちはこんなことを言つた。彼は往来の突き当りにある春の山を眺めたま ま、少しもためらはずに返事をした。「ええ、中々美人ですね。」 二十訪問した。それは彼の?生のうちでも特に著しい事件だつた。彼はこの画家の中 に誰も知らない詩を発見した。のみならず彼自身も知らずにゐた彼の魂を発見し八 殺人 田舎道は日の光りの中に牛の糞の臭気を漂はせてゐた。彼は汗を拭ひ ながら、爪先き上りの道を登つて行つた。道の両側に熟した麦は香ばしい匂を放た。 或薄ら寒い秋の日の暮、彼は?本のにちこの画家を思ひ出した。丈の高い 唐黍は荒あらしい葉をよろつたまま、盛り土の上には神経のやうに細ぼそと根をつてゐた。「殺せ、殺せ。……」 彼はいつか口の中にかう云ふ言葉を繰り返しはしてゐた。それは又勿論き易い彼の自画像にも違ひなかつた。しかしかう云ふてゐた。誰を,――それは彼には明らかだつた。彼はにも卑屈らしい五分刈の男発見は彼を憂欝にするだけだつた。「もう遅い。しかしいざとなつた時には……」 を思ひ出してゐた。 すると黄ばんだ麦の向うにカトリツク教のが、いつの間に二十三 彼女 或広場の前は暮れかかつてゐた。彼はやや熱のある体にこの広場かを現し出した。…… 二十九 形 それは鉄の銚子だつた。彼はこのを歩いて行つた。大きいビルデ?ングは幾もかすかに銀色に澄んだ空に窓々の電糸目のついた銚子にいつか「形」の美を教へられてゐた。 三十 雨 彼燈をきらめかせてゐた。 彼は道ばたに足を止め、彼女の来るのを待つことにしは大きいベツドの上に彼女といろいろの話をしてゐた。寝室の窓の外は雨ふりだた。五分ばかりたつた後、彼女は何かやつれたやうに彼の方へ歩み寄つた。が、つた。の花はこの雨の中にいつか腐つて行くらしかつた。彼女の顔は月の光の中 にゐるやうだつた。が、彼女と話してゐることは彼には退屈でないこともなかつ彼の顔を見ると、「疲れたわ」と言つて頬笑んだりした。彼等は肩を並べながら、 い広場を歩いて行つた。それは彼等には始めてだつた。彼は彼女と?しよにゐるた。彼はひになつたまま、静かに?本の巻煙草に火をつけ、彼女と?しよに日を 暮らすのも七年になつてゐることを思ひ出した。「おれはこの女を愛してゐるだ為には何を捨ててもい気もちだつた。 彼等の自動車に乗つた後、彼女はぢつと 彼の顔を見つめ、「あなたは後悔なさらない,」と言つた。彼はきつぱり「後悔らうか,」 彼は彼自身にかう質問した。この答は彼自身を見守りつけた彼自身しない」と答へた。彼女は彼の手をへ、「あたしは後悔しないけれども」と言つにも意外だつた。「おれはだに愛してゐる。」 三十? 大地震 それは どこか熟し切つたの匂に近いものだつた。彼は焼けあとを歩きながら、かすかにた。彼女の顔はかう云ふ時にも月の光の中にゐるやうだつた。 二十四 出産 彼はにんだまま、白い手術着を着た産婆が?人、赤児を洗ふのを見下してこの匂を感じ、炎天に腐つた死骸の匂も存外悪くないと思つたりした。が、死骸ゐた。赤児は石鹸の目にしみる度にいぢらしいめを繰り返した。のみならず高いの重なりつた池の前に立つて見ると、「」と云ふ言葉も感覚的に決して誇張でな声にきつづけた。彼は何か鼠のに近い赤児の匂を感じながら、しみじみかう思はいことを発見した。殊に彼を動かしたのは十二三歳の子供の死骸だつた。彼はこずにはゐられなかつた。――「何の為にこいつも生まれて来たのだらう, このの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた。「神々に愛せらるるものは す」――かう云ふ言葉なども思ひ出した。彼の姉や異母弟はいづれも家を焼かれの充ち満ちた世界へ。――何の為に又こいつものやうなものを父にする運命をつ たのだらう,」 しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だつた。 てゐた。しかし彼の姉の夫は偽証罪を犯した為に執行猶予中の体だつた。……「誰 も彼も死んでしまへばい。」 彼は焼け跡にんだまま、しみじみかう思はずには二十五 ストリントベリ? 彼は部屋の戸口に立ち、の花のさいた月明りの中に ゐられなかつた。 三十二 喧嘩 彼は彼の異母弟と取り組み合ひの喧薄汚い支那人が何人か、をしてゐるのを眺めてゐた。それから部屋の中へひき返 すと、背の低いランプの下に「痴人の告白」を読みはじめた。が、二も読まない嘩をした。彼の弟は彼の為に圧迫を受け易いのに違ひなかつた。同時に又彼も彼 の弟の為に自由を失つてゐるのに違ひなかつた。彼の親戚は彼の弟に「彼をへ」うちにいつか苦笑を洩らしてゐた。――ストリントベリ?も亦情人だつた伯爵夫 と言ひつづけてゐた。しかしそれは彼自身には手足を縛られるのも同じことだつそこに画を描きながら、?人の少年を遊ばせてゐた。七年前に絶縁した狂人の娘た。彼等は取り組み合つたまま、とうとう縁先へげて行つた。縁先の庭にはが?の?人息子と。 狂人の娘は巻煙草に火をつけ、彼等の遊ぶのを眺めてゐた。彼本、――彼は未だに覚えてゐる。――雨を持つた空の下に赤光りに花を盛り上げは重苦しい心もちの中に汽車や飛行機を描きつづけた。少年は幸ひにも彼の子でてゐた。 三十三 英雄 彼はヴオルテエルの家の窓からいつか高い山はなかつた。が、彼を「をぢさん」と呼ぶのは彼には何よりも苦しかつた。 少を見上げてゐた。氷河の懸つた山の上にはの影さへ見えなかつた。が、背の低い年のどこかへ行つた後、狂人の娘は巻煙草を吸ひながら、びるやうに彼に話しか人が?人、に山道を登りつづけてゐた。 ヴオルテエルの家も夜になつた後、彼けた。「あの子はあなたに似てゐやしない,」「似てゐません。第?……」「だつは明るいランプの下にかう云ふ傾向詩を書いたりした。あの山道を登つて行つたて胎教と云ふこともあるでせう。」 彼は黙つて目をらした。が、彼の心の底に露西亜人の姿を思ひ出しながら。…… はかう云ふ彼女を絞め殺したい、残虐な欲望さへないではなかつた。…… ――三十九 鏡 彼は或カツフエの隅に彼の友だちと話してゐた。彼の友だちはを食誰よりも十戒を守つた君は 誰よりも十戒を破つた君だ。誰よりも民衆を愛した君は誰よりも民衆を軽蔑したひ、この頃の寒さの話などをした。彼はかう云ふ話の中に急に矛盾を感じ出した。 「君はまだ独身だつたね。」「いや、もう来月結婚する。」 彼は思はず黙つてし君だ。誰よりも理想に燃え上つた君は誰よりも現実を知つてゐた君だ。君は僕等 の東洋が生んだ草花の匂のする電気機関車だ。―― まつた。カツフエの壁にめこんだ鏡は無数の彼自身を映してゐた。冷えびえと、 三十四 色彩 三十歳の彼はいつの間か或空き地を愛してゐた。そこ何かすやうに。…… 四十 問答 なぜお前は現代の社会を攻撃すには唯の生えた上に煉瓦や瓦のなどが幾つも散らかつてゐるだけだつた。が、そるか, 資本主義の生んだ悪を見てゐるから。 悪を, おれはお前は善悪の差れは彼の目にはセザンヌの風景画と変りはなかつた。 彼はふと七八年前の彼のを認めてゐないと思つてゐた。ではお前の生活は, ――彼はかう天使と問答し情熱を思ひ出した。同時に又彼の七八年前には色彩を知らなかつたのを発見した。も誰にも恥づる所のないシルクハツトをかぶつた天使と。…… 四た。 三十五 道化人形 彼はいつ死んでも悔いないやうに烈しい生活十? 病 彼は不眠症に襲はれ出した。のみならず体力も衰へはじめた。何人かをするつもりだつた。が、養 父母や伯母に遠慮勝ちな生活をつづけてゐた。その医者は彼の病にそれぞれ二三の診断を下した。――胃酸過多、胃?トニ?、乾れは彼の生活に明暗の両面を造り出した。彼は或洋服屋の店に道化人形の立つて性、神経衰弱、慢性結膜炎、脳疲労、…… しかし彼は彼自身彼の病源を承知しゐるのを見、どの位彼も道化人 形に近いかと云ふことを考へたりした。が、意てゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――識の外の彼自身は、――言はば第二の彼自身はとうにかう云ふ心もちを或短篇の彼の軽蔑してゐた社会を~ 或雪曇りに曇つた午後、彼は或カツフエの隅に火の中に盛りこんでゐた。 三十六 倦怠 彼は或大学生との中を歩いてゐついた葉巻をへたまま、向うの蓄音機から流れて来る音楽に耳を傾けてゐた。そた。「君たちはまだ生活慾を盛に持つてゐるだらうね,」「ええ、――だつてあなれは彼の心もちに妙にしみ渡る音楽だつた。彼はその音楽のるのを待ち、蓄音機たでも……」「ところが僕は持つてゐないんだよ。制作慾だけは持つてゐるけれの前へ歩み寄つてレコオドの貼り札をべることにした。 Magic Flute――Mozart ども。」 それは彼の真情だつた。彼は実際いつの間にか生活に興味を失つてゐ彼はに了解した。十戒を破つたモツツ?ルトはやはり苦しんだのに違ひなかつた。「制作慾もやつぱり生活慾でせう。」 彼は何とも答へなかつた。芒原はいつた。しかしよもや彼のやうに、……彼は頭を垂れたまま、静かに彼のへ帰つて行か赤い穂の上にはつきりと噴火山をし出した。彼はこの噴火山に何かに近いものつた。 四十二 神々の笑ひ声 三十五歳の彼は春の日の当つた松林のを感じた。しかしそれは彼自身にもなぜと云ふことはわからなかつた。…… 中を歩いてゐた。二三年前に彼自身の書いた「神々は不幸にも我々のやうに自殺三十七 越し人彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」出来ない」と云ふ言葉を思ひ出しながら。…… 四十三 夜 夜はもう等の抒情詩を作り、かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍つた、かが?度迫り出した。荒れ模様の海は薄明りの中に絶えずを打ち上げてゐた。彼はかやかしい雪を落すやうに切ない心もちのするものだつた。 う云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等にはびだつた。が、同風に舞ひたるすげ笠の何かは道に落ちざらんわが名はいかで惜しむべき惜しむ時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と?しよに沖の稲妻を眺めてゐた。彼の妻は君が名のみとよ。 は?人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。「あすこに船が?つ見える 三十八 復讐 それは木の芽の中にある或ホテルの露台だつた。彼はね,」「ええ。」「の二つに折れた船が。」 四十四 死 彼はひとり寝て ゐるのを幸ひ、窓格子に帯をかけてしようとした。が、帯にを入れて見ると、か彼女の持つてゐた青酸加里を渡し、「これさへあればお互に力強いでせう」ともに死を恐れ出した。それは何も死ぬの苦しみの為に恐れたのではなかつた。彼は言つたりした。 それは実際彼の心を丈夫にしたのに違ひなかつた。彼はひとり二度目には懐中時計を持ち、試みに縊死を計ることにした。するとちよつと苦し籐椅子に坐り、の若葉を眺めながら、度々死の彼に与へる平和を考へずにはゐらかつた後、何ももぼんやりなりはじめた。そこを?度通り越しさへすれば、死にれなかつた。 四十九 剥製の白鳥 彼は最後の力をし、彼の自叙伝をはひつてしまふのに違ひなかつた。彼は時計の針をべ、彼の苦しみを感じたのは書いて見ようとした。が、それは彼自身には存外容易に出来なかつた。それは彼?分二十何秒かだつたのを発見した。窓格子の外はまつ暗だつた。しかしそののの自尊心や懐疑主義や利害の打算の未だに残つてゐる為だつた。彼はかう云ふ彼中に荒あらしい鶏の声もしてゐた。 四十五 Divan Divan はもう?自身を軽蔑せずにはゐられなかつた。しかし又?面には「誰でも?皮い て見れ度彼の心に新しい力を与へようとした。それは彼の知らずにゐた「東洋的なゲエば同じことだ」とも思はずにはゐられなかつた。「詩と真実と」と云ふ本の名前テ」だつた。彼はあらゆる善悪の彼岸に悠々と立つてゐるゲエテを見、 絶望には彼にはあらゆる自叙伝の名前のやうにも考へられ勝ちだつた。のみなら ず文近い羨ましさを感じた。詩人ゲエテは彼の目には詩人クリストよりも偉大だつ芸上の作品に必しも誰も動かされないのは彼にははつきりわかつてゐた。彼の作た。この詩人の心には?クロポリスやゴルゴタの外に?ラビ?の薔薇さへ花 を品の訴へるものは彼に近い生涯を送つた彼に近い人々の外にある筈はなひらいてゐた。若しこの詩人の足あとをる多少の力を持つてゐたらば、――彼はい。 ――かう云ふ気も彼には働いてゐた。彼はその為に手短かに彼の「詩と真デ?ヴ?ンを読みり、恐しい感動の静まつた後、しみじみ生活的に生まれた彼自実と」を書いて見ることにした。 彼は「或阿呆の?生」を書き上げた後、偶然身を軽蔑せずにはゐられなかつた。 四十六 ? 彼の姉の夫の自殺は或古道具屋の店にの白鳥のあるのを見つけた。それは頸を挙げて立つてゐたもの俄かに彼を打ちのめした。彼は今度は姉の?家の面倒も見なければならなかつの、黄ばんだ羽根さへ虫に食はれてゐた。彼は彼の?生を思ひ、涙や冷笑のこみた。彼の将来は少くとも彼には日の暮のやうに薄暗かつた。彼 は彼の精神的破上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだつた。彼は日の暮産に冷笑に近いものを感じながら、(彼の悪徳や弱点は?つ残らず彼にはわかつの往来をたつた?人歩きながら、ろに彼を滅しに来る運命を待つことに決心してゐた。)不相変いろいろの本を読みつづけた。しかしルツソオ の懺悔録さへ英た。 五十 彼の友だちの?人は発狂した。彼はこの友だちにいつも雄的なに充ち満ちてゐた。殊に「新生」に至つては、――彼は「新生」の主人公或親しみを感じてゐた。それは彼にはこの友だちの孤独の、――軽快な仮面の下ほどな偽善者に出会つたことはなかつた。が、フランソ??ヴ?ヨンだけは彼のにある孤独の人?倍身にしみてわかる為だつた。彼はこの友だちの発狂した後、心にしみつた。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡」を発見した。 絞罪を待つて二三度この友だちを訪問した。「君や僕は悪鬼につかれてゐるんだね。世紀末のゐるヴ?ヨンの姿は彼の夢の中にも現れたりした。彼は何度もヴ?ヨンのやうに悪鬼と云ふやつにねえ。」 この友だちは声をひそめながら、こんなことを彼に人生のどん底に落ちようとした。が、彼の境遇や肉体的エネルギ?はかう云ふこ話したりしたが、それから二三日後には或温泉宿へ出かける途中、の 花さへ食とを許すはなかつた。彼はだんだん衰へて行つた。?度昔スウ?フトの見た、かつてゐたと云ふことだつた。彼はこの友だちの入院した後、いつか彼のこの友だら枯れて来る立ち木のやうに。…… 四十七 火あそび 彼女はかがやちに贈つたテラコツタの半身像を思ひ出した。それはこの友だちの愛し た「検かしい顔をしてゐた。それは?度朝日の光のにさしてゐるやうだつた。彼は彼女察官」の作者の半身像だつた。彼はゴオゴリ?も狂死したのを思ひ、何か彼等をに好意を持つてゐた。しかし恋愛は感じてゐなかつた。のみならず彼女の体には支配してゐる力を感じずにはゐられなかつた。 彼はすつかり疲れ切つた、ふと指?つらずにゐたのだつた。「死にたがつていらつしやるのですつてね。」「えラデ?ゲの臨終の言葉を読み、もう?度神々の笑ひ声を感じた。それは「神の兵え。――いえ、死にたがつてゐるよりも生きることにきてゐるのです。」 彼等卒たちはをつかまへに来る」と云ふ言葉だつた。彼は彼の迷信や彼の感傷主義とはかう云ふ問答から?しよに死ぬことを約束した。「プラトニツク?スウ?サ?ド闘はうとした。しかしどう云ふ闘ひも肉体的に彼には不可能だつた。「世紀末のですね。」「ダブル?プラトニツク?スウ?サ?ド。」 彼は彼自身の落ち着いてゐ悪鬼」は実際彼をんでゐるのに違ひなかつた。彼は神を力にした中世紀の人々にるのを不思議に思はずにはゐられなかつた。 四十八 死 彼は彼女と羨しさを感じた。しかし神を信ずることは――神の愛を信ずることは到底彼にはは死ななかつた。唯未だに彼女の体に指?つ触つてゐないことは彼には何か満足出来なかつた。あのコクトオさへ信じた神を~ 五十? 敗北 彼はペだつた。彼女は何ごともなかつたやうに時々彼と話したりした。のみならず彼にンをる手も震へ出した。のみならずさへ流れ出した。彼の頭は〇?八のヴエロナ ?ルを用ひて覚めた後の外は?度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつき使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかなりしてゐるのはやつと半時間か?時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしのらない。だから「下人が雨やみを待っていた」と 云うよりも「雨にふりこめら生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。 れた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。そ(昭和二年六月、遺稿) の上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人 の Sentimentalisme に影響し た。のりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何 をおいても差当りの暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない 事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから 朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。 雨は、羅生門を つつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くし 日语文学作品赏析《羅生門》 て、見上げると、門の屋根が、斜につき出したの先に、重たくうす暗い雲を支え ある日の暮方の事である。?人のが、の下で雨やみを待っていた。 広い門ている。 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいるはの下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々のげた、大きなに、が?匹とない。選んでいれば、の下か、道ばたの土の上で、をするばかりである。そうしまっている。羅生門が、にある以上は、この男のほかにも、雨やみをするやが、て、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばもう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。 何ないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道をしたに、やっとこの局所へした。故かと云うと、この二三年、京都には、地震とかとか火事とか饑饉とか云うがつしかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、づいて起った。そこでのさびれ方は?通りではない。旧記によると、仏像や仏具手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるためを打砕いて、そのがついたり、金銀のがついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、に、当然、その後に来る可き「になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極のに売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理など的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。 下人は、大きなをして、そは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にしれから、そうに立上った。夕冷えのする京都は、もうが欲しいほどの寒さである。て、がむ。が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持っ風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。の柱にとまっていて来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、たも、もうどこかへ行ってしまった。 下人は、をちぢめながら、のに重ねた、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまった紺のの肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風ののない、人目にかかるのなのである。 その代りまたがどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、そい、?晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思っの鴉が何羽となく輪を描いて、高いのまわりを啼きながら、飛びまわっている。たからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗ったがことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それがをまいたようにはっき眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、みに来るのである。――もっで、腰にさげたのがらないように気をつけながら、をはいた足を、その梯子の?とも今日は、が遅いせいか、?羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そう番下の段へふみかけた。 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、してその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉のが、点々と白くこびりついて幅の広い梯子の中段に、?人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、いるのが見える。下人は七段ある石段の?番上の段に、洗いざらした紺のの尻を上のを窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬら据えて、右の頬に出来た、大きなを気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めしている。短い鬚の中に、赤くを持ったのある頬である。下人は、始めから、こていた。 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下の上にいる者は、死人ばかりだと高をっていた。それが、梯子を二三段上って見人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にこれは、その濁った、黄いろい光が、隅々にの巣をかけた天井裏に、揺れながらも書いたように、当時京都の町は?通りならずし ていた。今この下人が、永年、映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、 火をともしているからは、どうせただの者ではない。 下人は、のように足音をとうに忘れていたのである。 そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、ぬすんで、やっと急な梯子を、?番上の段まで這うようにして上りつめた。そう梯子から上へ飛び上った。そうしての太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へして体を出来るだけ、にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。 老婆は、?目下人を見ると、の内をいて見た。 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかのが、 無造まるでにでもかれたように、飛び上った。「おのれ、どこへ行く。」 下人は、老作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわ婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手をいで、こうっからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物 をた。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行か着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。すまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみそうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ 疑合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をわれるほど、土をねて造った人形のように、口をいたり手を延ばしたりして、ごつかんで、無理にそこへじ倒した。?度、の脚のような、骨と皮ばかりの腕であろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、る。「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」 下人は、老婆をつき放すぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を?層暗くしながら、永と、いきなり、太刀のを払って、白いの色をその眼の前へつきつけた。けれども、久にの如く黙っていた。 は、それらの死骸のした臭気に思わず、鼻をった。し老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、がかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のようにく黙っている。これを見ると、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。 下人の眼は、その下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云時、はじめてその死骸の中にっている人間を見た。の着物を着た、背の低い、せう事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、た、の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松のを持っいつの間にか冷ましてしまった。に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それがて、その死骸の?つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人多分女の死骸であろう。 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。「はの庁の役人などではをするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「の毛も太る」ようにはない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前にをかけて、ど感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今うしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだまで眺めていた死骸の首に両手をかけると、?度、猿の親が猿の子のをとるようか、それを己に話しさえすればいいのだ。」 すると、老婆は、見開いていた眼に、その長い髪の毛を?本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。 そを、?層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。の赤くなった、肉食鳥のの髪の毛が、?本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と?つになったて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しず唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖ったの動いているのつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、があるかも知れない。が見える。その時、その喉から、の啼くような声が、ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わっむしろ、あらゆる悪に対する反感が、?分毎に強さを増して来たのである。このて来た。「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、にしようと思うたのじゃ。」 下時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、をするかになるか人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、またと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選ん前の憎悪が、冷やかなと?しょに、心の中へはいって来た。すると、そのが、先だ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松ののよう方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛に、勢いよく燃え上り出していたのである。 下人には、勿論、何故老婆が死を持ったなり、のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。「成人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれ程な、の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいに片づけてよいか知らなかった。しかし下人に とっては、この雨の夜に、このる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざるわしが今、髪を抜いた女などはな、蛇をばかりずつに切って干したのを、だと云悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、 盗人になる気でいた事なぞは、うて、の陣へ売りにんだわ。にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた 事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、芥川龍之介 欠かさずに 買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。 せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わし------------------------------------------------------- のしていた 事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をする【テキスト中に現れる記号について】 じゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っ ていたこの女 は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」 老婆は、大《》:ルビ 体こんな意味の事を云った。 下人は、太刀をにおさめて、その太刀のを左の手(例)大殿様《おほとのさま》の でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬 に膿を持った大きなを 気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞,:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下(例)格別,御障《おさは》りが で、この男には欠けてい た勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上 って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気で,,,:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 ある。下人は、饑死をする か盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。 (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事(例)※,,「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24,々《るゐ,,》さえ出来ないほど、意識の外 に追い出されていた。「きっと、そうか。」 老婆と の話がると、下人はるような声で念を押した。そうして、?足前へ出ると、不意 に右の手をから離して、老婆のをつかみながら、噛みつくようにこう云った。「で,,:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) は、がをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」 下(例)夜な,,現はれる 人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする,濁点付きの二倍の踊り字は「,″,」 老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかり------------------------------------------------------- である。下人は、剥ぎとったの着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を 夜の底へかけ下りた。 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中か ? ら、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくよ うな、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の 堀川の大殿様《おほとのさま》のやうな方は、これまでは固《もと》より、後口まで、這って行った。そうして、そこから、短いをにして、門の下を覗きこんの世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕だ。外には、ただ、たる夜があるばかりである。 下人のは、誰も知らない。 生になる前には、大威徳明王《だいゐとくみやうおう》の御姿が御母君《おんは(大正四年九月) ゝぎみ》の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎《と》に角《か く》御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。で ございますから、あの方の為《な》さいました事には、?つとして私どもの意表 に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しまし ても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底《たうてい》私どもの凡 慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色 々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝《しくわうてい》や煬帝《やうだい》 地獄変 に比べるものもございますが、それは諺《ことわざ》に云ふ群盲《ぐんもう》の 象を撫《な》でるやうなものでもございませうか。あの方の御思召《おおぼしめございませう。その頃絵筆をとりましては、良秀の右に出るものは?人もあるまし》は、決してそのやうに御自分ばかり、栄耀栄華をなさらうと申すのではございと申された位、高名な絵師でございます。あの時の事がございました時には、いません。それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽し彼是もう五十の阪《さか》に、手がとゞいて居りましたらうか。見た所は唯、背むとでも申しさうな、大腹中《だいふくちう》の御器量がございました。 の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪さうな老人でございました。それが大 それでございますから、二条大宮の百鬼夜行《ひやつきやぎやう》に御遇ひに殿様の御邸へ参ります時には、よく?字染《ちやうじぞめ》の狩衣《かりぎぬ》なつても、格別,御障《おさは》りがなかつたのでございませう。又,陸奥《みに揉烏帽子《もみゑぼし》をかけて居りましたが、人がらは至つて卑しい方で、ちのく》の塩竈《しほがま》の景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、何故か年よりらしくもなく、唇の目立つて赤いのが、その上に又気味の悪い、如夜な,,現はれると云ふ噂のあつた融《とほる》の左大臣の霊でさへ、大殿様の何にも獣めいた心もちを起させたものでございます。中にはあれは画筆を舐《な》お叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でござめるので紅がつくのだなどゝ申した人も居りましたが、どう云ふものでございまいますから、その頃洛中の老若男女が、大殿様と申しますと、まるで権者《ごんせうか。尤もそれより口の悪い誰彼は、良秀の立居《たちゐ》振舞《ふるまひ》じや》の再来のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時ぞが猿のやうだとか申しまして、猿秀と云ふ諢名《あだな》までつけた事がございや、内の梅花の宴からの御帰りに御車の牛が放れて、折から通りかゝつた老人にました。 怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿様の牛にかけられた事 いや猿秀と申せば、かやうな御話もございます。その頃大殿様の御邸には、十を難有がつたと申す事でございます。 五になる良秀の?人娘が、小女房《こねうばう》に上つて居りましたが、これは さやうな次第でございますから、大殿様御?代の間には、後々までも語り草に又生みの親には似もつかない、愛嬌のある娘《こ》でございました。その上早くなりますやうな事が、随分沢山にございました。大饗《おほみうけ》の引出物に女親に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりはませた、悧巧な生れつきで、白馬《あをうま》ばかりを三十頭、賜《たまは》つたこともございますし、長良年の若いのにも似ず、何かとよく気がつくものでございますから、御台様《みだ《ながら》の橋の橋柱《はしばしら》に御寵愛の童《わらべ》を立てた事もございさま》を始め外の女房たちにも、可愛がられて居たやうでございます。 いますし、それから又,華陀《くわだ》の術を伝へた震旦《しんたん》の僧に、 すると何かの折に、丹波の国から人馴れた猿を?匹、献上したものがございま御腿《おんもゝ》の瘡《もがさ》を御切らせになつた事もございますし、――?して、それに?度,悪戯盛《いたづらさか》りの若殿様が、良秀と云ふ名を御つ々数へ立てゝ居りましては、とても際限がございません。が、その数多い御逸事けになりました。唯でさへその猿の容子が可笑《をか》しい所へ、かやうな名がの中でも、今では御家の重宝になつて居ります地獄変の屏風の由来程、恐ろしいついたのでございますから、御邸中誰?人笑はないものはございません。それも話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿様でさへ、あの時ばかり笑ふばかりならよろしうございますが、面白半分に皆のものが、やれ御庭の松には、流石《さすが》に御驚きになつたやうでございました。まして御側に仕へて上つたの、やれ曹司《ざうし》の畳をよごしたのと、その度毎に、良秀々々と呼ゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。び立てゝは、兎に角いぢめたがるのでございます。 中でもこの私なぞは、大殿様にも二十年来御奉公申して居りましたが、それでさ 所が或日の事、前に申しました良秀の娘が、御文を結んだ寒紅梅の枝を持つて、へ、あのやうな凄じい見物《みもの》に出遇つた事は、ついぞ又となかつた位で長い御廊下を通りかゝりますと、遠くの遣戸《やりど》の向うから、例の小猿のございます。 良秀が、大方足でも挫《くじ》いたのでございませう、何時ものやうに柱へ駆け しかし、その御話を致しますには、予め先づ、あの地獄変の屏風を描きました、上る元気もなく、跛《びつこ》を引き,,、?散に、逃げて参るのでございます。良秀《よしひで》と申す画師の事を申し上げて置く必要がございませう。 しかもその後からは楚《すばえ》をふり上げた若殿様が「柑子《かうじ》盗人《ぬ すびと》め、待て。待て。」と仰有《おつしや》りながら、追ひかけていらつし 二 やるのではございませんか。良秀の娘はこれを見ますと、ちよいとの間ためらつ たやうでございますが、?度その時逃げて来た猿が、袴の裾にすがりながら、哀 良秀と申しましたら、或は唯今でも猶、あの男の事を覚えていらつしやる方がれな声を出して啼き立てました――と、急に可哀さうだと思ふ心が、抑へ切れな くなつたのでございませう。片手に梅の枝をかざした儘、片手に紫匂《むらさき「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」 にほひ》の袿《うちぎ》の袖を軽さうにはらりと開きますと、やさしくその猿を かやうな御意で、娘はその時、紅《くれなゐ》の袙《あこめ》を御褒美に頂き抱き上げて、若殿様の御前に小腰をかゞめながら「恐れながら畜生でございます。ました。所がこの袙を又見やう見真似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿様どうか御勘弁遊ばしまし。」と、涼しい声で申し上げました。 の御機嫌は、?入《ひとしほ》よろしかつたさうでございます。でございますか が、若殿様の方は、気負《きお》つて駆けてお出でになつた所でございますから、大殿様が良秀の娘を御,贔屓《ひいき》になつたのは、全くこの猿を可愛がら、むづかしい御顔をなすつて、二三度御み足を御踏鳴《おふみなら》しになりつた、孝行恩愛の情を御賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、ながら、 色を御好みになつた訳ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、「何でかばふ。その猿は柑子盗人だぞ。」 無理のない所がございますが、それは又後になつて、ゆつくり御話し致しませう。「畜生でございますから、……」 こゝでは唯大殿様が、如何に美しいにした所で、絵師,風情《ふぜい》の娘など 娘はもう?度かう繰返しましたがやがて寂しさうにほほ笑みますと、 に、想ひを御懸けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうご「それに良秀と申しますと、父が御折檻《ごせつかん》を受けますやうで、どうざいます。 も唯見ては居られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これに さて良秀の娘は、面目を施して御前を下りましたが、元より悧巧な女でございは流石《さすが》の若殿様も、我《が》を御折りになつたのでございませう。 ますから、はしたない外の女房たちの妬《ねたみ》を受けるやうな事もございま「さうか。父親の命乞《いのちごひ》なら、枉《ま》げて赦《ゆる》してとらすせん。反つてそれ以来、猿と?しよに何かといとしがられまして、取分け御姫様としよう。」 の御側からは御離れ申した事がないと云つてもよろしい位、物見車の御供にもつ 不承無承にかう仰有ると、楚《すばえ》をそこへ御捨てになつて、元いらしついぞ欠けた事はございませんでした。 た遣戸の方へ、その儘御帰りになつてしまひました。 が、娘の事は?先づ措《お》きまして、これから又親の良秀の事を申し上げま せう。成程《なるほど》猿の方は、かやうに間もなく、皆のものに可愛がられる 三 やうになりましたが、肝腎《かんじん》の良秀はやはり誰にでも嫌はれて、相不 変《あひかはらず》陰へまはつては、猿秀,呼《よばは》りをされて居りました。 良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘しかもそれが又、御邸の中ばかりではございません。現に横川《よがは》の僧都は御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい真紅《しんく》の紐に下げて、それを様も、良秀と申しますと、魔障にでも御遇ひになつたやうに、顔の色を変へて、猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身の御憎み遊ばしました。(尤もこれは良秀が僧都様の御行状を戯画《ざれゑ》に描まはりを離れません。或時娘の風邪《かぜ》の心地で、床に就きました時なども、いたからだなどと申しますが、何分,下《しも》ざまの噂でございますから、確小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、気のせゐか心細さうな顔をしながら、に左様とは申されますまい。)兎に角、あの男の不評判は、どちらの方に伺ひま頻《しきり》に爪を噛んで居りました。 しても、さう云ふ調子ばかりでございます。もし悪く云はないものがあつたと致 かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはごしますと、それは二三人の絵師仲間か、或は又、あの男の絵を知つてゐるだけで、ざいません。いや、反《かへ》つてだん,,可愛がり始めて、しまひには若殿様あの男の人間は知らないものばかりでございませう。 でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足 しかし実際、良秀には、見た所が卑しかつたばかりでなく、もつと人に嫌がら蹴《あしげ》にした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後れる悪い癖があつたのでございますから、それも全く自業自得とでもなすより外 に、致し方はございません。 大殿様がわざ,,良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたの も、この若殿様の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。 その序《ついで》に自然と娘の猿を可愛がる所由《いはれ》も御耳にはいつたの 四 でございませう。 その癖と申しますのは、吝嗇《りんしよく》で、慳貪《けんどん》で、恥知らその絵に写されたゞけの人間は、三年と尽《た》たない中に、皆魂の抜けたやうずで、怠けもので、強慾で――いやその中でも取分け甚しいのは、横柄で高慢で、な病気になって、死んだと申すではございませんか。悪く云ふものに申させます何時も本朝第?の絵師と申す事を、鼻の先へぶら下げてゐる事でございませう。と、それが良秀の絵の邪道に落ちてゐる、何よりの証拠ださうでございます。 それも画道の上ばかりならまだしもでございますが、あの男の負け惜しみになり が、何分前にも申し上げました通り、横紙破りな男でございますから、それがますと、世間の習慣《ならはし》とか慣例《しきたり》とか申すやうなものまで、反つて良秀は大自慢で、何時ぞや大殿様が御冗談に、「その方は兎角醜いものがすべて莫迦《ばか》に致さずには置かないのでございます。これは永年良秀の弟好きと見える。」と仰有つた時も、あの年に似ず赤い唇でにやりと気味悪く笑ひ子になつてゐた男の話でございますが、或日さる方の御邸で名高い檜垣《ひがき》ながら、「さやうでござりまする。かいなでの絵師には総じて醜いものゝ美しさの巫女《みこ》に御霊《ごりやう》が憑《つ》いて、恐しい御託宣があつた時も、などと申す事は、わからう筈がございませぬ。」と、横柄に御答へ申し上げましあの男は空耳《そらみゝ》を走らせながら、有合せた筆と墨とで、その巫女の物た。如何に本朝第?の絵師に致せ、よくも大殿様の御前へ出て、そのやうな高言凄い顔を、?寧に写して居つたとか申しました。大方御霊の御祟《おたゝ》りも、が吐けたものでございます、先刻引合に出しました弟子が、内々師匠に「智羅永あの男の眼から見ましたなら、子供欺し位にしか思はれないのでございませう。 寿《ちらえいじゆ》」と云ふ諢名をつけて、増長慢を譏《そし》つて居りました さやうな男でございますから、吉祥天を描く時は、卑しい傀儡《くぐつ》の顔が、それも無理はございません。御承知でもございませうが、「智羅永寿」と申を写しましたり、不動明王を描く時は、無頼《ぶらい》の放免《はうめん》の姿しますのは、昔震旦から渡つて参りました天狗の名でございます。 を像《かたど》りましたり、いろ,,の勿体《もつたい》ない真似を致しました しかしこの良秀にさへ――この何とも云ひやうのない、横道者の良秀にさへ、が、それでも当人を詰《なじ》りますと「良秀の描《か》いた神仏が、その良秀たつた?つ人間らしい、情愛のある所がございました。 に冥罰《みやうばつ》を当てられるとは、異な事を聞くものぢや」と空嘯《そら うそぶ》いてゐるではございませんか。これには流石の弟子たちも呆れ返つて、 五 中には未来の恐ろしさに、匆々暇をとつたものも、少くなかつたやうに見うけま した。―― と申しますのは、良秀が、あの?人娘の小女房をまるで気違ひのやうに可愛が先づ?口に申しましたなら、慢業重畳《まんごふちようでふ》とでも 名づけませうか。兎に角当時,天《あめ》が下《した》で、自分程の偉い人間はつてゐた事でございます。先刻申し上げました通り、娘も至つて気のやさしい、 親思ひの女でございましたが、あの男の子煩悩《こぼんなう》は、決してそれにないと思つてゐた男でございます。 従つて良秀がどの位画道でも、高く止つて居りましたかは、申し上げるまでもも劣りますまい。何しろ娘の着る物とか、髪飾とかの事と申しますと、どこの御ございますまい。尤もその絵でさへ、あの男のは筆使ひでも彩色でも、まるで外寺の勧進にも喜捨をした事のないあの男が、金銭には更に惜し気もなく、整へて やると云ふのでございますから、嘘のやうな気が致すではございませんか。 の絵師とは違つて居りましたから、仲の悪い絵師仲間では、山師だなどと申す評 判も、大分あつたやうでございます。その連中の申しますには、川成《かはなり》 が、良秀の娘を可愛がるのは、唯可愛がるだけで、やがてよい聟をとらうなどとか金岡《かなをか》とか、その外昔の名匠の筆になつた物と申しますと、やれと申す事は、夢にも考へて居りません。それ所か、あの娘へ悪く云ひ寄るもので板戸の梅の花が、月の夜毎に匂つたの、やれ屏風の大宮人《おほみやびと》が、もございましたら、反つて辻冠者《つじくわんじや》ばらでも駆り集めて、暗打笛を吹く音さへ聞えたのと、優美な噂が立つてゐるものでございますが、良秀の《やみうち》位は喰はせ兼ねない量見でございます。でございますから、あの娘 が大殿様の御声がゝりで、小女房に上りました時も、老爺《おやぢ》の方は大不絵になりますと、何時でも必ず気味の悪い、妙な評判だけしか伝はりません。譬 《たと》へばあの男が龍蓋寺《りゆうがいじ》の門へ描きました、五趣生死《ご服で、当座の間は御前へ出ても、苦り切つてばかり居りました。大殿様が娘の美 しいのに御心を惹かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申しゆしやうじ》の絵に致しましても、夜更《よふ》けて門の下を通りますと、天 す噂は、大方かやうな容子を見たものゝ当推量《あてずゐりやう》から出たので人の嘆息《ためいき》をつく音や啜り泣きをする声が、聞えたと申す事でござい ます。いや、中には死人の腐つて行く臭気を、嗅いだと申すものさへございましございませう。 尤も其噂は嘘でございましても、子煩悩の?心から、良秀が始終娘の下るやうた。それから大殿様の御云ひつけで描いた、女房たちの似絵《にせゑ》なども、 に祈つて居りましたのは確でございます。或時大殿様の御云ひつけで、稚児文殊眼の前へ浮んで来るやうな気が致します。 《ちごもんじゆ》を描きました時も、御寵愛の童《わらべ》の顔を写しまして、 同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、外の絵師のに比べますと、見事な出来でございましたから、大殿様も至極御満足で、 第?図取りから似て居りません。それは?帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め「褒美には望みの物を取らせるぞ。遠慮なく望め。」と云ふ難有い御言《おこと眷属《けんぞく》たちの姿を描いて、あとは?面に紅蓮《ぐれん》大紅蓮《だいば》が下りました。すると良秀は畏まつて、何を申すかと思ひますと、 ぐれん》の猛火が剣山刀樹も爛《たゞ》れるかと思ふ程渦を巻いて居りました。「何卒私の娘をば御下げ下さいまするやうに。」と臆面もなく申し上げました。でございますから、唐《から》めいた冥官《めうくわん》たちの衣裳が、点々と外のお邸ならば兎も角も、堀河の大殿様の御側に仕へてゐるのを、如何に可愛い黄や藍を綴つて居ります外は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまからと申しまして、かやうに無躾《ぶしつけ》に御暇を願ひますものが、どこのるで卍のやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞ひ狂つて居る国に居りませう。これには大腹中の大殿様も聊《いさゝ》か御機嫌を損じたと見のでございます。 えまして、暫くは唯、黙つて良秀の顔を眺めて御居でになりましたが、やがて、 こればかりでも、随分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火「それはならぬ。」と吐出《はきだ》すやうに仰有ると、急にその儘御立になつ《ごふくわ》に焼かれて、転々と苦しんで居ります罪人も、殆ど?人として通例てしまひました。かやうな事が、前後四五遍もございましたらうか。今になつての地獄絵にあるものはございません。何故《なぜ》かと申しますと良秀は、この考へて見ますと、大殿様の良秀を御覧になる眼は、その都度にだんだんと冷やか多くの罪人の中に、上は月卿雲客《げつけいうんかく》から下は乞食非人まで、になつていらしつたやうでございます。すると又、それにつけても、娘の方は父あらゆる身分の人間を写して来たからでございます。束帯のいかめしい殿上人親の身が案じられるせゐでゞもございますか、曹司へ下つてゐる時などは、よく《てんじやうびと》、五つ衣《ぎぬ》のなまめかしい青女房、珠数をかけた念仏袿《うちぎ》の袖を噛んで、しく,,泣いて居りました。そこで大殿様が良秀の僧、高足駄を穿いた侍学生《さむらひがくしやう》、細長《ほそなが》を着た女娘に懸想《けさう》なすつたなどと申す噂が、愈々拡がるやうになつたのでござ《め》の童《わらは》、幣《みてぐら》をかざした陰陽師《おんみやうじ》――いませう。中には地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の御意に従はなかつた?々数へ立てゝ居りましたら、とても際限はございますまい。兎に角さう云ふいからだなどと申すものも居りますが、元よりさやうな事がある筈はございませろ,,の人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭《ごづ》馬頭《めづ》の獄卒に虐ん。 《さいな》まれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、紛々と四方八方へ逃げ 私どもの眼から見ますと、大殿様が良秀の娘を御下げにならなかつたのは、全迷つてゐるのでございます。鋼叉《さすまた》に髪をからまれて、蜘蛛よりも手く娘の身の上を哀れに思召したからで、あのやうに頑《かたくな》な親の側へや足を縮めてゐる女は、神巫《かんなぎ》の類《たぐひ》でゞもございませうか。るよりは御邸に置いて、何の不自由なく暮させてやらうと云ふ難有い御考へだつ手矛《てほこ》に胸を刺し通されて、蝙蝠《かはほり》のやうに逆になつた男は、たやうでございます。それは元より気立ての優しいあの娘を、御贔屓になつたの生受領《なまずりやう》か何かに相違ございますまい。その外或は鉄《くろがね》には間違ひございません。が、色を御好みになつたと申しますのは、恐らく牽強の笞《しもと》に打たれるもの、或は千曳《ちびき》の磐石《ばんじやく》に押附会《けんきやうふくわい》の説でございませう。いや、跡方もない嘘と申したされるもの、或は怪鳥《けてう》の嘴《くちばし》にかけられるもの、或は又毒方が、宜しい位でございます。 龍の顎《あぎと》に噛まれるもの――、呵責《かしやく》も亦罪人の数に応じて、 それは兎も角もと致しまして、かやうに娘の事から良秀の御覚えが大分悪くな幾通りあるかわかりません。 つて来た時でございます。どう思召したか、大殿様は突然良秀を御召になつて、 が、その中でも殊に?つ目立つて凄《すさま》じく見えるのは、まるで獣《け地獄変の屏風を描くやうにと、御云ひつけなさいました。 もの》の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者 が※,,「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24,々《るゐ,,》と、 六 五体を貫《つらぬ》かれて居りましたが)中空《なかぞら》から落ちて来る?輛 の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾《すだれ》の中 地獄変の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色が、ありありとには、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅《きら》びやかに装つた女房が、丈の 黒髪を炎の中になびかせて、白い頸《うなじ》を反《そ》らせながら、悶え苦しの屏風を描かなくとも、仕事にかゝつてゐる時とさへ申しますと、何時でもやりんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何?つ兼ねない男なのでございます。いや、現に龍蓋寺《りゆうがいじ》の五趣生死《ごとして炎熱地獄の責苦を偲《しの》ばせないものはございません。云はゞ広い画しゆしやうじ》の図を描きました時などは、当り前の人間なら、わざと眼を外《そ》面の恐ろしさが、この?人の人物に輳《あつま》つてゐるとでも申しませうか。らせて行くあの往来の屍骸の前へ、悠々と腰を下して、半ば腐れかかつた顔や手これを見るものゝ耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝はつて来るかと疑ふ足を、髪の毛?すぢも違へずに、写して参つた事がございました。では、その甚程、入神の出来映えでございました。 しい夢中になり方とは、?体どう云ふ事を申すのか、流石に御わかりにならない あゝ、これでございます、これを描く為めに、あの恐ろしい出来事が起つたの方もいらつしやいませう。それは唯今詳しい事は申し上げてゐる暇もございませでございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々と奈落のんが、主な話を御耳に入れますと、大体,先《まづ》かやうな次第なのでござい苦艱《くげん》が画かれませう。あの男はこの屏風の絵を仕上げた代りに、命さます。 へも捨てるやうな、無惨な目に出遇ひました。云はゞこの絵の地獄は、本朝第? 良秀の弟子の?人が(これもやはり、前に申した男でございますが)或日絵のの絵師良秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつたのでございます。…… 具を溶いて居りますと、急に師匠が参りまして、 私はあの珍しい地獄変の屏風の事を申上げますのを急いだあまりに、或は御話「己は少し午睡《ひるね》をしようと思ふ。がどうもこの頃は夢見が悪い。」との順序を顛倒致したかも知れません。が、これからは又引き続いて、大殿様からかう申すのでございます。別にこれは珍しい事でも何でもございませんから、弟地獄絵を描けと申す仰せを受けた良秀の事に移りませう。 子は手を休めずに、唯、 「さやうでございますか。」と?通りの挨拶を致しました。所が、良秀は、何時 七 になく寂しさうな顔をして、 「就いては、己が午睡をしてゐる間中、枕もとに坐つてゐて貰ひたいのだが。」 良秀はそれから五六箇月の間、まるで御邸へも伺はないで、屏風の絵にばかりと、遠慮がましく頼むではございませんか。弟子は何時になく、師匠が夢なぞをかゝつて居りました。あれ程の子煩悩がいざ絵を描くと云ふ段になりますと、娘気にするのは、不思議だと思ひましたが、それも別に造作のない事でございますの顔を見る気もなくなると申すのでございますから、不思議なものではございまから、 せんか。先刻申し上げました弟子の話では、何でもあの男は仕事にとりかゝりま「よろしうございます。」と申しますと、師匠はまだ心配さうに、 すと、まるで狐でも憑《つ》いたやうになるらしうございます。いや実際当時の「では直に奥へ来てくれ。尤も後で外の弟子が来ても、己の睡つてゐる所へは入風評に、良秀が画道で名を成したのは、福徳の大神《おほかみ》に祈誓《きせい》れないやうに。」と、ためらひながら云ひつけました。奥と申しますのは、あのをかけたからで、その証拠にはあの男が絵を描いてゐる所を、そつと物陰《もの男が画を描きます部屋で、その日も夜のやうに戸を立て切つた中に、ぼんやりとかげ》から覗いて見ると、必ず陰々として霊狐の姿が、?匹ならず前後左右に、灯をともしながら、まだ焼筆《やきふで》で図取りだけしか出来てゐない屏風が、群つてゐるのが見えるなどと申す者もございました。その位でございますから、ぐるりと立て廻してあつたさうでございます。さてこゝへ参りますと、良秀は肘いざ画筆を取るとなると、その絵を描き上げると云ふより外は、何も彼も忘れてを枕にして、まるで疲れ切つた人間のやうに、すや,,、睡入つてしまひましたしまふのでございませう。昼も夜も?間に閉ぢこもつたきりで、滅多に日の目もが、ものゝ半時とたちません中に、枕もとに居ります弟子の耳には、何とも彼と見た事はございません。――も申しやうのない、気味の悪い声がはいり始めました。 殊に地獄変の屏風を描いた時には、かう云ふ夢中に なり方が、甚しかつたやうでございます。 八 と申しますのは何もあの男が、昼も蔀《しとみ》も下《おろ》した部屋の中で、 結燈台《ゆひとうだい》の火の下に、秘密の絵の具を合せたり、或は弟子たちを、 水干やら狩衣やら、さま,″,に着飾らせて、その姿を、?人づゝ?寧に写した それが始めは唯、声でございましたが、暫くしますと、次第に切れ,″,な語 《ことば》になつて、云はゞ溺れかゝつた人間が水の中で呻《うな》るやうに、り、――さう云ふ事ではございません。それ位の変つた事なら、別にあの地獄変 かやうな事を申すのでございます。 で、絵筆を噛んで居りましたが、いきなり弟子の方へ向き直つて、 「なに、己に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと, 奈落へ来い。「御苦労だが、又裸になつて貰はうか。」と申すのでございます。これはその時炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたまでにも、どうかすると師匠が云ひつけた事でございますから、弟子は早速衣類ら」 をぬぎすてて、赤裸《あかはだか》になりますと、あの男は妙に顔をしかめなが 弟子は思はず絵の具を溶く手をやめて、恐る,,師匠の顔を、覗くやうにしてら、 透して見ますと、皺だらけな顔が白くなつた上に大粒《おほつぶ》な汗を滲《に「わしは鎖《くさり》で縛られた人間が見たいと思ふのだが、気の毒でも暫くのじ》ませながら、唇の干《かわ》いた、歯の疎《まばら》な口を喘《あへ》ぐや間、わしのする通りになつてゐてはくれまいか。」と、その癖少しも気の毒らしうに大きく開けて居ります。さうしてその口の中で、何か糸でもつけて引張つてい容子などは見せずに、冷然とかう申しました。元来この弟子は画筆などを握るゐるかと疑ふ程、目まぐるしく動くものがあると思ひますと、それがあの男の舌よりも、太刀でも持つた方が好ささうな、逞しい若者でございましたが、これにだつたと申すではございませんか。切れ切れな語は元より、その舌から出て来るは流石に驚いたと見えて、後々までもその時の話を致しますと、「これは師匠がのでございます。 気が違つて、私を殺すのではないかと思ひました」と繰返して申したさうでござ「誰だと思つたら――うん、貴様だな。己も貴様だらうと思つてゐた。なに、迎います。が、良秀の方では、相手の愚図々々してゐるのが、燥《じれ》つたくなへに来たと, だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には己の娘が待つてつて参つたのでございませう。どこから出したか、細い鉄の鎖をざら,,と手繰ゐる。」 《たぐ》りながら、殆ど飛びつくやうな勢ひで、弟子の背中へ乗りかかりますと、 その時、弟子の眼には、朦朧とした異形《いぎやう》の影が、屏風の面《おも否応なしにその儘両腕を捻ぢあげて、ぐる,,巻きに致してしまひました。さうて》をかすめてむらむらと下りて来るやうに見えた程、気味の悪い心もちが致しして又その鎖の端を邪慳《じやけん》にぐいと引きましたからたまりません。弟たさうでございます。勿論弟子はすぐに良秀に手をかけて、力のあらん限り揺り子の体ははづみを食つて、勢よく床《ゆか》を鳴らしながら、ごろりとそこへ横起しましたが、師匠は猶,夢現《ゆめうつゝ》に独《ひと》り語《ごと》を云ひ倒しに倒れてしまつたのでございます。 つゞけて、容易に眼のさめる気色はございません。そこで弟子は思ひ切つて、側 にあつた筆洗の水を、ざぶりとあの男の顔へ浴びせかけました。 九 「待つてゐるから、この車へ乗つて来い――この車へ乗つて、奈落へ来い――」 と云ふ語がそれと同時に、喉《のど》をしめられるやうな呻き声に変つたと思ひ その時の弟子の恰好《かつかう》は、まるで酒甕を転がしたやうだとでも申しますと、やつと良秀は眼を開いて、針で刺されたよりも慌しく、矢庭にそこへ刎ませうか。何しろ手も足も惨《むご》たらしく折り曲げられて居りますから、動《は》ね起きましたが、まだ夢の中の異類《いるゐ》異形《いぎやう》が、※,,くのは唯首ばかりでございます。そこへ肥つた体中の血が、鎖に循環《めぐり》「目,匡」、第3水準1-88-81,《まぶた》の後を去らないのでございませう。暫を止められたので、顔と云はず胴と云はず、?面に皮膚の色が赤み走つて参るでくは唯恐ろしさうな眼つきをして、やはり大きく口を開きながら、空を見つめてはございませんか。が、良秀にはそれも格別気にならないと見えまして、その酒居りましたが、やがて我に返つた容子で、 甕のやうな体のまはりを、あちこちと廻つて眺めながら、同じやうな写真の図を「もう好いから、あちらへ行つてくれ」と、今度は如何にも素《そ》つ気《け》何枚となく描いて居ります。その間、縛られてゐる弟子の身が、どの位苦しかつ たかと云ふ事は、何もわざ,,取り立てゝ申し上げるまでもございますまい。 なく、云ひつけるのでございます。弟子はかう云ふ時に逆ふと、何時でも大小言 《おほこごと》を云はれるので、匆々師匠の部屋から出て参りましたが、まだ明 が、もし何事も起らなかつたと致しましたら、この苦しみは恐らくまだその上 にも、つゞけられた事でございませう。幸(と申しますより、或は不幸にと申しい外の日の光を見た時には、まるで自分が悪夢から覚めた様な、ほつとした気が た方がよろしいかも知れません。)暫く致しますと、部屋の隅にある壺の蔭から、致したとか申して居りました。 しかしこれなぞはまだよい方なので、その後?月ばかりたつてから、今度は又まるで黒い油のやうなものが、?すぢ細くうねりながら、流れ出して参りました。 それが始の中は余程粘り気のあるものゝやうに、ゆつくり動いて居りましたが、別の弟子が、わざわざ奥へ呼ばれますと、良秀はやはりうす暗い油火の光りの中 だん,,滑らかに、辷《すべ》り始めて、やがてちら,,光りながら、鼻の先まいますから、或時は机の上に髑髏《されかうべ》がのつてゐたり、或時は又、銀で流れ着いたのを眺めますと、弟子は思はず、息を引いて、 《しろがね》の椀や蒔絵の高坏《たかつき》が並んでゐたり、その時描いてゐる「蛇が――蛇が。」と喚《わめ》きました。その時は全く体中の血が?時に凍る画次第で、随分思ひもよらない物が出て居りました。が、ふだんはかやうな品を、かと思つたと申しますが、それも無理はございません。蛇は実際もう少しで、鎖?体どこにしまつて置くのか、それは又誰にもわからなかつたさうでございまの食ひこんでゐる、頸の肉へその冷い舌の先を触れようとしてゐたのでございます。あの男が福徳の大神の冥助を受けてゐるなどゝ申す噂も、?つは確にさう云す。この思ひもよらない出来事には、いくら横道な良秀でも、ぎよつと致したのふ事が起りになつてゐたのでございませう。 でございませう。慌てて画筆を投げ棄てながら、咄嗟に身をかがめたと思ふと、 そこで弟子は、机の上のその異様な鳥も、やはり地獄変の屏風を描くのに入用素早く蛇の尾をつかまへて、ぶらりと逆に吊り下げました。蛇は吊り下げられななのに違ひないと、かう独り考へながら、師匠の前へ畏《かしこ》まつて、「何がらも、頭を上げて、きり,,と自分の体へ巻つきましたが、どうしてもあの男か御用でございますか」と、恭々しく申しますと、良秀はまるでそれが聞えないの手の所まではとどきません。 やうに、あの赤い唇へ舌なめずりをして、 「おのれ故に、あつたら?筆《ひとふで》を仕損《しそん》じたぞ。」 「どうだ。よく馴れてゐるではないか。」と、鳥の方へ頤《あご》をやります。 良秀は忌々しさうにかう呟くと、蛇はその儘部屋の隅の壺の中へ抛りこんで、「これは何と云ふものでございませう。私はついぞまだ、見た事がございませんそれからさも不承無承《ふしようぶしよう》に、弟子の体へかゝつてゐる鎖を解が。」 いてくれました。それも唯解いてくれたと云ふ丈で、肝腎の弟子の方へは、優し 弟子はかう申しながら、この耳のある、猫のやうな鳥を、気味悪さうにじろじい言葉?つかけてはやりません。大方弟子が蛇に噛まれるよりも、写真の?筆をろ眺めますと、良秀は不相変《あひかはらず》何時もの嘲笑《あざわら》ふやう誤つたのが、業腹《ごふはら》だつたのでございませう。――後で聞きますと、な調子で、 この蛇もやはり姿を写す為にわざ,,あの男が飼つてゐたのださうでございま「なに、見た事がない, 都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍す。 馬の猟師がわしにくれた耳木兎《みゝづく》と云ふ鳥だ。唯、こんなに馴れてゐ これだけの事を御聞きになつたのでも、良秀の気違ひじみた、薄気味の悪い夢るのは、沢山あるまい。」 中になり方が、略《ほゞ》御わかりになつた事でございませう。所が最後に?つ、 かう云ひながらあの男は、徐《おもむろ》に手をあげて、?度餌を食べてしま今度はまだ十三四の弟子が、やはり地獄変の屏風の御かげで、云はゞ命にも関《かつた耳木兎の背中の毛を、そつと下から撫で上げました。するとその途端でござゝ》はり兼《か》ねない、恐ろしい目に出遇ひました。その弟子は生れつき色のいます。鳥は急に鋭い声で、短く?声啼いたと思ふと、忽ち机の上から飛び上つ白い女のやうな男でございましたが、或夜の事、何気なく師匠の部屋へ呼ばれてて、両脚の爪を張りながら、いきなり弟子の顔へとびかゝりました。もしその時、参りますと、良秀は燈台の火の下で掌《てのひら》に何やら腥《なまぐさ》い肉弟子が袖をかざして、慌てゝ顔を隠さなかつたなら、きつともう疵《きず》の?をのせながら、見慣れない?羽の鳥を養つてゐるのでございます。大きさは先《まつや二つは負はされて居りましたらう。あつと云ひながら、その袖を振つて、逐づ》、世の常の猫ほどもございませうか。さう云へば、耳のやうに両方へつき出ひ払はうとする所を、耳木兎は蓋《かさ》にかかつて、嘴を鳴らしながら、又? ――弟子は師匠の前も忘れて、立つては防ぎ、坐つては逐ひ、思はず狭い部た羽毛と云ひ、琥珀《こはく》のやうな色をした、大きな円い眼《まなこ》と云突き ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。 屋の中を、あちらこちらと逃げ惑ひました。怪鳥《けてう》も元よりそれにつれ て、高く低く翔《かけ》りながら、隙さへあれば驀地《まつしぐら》に眼を目が 十 けて飛んで来ます。その度にばさ,,と、凄じく翼を鳴すのが、落葉の匂だか、 滝の水沫《しぶき》とも或は又猿酒の饐《す》ゑたいきれだか何やら怪しげなも 元来良秀と云ふ男は、何でも自分のしてゐる事に嘴《くちばし》を入れられるのゝけはひを誘つて、気味の悪さと云つたらございません。さう云へばその弟子のが大嫌ひで、先刻申し上げた蛇などもさうでございますが、自分の部屋の中にも、うす暗い油火の光さへ朧《おぼろ》げな月明りかと思はれて、師匠の部屋が何があるか、?切さう云ふ事は弟子たちにも知らせた事がございません。でござその儘遠い山奥の、妖気に閉された谷のやうな、心細い気がしたとか申したさう でございます。 匠に黙礼をして、こそ,,部屋へ引き下つてしまひました。蛇と耳木兎とがその しかし弟子が恐しかつたのは、何も耳木兎に襲はれると云ふ、その事ばかりで後どうなつたか、それは誰も知つてゐるものはございません。―― はございません。いや、それよりも?層身の毛がよだつたのは、師匠の良秀がそ かう云ふ類《たぐひ》の事は、その外まだ、幾つとなくございました。前にはの騒ぎを冷然と眺めながら、徐に紙を展《の》べ筆を舐《ねぶ》つて、女のやう申し落しましたが、地獄変の屏風を描けと云ふ御沙汰があつたのは、秋の初でごな少年が異形な鳥に虐《さいな》まれる、物凄い有様を写してゐた事でございまざいますから、それ以来冬の末まで、良秀の弟子たちは、絶えず師匠の怪しげなす。弟子は?目それを見ますと、忽ち云ひやうのない恐ろしさに脅《おびや》か振舞に脅《おびや》かされてゐた訳でございます。が、その冬の末に良秀は何かされて、実際?時は師匠の為に、殺されるのではないかとさへ、思つたと申して屏風の画で、自由にならない事が出来たのでございませう、それまでよりは、?居りました。 層容子も陰気になり、物云ひも目に見えて、荒々しくなつて参りました。と同時 に又屏風の画も、下画が八分通り出来上つた儘、更に捗《はか》どる模様はござ 十? いません。いや、どうかすると今までに描いた所さへ、塗り消してもしまひ兼ね ない気色なのでございます。 実際師匠に殺されると云ふ事も、全くないとは申されません。現にその晩わざ その癖、屏風の何が自由にならないのだか、それは誰にもわかりません。又、わざ弟子を呼びよせたのでさへ、実は耳木兎を唆《けし》かけて、弟子の逃げま誰もわからうとしたものもございますまい。前のいろ,,な出来事に懲りてゐる 弟子たちは、まるで虎狼と?つ檻《をり》にでもゐるやうな心もちで、その後師はる有様を写さうと云ふ魂胆らしかつたのでございます。でございますから、弟 子は、師匠の容子を?目見るが早いか、思はず両袖に頭を隠しながら、自分にも匠の身のまはりへは、成る可く近づかない算段をして居りましたから。 何と云つたかわからないやうな悲鳴をあげて、その儘部屋の隅の遣戸《やりど》 の裾へ、居すくまつてしまひました。とその拍子に、良秀も何やら慌てたやうな 十二 声をあげて、立上つた気色でございましたが、忽ち耳木兎の羽音が?層前よりも 従つてその間の事に就いては、別に取り立てゝ申し上げる程の御話もございまはげしくなつて、物の倒れる音や破れる音が、けたゝましく聞えるではございま せんか。これには弟子も二度、度を失つて、思はず隠してゐた頭を上げて見ますせん。もし強ひて申し上げると致しましたら、それはあの強情な老爺《おやぢ》 が、何故《なぜ》か妙に涙,脆《もろ》くなつて、人のゐない所では時々独りでと、部屋の中は何時かまつ暗になつてゐて、師匠の弟子たちを呼び立てる声が、 その中で苛立しさうにして居ります。 泣いてゐたと云ふ御話位なものでございませう。殊に或日、何かの用で弟子の? やがて弟子の?人が、遠くの方で返事をして、それから灯をかざしながら、急人が、庭先へ参りました時なぞは廊下に立つてぼんやり春の近い空を眺めてゐる 師匠の眼が、涙で?ぱいになつてゐたさうでございます。弟子はそれを見ますと、いでやつて参りましたが、その煤臭《すゝくさ》い明《あか》りで眺めますと、 結燈台《ゆひとうだい》が倒れたので、床も畳も?面に油だらけになつた所へ、反つてこちらが恥しいやうな気がしたので、黙つてこそ,,引き返したと申す事 でございますが、五趣生死《ごしゆしやうじ》の図を描く為には、道ばたの屍骸さつきの耳木兎が片方の翼ばかり、苦しさうにはためかしながら、転げまはつて さへ写したと云ふ、傲慢なあの男が、屏風の画が思ふやうに描けない位の事で、ゐるのでございます。良秀は机の向うで半ば体を起した儘、流石に呆気《あつけ》 にとられたやうな顔をして、何やら人にはわからない事を、ぶつ,,呟いて居り子供らしく泣き出すなどと申すのは、随分異なものでございませんか。 所が?方良秀がこのやうに、まるで正気の人間とは思はれない程夢中になつました。――それも無理ではございません。あの耳木兎の体には、まつ黒な蛇が ?匹、頸から片方の翼へかけて、きりきりと捲きついてゐるのでございます。大て、屏風の絵を描いて居ります中に、又?方ではあの娘が、何故かだん,,気鬱方これは弟子が居すくまる拍子に、そこにあつた壺をひつくり返して、その中のになつて、私どもにさへ涙を堪へてゐる容子が、眼に立つて参りました。それが蛇が這ひ出したのを、耳木兎がなまじひに掴みかゝらうとしたばかりに、とう,元来,愁顔《うれひがほ》の、色の白い、つゝましやかな女だけに、かうなると,かう云ふ大騒ぎが始まつたのでございませう。二人の弟子は互に眼と眼とを見何だか睫毛《まつげ》が重くなつて、眼のまはりに隈《くま》がかゝつたやうな、合せて、暫くは唯、この不思議な光景をぼんやり眺めて居りましたが、やがて師余計寂しい気が致すのでございます。初はやれ父思ひのせゐだの、やれ恋煩ひを してゐるからだの、いろ,,臆測を致したものがございますが、中頃から、なにい奥の方へ跳りこまうと致しました。が、その時私の眼を遮《さへぎ》つたものあれは大殿様が御意に従はせようとしていらつしやるのだと云ふ評判が立ち始は――いや、それよりももつと私は、同時にその部屋の中から、弾かれたやうにめて、夫《それ》からは誰も忘れた様に、ぱつたりあの娘の噂をしなくなつて了駈け出さうとした女の方に驚かされました。女は出合頭に危く私に衝き当らうとひました。 して、その儘外へ転び出ましたが、何故《なぜ》かそこへ膝をついて、息を切ら ?度その頃の事でございませう。或夜、更《かう》が闌《た》けてから、私がしながら私の顔を、何か恐ろしいものでも見るやうに、戦《をのゝ》き,,見上独り御廊下を通りかゝりますと、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んで参りげてゐるのでございます。 まして、私の袴の裾を頻りにひつぱるのでございます、確、もう梅の匂でも致し それが良秀の娘だつたことは、何もわざ,,申し上げるまでもございますまさうな、うすい月の光のさしてゐる、暖い夜でございましたが、其明りですかしい。が、その晩のあの女は、まるで人間が違つたやうに、生々《いき,,》と私て見ますと、猿はまつ白な歯をむき出しながら、鼻の先へ皺をよせて、気が違はの眼に映りました。眼は大きくかゞやいて居ります。頬も赤く燃えて居りましたないばかりにけたゝましく啼き立てゝゐるではございませんか。私は気味の悪いらう。そこへしどけなく乱れた袴や袿《うちぎ》が、何時もの幼さとは打つて変のが三分と、新しい袴をひつぱられる腹立たしさが七分とで、最初は猿を蹴放しつた艶《なまめか》しささへも添へてをります。これが実際あの弱々しい、何事て、その儘通りすぎようかとも思ひましたが、又思ひ返して見ますと、前にこのにも控へ目勝な良秀の娘でございませうか。――私は遣り戸に身を支へて、この猿を折檻して、若殿様の御不興を受けた侍《さむらひ》の例もございます。それ月明りの中にゐる美しい娘の姿を眺めながら、慌しく遠のいて行くもう?人の足に猿の振舞が、どうも唯事とは思はれません。そこでとう,,私も思ひ切つて、音を、指させるものゝやうに指さして、誰ですと静に眼で尋ねました。 そのひつぱる方へ五六間歩くともなく歩いて参りました。 すると娘は唇を噛みながら、黙つて首をふりました。その容子が如何にも亦、 すると御廊下が?曲り曲つて、夜目にもうす白い御池の水が枝ぶりのやさしい口惜《くや》しさうなのでございます。 松の向うにひろ,″,と見渡せる、?度そこ迄参つた時の事でございます。どこ そこで私は身をかゞめながら、娘の耳へ口をつけるやうにして、今度は「誰でか近くの部屋の中で人の争つてゐるらしいけはひが、慌《あわたゞ》しく、又妙す」と小声で尋ねました。が、娘はやはり首を振つたばかりで、何とも返事を致にひつそりと私の耳を脅しました。あたりはどこも森《しん》と静まり返つて、しません。いや、それと同時に長い睫毛《まつげ》の先へ、涙を?ぱいためなが月明りとも靄《もや》ともつかないものゝ中で、魚の跳る音がする外は、話し声ら、前よりも緊《かた》く唇を噛みしめてゐるのでございます。 ?つ聞えません。そこへこの物音でございますから。私は思はず立止つて、もし 性得《しやうとく》愚《おろか》な私には、分りすぎてゐる程分つてゐる事の狼藉者《らうぜきもの》でゞもあつたなら、目にもの見せてくれようと、そつと外は、生憎《あいにく》何?つ呑みこめません。でございますから、私は言《こその遣戸の外へ、息をひそめながら身をよせました。 とば》のかけやうも知らないで、暫くは唯、娘の胸の動悸に耳を澄ませるやうな 心もちで、ぢつとそこに立ちすくんで居りました。尤もこれは?つには、何故か 十三 この上問ひ訊《たゞ》すのが悪いやうな、気咎めが致したからでもございま す。―― 所が猿は私のやり方がまだるかつたのでございませう。良秀はさもさももどか それがどの位続いたか、わかりません。が、やがて明け放した遣り戸を閉しなしさうに、二三度私の足のまはりを駈けまはつたと思ひますと、まるで咽《のど》がら少しは上気の褪《さ》めたらしい娘の方を見返つて、「もう曹司へ御帰りなを絞められたやうな声で啼きながら、いきなり私の肩のあたりへ?足飛に飛び上さい」と出来る丈やさしく申しました。さうして私も自分ながら、何か見てはなりました。私は思はず頸《うなじ》を反らせて、その爪にかけられまいとする、らないものを見たやうな、不安な心もちに脅されて、誰にともなく恥しい思ひを猿は又,水干《すゐかん》の袖にかじりついて、私の体から辷《すべ》り落ちましながら、そつと元来た方へ歩き出しました。所が十歩と歩かない中に、誰か又いとする、――その拍子に、私はわれ知らず二足三足よろめいて、その遣り戸へ私の袴の裾を、後から恐る,,、引き止めるではございませんか。私は驚いて、後ざまに、したゝか私の体を打ちつけました。かうなつてはもう?刻も躊躇して振り向きました。あなた方はそれが何だつたと思召します, ゐる場合ではございません。私は矢庭に遣り戸を開け放して、月明りのとどかな 見るとそれは私の足もとにあの猿の良秀が、人間のやうに両手をついて、黄金 の鈴を鳴しながら、何度となく?寧に頭を下げてゐるのでございました。 れば罪人の呵責《かしやく》に苦しむ様も知らぬと申されませぬ。又獄卒は――」 と云つて、良秀は気味の悪い苦笑を洩しながら、「又獄卒は、夢現《ゆめうつゝ》 十四 に何度となく、私の眼に映りました。或は牛頭《ごづ》、或は馬頭《めづ》、或は 三面六臂《さんめんろつぴ》の鬼の形が、音のせぬ手を拍き、声の出ぬ口を開い するとその晩の出来事があつてから、半月ばかり後の事でございます。或日良て、私を虐《さいな》みに参りますのは、殆ど毎日毎夜のことと申してもよろし秀は突然御邸へ参りまして、大殿様へ直《ぢき》の御眼通りを願ひました。卑しうございませう。――私の描かうとして描けぬのは、そのやうなものではございい身分のものでございますが、日頃から格別御意に入つてゐたからでございませませぬ。」 う。誰にでも容易に御会ひになつた事のない大殿様が、その日も快く御承知にな それには大殿様も、流石に御驚きになつたでございませう。暫くは唯,苛立《いつて、早速御前近くへ御召しになりました。あの男は例の通り、香染めの狩衣にらだ》たしさうに、良秀の顔を睨めて御出になりましたが、やがて眉を険しく御萎《な》えた烏帽子を頂いて、何時もよりは?層気むづかしさうな顔をしながら、動かしになりながら、 恭しく御前へ平伏致しましたが、やがて嗄《しはが》れた声で申しますには 「では何が描けぬと申すのぢや。」と打捨るやうに仰有いました。 「兼ね,″,御云ひつけになりました地獄変の屏風でございますが、私も日夜に 丹誠を抽《ぬき》んでて、筆を執りました甲斐が見えまして、もはやあらましは 十五 出来上つたのも同前でございまする。」 「それは目出度い。予も満足ぢや。」 「私は屏風の唯中に、檳榔毛《びらうげ》の車が?輛空から落ちて来る所を描か しかしかう仰有《おつしや》る大殿様の御声には、何故《なぜ》か妙に力の無うと思つて居りまする。」良秀はかう云つて、始めて鋭く大殿様の御顔を眺めまい、張合のぬけた所がございました。 した。あの男は画の事と云ふと、気違ひ同様になるとは聞いて居りましたが、そ「いえ、それが?向目出度くはござりませぬ。」良秀は、稍腹立しさうな容子で、の時の眼のくばりには確にさやうな恐ろしさがあつたやうでございます。 ぢつと眼を伏せながら、「あらましは出来上りましたが、唯?つ、今以て私には「その車の中には、?人のあでやかな上※,,「藹」の「言」に代えて「月」、描けぬ所がございまする。」 第3水準1-91-26,が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでゐるのでご「なに、描けぬ所がある,」 ざいまする。顔は煙に烟《むせ》びながら、眉を顰《ひそ》めて、空ざまに車蓋「さやうでございまする。私は総じて、見たものでなければ描けませぬ。よし描《やかた》を仰いで居りませう。手は下簾《したすだれ》を引きちぎつて、降りけても、得心が参りませぬ。それでは描けぬも同じ事でございませぬか。」 かゝる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ。さうしてそのまはりに これを御聞きになると、大殿様の御顔には、嘲るやうな御微笑が浮びました。 は、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴《くちばし》を鳴らして紛々「では地獄変の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。」 と飛び繞《めぐ》つてゐるのでございまする。――あゝ、それが、その牛車の中「さやうでござりまする。が、私は先年大火事がございました時に、炎熱地獄のの上※,,「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26,が、どうしても私猛火《まうくわ》にもまがふ火の手を、眼のあたりに眺めました。「よぢり不動」には描けませぬ。」 の火焔を描きましたのも、実はあの火事に遇つたからでございまする。御前もあ「さうして――どうぢや。」 の絵は御承知でございませう。」 大殿様はどう云ふ訳か、妙に悦ばしさうな御気色で、かう良秀を御促しになり「しかし罪人はどうぢや。獄卒は見た事があるまいな。」大殿様はまるで良秀のました。が、良秀は例の赤い唇を熱でも出た時のやうに震はせながら、夢を見て申す事が御耳にはいらなかつたやうな御容子で、かう畳みかけて御尋ねになりまゐるのかと思ふ調子で、 した。 「それが私には描けませぬ。」と、もう?度繰返しましたが、突然噛みつくやう「私は鉄《くろがね》の鎖《くさり》に縛《いましめ》られたものを見た事がごな勢ひになつて、 ざいまする。怪鳥に悩まされるものゝ姿も、具《つぶさ》に写しとりました。さ「どうか檳榔毛の車を?輛、私の見てゐる前で、火をかけて頂きたうございます る。さうしてもし出来まするならば――」 しい御袴《おんはかま》の緋の色が、地にもつかず御廊下を歩むなどと云ふ取沙 大殿様は御顔を暗くなすつたと思ふと、突然けたたましく御笑ひになりまし汰を致すものもございました。――それも無理ではございません。昼でさへ寂した。さうしてその御笑ひ声に息をつまらせながら、仰有いますには、 いこの御所は、?度日が暮れたとなりますと、遣《や》り水《みづ》の音が?際「おゝ、万事その方が申す通りに致して遣はさう。出来る出来ぬの詮議は無益《む《ひときは》陰に響いて、星明りに飛ぶ五位鷺も、怪形《けぎやう》の物かと思やく》の沙汰ぢや。」 ふ程、気味が悪いのでございますから。 私はその御言を伺ひますと、虫の知らせか、何となく凄じい気が致しました。 ?度その夜はやはり月のない、まつ暗な晩でございましたが、大殿油《おほと実際又大殿様の御容子も、御口の端には白く泡がたまつて居りますし、御眉のあのあぶら》の灯影で眺めますと、縁に近く座を御占めになつた大殿様は、浅黄のたりにはびく,,と電《いなづま》が走つて居りますし、まるで良秀のもの狂ひ直衣《なほし》に濃い紫の浮紋の指貫《さしぬき》を御召しになつて、白地の錦に御染みなすつたのかと思ふ程、唯ならなかつたのでございます。それがちよいの縁をとつた円座《わらふだ》に、高々とあぐらを組んでいらつしやいました。と言を御切りになると、すぐ又何かが爆《は》ぜたやうな勢ひで、止め度なく喉その前後左右に御側の者どもが五六人、恭しく居並んで居りましたのは、別に取を鳴らして御笑ひになりながら、 り立てて申し上げるまでもございますまい。が、中に?人、眼だつて事ありげに「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を?人、上※,,「藹」見えたのは、先年,陸奥《みちのく》の戦ひに餓ゑて人の肉を食つて以来、鹿のの「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26,の装《よそほひ》をさせて乗せて遣生角《いきづの》さへ裂くやうになつたと云ふ強力《がうりき》の侍が、下に腹はさう。炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が、悶え死をする――それを描か巻を着こんだ容子で、太刀を鴎尻《かもめじり》に佩《は》き反《そ》らせながうと思ひついたのは、流石に天下第?の絵師ぢや。褒めてとらす。おゝ、褒めてら、御縁の下に厳《いかめ》しくつくばつてゐた事でございます。――それが皆、とらすぞ。」 夜風に靡《なび》く灯の光で、或は明るく或は暗く、殆ど夢現《ゆめうつゝ》を 大殿様の御言葉を聞きますと、良秀は急に色を失つて喘《あへ》ぐやうに唯、分たない気色で、何故かもの凄く見え渡つて居りました。 唇ばかり動して居りましたが、やがて体中の筋が緩んだやうに、べたりと畳へ両 その上に又、御庭に引き据ゑた檳榔毛の車が、高い車蓋《やかた》にのつしり手をつくと、 と暗《やみ》を抑へて、牛はつけず黒い轅《ながえ》を斜に榻《しぢ》へかけな「難有い仕合でございまする。」と、聞えるか聞えないかわからない程低い声で、がら、金物《かなもの》の黄金《きん》を星のやうに、ちらちら光らせてゐるの?寧に御礼を申し上げました。これは大方自分の考へてゐた目ろみの恐ろしさを眺めますと、春とは云ふものゝ何となく肌寒い気が致します。尤もその車の内が、大殿様の御言葉につれてあり,,と目の前へ浮んで来たからでございませうは、浮線綾の縁《ふち》をとつた青い簾が、重く封じこめて居りますから、※,,か。私は?生の中に唯?度、この時だけは良秀が、気の毒な人間に思はれました。 「車,非」、第4水準2-89-66,《はこ》には何がはいつてゐるか判りません。さ うしてそのまはりには仕?たちが、手ん手に燃えさかる松明《まつ》を執つて、 十六 煙が御縁の方へ靡くのを気にしながら、仔細《しさい》らしく控へて居ります。 当の良秀は稍《やゝ》離れて、?度御縁の真向に、跪《ひざまづ》いて居りま それから二三日した夜の事でございます。大殿様は御約束通り、良秀を御召ししたが、これは何時もの香染めらしい狩衣に萎《な》えた揉烏帽子を頂いて、星になつて、檳榔毛の車の焼ける所を、目近く見せて御やりになりました。尤もこ空の重みに圧されたかと思ふ位、何時もよりは猶小さく、見すぼらしげに見えまれは堀河の御邸であつた事ではございません。俗に雪解《ゆきげ》の御所と云ふ、した。その後に又?人、同じやうな烏帽子狩衣の蹲《うづくま》つたのは、多分昔大殿様の妹君がいらしつた洛外の山荘で、御焼きになつたのでございます。 召し連れた弟子の?人ででもございませうか。それが?度二人とも、遠いうす暗 この雪解の御所と申しますのは、久しくどなたも御住ひにはならなかつた所がりの中に蹲つて居りますので、私のゐた御縁の下からは、狩衣の色さへ定かにで、広い御庭も荒れ放題荒れ果てて居りましたが、大方この人気のない御容子をはわかりません。 拝見した者の当推量でございませう。こゝで御歿《おな》くなりになつた妹君の 御身の上にも、兎角の噂が立ちまして、中には又月のない夜毎々々に、今でも怪 十七 やかな繍《ぬひ》のある桜の唐衣《からぎぬ》にすべらかし黒髪が艶やかに垂れ 時刻は彼是真夜中にも近かつたでございませう。林泉をつゝんだ暗がひつそりて、うちかたむいた黄金の釵子《さいし》も美しく輝いて見えましたが、身なり こそ違へ、小造りな体つきは、色の白い頸《うなじ》のあたりは、さうしてあのと声を呑んで、?同のする息を窺つてゐると思ふ中には、唯かすかな夜風の渡る 寂しい位つゝましやかな横顔は、良秀の娘に相違ございません。私は危く叫び声音がして、松明の煙がその度に煤臭い匂を送つて参ります。大殿様は暫く黙つて、 この不思議な景色をぢつと眺めていらつしやいましたが、やがて膝を御進めになを立てようと致しました。 りますと、 その時でございます。私と向ひあつてゐた侍は慌《あわたゞ》しく身を起して、「良秀、」と、鋭く御呼びかけになりました。 柄頭《つかがしら》を片手に抑へながら、屹《きつ》と良秀の方を睨みました。 良秀は何やら御返事を致したやうでございますが、私の耳には唯、唸るやうなそれに驚いて眺めますと、あの男はこの景色に、半ば正気を失つたのでございま声しか聞えて参りません。 せう。今まで下に蹲《うづくま》つてゐたのが、急に飛び立つたと思ひますと、「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣はさう。」 両手を前へ伸した儘、車の方へ思はず知らず走りかゝらうと致しました。唯生憎 大殿様はかう仰有つて、御側の者たちの方を流《なが》し眄《め》に御覧にな前にも申しました通り、遠い影の中に居りますので、顔貌《かほかたち》ははつりました。その時何か大殿様と御側の誰彼との間には、意味ありげな微笑が交さきりと分りません。しかしさう思つたのはほんの?瞬間で、色を失つた良秀の顔れたやうにも見うけましたが、これは或は私の気のせゐかも分りません。するとは、いや、まるで何か目に見えない力が、宙へ吊り上げたやうな良秀の姿は、忽良秀は畏《おそ》る畏《おそ》る頭を挙げて御縁の上を仰いだらしうございますちうす暗がりを切り抜いてあり,,と眼前へ浮び上りました。娘を乗せた檳榔毛が、やはり何も申し上げずに控へて居ります。 の車が、この時、「火をかけい」と云ふ大殿様の御言と共に、仕?たちが投げる「よう見い。それは予が日頃乗る車ぢや。その方も覚えがあらう。――松明の火を浴びて炎々と燃え上つたのでございます。 予はその 車にこれから火をかけて、目のあたりに炎熱地獄を現ぜさせる心算《つもり》ぢ やが。」 十八 大殿様は又言を御止めになつて、御側の者たちに※,,「目,旬」、第3水準 1-88-80,《めくば》せをなさいました。それから急に苦々しい御調子で、「その内 火は見る,,中に、車蓋《やかた》をつゝみました。庇《ひさし》についた紫 の流蘇《ふさ》が、煽られたやうにさつと靡くと、その下から濛々と夜目にも白には罪人の女房が?人、縛《いまし》めた儘、乗せてある。されば車に火をかけ たら、必定その女めは肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。い煙が渦を巻いて、或は簾《すだれ》、或は袖、或は棟《むね》の金物《かなもその方が屏風を仕上げるには、又とないよい手本ぢや。雪のやうな肌が燃え爛《たの》が、?時に砕けて飛んだかと思ふ程、火の粉が雨のやうに舞ひ上る――そのゞ》れるのを見のがすな。黒髪が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよう見て置け。」 凄じさと云つたらございません。いや、それよりもめらめらと舌を吐いて袖格子 大殿様は三度口を御噤《おつぐ》みになりましたが、何を御思ひになつたのか、《そでがうし》に搦《から》みながら、半空《なかぞら》までも立ち昇る烈々と した炎の色は、まるで日輪が地に落ちて、天火《てんくわ》が迸《ほとばし》つ今度は唯肩を揺つて、声も立てずに御笑ひなさりながら、 たやうだとでも申しませうか。前に危く叫ばうとした私も、今は全く魂《たまし「末代までもない観物ぢや。予もここで見物しよう。それ,,、簾《みす》を揚 げて、良秀に中の女を見せて遣さぬか。」 ひ》を消して、唯茫然と口を開きながら、この恐ろしい光景を見守るより外はご 仰《おほせ》を聞くと仕?の?人は、片手に松明《まつ》の火を高くかざしなざいませんでした。しかし親の良秀は―― がら、つか,,と車に近づくと、矢庭に片手をさし伸ばして、簾をさらりと揚げ 良秀のその時の顔つきは、今でも私は忘れません。思はず知らず車の方へ駆けて見せました。けたゝましく音を立てて燃える松明の光は、?しきり赤くゆらぎ寄らうとしたあの男は、火が燃え上ると同時に、足を止めて、やはり手をさし伸ながら、忽ち狭い※,,「車,非」、第4水準2-89-66,《はこ》の中を鮮かに照した儘、食ひ入るばかりの眼つきをして、車をつゝむ焔煙を吸ひつけられたやうし出しましたが、※,,「車,因」、第4水準2-89-62,《とこ》の上に惨《むごに眺めて居りましたが、満身に浴びた火の光で、皺だらけな醜い顔は、髭の先また》らしく、鎖にかけられた女房は――あゝ、誰か見違へを致しませう。きらびでもよく見えます。が、その大きく見開いた眼の中と云ひ、引き歪めた唇のあた りと云ひ、或は又絶えず引き攣《つ》つてゐる頬の肉の震《ふる》へと云ひ、良の姿も、黒煙の底に隠されて、御庭のまん中には唯、?輛の火の車が凄《すさま》秀の心に交々《こも,″,》往来する恐れと悲しみと驚きとは、歴々と顔に描かじい音を立てながら、燃《も》え沸《たぎ》つてゐるばかりでございます。いや、れました。首を刎《は》ねられる前の盗人でも、乃至は十王の庁へ引き出された、火の車と云ふよりも、或は火の柱と云つた方が、あの星空を衝いて煮え返る、恐十逆五悪の罪人でも、あゝまで苦しさうな顔を致しますまい。これには流石にあろしい火焔の有様にはふさはしいかも知れません。 の強力《がうりき》の侍でさへ、思はず色を変へて、畏る,,大殿様の御顔を仰 その火の柱を前にして、凝り固まつたやうに立つてゐる良秀は、――何と云ふぎました。 不思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦《せめく》に悩んでゐた が、大殿様は緊《かた》く唇を御噛みになりながら、時々気味悪く御笑ひになやうな良秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、つて、眼も放さずぢつと車の方を御見つめになつていらつしやいます。さうして皺だらけな満面に浮べながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしつかり胸にその車の中には――あゝ、私はその時、その車にどんな娘の姿を眺めたか、それ組んで、佇《たゝず》んでゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼のを詳しく申し上げる勇気は、到底あらうとも思はれません。あの煙に咽《むせ》中には、娘の悶え死ぬ有様が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焔んで仰向《あふむ》けた顔の白さ、焔を掃《はら》つてふり乱れた髪の長さ、その色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色れから又見る間に火と変つて行く、桜の唐衣《からぎぬ》の美しさ、――何と云に見えました。 ふ惨《むご》たらしい景色でございましたらう。殊に夜風が?下《ひとおろ》し しかも不思議なのは、何もあの男が?人娘の断末魔を嬉しさうに眺めてゐた、して、煙が向うへ靡いた時、赤い上に金粉を撒《ま》いたやうな、焔の中から浮そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思はれない、き上つて、髪を口に噛みながら、縛《いましめ》の鎖も切れるばかり身悶えをし夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳《おごそか》さがございました。でごた有様は、地獄の業苦を目のあたりへ写し出したかと疑はれて、私始め強力の侍ざいますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる数の知れない夜までおのづと身の毛がよだちました。 鳥でさへ、気のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでござ するとその夜風が又?渡り、御庭の木々の梢にさつと通ふ――と誰でも、思ひいます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸つてゐる、 不可思議な威厳が見えたのでございませう。 ましたらう。さう云ふ音が暗い空を、どことも知らず走つたと思ふと、忽ち何か 黒いものが、地にもつかず宙にも飛ばず、鞠《まり》のやうに躍りながら、御所 鳥でさへさうでございます。まして私たちは仕?までも、皆息をひそめながら、 身の内も震へるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも見るの屋根から火の燃えさかる車の中へ、?文字にとびこみました。さうして朱塗の やうな袖格子が、ばら,,と焼け落ちる中に、のけ反《ぞ》つた娘の肩を抱いて、やうに、眼も離さず、良秀を見つめました。空?面に鳴り渡る車の火と、それに帛《きぬ》を裂くやうな鋭い声を、何とも云へず苦しさうに、長く煙の外へ飛ば魂を奪はれて、立ちすくんでゐる良秀と――何と云ふ荘厳、何と云ふ歓喜でござ いませう。が、その中でたつた?人、,,「たつた?人、」は底本では「たつた、」,せました。続いて又、二声三声――私たちは我知らず、あつと同音に叫びました。 壁代《かべしろ》のやうな焔を後にして、娘の肩に縋《すが》つてゐるのは、堀御縁の上の大殿様だけは、まるで別人かと思はれる程、御顔の色も青ざめて、口 元に泡を御ためになりながら、紫の指貫《さしぬき》の膝を両手にしつかり御つ河の御邸に繋いであつた、あの良秀と諢名《あだな》のある、猿だつたのでござ かみになつて、?度喉の渇いた獣のやうに喘《あへ》ぎつゞけていらつしやいまいますから。その猿が何処をどうしてこの御所まで、忍んで来たか、それは勿論 誰にもわかりません。が、日頃可愛がつてくれた娘なればこそ、猿も?しよに火した。…… の中へはひつたのでございませう。 二十 十九 その夜雪解の御所で、大殿様が車を御焼きになつた事は、誰の口からともなく が、猿の姿が見えたのは、ほんの?瞬間でございました。金梨子地《きんなし世上へ洩れましたが、それに就いては随分いろ,,な批判を致すものも居つたや うでございます。先《まづ》第?に何故《なぜ》大殿様が良秀の娘を御焼き殺しぢ》のやうな火の粉が?しきり、ぱつと空へ上つたかと思ふ中に、猿は元より娘 なすつたか、――これは、かなはぬ恋の恨みからなすつたのだと云ふ噂が、?番 多うございました。が、大殿様の思召しは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏底本:「芥川龍之介全集 第?巻」岩波書店 風の画を描かうとする絵師根性の曲《よこしま》なのを懲らす御心算《おつもり》 1995(平成7)年11月8日発行 だつたのに相違ございません。現に私は、大殿様が御口づからさう仰有《おつし底本の親本:「鼻」春陽堂 や》るのを伺つた事さへございます。 1918(大正7)年7月8日発行 それからあの良秀が、目前で娘を焼き殺されながら、それでも屏風の画を描き※底本には「堀川」と「堀河」が共に現れる。「堀河」は「堀川」と思われるが、 たいと云ふその木石のやうな心もちが、やはり何かとあげつらはれたやうでござ表記の揺れは底本のママとした。 います。中にはあの男を罵《のゝし》つて、画の為には親子の情愛も忘れてしま入力:earthian ふ、人面獣心の曲者《くせもの》だなどと申すものもございました。あの横川《よ校正:j.utiyama がは》の僧都様などは、かう云ふ考へに味方をなすつた御?人で、「如何に?芸1998年12月2日公開 ?能に秀でやうとも、人として五常を弁《わきま》へねば、地獄に堕ちる外はな2004年3月8日修正 い」などと、よく仰有つたものでございます。 所がその後?月ばかり経《た》つて、愈々地獄変の屏風が出来上りますと良秀 は早速それを御邸へ持つて出て、恭しく大殿様の御覧に供へました。?度その時 は僧都様も御居合はせになりましたが、屏風の画を?目御覧になりますと、流石 にあの?帖の天地に吹き荒《すさ》んでゐる火の嵐の恐しさに御驚きなすつたの でございませう。それまでは苦い顔をなさりながら、良秀の方をじろ,,睨めつ けていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いまし1945年12月25日? 友子 太陽がすっかり海に沈んだ た。この言を御聞きになつて、大殿様が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は 忘れません。 これで それ以来あの男を悪く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど?人もゐ 本当に なくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐ 台湾島が見えなくなってしまった るにせよ、不思議に厳《おごそ》かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱《だ君はまだあそこに いくげん》を如実に感じるからでもございませうか。 立っているのかい しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の数にはいつて居りま 友子 した。それも屏風の出来上つた次の夜に、自分の部屋の梁《はり》へ縄をかけて、 許しておくれ 縊《くび》れ死んだのでございます。?人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑と この臆病な僕を して生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。屍骸は今でもあの男の 二人のことを決して 家の跡に埋まつて居ります。尤も小さな標《しるし》の石は、その後何十年かの 認めなかった僕を 雨風《あめかぜ》に曝《さら》されて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔 どんなふうに 蒸《こけむ》してゐるにちがひございません。 君に引かれるんだったっけ ,,地から,字上げ,――大正七年四月―― 君は髪型の規則を破るし よく僕を怒らせる子だったね 友子君は意地張りで 怒った身振り、激しく軽やかな笑い声 新しい物好きで 友子? その時、僕は恋に落ちたんだ でも、どうしょうもないぐらい きみに恋をしてしまった 強風が吹いて 台湾と日本の間の海に だけど 君がやっと卒業した時、 僕を沈めてくれればいいのに 僕たちは、戦争に敗れた? 僕は敗戦国の国民だ そうすれば 貴族のように傲慢だった僕たちは ?瞬にして、罪人のくび枷をかせられた 臆病な自分を持って余さずに済むのに 貧しいいち教師の僕が どうして民族の罪を背負えよう? 時代の宿命は時代の罪 そして 友子、たっだ数日の航海で? 僕は貧しい教師にすぎない 僕はすっかり老け込んでしまった? 君を愛していても 潮風がつれてくる泣き声を聞いて? 諦めなければならなかった三日目 どうしてきみのことを 甲板から離れたくない? 寝たくもない? 僕の心は決まった? 陸に着いたら? 思わないでいられよう? ?生、海を見ないでおこう? 潮風よ 君は南国のまぶしい太陽の下で育った学生? ? 僕は雪の舞う北から海を渡ってきた教師? なぜ、泣き声をつれてやって来る? 僕らはこんなにも違うのに 人を愛して泣く 嫁いで泣く 子供を生んで泣く なぜこうも引かれ合うのか あの眩しい太陽が懐かしい 君幸せな未来図を想像して? 暑い風が懐かしい 涙が出そうになる? でも、僕の涙は潮風に吹かれて? まだ覚えているよ あふれる前に乾いてしまう? 君が赤ありに腹を立てる様子? 涙を出さずに泣いて? 笑っちゃいけないってわかってた 僕は、また老け込んだ でも、赤ありを踏む様子がとてもきれいで 憎らしい風 憎らしい月の光 不思議なステップを踏みながら、 憎らしい海 踊っているようで 十二月の海はどこか怒っている 恥辱と悔恨に耐え ?体どんな様子だったろう 山は山、? 海は海? さわがしい揺れを伴いながら でも、そこには誰もいない? 僕が向かっているのは故郷なのか 僕は星空が見たくなった それとも、故郷を後にしているのか 虚ろやすいこの世で、 夕方、日本海に出た? 永遠が見たくなったんだ 昼間は頭が割れそうに痛い? 台湾で冬を越すラ?ギョの群れを見たよ? 今日は濃い霧がたちこめ、 僕はこの思いを?匹に託そう 漁師をしている君の父親が、 昼の間、僕の視界を遮った でも、今は星がとてもきれいだ? 捕まえてくれることを願って 覚えてる 友子 君はまだ中学?年生だった頃、? 天狗が月を食う農村の伝説を 悲しい味がしても食べておくれ 君には分かるはず 引っ張り出して、 君を捨てたのではなく、 月食の天文理論に挑戦したね なくなく手放したということを みんなが寝ている甲板で、 君に教えておきたい理論がもう?つある 君は、今見ている星の光が、 低く何度も繰り返す? 捨てたのではなく、 数億光年の彼方にある星から なくなく手放したなど 放たれてるって知ってるかい わぁ,、? 数億光年前に放たれた光が、 夜が明けた 今僕たちの目に届いているんだ でも、僕には関係ない 数億年前、台湾と日本は どっちみち 君が海辺で泳いでいる写真 写真の海は風もなく雨もなく 太陽は濃い霧を連れてくるだけだ そして君は、 夜明け前の恍惚の時 天国にいるみたいに笑っている 年老いた君の優美な姿を見たよ 君の未来が誰の者でも 僕は髪が薄くなり、 目も垂れていた 君に見合う男なんていない 美しい思い出は大事に 朝の霧が舞う雪のように 僕の額のしわを覆い 持ってこようと思ったけど、 連れて来れたのは虚しさだけ 激しい太陽が 思うのは君のことばかり? 君の黒髪を焼き尽くした あ、虹だ 虹の両端が海を越え、? 僕らの胸の中の最後の余熱は 僕と君を 結びつけてくれますように 完全に冷め切った 友子、無事に上陸したよ? 友子、 七日間の航海で、 無能な僕を許しておくれ 戦後の荒廃した土地に, ようやくたてたというのに、 海上気温16度、 風速12節、 海が懐かしんだ? 海がどうして、 水深97メートル 海鳥が少しずつ見えてきた 希望と絶望の両端にあるんだ? これが最後の手紙だ、 明日の夜までには上陸する 友子 あとでだしにいくよ? 台湾の?ルバムを君に残してきたよ 海にくばわれた僕たちの愛? お母さんの所に置いてある でも、思うだけなら、許されるだろう? でも、?枚だけこっそりもらって来た 友子、僕の思いを受け取っておくれ? そうすれば? 友子 すこしは僕を許すことができるだろう? 自分の疚しさを 君は?生僕の心の中にいるよ? 結婚して子供ができても? 最後に手紙に書いたよ 人生の重要な分岐点にくるたび? 君に会い、懺悔するかわりに 君の姿が浮かび上がった こうしなければ 重い荷物をもって家出した君 行きかう人ごみの中に、ぽっつんと佇む君 自分を許すことなど少しもできなかった お金をためて? やっと買った白いメデ??ス帽を被ってきたのは? 君を忘れたふりをしよう 人ごみの中で、 僕たちの思い出が 君の存在を知らしめるためだったのかい? 渡り鳥のように 見えたよ 飛び去ったと思い込もう 僕には見えたよ? 君は静かに立っていた? 君の冬が終わり、 七月の激しい太陽のように? それ以上直視することはできなかった? 春が始まったと思い込もう 君はそんなにも、静かに立っていた? 冷静につとめた心が?瞬暑くなった? 本当にそうだと思えるまで だけど、心の痛みを隠し 心の声を呑み込んだ 必死に思い込もう 僕は、知っている? そして、 思慕という低俗の言葉が? 太陽の下の影のように? 君が永遠に幸せであることを 追えば逃げ? 祈っています 逃げれば追われ? ?生 党派という程のものがあるかどうだか知らない。前に云った草平君の間柄だけ 夏目漱石論 なら、党派などと大袈裟(おおげさ)に云うべきではあるまい。 森鴎外 七、朝日新聞に拠れる態度 朝日新聞の文芸欄にはいかにも?種の決まった調子がある。その調子は党派的 ?、今日の地位に至れる径路 態度とも言えば言われよう。スバルや三田文学がそろそろ退治られそうな模様で ある。しかしそれはこの新聞には限らない。生存競争が生物学上の自然の現象な 政略と云うようなものがあるかどうだか知らない。漱石君が今の地位は、彼のら、これも自然の現象であろう。 地位としては、低きに過ぎても高きに過ぎないことは明白である。然れば今の地 位に漱石君がすわるには、何の政策を弄するにも及ばなかったと信ずる。 八、創作家としての伎倆 二、社交上の漱石 少し読んだばかりである。しかし立派な伎倆だと認める。 二度ばかり逢ったばかりであるが、立派な紳士であると思う。 九、創作に現れたる人生観 三、門下生に対する態度 もっと沢山読まなくては判断がしにくい。 門下生と云うような人物で僕の知て居るのは、森田草平君?人である。師弟の 十、その長所と短所 間は情誼が極めて濃厚であると思う。物集氏とかの二女史に対して薄いとかなん とか云うものがあるようだが、その二女史はどんな人か知らない。随って何とも 今まで読んだところでは長所が沢山目に附いて、短所と云う程のものは目に附云われない。 かない。 (明治四十三年七月) 四、貨殖に汲汲たりとは真乎 漱石君の家を訪問したこともなく、またそれについて人の話を聞いたこともな い。貨殖なんと云った処(ところ)で、余り金持になっていそうには思われない。 五、家庭の主人としての漱石 -------------------------------------------------------------------------------- 前条の通りの次第だから、その家庭をも知らない。 底本:「歴史其儘と歴史離れ 森鴎外全集14」ちくま文庫、筑摩書房 1996(平成8)年8月22日第1刷発行 六、党派的野心ありや 底本の親本:「筑摩全集類聚版森鴎外全集」筑摩書房 1971(昭和46)年4月,9月 入力:大田? め?抹の雲の如く我(わが)心を掠(かす)めて、瑞西(スヰス)の山色をも見校正:noriko saito せず、伊太利(?タリ?)の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭(いと)ひ、2005年8月19日作成 身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負は青空文庫作成フ??ル: せ、今は心の奥に凝り固まりて、?点の翳(かげ)とのみなりたれど、文(ふみ)このフ??ルは、?ンターネットの図書館、青空文庫()読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランテ??の皆さんです。 を喚び起して、幾度(いくたび)となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を 銷(せう)せむ。若(も)し外(ほか)の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は 心地(こゝち)すが,,しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫(ゑ) りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴(ばうど) の来て電気線の鍵を捩(ひね)るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文 ----------------------------------------------------------------石炭をば早(は)や積み果てつ。に綴りて見む。 中等室の卓(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れ 余は幼き比(ころ)より厳しき庭の訓(をしへ)を受けし甲斐(かひ)に、父がましきも徒(いたづら)なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲をば早く喪(うしな)ひつれど、学問の荒(すさ)み衰ふることなく、旧藩の学間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余?人(ひとり)のみなれば。 館にありし日も、東京に出でゝ予備黌(よびくわう)に通ひしときも、大学法学 五年前(いつとせまへ)の事なりしが、平生(ひごろ)の望足りて、洋行の官部に入りし後も、太田豊太郎(とよたらう)といふ名はいつも?級の首(はじめ)命を蒙(かうむ)り、このセ?ゴンの港まで来(こ)し頃は、目に見るもの、耳にしるされたりしに、?人子(ひとりご)の我を力になして世を渡る母の心は慰に聞くもの、?つとして新(あらた)ならぬはなく、筆に任せて書き記(しる)みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人になき名誉なりと人にも言はれ、某(なにがし)省に出仕して、故郷なる母を都にもてはやされしかど、今日(けふ)になりておもへば、穉(をさな)き思想、身呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え殊(こと)なりしかば、の程(ほど)知らぬ放言、さらぬも尋常(よのつね)の動植金石、さては風俗な洋行して?課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむどをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を踰(こ)えし母に別るゝをもさまで悲とき、日記(にき)ものせむとて買ひし冊子(さつし)もまだ白紙のまゝなるは、しとは思はず、遙々(はる,″,)と家を離れてベルリンの都に来ぬ。 独逸(ド?ツ)にて物学びせし間(ま)に、?種の「ニル、?ドミラリ?」の気 余は模糊(もこ)たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽(た象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。 ちま)ちこの欧羅巴(ヨオロツパ)の新大都の中央に立てり。何等(なんら)の げに東(ひんがし)に還(かへ)る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹こそ猶(なほ)心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、下と訳するときは、幽静なる境(さかひ)なるべく思はるれど、この大道髪(か人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たみ)の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々り。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰(たれ)にか見(くみ,″,)の士女を見よ。胸張り肩聳(そび)えたる士官の、まだ維廉(ヰせむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。 ルヘルム)?世の街に臨める(まど)に倚(よ)り玉ふ頃なりければ、様々の色 嗚呼(あゝ)、ブリンヂ?シ?の港を出(い)でゝより、早や二十日(はつか)に飾り成したる礼装をなしたる、妍(かほよ)き少女(をとめ)の巴里(パリー)あまりを経ぬ。世の常ならば生面(せいめん)の客にさへ交(まじはり)を結びまねびの粧(よそほひ)したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青て、旅の憂さを慰めあふが航海の習(ならひ)なるに、微恙(びやう)にことよ(チヤン)の上を音もせで走るいろ,,の馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたせて房(へや)の裡(うち)にのみ籠(こも)りて、同行の人々にも物言ふことる処(ところ)には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲(みなぎ)り落つる噴の少きは、人知らぬ恨に頭(かしら)のみ悩ましたればなり。此(この)恨は初井(ふきゐ)の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交(か) はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多(あまた)のに得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しつ。又大学に景物目睫(もくせふ)の間に聚(あつ)まりたれば、始めてこゝに来(こ)しもては法科の講筵を余所(よそ)にして、歴史文学に心を寄せ、漸く蔗(しよ)をのゝ応接に遑(いとま)なきも宜(うべ)なり。されど我胸には縦(たと)ひい嚼(か)む境に入りぬ。 かなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ 官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想外物を遮(さへぎ)り留めたりき。 を懐(いだ)きて、人なみならぬ面(おも)もちしたる男をいかでか喜ぶべき。 余が鈴索(すゞなは)を引き鳴らして謁(えつ)を通じ、おほやけの紹介状を危きは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我地位を覆(くつ出だして東来の意を告げし普魯西(プロシヤ)の官員は、皆快く余を迎へ、公使が)へすに足らざりけんを、日比(ひごろ)伯林(ベルリン)の留学生の中(う館よりの手つゞきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教へもし伝へもち)にて、或る勢力ある?群(ひとむれ)と余との間に、面白からぬ関係ありて、せむと約しき。喜ばしきは、わが故里(ふるさと)にて、独逸、仏蘭西(フラン彼人々は余を猜疑(さいぎ)し、又遂(つひ)に余を讒誣(ざんぶ)するに至りス)の語を学びしことなり。彼等は始めて余を見しとき、いづくにていつの間にぬ。されどこれとても其故なくてやは。 かくは学び得つると問はぬことなかりき。 彼人々は余が倶(とも)に麦酒(ビ?ル)の杯をも挙げず、球突きの棒(キユ さて官事の暇(いとま)あるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ウ)をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに帰して、且(かつ)は嘲ところの大学に入りて政治学を修めむと、名を簿冊(ぼさつ)に記させつ。 (あざけ)り且は嫉(ねた)みたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼、 ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも済みて、取調も次第に捗(はか此故よしは、我身だに知らざりしを、怎(いか)でか人に知らるべき。わが心はど)り行けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写し留めて、つひかの合歓(ねむ)といふ木の葉に似て、物触(さや)れば縮みて避けんとす。我には幾巻(いくまき)をかなしけむ。大学のかたにては、穉き心に思ひ計りしが心は処女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、学(まなび)の道をたど如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、りしも、仕(つかへ)の道をあゆみしも、皆な勇気ありて能(よ)くしたるにあ二三の法家の講筵(かうえん)に列(つらな)ることにおもひ定めて、謝金を収らず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のため、往きて聴きつ。 どらせたる道を、唯(た)だ?条(ひとすぢ)にたどりしのみ。余所に心の乱れ かくて三年(みとせ)ばかりは夢の如くにたちしが、時来れば包みても包みがざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇気ありしにあらず、唯(たゞ)外物に恐れたきは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有為の人物なるこど褒(ほ)むるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨とを疑はず、又我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も?時。舟(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物の横浜を離るるまでは、天晴(あつぱれ)豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学巾(しゆきん)を濡らしつるを我れ乍(なが)ら怪しと思ひしが、これぞなか,の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みた,に我本性なりける。此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手りしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに育てられしによりてや生じけん。 に似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜(よろ)しからず、 彼(かの)人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱また善く法典を諳(そらん)じて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるくふびんなる心を。 を悟りたりと思ひぬ。 赤く白く面(おもて)を塗りて、赫然(かくぜん)たる色の衣を纏(まと)ひ、 余は私(ひそか)に思ふやう、我母は余を活(い)きたる辞書となさんとし、珈琲店(カツフエエ)に坐して客を延(ひ)く女(をみな)を見ては、往きてこ我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれれに就かん勇気なく、高き帽を戴き、眼鏡に鼻を挾ませて、普魯西(プロシヤ)ど、法律たらんは忍ぶべからず。今までは瑣々(さゝ)たる問題にも、極めて?にては貴族めきたる鼻音にて物言ふ「レエベマン」を見ては、往きてこれと遊ば寧(ていねい)にいらへしつる余が、この頃より官長に寄する書には連(しき)ん勇気なし。此等の勇気なければ、彼活溌なる同郷の人々と交らんやうもなし。りに法制の細目に拘(かゝづら)ふべきにあらぬを論じて、?たび法の精神をだこの交際の疎(うと)きがために、彼人々は唯余を嘲り、余を嫉むのみならで、 又余を猜疑することゝなりぬ。これぞ余が冤罪(ゑんざい)を身に負ひて、暫時て我側を飛びのきつ。 の間に無量の艱難(かんなん)を閲(けみ)し尽す媒(なかだち)なりける。 人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を 或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過入れば、欠け損じたる石の梯あり。これを上ぼりて、四階目に腰を折りて潜るべぎ、我がモンビシユウ街の僑居(けうきよ)に帰らんと、クロステル巷(かう)き程の戸あり。少女は(さ)びたる針金の先きを捩(ね)ぢ曲げたるに、手を掛の古寺の前に来ぬ。余は彼の燈火(ともしび)の海を渡り来て、この狭く薄暗きけて強く引きしに、中には咳枯(しはが)れたる老媼(おうな)の声して、「誰巷(こうぢ)に入り、楼上の木欄(おばしま)に干したる敷布、襦袢(はだぎ)(た)ぞ」と問ふ。エリス帰りぬと答ふる間もなく、戸をあらゝかに引開(ひきなどまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太(ユダヤ)教徒の翁(おきな)が戸前(こあ)けしは、半ば白(しら)みたる髪、悪(あ)しき相にはあらねど、貧苦の痕ぜん)に佇(たゝず)みたる居酒屋、?つの梯(はしご)は直ちに楼(たかどの)を額(ぬか)に印せし面の老媼にて、古き獣綿の衣を着、汚れたる上靴を穿(は)に達し、他の梯は窖(あなぐら)住まひの鍛冶(かぢ)が家に通じたる貸家などきたり。エリスの余に会釈して入るを、かれは待ち兼ねし如く、戸を劇(はげ)に向ひて、凹字(あふじ)の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望しくたて切りつ。 む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。 余は暫し茫然として立ちたりしが、ふと油燈(ラムプ)の光に透して戸を見れ 今この処を過ぎんとするとき、鎖(とざ)したる寺門の扉に倚りて、声を呑みば、エルンスト、ワ?ゲルトと漆(うるし)もて書き、下に仕立物師と注したり。つゝ泣くひとりの少女(をとめ)あるを見たり。年は十六七なるべし。被(かむ)これすぎぬといふ少女が父の名なるべし。内には言ひ争ふごとき声聞えしが、又りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れ静になりて戸は再び明きぬ。さきの老媼は慇懃(いんぎん)におのが無礼の振舞たりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、余に詩人の筆せしを詫(わ)びて、余を迎へ入れつ。戸の内は厨(くりや)にて、右手(めて)なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁(うれひ)の低きに、真白(ましろ)に洗ひたる麻布を懸けたり。左手(ゆんで)には粗末を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おほ)はれたに積上げたる煉瓦の竈(かまど)あり。正面の?室の戸は半ば開きたるが、内にるは、何故に?顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。 は白布(しらぬの)を掩へる臥床(ふしど)あり。伏したるはなき人なるべし。 彼は料(はか)らぬ深き歎きに遭(あ)ひて、前後を顧みる遑(いとま)なく、竈の側なる戸を開きて余を導きつ。この処は所謂(いはゆる)「マンサルド」のこゝに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫(れんびん)の情に打ち勝たれて、街に面したる?間(ひとま)なれば、天井もなし。隅の屋根裏よりに向ひて斜に余は覚えず側(そば)に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累(けいるゐ)下れる梁(はり)を、紙にて張りたる下の、立たば頭(かしら)の支(つか)ふなき外人(よそびと)は、却(かへ)りて力を借し易きこともあらん。」といひべき処に臥床あり。中央なる机には美しき氈(かも)を掛けて、上には書物?二掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆(あき)れたり。 巻と写真帖とを列(なら)べ、陶瓶(たうへい)にはこゝに似合はしからぬ価(あ 彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が真率なる心や色に形(あら)はれたひ)高き花束を生けたり。そが傍(かたはら)に少女は羞(はぢ)を帯びて立たりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷(むご)くはあらじ。又(ま)てり。 た我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬(ほ)を流れ落つ。 彼は優(すぐ)れて美なり。乳(ち)の如き色の顔は燈火に映じて微紅(うす「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとくれなゐ)を潮(さ)したり。手足の繊(かぼそ)く(たをやか)なるは、貧家て、我を打ちき。父は死にたり。明日(あす)は葬らでは(かな)はぬに、家にの女(をみな)に似ず。老媼の室(へや)を出でし跡にて、少女は少し訛(なま)?銭の貯(たくはへ)だになし。」 りたる言葉にて云ふ。「許し玉へ。君をこゝまで導きし心なさを。君は善き人な 跡は欷歔(ききよ)の声のみ。我眼(まなこ)はこのうつむきたる少女の顫(ふるべし。我をばよも憎み玉はじ。明日に迫るは父の葬(はふり)、たのみに思ひる)ふ項(うなじ)にのみ注がれたり。 しシヤウムベルヒ、君は彼を知らでやおはさん。彼は「ヰクトリ?」座の座頭(ざ「君が家(や)に送り行かんに、先(ま)づ心を鎮(しづ)め玉へ。声をな人にがしら)なり。彼が抱へとなりしより、早や二年(ふたとせ)なれば、事なく我聞かせ玉ひそ。こゝは往来なるに。」彼は物語するうちに、覚えず我肩に倚りし等を助けんと思ひしに、人の憂に附けこみて、身勝手なるいひ掛けせんとは。我が、この時ふと頭(かしら)を擡(もた)げ、又始てわれを見たるが如く、恥ぢを救ひ玉へ、君。金をば薄き給金を析(さ)きて還し参らせん。縦令(よしや) 我身は食(くら)はずとも。それもならずば母の言葉に。」彼は涙ぐみて身をふ粧ひ、美しき衣をも纏へ、場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、親腹かるはせたり。その見上げたる目(まみ)には、人に否(いな)とはいはせぬ媚態らを養ふものはその辛苦奈何(いかに)ぞや。されば彼等の仲間にて、賤(いや)あり。この目の働きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。 しき限りなる業に堕(お)ちぬは稀(まれ)なりとぞいふなる。エリスがこれを 我が隠しには二三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余(のが)れしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とに依りてなり。彼は幼は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて?時の急を凌(しの)ぎ玉へ。質き時より物読むことをば流石(さすが)に好みしかど、手に入るは卑しき「コル屋の使のモンビシユウ街三番地にて太田と尋ね来(こ)ん折には価を取らすべきポルタ?ジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識(あひし)る頃よに。」 り、余が借しつる書を読みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛(なまり)を 少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辞別(わかれ)のために出(いだ)したるも正し、いくほどもなく余に寄するふみにも誤字(あやまりじ)少なくなりぬ。手を唇にあてたるが、はら,,と落つる熱き涙(なんだ)を我手の背(そびら)かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。我が不時の免官をに濺(そゝ)ぎつ。 聞きしときに、彼は色を失ひつ。余は彼が身の事に関りしを包み隠しぬれど、彼 嗚呼、何等の悪因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我僑居(けうきよ)に来(こ)は余に向ひて母にはこれを秘め玉へと云ひぬ。こは母の余が学資を失ひしを知りし少女は、シヨオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、終日(ひねもす)て余を疎(うと)んぜんを恐れてなり。 兀坐(こつざ)する我読書の下(さうか)に、?輪の名花を咲かせてけり。この 嗚呼、委(くはし)くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛(め)づる心の時を始として、余と少女との交(まじはり)漸く繁くなりもて行きて、同郷人に俄(にはか)に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我?身の大さへ知られぬれば、彼等は速了(そくれう)にも、余を以(も)て色を舞姫の群事は前に横(よこたは)りて、洵(まこと)に危急存亡の秋(とき)なるに、こに漁(ぎよ)するものとしたり。われ等二人(ふたり)の間にはまだ痴(ちがい)の行(おこなひ)ありしをあやしみ、又た誹(そし)る人もあるべけれど、余がなる歓楽のみ存したりしを。 エリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇(さく その名を斥(さ)さんは憚(はゞかり)あれど、同郷人の中に事を好む人ありき)を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢(びん)の毛の解けてかゝりて、余が屡(しば,,)芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許(もたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりと)に報じつ。さらぬだに余が頗(すこぶ)る学問の岐路(きろ)に走るを知りたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何(いか)にせむ。 て憎み思ひし官長は、遂に旨を公使館に伝へて、我官を免じ、我職を解いたり。 公使に約せし日も近づき、我命(めい)はせまりぬ。このまゝにて郷にかへら公使がこの命を伝ふる時余に謂(い)ひしは、御身(おんみ)若し即時に郷に帰ば、学成らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。さればとて留まらんには、らば、路用を給すべけれど、若し猶こゝに在らんには、公の助をば仰ぐべからず学資を得べき手だてなし。 とのことなりき。余は?週日の猶予を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯 此時余を助けしは今我同行の?人なる相沢謙吉なり。彼は東京に在りて、既ににて尤(もつと)も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同天方伯の秘書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の編輯長(へ時にいだしゝものなれど、?は母の自筆、?は親族なる某(なにがし)が、母のんしふちやう)に説きて、余を社の通信員となし、伯林(ベルリン)に留まりて死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書(ふみ)なりき。余は母の書中の言政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。 をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り来て筆の運(はこび)を妨ぐればなり。 社の報酬はいふに足らぬほどなれど、棲家(すみか)をもうつし、午餐(ひる 余とエリスとの交際は、この時までは余所目(よそめ)に見るより清白なりき。げ)に往く食店(たべものみせ)をもかへたらんには、微(かすか)なる暮しは彼は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに応じ立つべし。兎角(とかう)思案する程に、心の誠を顕(あら)はして、助の綱をて、この恥づかしき業(わざ)を教へられ、「クルズス」果てゝ後、「ヰクトリ?」われに投げ掛けしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼等座に出でゝ、今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハツクレンデルが当世親子の家に寄寓することゝなり、エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にて繋がれ、昼のきかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。 温習、夜の舞台と緊(きび)しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも 朝の(カツフエエ)果つれば、彼は温習に往き、さらぬ日には家に留まりて、 余はキヨオニヒ街の間口せまく奥行のみいと長き休息所に赴(おもむ)き、あらに氷りて、朝に戸を開けば飢ゑ凍(こゞ)えし雀の落ちて死にたるも哀れなり。ゆる新聞を読み、鉛筆取り出でゝ彼此と材料を集む。この截(き)り開きたる引室(へや)を温め、竈に火を焚きつけても、壁の石を徹し、衣の綿を穿(うが)より光を取れる室にて、定りたる業(わざ)なき若人(わかうど)、多くもあらつ北欧羅巴の寒さは、なか,,に堪へがたかり。エリスは二三日前の夜、舞台にぬ金を人に借して己れは遊び暮す老人、取引所の業の隙を偸(ぬす)みて足を休て卒倒しつとて、人に扶(たす)けられて帰り来しが、それより心地あしとて休むる商人(あきうど)などと臂(ひぢ)を並べ、冷なる石卓(いしづくゑ)の上み、もの食ふごとに吐くを、悪阻(つはり)といふものならんと始めて心づきしにて、忙はしげに筆を走らせ、小をんなが持て来る?盞(ひとつき)のの冷(さ)は母なりき。嗚呼、さらぬだに覚束(おぼつか)なきは我身の行末なるに、若しむるをも顧みず、明きたる新聞の細長き板ぎれにみたるを、幾種(いくいろ)と真(まこと)なりせばいかにせまし。 なく掛け聯(つら)ねたるかたへの壁に、いく度となく往来(ゆきき)する日本 今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず。エリスは床に臥(ふ)すほど人を、知らぬ人は何とか見けん。又?時近くなるほどに、温習に往きたる日にはにはあらねど、小(ちさ)き鉄炉の畔(ほとり)に椅子さし寄せて言葉寡(すく返り路(ぢ)によぎりて、余と倶(とも)に店を立出づるこの常ならず軽き、掌な)し。この時戸口に人の声して、程なく庖厨(はうちゆう)にありしエリスが上(しやうじやう)の舞をもなしえつべき少女を、怪み見送る人もありしなるべ母は、郵便の書状を持て来て余にわたしつ。見れば見覚えある相沢が手なるに、し。 郵便切手は普魯西(プロシヤ)のものにて、消印には伯林(ベルリン)とあり。 我学問は荒(すさ)みぬ。屋根裏の?燈微に燃えて、エリスが劇場よりかへり訝(いぶか)りつゝも披(ひら)きて読めば、とみの事にて預(あらかじ)め知 らするに由なかりしが、昨夜(よべ)こゝに着せられし天方大臣に附きてわれもて、椅(いす)に寄りて縫ものなどする側の机にて、余は新聞の原稿を書けり。 昔しの法令条目の枯葉を紙上に掻寄(かきよ)せしとは殊にて、今は活溌々たる来たり。伯の汝(なんぢ)を見まほしとのたまふに疾(と)く来よ。汝が名誉を 恢復するも此時にあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみいひ遣(や)るとなり。政界の運動、文学美術に係る新現象の批評など、彼此と結びあはせて、力の及ば ん限り、ビヨルネよりは寧ろハ?ネを学びて思を構へ、様々の文(ふみ)を作り読み畢(をは)りて茫然たる面もちを見て、エリス云ふ。「故郷よりの文なりや。し中にも、引続きて維廉(ヰルヘルム)?世と仏得力(フレデリツク)三世との悪しき便(たより)にてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思ひし ならん。「否、心にな掛けそ。おん身も名を知る相沢が、大臣と倶にこゝに来て崩(ほうそ)ありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何(いかん)などの事 に就ては、故(ことさ)らに詳(つまびら)かなる報告をなしき。さればこの頃われを呼ぶなり。急ぐといへば今よりこそ。」 かはゆき独り子を出し遣る母もかくは心を用ゐじ。大臣にまみえもやせんと思よりは思ひしよりも忙はしくして、多くもあらぬ蔵書を繙(ひもと)き、旧業を たづぬることも難く、大学の籍はまだ刪(けづ)られねど、謝金を収むることのへばならん、エリスは病をつとめて起ち、上襦袢(うはじゆばん)も極めて白き難ければ、唯だ?つにしたる講筵だに往きて聴くことは稀なりき。 を撰び、?寧にしまひ置きし「ゲエロツク」といふ二列ぼたんの服を出して着せ、 襟飾りさへ余が為めに手づから結びつ。 我学問は荒みぬ。されど余は別に?種の見識を長じき。そをいかにといふに、 凡(およ)そ民間学の流布(るふ)したることは、欧洲諸国の間にて独逸に若(し)「これにて見苦しとは誰(た)れも得言はじ。我鏡に向きて見玉へ。何故(なに ゆゑ)にかく不興なる面もちを見せ玉ふか。われも諸共(もろとも)に行かまほくはなからん。幾百種の新聞雑誌に散見する議論には頗(すこぶ)る高尚なるも しきを。」少し容(かたち)をあらためて。「否、かく衣を更め玉ふを見れば、何の多きを、余は通信員となりし日より、曾(かつ)て大学に繁く通ひし折、養ひ 得たる?隻の眼孔もて、読みては又読み、写しては又写す程に、今まで?筋の道となくわが豊太郎の君とは見えず。」又た少し考へて。「縦令(よしや)富貴にな り玉ふ日はありとも、われをば見棄て玉はじ。我病は母の宣(のたま)ふ如くなをのみ走りし知識は、自(おのづか)ら綜括的になりて、同郷の留学生などの大 かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼等の仲間には独逸新聞の社説をだに善くらずとも。」 「何、富貴。」余は微笑しつ。「政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年(いはえ読まぬがあるに。 くとせ)をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。唯年久しく別れたりし友にこそ逢 明治廿?年の冬は来にけり。表街(おもてまち)の人道にてこそ沙(すな)を も蒔(ま)け、※(すき),,「金,のつくり」、161-下-29,をも揮へ、クロステひには行け。」エリスが母の呼びし?等「ドロシユケ」は、輪下にきしる雪道を の下まで来ぬ。余は手袋をはめ、少し汚れたる外套を背に被(おほ)ひて手をばル街のあたりは凸凹(とつあふ)坎(かんか)の処は見ゆめれど、表のみは?面 通さず帽を取りてエリスに接吻して楼(たかどの)を下りつ。彼は凍れるを明け、敵するものには抗抵すれども、友に対して否とはえ対(こた)へぬが常なり。 乱れし髪を朔風(さくふう)に吹かせて余が乗りし車を見送りぬ。 別れて出づれば風面(おもて)を撲(う)てり。二重(ふたへ)の玻璃(ガラ 余が車を下りしは「カ?ゼルホオフ」の入口なり。門者に秘書官相沢が室の番ス)を緊しく鎖して、大いなる陶炉に火を焚きたる「ホテル」の食堂を出でしな号を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階(はしご)を登り、中央の柱に「プリれば、薄き外套を透る午後四時の寒さは殊さらに堪へ難く、膚(はだへ)粟立(あユツシユ」を被へる「ゾフ?」を据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。はだ)つと共に、余は心の中に?種の寒さを覚えき。 外套をばこゝにて脱ぎ、廊(わたどの)をつたひて室の前まで往きしが、余は少 飜訳は?夜になし果てつ。「カ?ゼルホオフ」へ通ふことはこれより漸く繁くし踟(ちちう)したり。同じく大学に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞しなりもて行く程に、初めは伯の言葉も用事のみなりしが、後には近比(ちかごろ)たる相沢が、けふは怎(いか)なる面もちして出迎ふらん。室に入りて相対して故郷にてありしことなどを挙げて余が意見を問ひ、折に触れては道中にて人々の見れば、形こそ旧に比ぶれば肥えて逞(たく)ましくなりたれ、依然たる快活の失錯ありしことどもを告げて打笑ひ玉ひき。 気象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。別後の情を細叙するにも遑(い ?月ばかり過ぎて、或る日伯は突然われに向ひて、「余は明旦(あす)、魯西亜とま)あらず、引かれて大臣に謁し、委托せられしは独逸語にて記せる文書の急(ロシ?)に向ひて出発すべし。随(したが)ひて来(く)べきか、」と問ふ。を要するを飜訳せよとの事なり。余が文書を受領して大臣の室を出でし時、相沢余は数日間、かの公務に遑なき相沢を見ざりしかば、此問は不意に余を驚かしつ。は跡より来て余と午餐(ひるげ)を共にせんといひぬ。 「いかで命に従はざらむ。」余は我恥を表はさん。此答はいち早く決断して言ひ 食卓にては彼多く問ひて、我多く答へき。彼が生路は概(おほむ)ね平滑なりしにあらず。余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるしに、轗軻(かんか)数奇(さくき)なるは我身の上なりければなり。 ときは、咄嗟(とつさ)の間(かん)、その答の範囲を善くも量らず、直ちにう 余が胸臆を開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれは屡驚きしが、なか,べなふことあり。さてうべなひし上にて、その為(な)し難きに心づきても、強,に余を譴(せ)めんとはせず、却りて他の凡庸なる諸生輩を罵りき。されど物(しひ)て当時の心虚なりしを掩ひ隠し、耐忍してこれを実行すること屡々なり。 語の畢(をは)りしとき、彼は色を正して諫(いさ)むるやう、この?段のこと 此日は飜訳の代(しろ)に、旅費さへ添へて賜(たま)はりしを持て帰りて、は素(も)と生れながらなる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし。飜訳の代をばエリスに預けつ。これにて魯西亜より帰り来んまでの費(つひえ)とはいへ、学識あり、才能あるものが、いつまでか?少女の情にかゝづらひて、をば支へつべし。彼は医者に見せしに常ならぬ身なりといふ。貧血の性(さが)目的なき生活(なりはひ)をなすべき。今は天方伯も唯だ独逸語を利用せんの心なりしゆゑ、幾月か心づかでありけん。座頭よりは休むことのあまりに久しけれのみなり。おのれも亦(また)伯が当時の免官の理由を知れるが故に、強(しひ)ば籍を除きぬと言ひおこせつ。まだ?月ばかりなるに、かく厳しきは故あればなて其成心を動かさんとはせず、伯が心中にて曲庇者(きよくひもの)なりなんどるべし。旅立の事にはいたく心を悩ますとも見えず。偽りなき我心を厚く信じた思はれんは、朋友に利なく、おのれに損あればなり。人を薦(すゝ)むるは先づれば。 其能を示すに若(し)かず。これを示して伯の信用を求めよ。又彼少女との関係 鉄路にては遠くもあらぬ旅なれば、用意とてもなし。身に合せて借りたる黒きは、縦令彼に誠ありとも、縦令情交は深くなりぬとも、人材を知りてのこひにあ礼服、新に買求めたるゴタ板の魯廷(ろてい)の貴族譜、二三種の辞書などを、らず、慣習といふ?種の惰性より生じたる交なり。意を決して断てと。是(こ)小「カバン」に入れたるのみ。流石に心細きことのみ多きこの程なれば、出で行れその言(こと)のおほむねなりき。 く跡に残らんも物憂かるべく、又停車場にて涙こぼしなどしたらんには影護(う 大洋に舵(かぢ)を失ひしふな人が、遙(はるか)なる山を望む如きは、相沢しろめた)かるべければとて、翌朝早くエリスをば母につけて知る人がり出(いが余に示したる前途の方鍼(はうしん)なり。されどこの山は猶ほ重霧の間に在だ)しやりつ。余は旅装整へて戸を鎖し、鍵をば入口に住む靴屋の主人に預けてりて、いつ往きつかんも、否、果して往きつきぬとも、我中心に満足を与へんも出でぬ。 定かならず。貧きが中にも楽しきは今の生活(なりはひ)、棄て難きはエリスが 魯国行につきては、何事をか叙すべき。わが舌人(ぜつじん)たる任務(つと愛。わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、姑(しばら)く友の言(こと)め)は忽地(たちまち)に余を拉(らつ)し去りて、青雲の上に堕(おと)したに従ひて、この情縁を断たんと約しき。余は守る所を失はじと思ひて、おのれにり。余が大臣の?行に随ひて、ペエテルブルクに在りし間に余を囲繞(ゐねう) せしは、巴里絶頂の驕奢(けうしや)を、氷雪の裡(うち)に移したる王城の粧らざりき。されど今こゝに心づきて、我心は猶ほ冷然たりし歟(か)。先に友の飾(さうしよく)、故(ことさ)らに黄蝋(わうらふ)の燭(しよく)を幾つ共勧めしときは、大臣の信用は屋上の禽(とり)の如くなりしが、今は稍(やゝ)なく点(とも)したるに、幾星の勲章、幾枝の「エポレツト」が映射する光、彫これを得たるかと思はるゝに、相沢がこの頃の言葉の端に、本国に帰りて後も倶鏤(てうる)の工(たくみ)を尽したる「カミン」の火に寒さを忘れて使ふ宮女にかくてあらば云々(しか,″,)といひしは、大臣のかく宣(のたま)ひしを、の扇の閃きなどにて、この間仏蘭西語を最も円滑に使ふものはわれなるがゆゑ友ながらも公事なれば明には告げざりし歟。今更おもへば、余が軽卒にも彼に向に、賓主の間に周旋して事を弁ずるものもまた多くは余なりき。 ひてエリスとの関係を絶たんといひしを、早く大臣に告げやしけん。 この間余はエリスを忘れざりき、否、彼は日毎に書(ふみ)を寄せしかばえ忘 嗚呼、独逸に来し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはなれざりき。余が立ちし日には、いつになく独りにて燈火に向はん事の心憂さに、らじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと知る人の許(もと)にて夜に入るまでもの語りし、疲るゝを待ちて家に還り、直誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし。曩(さき)にこれを繰(あや)つちにいねつ。次の朝(あした)目醒めし時は、猶独り跡に残りしことを夢にはありしは、我(わが)某(なにがし)省の官長にて、今はこの糸、あなあはれ、天らずやと思ひぬ。起き出でし時の心細さ、かゝる思ひをば、生計(たつき)に苦方伯の手中に在り。余が大臣の?行と倶にベルリンに帰りしは、恰(あたか)もみて、けふの日の食なかりし折にもせざりき。これ彼が第?の書の略(あらまし)是れ新年の旦(あした)なりき。停車場に別を告げて、我家をさして車を駆(か)なり。 りつ。こゝにては今も除夜に眠らず、元旦に眠るが習なれば、万戸寂然たり。寒 又程経てのふみは頗る思ひせまりて書きたる如くなりき。文をば否といふ字にさは強く、路上の雪は稜角ある氷片となりて、晴れたる日に映じ、きら,,と輝て起したり。否、君を思ふ心の深き底(そこひ)をば今ぞ知りぬる。君は故里(ふけり。車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐(とゞ)まりぬ。この時窓を開るさと)に頼もしき族(やから)なしとのたまへば、此地に善き世渡のたつきあく音せしが、車よりは見えず。馭?(ぎよてい)に「カバン」持たせて梯を登ららば、留り玉はぬことやはある。又我愛もて繋ぎ留めでは止(や)まじ。それもんとする程に、エリスの梯を駈け下るに逢ひぬ。彼が?声叫びて我頸(うなじ)(かな)はで東(ひんがし)に還り玉はんとならば、親と共に往かんは易けれど、を抱きしを見て馭?は呆れたる面もちにて、何やらむ髭(ひげ)の内にて云ひしか程に多き路用を何処(いづく)よりか得ん。怎(いか)なる業をなしても此地が聞えず。「善くぞ帰り来玉ひし。帰り来玉はずば我命は絶えなんを。」 に留りて、君が世に出で玉はん日をこそ待ためと常には思ひしが、暫しの旅とて 我心はこの時までも定まらず、故郷を憶(おも)ふ念と栄達を求むる心とは、立出で玉ひしより此二十日ばかり、別離の思は日にけに茂りゆくのみ。袂(たも時として愛情を圧せんとせしが、唯だ此?刹那(せつな)、低徊踟(ていくわいと)を分つはたゞ?瞬の苦艱(くげん)なりと思ひしは迷なりけり。我身の常なちちう)の思は去りて、余は彼を抱き、彼の頭(かしら)は我肩に倚りて、彼がらぬが漸くにしるくなれる、それさへあるに、縦令(よしや)いかなることあり喜びの涙ははら,,と肩の上に落ちぬ。 とも、我をば努(ゆめ)な棄て玉ひそ。母とはいたく争ひぬ。されど我身の過ぎ「幾階か持ちて行くべき。」と鑼(どら)の如く叫びし馭?は、いち早く登りてし頃には似で思ひ定めたるを見て心折れぬ。わが東(ひんがし)に往かん日には、梯の上に立てり。 ステツチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せんとぞいふなる。書きお 戸の外に出迎へしエリスが母に、馭?を労(ねぎら)ひ玉へと銀貨をわたして、くり玉ひし如く、大臣の君に重く用ゐられ玉はゞ、我路用の金は兎も角もなりな余は手を取りて引くエリスに伴はれ、急ぎて室に入りぬ。?瞥(いちべつ)してん。今は只管(ひたすら)君がベルリンにかへり玉はん日を待つのみ。 余は驚きぬ、机の上には白き木綿、白き「レエス」などを堆(うづたか)く積み 嗚呼、余は此書を見て始めて我地位を明視し得たり。恥かしきはわが鈍(にぶ)上げたれば。 き心なり。余は我身?つの進退につきても、また我身に係らぬ他人(ひと)の事 エリスは打笑(うちゑ)みつゝこれを指(ゆびさ)して、「何とか見玉ふ、こにつきても、決断ありと自ら心に誇りしが、此決断は順境にのみありて、逆境にの心がまへを。」といひつゝ?つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓(むつき)はあらず。我と人との関係を照さんとするときは、頼みし胸中の鏡は曇りたり。 なりき。「わが心の楽しさを思ひ玉へ。産れん子は君に似て黒き瞳子(ひとみ) 大臣は既に我に厚し。されどわが近眼は唯だおのれが尽したる職分をのみ見をや持ちたらん。この瞳子。嗚呼、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。産れたらき。余はこれに未来の望を繋ぐことには、神も知るらむ、絶えて想(おもひ)到ん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせ玉はじ。」彼は頭を垂れ たり。「穉(をさな)しと笑ひ玉はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」似たり。戸口に入りしより疲を覚えて、身の節の痛み堪へ難ければ、這(は)ふ見上げたる目には涙満ちたり。 如くに梯を登りつ。庖厨(はうちゆう)を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に 二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢(あへ)て訪(とぶ)ら倚りて襁褓(むつき)縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかはず、家にのみ籠り居(をり)しが、或る日の夕暮使して招かれぬ。往きて見れにかし玉ひし。おん身の姿は。」 ば待遇殊にめでたく、魯西亜行の労を問ひ慰めて後、われと共に東にかへる心な 驚きしも宜(うべ)なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつのきか、君が学問こそわが測り知る所ならね、語学のみにて世の用には足りなむ、間にか失ひ、髪は蓬(おど)ろと乱れて、幾度か道にて跌(つまづ)き倒れしこ滞留の余りに久しければ、様々の係累もやあらんと、相沢に問ひしに、さることとなれば、衣は泥まじりの雪に(よご)れ、処々は裂けたれば。 なしと聞きて落居(おちゐ)たりと宣ふ。其気色辞(いな)むべくもあらず。あ 余は答へんとすれど声出でず、膝の頻(しき)りに戦(をのゝ)かれて立つになやと思ひしが、流石に相沢の言(こと)を偽なりともいひ難きに、若しこの手堪へねば、椅子を握(つか)まんとせしまでは覚えしが、その儘(まゝ)に地ににしも縋(すが)らずば、本国をも失ひ、名誉を挽(ひ)きかへさん道をも絶ち、倒れぬ。 身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝(つ)いて 人事を知る程になりしは数週(すしう)の後なりき。熱劇しくて譫語(うはこ起れり。嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承(うけたま)はり侍(はべ)り」と応と)のみ言ひしを、エリスが慇(ねもごろ)にみとる程に、或日相沢は尋ね来て、(こた)へたるは。 余がかれに隠したる顛末(てんまつ)を審(つば)らに知りて、大臣には病の事 黒がねの額(ぬか)はありとも、帰りてエリスに何とかいはん。「ホテル」をのみ告げ、よきやうに繕(つくろ)ひ置きしなり。余は始めて、病牀に侍するエ出でしときの我心の錯乱は、譬(たと)へんに物なかりき。余は道の東西をも分リスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走かず、思に沈みて行く程に、往きあふ馬車の馭?に幾度か叱(しつ)せられ、驚りし目は窪み、灰色の頬(ほ)は落ちたり。相沢の助にて日々の生計(たつき)きて飛びのきつ。暫くしてふとあたりを見れば、獣苑の傍(かたはら)に出でたには窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。 り。倒るゝ如くに路の辺(べ)の榻(こしかけ)に倚りて、灼くが如く熱し、椎 後に聞けば彼は相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕(つち)にて打たるゝ如く響く頭(かしら)を榻背(たふはい)に持たせ、死しべ大臣に聞え上げし?諾を知り、俄(にはか)に座より躍り上がり、面色さながたる如きさまにて幾時をか過しけん。劇しき寒さ骨に徹すと覚えて醒めし時は、ら土の如く、「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場夜に入りて雪は繁く降り、帽の庇(ひさし)、外套の肩には?寸許(ばかり)もに僵(たふ)れぬ。相沢は母を呼びて共に扶(たす)けて床に臥させしに、暫く積りたりき。 して醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びて 最早(もはや)十?時をや過ぎけん、モハビツト、カルヽ街通ひの鉄道馬車のいたく罵り、髪をむしり、蒲団(ふとん)を噛みなどし、また遽(にはか)に心軌道も雪に埋もれ、ブランデンブルゲル門の畔(ほとり)の瓦斯燈(ガスとう)づきたる様にて物を探り討(もと)めたり。母の取りて与ふるものをば悉(ことは寂しき光を放ちたり。立ち上らんとするに足の凍えたれば、両手にて擦(さす),″,)く抛(なげう)ちしが、机の上なりし襁褓を与へたるとき、探りみて顔りて、漸やく歩み得る程にはなりぬ。 に押しあて、涙を流して泣きぬ。 足の運びの捗(はかど)らねば、クロステル街まで来しときは、半夜をや過ぎ これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆(ほとんど)全く廃して、そたりけん。こゝ迄来し道をばいかに歩みしか知らず。?月上旬の夜なれば、ウンの痴(ち)なること赤児の如くなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りテル、デン、リンデンの酒家、茶店は猶ほ人の出入盛りにて賑(にぎ)はしかりし「パラノ??」といふ病(やまひ)なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルしならめど、ふつに覚えず。我脳中には唯我は免(ゆる)すべからぬ罪人なりとフの癲狂院(てんきやうゐん)に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、後にはか思ふ心のみ満ち,,たりき。 の襁褓?つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔(ききよ)す。余が病 四階の屋根裏には、エリスはまだ寝(い)ねずと覚(お)ぼしく、烱然(けい牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをり,,思ひ出したぜん)たる?星の火、暗き空にすかせば、明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如きるやうに「薬を、薬を」といふのみ。 雪片に、乍(たちま)ち掩はれ、乍ちまた顕れて、風に弄(もてあそ)ばるゝに 余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍(かばね)を抱きて千行(ちすぢ)の 涙を濺(そゝ)ぎしは幾度ぞ。大臣に随ひて帰東の途に上ぼりしときは、相沢とした。 議(はか)りてエリスが母に微(かすか)なる生計(たつき)を営むに足るほど カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニの資本を与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だぬ。 と、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室で 嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)もねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからに?点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。 ないという気持ちがするのでした。 ところが先生は早くもそれを見附《みつ》けたのでした。 (明治二十三年?月) 「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう。」 ジョバンニは勢《いきおい》よく立ちあがりましたが、立って見るともうはっ きりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえっ て、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてま っ赤になってしまいました。先生がまた云いました。 銀河鉄道の夜 「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう。」 宮沢賢治 やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができ ませんでした。 先生はしばらく困ったようすでしたが、眼《め》をカムパネルラの方へ向けて、 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 「ではカムパネルラさん。」と名指しました。するとあんなに元気に手をあげた カムパネルラが、やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでし た。《》:ルビ (例)川だと云《い》われたり 先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急いで 「では。よし。」と云いながら、自分で星図を指《さ》しました。 ,:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さ(例)光る粒,即《すなわ》ち星しか な星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう。」 ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼 ,,,:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 のなかには涙《なみだ》がいっぱいになりました。そうだ僕《ぼく》は知ってい(例)僕《ぼく》ん,,「ん」は小書き,とこへ たのだ、勿論《もちろん》カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネル ラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあ------------------------------------------------------- ったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの ?、午后《ごご》の授業 書斎《しょさい》から巨《おお》きな本をもってきて、ぎんがというところをひ ろげ、まっ黒な頁《ページ》いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつ 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云《い》われたり、乳の流れたあとだまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈《はず》もなかったのに、と云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですすぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、か。」先生は、黒板に吊《つる》した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけ学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云ぶった銀河帯のようなところを指《さ》しながら、みんなに問《とい》をかけまわないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事 をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわた。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜《からすうり》れなような気がするのでした。 を取りに行く相談らしかったのです。 先生はまた云いました。 けれどもジョバンニは手を大きく振《ふ》ってどしどし学校の門を出て来まし「ですからもしもこの天《あま》の川《がわ》がほんとうに川だと考えるなら、た。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのその?つ?つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利《じゃり》の粒《つぶ》きの枝《えだ》にあかりをつけたりいろいろ仕度《したく》をしているのでした。 にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよ 家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニ《しゆ》の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますは靴《くつ》をぬいで上りますと、突《つ》き当りの大きな扉《と》をあけましと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのた。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわなかに浮《うか》んでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲《す》り、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うよんでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水うに読んだり数えたりしながらたくさん働いて居《お》りました。 が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子《テーブル》に座《すわ》った人って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい。」 の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚《たな》をさがしてから、 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸《とつ》レンズを指「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、?枚の紙切れを渡《わた》しましました。 した。ジョバンニはその人の卓子の足もとから?つの小さな平たい函《はこ》を「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁《かべ》の隅の所へもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのしゃがみ込《こ》むと小さなピンセットでまるで粟粒《あわつぶ》ぐらいの活字ほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまを次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通ん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンりながら、 ズが薄《うす》いのでわずかの光る粒,即《すなわ》ち星しか見えないのでしょ「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えそのてずこっちも向かずに冷くわらいました。 遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。そん ジョバンニは何べんも眼を拭《ぬぐ》いながら活字をだんだんひろいました。 ならこのレンズの大きさがどれ位あるかまたその中のさまざまの星については 六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れもう時間ですからこの次の理科の時間にお話します。では今日はその銀河のお祭た平たい箱《はこ》をもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきのなのですからみなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。卓子の人へ持って来ました。その人は黙《だま》ってそれを受け取って微《かす》本やノートをおしまいなさい。」 かにうなずきました。 そして教室中はしばらく机《つくえ》の蓋《ふた》をあけたりしめたり本を重 ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。ねたりする音がいっぱいでしたがまもなくみんなはきちんと立って礼をするとするとさっきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を?つジョバンニ教室を出ました。 に渡しました。ジョバンニは俄《にわ》かに顔いろがよくなって威勢《いせい》 よくおじぎをすると台の下に置いた鞄《かばん》をもっておもてへ飛びだしまし 二、活版所 た。それから元気よく口笛《くちぶえ》を吹《ふ》きながらパン屋へ寄ってパン の塊《かたまり》を?つと角砂糖を?,袋《ふくろ》買いますと?目散《いちも ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラくさん》に走りだしました。 をまん中にして校庭の隅《すみ》の桜《さくら》の木のところに集まっていまし 三、家 「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」 「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」 ジョバンニが勢《いきおい》よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。「おまえに悪口を云うの。」 その三つならんだ入口の?番左側には空箱に紫《むらさき》いろのケールや?ス「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。カムパネルラはみんながパラガスが植えてあって小さな二つの窓には日覆《ひおお》いが下りたままになそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」 っていました。 「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからの「お母《っか》さん。いま帰ったよ。工合《ぐあい》悪くなかったの。」ジョバお友達だったそうだよ。」 ンニは靴をぬぎながら云いました。 「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は涼《すず》しくてね。わあのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中《とちゅう》たびたびカムパたしはずうっと工合がいいよ。」 ネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちには?ルコールラムプで走る汽車が ジョバンニは玄関《げんかん》を上って行きますとジョバンニのお母さんがすあったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついてぐ入口の室《へや》に白い巾《きれ》を被《かぶ》って寝《やす》んでいたのでいて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつした。ジョバンニは窓をあけました。 か?ルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐《かま》がすっかり煤《す「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」 す》けたよ。」 「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。」 「そうかねえ。」 「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」 「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしぃんとしてい「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。」 るからな。」 「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」 「早いからねえ。」 「来なかったろうかねえ。」 「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒《ほうき》のようだ。ぼくが行「ぼく行ってとって来よう。」 くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついて「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜《からすうり》のあかりを川へながしにトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。」 行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」 「ではぼくたべよう。」 「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」 ジョバンニは窓のところからトマトの皿《さら》をとってパンといっしょにし「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」 ばらくむしゃむしゃたべました。 「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」 「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」 「ああぼく岸から見るだけなんだ。?時間で行ってくるよ。」 「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。」 「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと?緒《いっしょ》なら心配はないか「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ。」 ら。」 「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。」 「ああきっと?緒だよ。お母さん、窓をしめて置こうか。」 「きっと出ているよ。お父さんが監獄《かんごく》へ入るようなそんな悪いこと「ああ、どうか。もう涼しいからね」 をした筈《はず》がないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈《きぞう》 ジョバンニは立って窓をしめお皿やパンの袋を片附《かたづ》けると勢よく靴した巨《おお》きな蟹《かに》の甲《こう》らだのとなかいの角だの今だってみをはいて んな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持っ「では?時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い戸口を出ました。 て行くよ。?昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕 四、ケンタウル祭の夜 た。 ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。 ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、檜《ひのき》のま それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時っ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。 間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形《だえんけい》 坂の下に大きな?つの街燈が、青白く立派に光って立っていました。ジョバンのなかにめぐってあらわれるようになって居《お》りやはりそのまん中には上かニが、どんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くら下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかにぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影《かげ》ぼうしは、だんだん濃《こ》爆発《ばくはつ》して湯気でもあげているように見えるのでした。またそのうしく黒くはっきりなって、足をあげたり手を振《ふ》ったり、ジョバンニの横の方ろには三本の脚《あし》のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたへまわって来るのでした。 しいちばんうしろの壁《かべ》には空じゅうの星座をふしぎな獣《けもの》や蛇(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配《こうばい》だから速いぞ。ぼくはいまそ《へび》や魚や瓶《びん》の形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうの電燈を通り越《こ》す。そうら、こんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにこんなような蝎《さそり》だの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼにくるっとまわって、前の方へ来た。) くはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたりしてしばらくぼんやり立っとジョバンニが思いながら、大股《おおまた》にその街燈の下を通り過ぎたとき、て居ました。 いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖《とが》ったシャツを着て電燈の それから俄《にわ》かにお母さんの牛乳のことを思いだしてジョバンニはその向う側の暗い小路《こうじ》から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいま店をはなれました。そしてきゅうくつな上着の肩《かた》を気にしながらそれでした。 もわざと胸を張って大きく手を振って町を通って行きました。 「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうち 空気は澄《す》みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街に、 燈はみなまっ青なもみや楢《なら》の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタ「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるよヌスの木などは、中に沢山《たくさん》の豆電燈がついて、ほんとうにそこらはうにうしろから叫《さけ》びました。 人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新らしい折のついた着物 ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いまを着て、星めぐりの口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いたり、 した。 「ケンタウルス、露《つゆ》をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの「何だい。ザネリ。」とジョバンニは高く叫び返しましたがもうザネリは向うの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。けれどもジョバンニは、ひばの植った家の中へはいっていました。 いつかまた深く首を垂れて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考え「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るながら、牛乳屋の方へ急ぐのでした。 ときはまるで鼠《ねずみ》のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなこ ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が幾本《いくほん》も幾本も、高とを云うのはザネリがばかなからだ。」 く星ぞらに浮《うか》んでいるところに来ていました。その牛乳屋の黒い門を入 ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯《あかり》り、牛の匂《におい》のするうすくらい台所の前に立って、ジョバンニは帽子《ぼや木の枝《えだ》で、すっかりきれいに飾《かざ》られた街を通って行きました。うし》をぬいで「今晩は、」と云いましたら、家の中はしぃんとして誰《たれ》時計屋の店には明るくネオン燈がついて、?秒ごとに石でこさえたふくろうの赤も居たようではありませんでした。 い眼《め》が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をし「今晩は、ごめんなさい。」ジョバンニはまっすぐに立ってまた叫びました。すた厚い硝子《ガラス》の盤《ばん》に載《の》って星のようにゆっくり循《めぐ》るとしばらくたってから、年,老《と》った女の人が、どこか工合《ぐあい》がったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするので悪いようにそろそろと出て来て何か用かと口の中で云いました。 した。そのまん中に円い黒い星座早見が青い?スパラガスの葉で飾ってありまし「あの、今日、牛乳が僕《ぼく》ん,,「ん」は小書き,とこへ来なかったので、 貰《もら》いにあがったんです。」ジョバンニが?生けん命,勢《いきおい》よ 五、天気輪《てんきりん》の柱 く云いました。 「いま誰もいないでわかりません。あしたにして下さい。」 牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星《おお その人は、赤い眼の下のとこを擦《こす》りながら、ジョバンニを見おろしてぐまぼし》の下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。 云いました。 ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです。」 行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その「ではもう少したってから来てください。」その人はもう行ってしまいそうでし小さなみちが、?すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、た。 ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバン ニは、さっきみんなの持って行った烏瓜《からすうり》のあかりのようだとも思「そうですか。ではありがとう。」ジョバンニは、お辞儀《じぎ》をして台所か ら出ました。 いました。 そのまっ黒な、松や楢《なら》の林を越《こ》えると、俄《にわ》かにがらん 十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店 の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛をと空がひらけて、天《あま》の川《がわ》がしらしらと南から北へ亘《わた》っ吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火《あかり》を持ってやって来るのをているのが見え、また頂《いただき》の、天気輪の柱も見わけられたのでした。 つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢《ゆめ》の中からでも薫見ました。その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。ジョバン ニの同級の子供らだったのです。ジョバンニは思わずどきっとして戻《もど》ろ《かお》りだしたというように咲き、鳥が?,疋《ぴき》、丘の上を鳴き続けな がら通って行きました。 うとしましたが、思い直して、?そう勢よくそっちへ歩いて行きました。 「川へ行くの。」ジョバンニが云おうとして、少しのどがつまったように思った ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたいとき、 草に投げました。 町の灯は、暗《やみ》の中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネリがまた叫びました。 「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。ジ供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫《さけ》び声もかすかに聞えて来るのでした。 風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗《あせ》でぬれたショバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、急いで行きすぎよう としましたら、そのなかにカムパネルラが居たのです。カムパネルラは気の毒そャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがったうに、だまって少しわらって、怒《おこ》らないだろうかというようにジョバン野原を見わたしました。 そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は?列小さく赤く見ニの方を見ていました。 ジョバンニは、遁《に》げるようにその眼を避《さ》け、そしてカムパネルラえ、その中にはたくさんの旅人が、苹果《りんご》を剥《む》いたり、わらった り、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかのせいの高いかたちが過ぎて行って間もなく、みんなはてんでに口笛を吹きまし なしくなって、また眼をそらに挙げました。 た。町かどを曲るとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって 見ていました。そしてカムパネルラもまた、高く口笛を吹いて向うにぼんやり見 あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。 ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとしえる橋の方へ歩いて行ってしまったのでした。ジョバンニは、なんとも云えずさ びしくなって、いきなり走り出しました。すると耳に手をあてて、わああと云いた冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そながら片足でぴょんぴょん跳《と》んでいた小さな子供らは、ジョバンニが面白こは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そし《おもしろ》くてかけるのだと思ってわあいと叫びました。まもなくジョバンニてジョバンニは青い琴《こと》の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬《まは黒い丘《おか》の方へ急ぎました。 たた》き、脚が何べんも出たり引っ込《こ》んだりして、とうとう蕈《きのこ》 のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんや りしたたくさんの星の集りか?つの大きなけむりかのように見えるように思いずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。 ました。 ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。) とおもいながら、 六、銀河ステーション 「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは 「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎《むか》いにきたんだ。」 そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦し形になって、しばらく蛍《ほたる》のように、ぺかぺか消えたりともったりしていというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものいるのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないよがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。 うになり、濃《こ》い鋼青《こうせい》のそらの野原にたちました。いま新らし ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直っく灼《や》いたばかりの青い鋼《はがね》の板のような、そらの野原に、まっすて、勢《いきおい》よく云いました。 ぐにすきっと立ったのです。 「ああしまった。ぼく、水筒《すいとう》を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてき するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云《い》た。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏んとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」そして、賊《ほたるいか》の火を?ぺんに化石させて、そら中に沈《しず》めたという工カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見て合《ぐあい》、またダ??モンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざいました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って?条のと穫《と》れないふりをして、かくして置いた金剛石《こんごうせき》を、誰《た鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、れ》かがいきなりひっくりかえして、ばら撒《ま》いたという風に、眼の前がさ夜のようにまっ黒な盤《ばん》の上に、??の停車場や三角標《さんかくひょう》、あっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦《こす》ってしまい泉水や森が、青や橙《だいだい》や緑や、うつくしい光でちりばめられてありまました。 した。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」 小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄 ジョバンニが云いました。 道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座《すわ》っ「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」 ていたのです。車室の中は、青い天蚕絨《びろうど》を張った腰掛《こしか》け「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここが、まるでがら明きで、向うの鼠《ねずみ》いろのワニスを塗った壁《かべ》にだろう。」 は、真鍮《しんちゅう》の大きなぼたんが二つ光っているのでした。 ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指《さ》しまし すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓からた。 頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩《かた》の「そうだ。おや、あの河原《かわら》は月夜だろうか。」 あたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまる誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでしうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。 た。 それはカムパネルラだったのです。 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるでは ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとね上りたいくらい愉快《ゆかい》になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出き、カムパネルラが して、高く高く星めぐりの口笛《くちぶえ》を吹《ふ》きながら?生けん命延び「みんなはねずいぶん走ったけれども遅《おく》れてしまったよ。ザネリもね、あがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしても それが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのき いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急れいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼《め》の加減か、《せ》きこんで云《い》いました。 ちらちら紫《むらさき》いろのこまかな波をたてたり、虹《にじ》のようにぎら ジョバンニは、 っと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっ(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い?つのちりのように見える橙《だちにも、燐光《りんこう》の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものいだい》いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものはんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。 青白く少しかすんで、或《ある》いは三角形、或いは四辺形、あるいは電《いな「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸《さいわい》になるなら、どんなことでもずま》や鎖《くさり》の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」した。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振《ふ》りました。するカムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、?生けん命こらえているようでとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てした。 んでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫《ふる》えたりしました。 「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはび「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。 っくりして叫《さけ》びました。 「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓「ぼくわからない。けれども、誰《たれ》だって、ほんとうにいいことをしたら、から前の方を見ながら云いました。 いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」「?ルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。 カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえ 俄《にわ》かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光《びこう》の中を、どこまでもどつに、金剛石《こんごうせき》や草の露《つゆ》やあらゆる立派さをあつめたよこまでもと、走って行くのでした。 うな、きらびやかな銀河の河床《かわどこ》の上を水は声もなくかたちもなく流「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射《さ》した?つの島が見える窓の外を指さして云いました。 のでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架《じ 線路のへりになったみじかい芝草《しばくさ》の中に、月長石ででも刻《きざ》ゅうじか》がたって、それはもう凍《こお》った北極の雲で鋳《い》たといったまれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。 らいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っている「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンのでした。 ニは胸を躍《おど》らせて云いました。 「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」 見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバ? カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、ブルを胸にあてたり、水晶《すいしょう》の珠数《じゅず》をかけたり、どの人いっぱいに光って過ぎて行きました。 もつつましく指を組み合せて、そっちに祈《いの》っているのでした。思わず二 と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬《ほほ》は、まるで熟したのコップが、湧《わ》くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、け苹果《りんご》のあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。 むるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。 そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。 向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひる 七、北十字とプリオシン海岸 がえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、 たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火《き 「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」 つねび》のように思われました。 それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白のように幾本《いくほん》も幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さ汽車から見えたきれいな河原《かわら》に来ました。 く、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり カムパネルラは、そのきれいな砂を?つまみ、掌《てのひら》にひろげ、指で見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのきしきしさせながら、夢《ゆめ》のように云っているのでした。 か、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼《あま》さんが、まん円な「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」 緑の瞳《ひとみ》を、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっ「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもちから伝わって来るのを、虔《つつし》んで聞いているというように見えました。ぼんやり答えていました。 旅人たちはしずかに席に戻《もど》り、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新ら 河原の礫《こいし》は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉《トパース》しい気持ちを、何気なくちがった語《ことば》で、そっと談《はな》し合ったのや、またくしゃくしゃの皺曲《しゅうきょく》をあらわしたのや、また稜《かど》です。 から霧《きり》のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走って「もうじき白鳥の停車場だねえ。」 その渚《なぎさ》に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河「ああ、十?時かっきりには着くんだよ。」 の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れてい 早くも、シグナルの緑の燈《あかり》と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮《う》いたよそとを過ぎ、それから硫黄《いおう》のほのおのようなくらいぼんやりした転てうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光《りんこう》をつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。 プラットホームの?列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだ 川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖《がけ》の下に、白い岩ん大きくなってひろがって、二人は?度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとが、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五まりました。 六人の人かげが、何か掘《ほ》り出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈《か さわやかな秋の時計の盤面《ダ??ル》には、青く灼《や》かれたはがねの二が》んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。 本の針が、くっきり十?時を指しました。みんなは、?ぺんに下りて、車室の中「行ってみよう。」二人は、まるで?度に叫んで、そっちの方へ走りました。そはがらんとなってしまいました。 の白い岩になった処《ところ》の入口に、 〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。 〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物《せともの》のつるつるした標札が立って、「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。 向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干《らんかん》も植えられ、木製のき「降りよう。」 れいなベンチも置いてありました。 二人は?度にはねあがってド?を飛び出して改札口《かいさつぐち》へかけて「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩行きました。ところが改札口には、明るい紫《むらさき》がかった電燈が、?つから黒い細長いさきの尖《とが》ったくるみの実のようなものをひろいました。 点《つ》いているばかり、誰《たれ》も居ませんでした。そこら中を見ても、駅「くるみの実だよ。そら、沢山《たくさん》ある。流れて来たんじゃない。岩の長や赤帽《あかぼう》らしい人の、影《かげ》もなかったのです。 中に入ってるんだ。」 二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏《いちょう》の木に囲ま「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」 れた、小さな広場に出ました。そこから幅《はば》の広いみちが、まっすぐに銀「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」 河の青光の中へ通っていました。 二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか?人も見えませんでした。二人が行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻《いなずま》のように燃えて寄せ、その白い道を、肩《かた》をならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に右手の崖には、いちめん銀や貝殻《かいがら》でこさえたようなすすきの穂《ほ》窓のある室《へや》の中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻《や》がゆれたのです。 だんだん近付いて見ると、?人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴《な?生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のようにがぐつ》をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴走れたのです。息も切れず膝《ひざ》もあつくなりませんでした。 嘴《つるはし》をふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手ら こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思いましい人たちに夢中《むちゅう》でいろいろ指図をしていました。 した。 「そこのその突起《とっき》を壊《こわ》さないように。スコープを使いたまえ、 そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな間もなく二人は、もとの車室の席に座《すわ》って、いま行って来た方を、窓か乱暴をするんだ。」 ら見ていました。 見ると、その白い柔《やわ》らかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣《け 八、鳥を捕《と》る人 もの》の骨が、横に倒《たお》れて潰《つぶ》れたという風になって、半分以上 掘り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄《ひづめ》の 「ここへかけてもようございますか。」 二つある足跡《あしあと》のついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られ て番号がつけられてありました。 がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。 「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡《めがね》をきらっとさせ それは、茶いろの少しぼろぼろの外套《がいとう》を着て、白い巾《きれ》でて、こっちを見て話しかけました。 つつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛《か》けた、赤髯《あかひげ》のせなかの「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだかがんだ人でした。 よ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶《あいさつ》しまこの下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたした。その人は、ひげの中でかすかに微笑《わら》いながら荷物をゆっくり網棚り引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、《あみだな》にのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなし いような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっと前の方で、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿《のみ》でやってくれたまえ。ボスと いってね、いまの牛の先祖で、昔《むかし》はたくさん居たさ。」 硝子《ガラス》の笛《ふえ》のようなものが鳴りました。汽車はもう、しずかに うごいていたのです。カムパネルラは、車室の天井《てんじょう》を、あちこち「標本にするんですか。」 「いや、証明するに要《い》るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層見ていました。その?つのあかりに黒い甲虫《かぶとむし》がとまってその影がで、百二十万年ぐらい前にできたという証拠《しょうこ》もいろいろあがるけれ大きく天井にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらい ながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、 あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかっん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光りました。 たかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨 赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊《き》きました。 《ろっこつ》が埋もれてる筈《はず》じゃないか。」大学士はあわてて走って行「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。」 きました。 「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。 「もう時間だよ。行こう。」カムパネルラが地図と腕時計《うでどけい》とをく「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」 らべながら云いました。 「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩《けんか》の「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学ようにたずねましたので、ジョバンニは、思わずわらいました。すると、向うの士におじぎしました。 席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵《かぎ》を腰《こし》に下げた人も、「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙《いそ》がしそうに、あちちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑こち歩きまわって監督《かんとく》をはじめました。二人は、その白い岩の上を、いだしてしまいました。ところがその人は別に怒《おこ》ったでもなく、頬《ほ ほ》をぴくぴくしながら返事しました。 「ね、そうでしょう。」鳥捕りは風呂敷《ふろしき》を重ねて、またくるくると「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」 包んで紐《ひも》でくくりました。誰《たれ》がいったいここらで鷺なんぞ喰《た》「何鳥ですか。」 べるだろうとジョバンニは思いながら訊きました。 「鶴や雁《がん》です。さぎも白鳥もです。」 「鷺はおいしいんですか。」 「鶴はたくさんいますか。」 「ええ、毎日注文があります。しかし雁《がん》の方が、もっと売れます。雁の「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」 方がずっと柄《がら》がいいし、第?手数がありませんからな。そら。」鳥捕り「いいえ。」 は、また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって、なに「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴《き》いてごらんなかのあかりのようにひかる雁が、ちょうどさっきの鷺のように、くちばしを揃《そさい。」 ろ》えて、少し扁《ひら》べったくなって、ならんでいました。 二人は眼《め》を挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、す「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄すきの風との間から、ころんころんと水の湧《わ》くような音が聞えて来るのでいろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできした。 ているように、すっときれいにはなれました。 「鶴、どうしてとるんですか。」 「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、それを二つにちぎってわ「鶴ですか、それとも鷺《さぎ》ですか。」 たしました。ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつは「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。 お菓子《かし》だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が「そいつはな、雑作《ぞうさ》ない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋《かしや》だ。けれ《こご》って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、どもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大川原で待っていて、鷺がみんな、脚《あし》をこういう風にして下りてくるとこへん気の毒だ。)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。 を、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押《おさ》えちまうんで「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もす。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかりっとたべたかったのですけれども、 切ってまさあ。押し葉にするだけです。」 「ええ、ありがとう。」と云《い》って遠慮《えんりょ》しましたら、鳥捕りは、「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」 こんどは向うの席の、鍵《かぎ》をもった人に出しました。 「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」 「いや、商売ものを貰《もら》っちゃすみませんな。」その人は、帽子《ぼうし》「おかしいねえ。」カムパネルラが首をかしげました。 をとりました。 「おかしいも不審《ふしん》もありませんや。そら。」その男は立って、網棚か「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡《わた》り鳥《どり》の景気ら包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。 は。」 「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」 「いや、すてきなもんですよ。?昨日《おととい》の第二限ころなんか、なぜ燈「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫《さけ》びました。まっ白な、あのさ台の灯《ひ》を、規則以外に間〔?字分空白〕させるかって、あっちからもこっっきの北の十字架《じゅうじか》のように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡りらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫《うきぼり》のようにならんでいた鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですから仕方ありませんや。のです。 わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえ「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、鷺の三日月がたの白い瞑や、ばさばさのマントを着て脚と口との途方《とほう》もなく細い大将へやれっ《つぶ》った眼にさわりました。頭の上の槍《やり》のような白い毛もちゃんとて、斯《こ》う云ってやりましたがね、はっは。」 ついていました。 すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが射《さ》して来 ました。 でした。 「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっきから、訊こうと思っ 鳥捕りは二十,疋《ぴき》ばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、ていたのです。 兵隊が鉄砲弾《てっぽうだま》にあたって、死ぬときのような形をしました。と「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向き直りました。 思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却《かえ》って、 「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、そうでなけぁ、砂に三四日う「ああせいせいした。どうもからだに恰度《ちょうど》合うほど稼《かせ》いでずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるよういるくらい、いいことはありませんな。」というききおぼえのある声が、ジョバになるよ。」 ンニの隣《とな》りにしました。見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」やっぱりおなじことを考えてきちんとそろえて、?つずつ重ね直しているのでした。 いたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、尋《たず》ねました。「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。」ジョバンニが、なん鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、 だかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いまし「そうそう、ここで降りなけぁ。」と云いながら、立って荷物をとったと思うと、た。 もう見えなくなっていました。 「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらか「どこへ行ったんだろう。」 らおいでですか。」 二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸《の》びあが ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこかるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光《りんこう》を赤にして何か思い出そうとしているのでした。 出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろ「ああ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきげて、じっとそらを見ていたのです。 ました。 「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体《きたい》だねえ。きっとまた鳥をつかまえ るとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」と云 九、ジョバンニの切符《きっぷ》 った途端《とたん》、がらんとした桔梗《ききょう》いろの空から、さっき見た ような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞《ま》「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高い?ルビレオいおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくの観測所です。」 ほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな脚を両手で片《かた》っ端《ぱし》から押えて、布の袋《ふくろ》の中に入れる建物が四,棟《むね》ばかり立って、その?つの平屋根の上に、眼《め》もさめのでした。すると鷺は、蛍《ほたる》のように、袋の中でしばらく、青くぺかぺるような、青宝玉《サフ???》と黄玉《トパース》の大きな二つのすきとおっか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなた球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだんって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられ向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじないで無事に天《あま》の川《がわ》の砂の上に降りるものの方が多かったのでは、重なり合って、きれいな緑いろの両面,凸《とつ》レンズのかたちをつくり、す。それは見ていると、足が砂へつくや否《いな》や、まるで雪の融《と》けるそれもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパーように、縮《ちぢ》まって扁《ひら》べったくなって、間もなく熔鉱炉《ようこスの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環《わ》とができました。うろ》から出た銅の汁《しる》のように、砂や砂利《じゃり》の上にひろがり、それがまただんだん横へ外《そ》れて、前のレンズの形を逆に繰《く》り返し、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったりとうとうすっとはなれて、サフ???は向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのまた?度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にか こまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡《ねむ》っているように、しずかにんか、どこまででも行ける筈《はず》でさあ、あなた方大したもんですね。」 よこたわったのです。 「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又《また》「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕《とりと》りが云いか畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、またけたとき、 窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちら「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子《ぼうし》をかぶったせちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。 いの高い車掌《しゃしょう》が、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕「もうじき鷲《わし》の停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだりは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、小さな青じろい三角標と地図とを見較《みくら》べて云いました。 すぐ眼をそらして、(あなた方のは,)というように、指をうごかしながら、手 ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でをジョバンニたちの方へ出しました。 たまらなくなりました。鷺《さぎ》をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わ白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見けもてあわててほめだしたり、そんなことを??考えていると、もうその見ず知らずないという風で、小さな鼠《ねずみ》いろの切符を出しました。ジョバンニ は、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳《たた》んだ紙きれにあたってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸《さいわい》になるなら自分があの 光る天の川の河原《かわら》に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、そ れは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出していというような気がして、どうしてももう黙《だま》っていられなくなりました。 ほんとうにあなたのほしいものは?体何ですか、と訊《き》こうとして、それでいるもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はま っすぐに立ち直って叮寧《ていねい》にそれを開いて見ていました。そして読みはあんまり出し抜《ぬ》けだから、どうしようかと考えて振《ふ》り返って見まながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下かしたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚《あみだな》の上には 白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺らそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何 かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。 を捕る支度《したく》をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外 はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなか「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。 「何だかわかりません。」もう大丈夫《だいじょうぶ》だと安心しながらジョバも尖《とが》った帽子も見えませんでした。 ンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。 「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。 「どこへ行ったろう。?体どこでまたあうのだろう。僕《ぼく》はどうしても少「よろしゅうございます。南十字《サウザンクロス》へ着きますのは、次の第三 時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。 しあの人に物を言わなかったろう。」 「ああ、僕もそう思っているよ。」 カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞ 「僕はあの人が邪魔《じゃま》なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」きこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめ ん黒い唐草《からくさ》のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今 まで云ったこともないと思いました。 ものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込《こ》まれてしまうような気が するのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いま「何だか苹果《りんご》の匂《におい》がする。僕いま苹果のこと考えたためだした。 ろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。 「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行け「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨《のいばら》の匂もする。」ジョバンる切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをおニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想《げんそう》第四次の銀河鉄道ないま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。 そしたら俄《にわ》かにそこに、つやつやした黒い髪《かみ》の六つばかりの「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないい男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくてたがたふるえてはだしで立っていました。隣《とな》りには黒い洋服をきちんと匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗着たせいの高い青年が?ぱいに風に吹《ふ》かれているけやきの木のような姿勢れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さで、男の子の手をしっかりひいて立っていました。 んやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をばかりの眼の茶いろな可愛《かあい》らしい女の子が黒い外套《がいとう》を着なで、みんなを慰《なぐさ》めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来まて青年の腕《うで》にすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。 した。 「ああ、ここはランカシャ?ヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちにわらいました。 は神さまに召《め》されているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてそ「いえ、氷山にぶっつかって船が沈《しず》みましてね、わたしたちはこちらのの女の子に云《い》いました。けれどもなぜかまた額に深く皺《しわ》を刻んで、お父さんが急な用で二ヶ月前?足さきに本国へお帰りになったのであとから発それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとな《た》ったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。りに座《すわ》らせました。 ところがちょうど十二日目、今日か昨日《きのう》のあたりです、船が氷山にぶ それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子っつかって?ぺんに傾《かたむ》きもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼはすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。 んやりありましたが、霧《きり》が非常に深かったのです。ところがボートは左「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛《こしか》けたばかりの男の舷《さげん》の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見まさな人たちを乗せて下さいと叫《さけ》びました。近くの人たちはすぐみちを開した。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。 いてそして子供たちのために祈《いの》って呉《く》れました。けれどもそこか「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうらボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待ってても押《お》しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこいらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神あそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんでのお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それすから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」 からまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげよ「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」 うと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子ども「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気《きょうき》のようにキスあの夏中、ツ?ンクル、ツ?ンクル、リトル、スター をうたってやすむとき、を送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとていつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしももう腸《はらわた》もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みまょう、あんなに光っています。」 すから、私はもうすっかり覚悟《かくご》してこの人たち二人を抱《だ》いて、 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっ浮《うか》べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰《たと姉弟にまた云いました。 れ》が投げたかラ?フブ?が?つ飛んで来ましたけれども滑《すべ》ってずうっ と向うへ行ってしまいました。私は?生けん命で甲板《かんぱん》の格子《こうは、ばらの匂《におい》でいっぱいでした。 し》になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからと「いかがですか。こういう苹果《りんご》はおはじめてでしょう。」向うの席のもなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国燈台看守がいつか黄金《きん》と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さ語で?ぺんにそれをうたいました。そのとき俄《にわ》かに大きな音がして私たないように両手で膝《ひざ》の上にかかえていました。 ちは水に落ちもう渦《うず》に入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいて「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母のですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられさんは?昨年,没《な》くなられました。ええボートはきっと助かったにちがいた?もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめてありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕《こ》いですばやく船からはなれていました。 いましたから。」 「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」 そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘 青年は?つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。 れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼《め》が熱くなりました。 「さあ、向うの坊《ぼっ》ちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」 (ああ、その大きな海はパシフ?ックというのではなかったろうか。その氷山の ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていま流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍《こお》りつく潮水や、烈《はしたがカムパネルラは げ》しい寒さとたたかって、たれかが?生けんめいはたらいている。ぼくはその「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとって?つずつ二人に送っひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさてよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。 いわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、 燈台看守はやっと両腕《りょううで》があいたのでこんどは自分で?つずつ睡すっかりふさぎ込《こ》んでしまいました。 っている姉弟の膝にそっと置きました。 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがた「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」 だしいみちを進む中でのできごとなら峠《とうげ》の上りも下りもみんなほんと 青年はつくづく見ながら云いました。 うの幸福に近づく?あしずつですから。」 「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものが 燈台守がなぐさめていました。 できるような約束《やくそく》になって居《お》ります。農業だってそんなに骨「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみは折れはしません。たいてい自分の望む種子《たね》さえ播《ま》けばひとりでんなおぼしめしです。」 にどんどんできます。米だってパシフ?ック辺のように殻《から》もないし十倍 青年が祈るようにそう答えました。 も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はも そしてあの姉弟《きょうだい》はもうつかれてめいめいぐったり席によりかかうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのって睡《ねむ》っていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔《やひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけわ》らかな靴《くつ》をはいていたのです。 てしまうのです。」 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光《りんこう》の川の岸を進みました。 にわかに男の子がぱっちり眼をあいて云いました。 向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈《げんとう》のようでした。百も千も「ああぼくいまお母さんの夢《ゆめ》をみていたよ。お母さんがね立派な戸棚《との大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見だな》や本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわえ、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧らったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がのよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりしさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」 た狼煙《のろし》のようなものが、かわるがわるきれいな桔梗《ききょう》いろ「その苹果《りんご》がそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」のそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗《きれい》な風青年が云いました。 「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやがらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」 ももう汽車のひびきや風の音にすり耗《へ》らされてずうっとかすかになりまし 姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見また。 した。男の子はまるでパ?を喰《た》べるようにもうそれを喰べていました、ま「あ孔雀《くじゃく》が居るよ。」 た折角《せっかく》剥《む》いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜《ぬ》き「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。 のような形になって床《ゆか》へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう?つの緑いろの貝ぼたんの蒸発してしまうのでした。 ように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげ 二人はりんごを大切にポケットにしまいました。 たりとじたりする光の反射を見ました。 川下の向う岸に青く茂《しげ》った大きな林が見え、その枝《えだ》には熟し「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云《い》てまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、いました。 森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな「ええ、三十,疋《ぴき》ぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのは音いろが、とけるように浸《し》みるように風につれて流れて来るのでした。 みんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄《にわ》かに何とも云え 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。 ずかなしい気がして思わず だまってその譜《ふ》を聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云お明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋《ろう》のような露《つゆ》がうとしたくらいでした。 太陽の面を擦《かす》めて行くように思われました。 川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが?つ「まあ、あの烏《からす》。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が組まれてその上に?人の寛《ゆる》い服を着て赤い帽子《ぼうし》をかぶった男叫びました。 が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号してい「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱《しか》るのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるにしました。まったく河原《かわら》の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさでオーケストラの指揮者のように烈《はげ》しく振《ふ》りました。すると空中んたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光《びこう》を受けていにざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたるのでした。 まりも鉄砲丸《てっぽうだま》のように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジ「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しとりなすように云いました。 い桔梗《ききょう》いろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車の幾組《いくくみ》も幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。 ずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌《さんびか》「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。 のふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年は「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服さっと顔いろが青ざめ、たって?ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしの男は俄かに赤い旗をあげて狂気《きょうき》のようにふりうごかしました。すてまた座《すわ》りました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジるとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰《つぶ》れョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰《たれ》ともたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫《さけ》んでいたのです。 カムパネルラも?緒《いっしょ》にうたい出したのです。 「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞え そして青い橄欖《かんらん》の森が見えない天の川の向うにさめざめと光りなました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたので す。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬《ほねえ」とジョバンニに云いましたけれどもジョバンニはどうしても気持がなおりほ》をかがやかせながらそらを仰《あお》ぎました。 ませんでしたからただぶっきり棒に野原を見たまま「そうだろう。」と答えまし「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子た。そのとき汽車はだんだんしずかになっていくつかのシグナルとてんてつ器のはジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思灯を過ぎ小さな停車場にとまりました。 いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示しその振子《ふりこ》は風もな息をしてだまって席へ戻《もど》りました。カムパネルラが気の毒そうに窓からくなり汽車もうごかずしずかなしずかな野原のなかにカチッカチッと正しく時顔を引っ込《こ》めて地図を見ていました。 を刻んで行くのでした。 「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねま そしてまったくその振子の音のたえまを遠くの遠くの野原のはてから、かすかした。 なかすかな旋律《せんりつ》が糸のように流れて来るのでした。「新世界,交響「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょ楽《こうきょうがく》だわ。」姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっとう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃん云いました。全くもう車の中ではあの黒服の丈高《たけたか》い青年も誰《たれ》となりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいともみんなやさしい夢《ゆめ》を見ているのでした。 こへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛《くちぶ(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快《ゆかい》になれないだろえ》を吹《ふ》いていました。 う。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあ(どうして僕《ぼく》はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであんな女の子とばかれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりり談《はな》しているんだもの。僕はほんとうにつらい。)ジョバンニはまた両のような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれ手で顔を半分かくすようにして向うの窓のそとを見つめていました。すきとおっをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱《ほて》って痛いあたた硝子《ガラス》のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもまを両手で押《おさ》えるようにしてそっちの方を見ました。(ああほんとうにさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。 どこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだ「ええ、ええ、もうこの辺はひどい高原ですから。」うしろの方で誰《たれ》かってあんな女の子とおもしろそうに談《はな》しているし僕はほんとうにつらいとしよりらしい人のいま眼《め》がさめたという風ではきはき談している声がしなあ。)ジョバンニの眼はまた泪《なみだ》でいっぱいになり天の川もまるで遠ました。 くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした。 「とうもろこしだって棒で二尺も孔《あな》をあけておいてそこへ播《ま》かな そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖《がけ》の上を通るようになりましいと生えないんです。」 た。向う岸もまた黒いいろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高く「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ、」 なって行くのでした。そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。その「ええええ河までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峡谷《きょう葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞《ほう》が赤い毛をこく》になっているんです。」 吐《は》いて真珠のような実もちらっと見えたのでした。それはだんだん数を増 そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそうして来てもういまは列のように崖と線路との間にならび思わずジョバンニが窓思いました。カムパネルラはまださびしそうにひとり口笛を吹き、女の子はまるから顔を引っ込めて向う側の窓を見ましたときは美しいそらの野原の地平線ので絹で包んだ苹果《りんご》のような顔いろをしてジョバンニの見る方を見ていはてまでその大きなとうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられてさやさるのでした。突然《とつぜん》とうもろこしがなくなって巨《おお》きな黒い野や風にゆらぎその立派なちぢれた葉のさきからはまるでひるの間にいっぱい日原がいっぱいにひらけました。新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてか光を吸った金剛石《こんごうせき》のように露《つゆ》がいっぱいについて赤やら湧《わ》きそのまっ黒な野原のなかを?人の?ンデ?ンが白い鳥の羽根を頭に緑やきらきら燃えて光っているのでした。カムパネルラが「あれとうもろこしだつけたくさんの石を腕《うで》と胸にかざり小さな弓に矢を番《つが》えて?目 散《いちもくさん》に汽車を追って来るのでした。 「あれ何の旗だろうね。」ジョバンニがやっとものを云いました。 「あら、?ンデ?ンですよ。?ンデ?ンですよ。ごらんなさい。」 「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。鉄の舟がおいてあるねえ。」 黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりまし「ああ。」 た。 「橋を架《か》けるとこじゃないんでしょうか。」女の子が云いました。 「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう。」 「あああれ工兵の旗だねえ。架橋《かきょう》演習をしてるんだ。けれど兵隊の「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟《りょう》をするか踊《おど》かたちが見えないねえ。」 るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたという風にポケットに手 その時向う岸ちかくの少し下流の方で見えない天の川の水がぎらっと光ってを入れて立ちながら云いました。 柱のように高くはねあがりどぉと烈《はげ》しい音がしました。 まったく?ンデ?ンは半分は踊っているようでした。第?かけるにしても足の「発破《はっぱ》だよ、発破だよ。」カムパネルラはこおどりしました。 ふみようがもっと経済もとれ本気にもなれそうでした。にわかにくっきり白いそ その柱のようになった水は見えなくなり大きな鮭《さけ》や鱒《ます》がきらの羽根は前の方へ倒《たお》れるようになり?ンデ?ンはぴたっと立ちどまってっきらっと白く腹を光らせて空中に抛《ほう》り出されて円い輪を描いてまた水すばやく弓を空にひきました。そこから?羽の鶴《つる》がふらふらと落ちて来に落ちました。ジョバンニはもうはねあがりたいくらい気持が軽くなって云いまてまた走り出した?ンデ?ンの大きくひろげた両手に落ちこみました。?ンデ?した。 ンはうれしそうに立ってわらいました。そしてその鶴をもってこっちを見ている「空の工兵大隊だ。どうだ、鱒やなんかがまるでこんなになってはねあげられた影《かげ》ももうどんどん小さく遠くなり電しんばしらの碍子《がいし》がきらねえ。僕こんな愉快な旅はしたことない。いいねえ。」 っきらっと続いて二つばかり光ってまたとうもろこしの林になってしまいまし「あの鱒なら近くで見たらこれくらいあるねえ、たくさんさかな居るんだな、こた。こっち側の窓を見ますと汽車はほんとうに高い高い崖《がけ》の上を走っての水の中に。」 いてその谷の底には川がやっぱり幅《はば》ひろく明るく流れていたのです。 「小さなお魚もいるんでしょうか。」女の子が談《はなし》につり込《こ》まれ て云いました。 「ええ、もうこの辺から下りです。何せこんどは?ぺんにあの水面までおりて行 くんですから容易じゃありません。この傾斜《けいしゃ》があるもんですから汽「居るんでしょう。大きなのが居るんだから小さいのもいるんでしょう。けれど 遠くだからいま小さいの見えなかったねえ。」ジョバンニはもうすっかり機嫌《き車は決して向うからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったで しょう。」さっきの老人らしい声が云いました。 げん》が直って面白《おもしろ》そうにわらって女の子に答えました。 どんどんどんどん汽車は降りて行きました。崖のはじに鉄道がかかるときは川「あれきっと双子《ふたご》のお星さまのお宮だよ。」男の子がいきなり窓の外が明るく下にのぞけたのです。ジョバンニはだんだんこころもちが明るくなってをさして叫《さけ》びました。 来ました。汽車が小さな小屋の前を通ってその前にしょんぼりひとりの子供が立 右手の低い丘《おか》の上に小さな水晶《すいしょう》ででもこさえたようなってこっちを見ているときなどは思わずほうと叫びました。 二つのお宮がならんで立っていました。 どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中《へやじゅう》のひとたちは「双子のお星さまのお宮って何だい。」 半分うしろの方へ倒れるようになりながら腰掛《こしかけ》にしっかりしがみつ「あたし前になんべんもお母さんから聴《き》いたわ。ちゃんと小さな水晶のおいていました。ジョバンニは思わずカムパネルラとわらいました。もうそして天宮で二つならんでいるからきっとそうだわ。」 の川は汽車のすぐ横手をいままでよほど激《はげ》しく流れて来たらしくときど「はなしてごらん。双子のお星さまが何したっての。」 きちらちら光ってながれているのでした。うすあかい河原《かわら》なでしこの「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びにでてからすと喧嘩《けんか》花があちこち咲いていました。汽車はようやく落ち着いたようにゆっくりと走っしたんだろう。」 ていました。 「そうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、おっかさんお話なすったわ、……」 向うとこっちの岸に星のかたちとつるはしを書いた旗がたっていました。 「それから彗星《ほうきぼし》がギーギーフーギーギーフーて云って来たねえ。」 「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」 たしはわたしのからだをだまっていたちに呉《く》れてやらなかったろう。そし「するとあすこにいま笛《ふえ》を吹《ふ》いて居るんだろうか。」 たらいたちも?日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こ「いま海へ行ってらあ。」 んなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸《さいわい》の「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ。」 ために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎は「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう。」 じぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らして いるのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰《おっしゃ》ったわ。ほん 川の向う岸が俄《にわ》かに赤くなりました。楊《やなぎ》の木や何かもまっとうにあの火それだわ。」 黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光り「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」 ました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりく桔梗《ききょう》いろのつめたそうな天をも焦《こ》がしそうでした。ルビーの腕《うで》のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔《よ》ったようになってそのでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音火は燃えているのでした。 なくあかるくあかるく燃えたのです。 「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジ その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云えずにぎやかョバンニが云《い》いました。 なさまざまの楽の音《ね》や草花の匂《におい》のようなもの口笛や人々のざわ「蝎《さそり》の火だな。」カムパネルラが又《また》地図と首っ引きして答えざわ云う声やらを聞きました。それはもうじきちかくに町か何かがあってそこにました。 お祭でもあるというような気がするのでした。 「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」 「ケンタウル露《つゆ》をふらせ。」いきなりいままで睡《ねむ》っていたジョ「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。 バンニのとなりの男の子が向うの窓を見ながら叫んでいました。 「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さ ああそこにはクリスマストリ?のようにまっ青な唐檜《とうひ》かもみの木がんから聴いたわ。」 たってその中にはたくさんのたくさんの豆電燈《まめでんとう》がまるで千の蛍「蝎って、虫だろう。」 《ほたる》でも集ったようについていました。 「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」 「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」 「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館で?ルコールにつけてあるの見た。尾にこんな「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云いました。〔以下原かぎがあってそれで螫《さ》されると死ぬって先生が云ったよ。」 稿?枚,なし〕 「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯《こ》う云ったのよ。むかしのバルド ラの野原に?ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんです「ボール投げなら僕《ぼく》決してはずさない。」 って。するとある日いたちに見附《みつ》かって食べられそうになったんですっ 男の子が大威張《おおいば》りで云いました。 て。さそりは?生けん命,遁《に》げて遁げたけどとうとういたちに押《おさ》「もうじきサウザンクロスです。おりる支度《したく》をして下さい。」青年がえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまみんなに云いました。 ったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺《おぼ》れはじめたのよ。そ「僕も少し汽車へ乗ってるんだよ。」男の子が云いました。カムパネルラのとなのときさそりは斯う云ってお祈《いの》りしたというの、 りの女の子はそわそわ立って支度をはじめましたけれどもやっぱりジョバンニ ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてそのたちとわかれたくないようなようすでした。 私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに?生けん命にげた。それで「ここでおりなけぁいけないのです。」青年はきちっと口を結んで男の子を見おもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわろしながら云いました。 「厭《いや》だい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」 遠くからつめたいそらの遠くからすきとおった何とも云えずさわやかなラッパ ジョバンニがこらえ兼ねて云いました。 の声をききました。そしてたくさんのシグナルや電燈の灯《あかり》のなかを汽「僕たちと?緒《いっしょ》に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符車はだんだんゆるやかになりとうとう十字架のちょうどま向いに行ってすっか《きっぷ》持ってるんだ。」 りとまりました。 「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこな「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひきだんだん向うの出口の方へんだから。」女の子がさびしそうに云いました。 歩き出しました。 「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっ「じゃさよなら。」女の子がふりかえって二人に云いました。 といいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」 「さよなら。」ジョバンニはまるで泣き出したいのをこらえて怒《おこ》ったよ「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰《お》っしゃるんだうにぶっきり棒に云いました。女の子はいかにもつらそうに眼《め》を大きくしわ。」 ても?度こっちをふりかえってそれからあとはもうだまって出て行ってしまい「そんな神さまうその神さまだい。」 ました。汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄《にわ》かにがらんとしてさ「あなたの神さまうその神さまよ。」 びしくなり風がいっぱいに吹《ふ》き込《こ》みました。 「そうじゃないよ。」 そして見ているとみんなはつつましく列を組んであの十字架の前の天の川の「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。 なぎさにひざまずいていました。そしてその見えない天の川の水をわたってひと「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたったりの神々《こうごう》しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人?人の神さまです。」 は見ました。けれどもそのときはもう硝子《ガラス》の呼子《よびこ》は鳴らさ「ほんとうの神さまはもちろんたった?人です。」 れ汽車はうごき出しと思ううちに銀いろの霧《きり》が川下の方からすうっと流「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」 れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。ただたくさんのくるみの木が葉「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神をさんさんと光らしてその霧の中に立ち黄金《きん》の円光をもった電気,栗鼠さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」青年はつつましく両《りす》が可愛《かあい》い顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。 手を組みました。女の子もちょうどその通りにしました。みんなほんとうに別れ が惜《お》しそうでその顔いろも少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶな そのときすうっと霧がはれかかりました。どこかへ行く街道らしく小さな電燈く声をあげて泣き出そうとしました。 の?列についた通りがありました。それはしばらく線路に沿って進んでいまし「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから。」 た。そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はち ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙《だいだい》やょうど挨拶《あいさつ》でもするようにぽかっと消え二人が過ぎて行くときまたもうあらゆる光でちりばめられた十字架《じゅうじか》がまるで?本の木という点《つ》くのでした。 風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるい環《わ》になって ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしまいほんとう後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんにもうそのまま胸にも吊《つる》されそうになり、さっきの女の子や青年たちがなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈りをはじめました。あっちその前の白い渚《なぎさ》にまだひざまずいているのかそれともどこか方角もわにもこっちにも子供が瓜《うり》に飛びついたときのようなよろこびの声や何とからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分けられませんでした。 も云いようない深いつつましいためいきの音ばかりきこえました。そしてだんだ ジョバンニはああと深く息しました。 ん十字架は窓の正面になりあの苹果《りんご》の肉のような青じろい環の雲もゆ「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも?緒るやかにゆるやかに繞《めぐ》っているのが見えました。 に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸《さいわい》のた「ハルレヤハルレヤ。」明るくたのしくみんなの声はひびきみんなはそのそらのめならば僕のからだなんか百ぺん灼《や》いてもかまわない。」 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙《なみだ》がうかながれていました。 んでいました。 ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下で「けれどもほんとうのさいわいは?体何だろう。」ジョバンニが云いました。 たくさんの灯を綴《つづ》ってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱し「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。 たという風でした。そしてたったいま夢《ゆめ》であるいた天の川もやっぱりさ「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧《わ》っきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊《こと》にけむくようにふうと息をしながら云いました。 ったようになってその右には蠍座《さそりざ》の赤い星がうつくしくきらめき、「あ、あすこ石炭,袋《ぶくろ》だよ。そらの孔《あな》だよ。」カムパネルラそらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。 が少しそっちを避《さ》けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。 ジョバンニは?さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待っジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の?とこにているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒い松《ま大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかそのつ》の林の中を通ってそれからほの白い牧場の柵《さく》をまわってさっきの入奥《おく》に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼が口から暗い牛舎の前へまた来ました。そこには誰かがいま帰ったらしくさっきなしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。 かった?つの車が何かの樽《たる》を二つ乗っけて置いてありました。 「僕もうあんな大きな暗《やみ》の中だってこわくない。きっとみんなのほんと「今晩は、」ジョバンニは叫びました。 うのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち?緒に進んで行こ「はい。」白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。 う。」 「何のご用ですか。」 「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集って「今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」 るねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだ「あ済みませんでした。」その人はすぐ奥へ行って?本の牛乳瓶《ぎゅうにゅうよ。」カムパネルラは俄《にわ》かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びん》をもって来てジョバンニに渡《わた》しながらまた云いました。 《さけ》びました。 「ほんとうに、済みませんでした。今日はひるすぎうっかりしてこうしの棚をあ ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばけて置いたもんですから大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずいましてね……」その人はわらいました。 さびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ば「そうですか。ではいただいて行きます。」 しらが?度両方から腕《うで》を組んだように赤い腕木をつらねて立っていまし「ええ、どうも済みませんでした。」 た。 「いいえ。」 「カムパネルラ、僕たち?緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯《こ》う云いなが ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むようにもって牧場の柵 を出ました。 らふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座《すわ》っていた席に そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョ バンニはまるで鉄砲丸《てっぽうだま》のように立ちあがりました。そして誰《たちは十文字になってその右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあれ》にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っって叫びそれからもう咽喉《のど》いっぱい泣きだしました。もうそこらが?ぺていました。 んにまっくらになったように思いました。 ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集っ て橋の方を見ながら何かひそひそ談《はな》しているのです。それから橋の上に ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘《おか》の草の中につかれてねむっもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。 ていたのでした。胸は何だかおかしく熱《ほて》り頬《ほほ》にはつめたい涙が ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。そしていき なり近くの人たちへ ような気がしてしかたなかったのです。 「何かあったんですか。」と叫ぶようにききました。 けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、 「こどもが水へ落ちたんですよ。」?人が云いますとその人たちは?斉《いっせ「ぼくずいぶん泳いだぞ。」と云いながらカムパネルラが出て来るか或《ある》い》にジョバンニの方を見ました。ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りましいはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立っていて誰かの来た。橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。白い服を着た巡査《じゅんるのを待っているかというような気がして仕方ないらしいのでした。けれども俄さ》も出ていました。 《にわ》かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。 ジョバンニは橋の袂《たもと》から飛ぶように下の広い河原へおりました。 「もう駄目《だめ》です。落ちてから四十五分たちましたから。」 その河原の水際《みずぎわ》に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行っ下ったりしていました。向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。た方を知っていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おそのまん中をもう烏瓜《からすうり》のあかりもない川が、わずかに音をたててうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。すると博士はジョ灰いろにしずかに流れていたのでした。 バンニが挨拶《あいさつ》に来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジ 河原のいちばん下流の方へ州《す》のようになって出たところに人の集りがくョバンニを見ていましたが っきりまっ黒に立っていました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。す「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」と叮《てい》るとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いねいに云いました。 ました。マルソがジョバンニに走り寄ってきました。 ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。 「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」 「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士は堅《かた》く時計を握《に「どうして、いつ。」 ぎ》ったまままたききました。 「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押《お》してやろう「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。 としたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパ「どうしたのかなあ。ぼくには?昨日《おととい》大へん元気な便りがあったんネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅《おく》れたんだな。ジョバンはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」 ニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」 「みんな探してるんだろう。」 そう云いながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を「ああすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附《みつ》送りました。 からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」 ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人た前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせちに囲まれて青じろい尖《とが》ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒いようと思うともう?目散に河原を街の方へ走りました。 服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。 みんなもじっと河を見ていました。誰《たれ》も?言も物を云う人もありませ んでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときの? セチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社 小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。 1989(平成元)年6月15日発行 下流の方は川はば?ぱい銀河が巨《おお》きく写ってまるで水のないそのまま 1994(平成6)年6月5日13刷 のそらのように見えました。 底本の親本:「新修宮沢賢治全集 第十二巻」筑摩書房 ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないという 1980(昭和55)年1月 入力:中村隆生、野口英司 々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いとい校正:野口英司 う端書《はがき》を受け取ったので、私は多少の金を工面《くめん》して、出掛1997年10月28日公開 ける事にした。私は金の工面に二《に》、三日《さんち》を費やした。ところが2004年3月2日修正 私が鎌倉に着いて三日と経《た》たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国 元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけ れども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧《す こころ す》まない結婚を強《し》いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するに夏目漱石 はあまり年が若過ぎた。それに肝心《かんじん》の当人が気に入らなかった。そ れで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたので ある。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固《もと》より帰る べきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は?人 《》:ルビ 取り残された。 (例)私《わたくし》はその人を常に先生と呼んでいた 学校の授業が始まるにはまだ大分《だいぶ》日数《ひかず》があるので鎌倉に おってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留《と》まる ,:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子《むすこ》で金に不自由のない男で(例)先生?人,麦藁帽《むぎわらぼう》を あったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りも しなかった。したがって?人《ひとり》ぼっちになった私は別に恰好《かっこう》 ,,,:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 な宿を探す面倒ももたなかったのである。 (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) 宿は鎌倉でも辺鄙《へんぴ》な方角にあった。玉突《たまつ》きだの??スク(例)※,,「てへん,劣」、第3水準1-84リームだのというハ?カラなものには長い畷《なわて》を?つ越さなければ手が-77, 届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここ------------------------------------------------------- にいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極 便利な地位を占めていた。 上 先生と私 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻《くす》ぶり返った藁葺《わらぶき》 の間《あいだ》を通り抜けて磯《いそ》へ下りると、この辺《へん》にこれほど ?の都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いてい た。ある時は海の中が銭湯《せんとう》のように黒い頭でごちゃごちゃしている 事もあった。その中に知った人を?人ももたない私も、こういう賑《にぎ》やか 私《わたくし》はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と 書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚《はば》かる遠慮というよりも、な景色の中に裹《つつ》まれて、砂の上に寝《ね》そべってみたり、膝頭《ひざ がしら》を波に打たしてそこいらを跳《は》ね廻《まわ》るのは愉快であった。 その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、す 私は実に先生をこの雑沓《ざっとう》の間《あいだ》に見付け出したのである。ぐ「先生」といいたくなる。筆を執《と》っても心持は同じ事である。よそよそ しい頭文字《かしらもじ》などはとても使う気にならない。 その時海岸には掛茶屋《かけぢゃや》が二軒あった。私はふとした機会《はずみ》 からその?軒の方に行き慣《な》れていた。長谷辺《はせへん》に大きな別荘を 私が先生と知り合いになったのは鎌倉《かまくら》である。その時私はまだ若 構えている人と違って、各自《めいめい》に専有の着換場《きがえば》を拵《こすぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。 しら》えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった 私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿《うしろすがた》風《ふう》なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息するを見守っていた。すると彼らは真直《まっすぐ》に波の中に足を踏み込んだ。そ外《ほか》に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹《しお》はゆい身体《かうして遠浅《とおあさ》の磯近《いそちか》くにわいわい騒いでいる多人数《たらだ》を清めたり、ここへ帽子や傘《かさ》を預けたりするのである。海水着をにんず》の間《あいだ》を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返屋へ?切《いっさい》を脱《ぬ》ぎ棄《す》てる事にしていた。 してまた?直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、 すぐ身体《からだ》を拭《ふ》いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまっ 二 た。 彼らの出て行った後《あと》、私はやはり元の床几《しょうぎ》に腰をおろし 私《わたくし》がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでて烟草《タバコ》を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対に濡《ぬ》れた身体た。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどう《からだ》を風に吹かして水から上がって来た。二人の間《あいだ》には目を遮してもいつどこで会った人か想《おも》い出せずにしまった。 《さえぎ》る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先 その時の私は屈托《くったく》がないというよりむしろ無聊《ぶりょう》に苦生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫しんでいた。それで翌日《あくるひ》もまた先生に会った時刻を見計らって、わ《ほうまん》であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生ざわざ掛茶屋《かけぢゃや》まで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生?が?人の西洋人を伴《つ》れていたからである。 人,麦藁帽《むぎわらぼう》を被《かぶ》ってやって来た。先生は眼鏡《めがね》 その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否《いな》や、すぐ私のをとって台の上に置いて、すぐ手拭《てぬぐい》で頭を包んで、すたすた浜を下注意を惹《ひ》いた。純粋の日本の浴衣《ゆかた》を着ていた彼は、それを床几りて行った。先生が昨日《きのう》のように騒がしい浴客《よくかく》の中を通《しょうぎ》の上にすぽりと放《ほう》り出したまま、腕組みをして海の方を向り抜けて、?人で泳ぎ出した時、私は急にその後《あと》が追い掛けたくなった。いて立っていた。彼は我々の穿《は》く猿股《さるまた》?つの外《ほか》何物私は浅い水を頭の上まで跳《はね》かして相当の深さの所まで来て、そこから先も肌に着けていなかった。私にはそれが第?不思議だった。私はその二日前に由生を目標《めじるし》に抜手《ぬきで》を切った。すると先生は昨日と違って、井《ゆい》が浜《はま》まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の?種の弧線《こせん》を描《えが》いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。そ海へ入る様子を眺《なが》めていた。私の尻《しり》をおろした所は少し小高いれで私の目的はついに達せられなかった。私が陸《おか》へ上がって雫《しずく》丘の上で、そのすぐ傍《わき》がホテルの裏口になっていたので、私の凝《じっ》の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違としている間《あいだ》に、大分《だいぶ》多くの男が塩を浴びに出て来たが、いに外へ出て行った。 いずれも胴と腕と股《もも》は出していなかった。女は殊更《ことさら》肉を隠 しがちであった。大抵は頭に護謨製《ゴムせい》の頭巾《ずきん》を被《かぶ》 三 って、海老茶《えびちゃ》や紺《こん》や藍《あい》の色を波間に浮かしていた。 そういう有様を目撃したばかりの私の眼《め》には、猿股?つで済まして皆《み 私《わたくし》は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日ん》なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。 にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶《あいさつ》 彼はやがて自分の傍《わき》を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、?言《ひをする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的とこと》二言《ふたこと》何《なに》かいった。その日本人は砂の上に落ちた手であった。?定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいく拭《てぬぐい》を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、ら賑《にぎ》やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初 いっしょに来た西洋人はその後《ご》まるで姿を見せなかった。先生はいつでも家族でない事も解《わか》った。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑い?人であった。 をした。私はそれが年長者に対する私の口癖《くちくせ》だといって弁解した。 或《あ》る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉《ぬ》ぎ棄《す》てた浴衣《ゆかた》を着ようとすると、どうした訳か、その浴《かまくら》にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際《つき衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴あい》をもたないのに、そういう外国人と近付《ちかづ》きになったのは不思議衣を二、三度,振《ふる》った。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思う《すきま》から下へ落ちた。先生は白絣《しろがすり》の上へ兵児帯《へこおび》けれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時,暗《あん》に相を締めてから、眼鏡の失《な》くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいら手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生を探し始めた。私はすぐ腰掛《こしかけ》の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾いの返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟《ちんぎん》したあと出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。 で、「どうも君の顔には見覚《みおぼ》えがありませんね。人違いじゃないです 次の日私は先生の後《あと》につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっか」といったので私は変に?種の失望を感じた。 しょの方角に泳いで行った。二,?《ちょう》ほど沖へ出ると、先生は後ろを振 り返って私に話し掛けた。広い蒼《あお》い海の表面に浮いているものは、その 四 近所に私ら二人より外《ほか》になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く 限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充《み》ちた筋肉を動かして海 私《わたくし》は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれの中で躍《おど》り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已《や》めて仰向よりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅《たく》へけになったまま浪《なみ》の上に寝た。私もその真似《まね》をした。青空の色伺っても宜《よ》ござんすか」と聞いた。先生は単簡《たんかん》にただ「ええがぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」といらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になっ私は大きな声を出した。 たつもりでいたので、先生からもう少し濃《こまや》かな言葉を予期して掛《か しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませか》ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷《いた》めた。 んか」といって私を促した。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊ん 私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快ようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰く答えた。そうして二人でまた元の路《みち》を浜辺へ引き返した。 り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそ 私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかれとは反対で、不安に揺《うご》かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。った。 もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来 それから中《なか》二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこ茶屋《かけぢゃや》で出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分《だう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るいぶ》長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない私はこういう問いにのか解《わか》らなかった。それが先生の亡くなった今日《こんにち》になって、答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極《きま》り生が私に示した時々の素気《そっけ》ない挨拶《あいさつ》や冷淡に見える動作が悪くなった。「先生は,」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口をは、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷《いた》ましい出た先生という言葉の始まりである。 先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止 私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境《よ》せという警告を与えたのである。他《ひと》の懐かしみに応じない先生は、内《けいだい》にある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の他《ひと》を軽蔑《けいべつ》する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。 私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるま私はその人の眼鏡《めがね》の縁《ふち》が日に光るまで近く寄って行った。そでにはまだ二週間の日数《ひかず》があるので、そのうちに?度行っておこうとうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔思った。しかし帰って二日三日と経《た》つうちに、鎌倉《かまくら》にいた時を見た。 の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩《いろど》られる大都会の空「どうして……、どうして……」 気が、記憶の復活に伴う強い刺戟《しげき》と共に、濃く私の心を染め付けた。 先生は同じ言葉を二,遍《へん》繰り返した。その言葉は森閑《しんかん》と私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私した昼の中《うち》に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応《こはしばらく先生の事を忘れた。 た》えられなくなった。 授業が始まって、?カ月ばかりすると私の心に、また?種の弛《たる》みがで「私の後《あと》を跟《つ》けて来たのですか。どうして……」 きてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室 先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表《へや》の中を見廻《みまわ》した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私情の中《うち》には判然《はっきり》いえないような?種の曇りがあった。 はまた先生に会いたくなった。 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。 始めて先生の宅《うち》を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったの「誰《だれ》の墓へ参りに行ったか、妻《さい》がその人の名をいいましたか」 は次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁《し》み込むように感ぜられる好「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 《い》い日和《ひより》であった。その日も先生は留守であった。鎌倉にいた時、「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなた私は先生自身の口から、いつでも大抵《たいてい》宅にいるという事を聞いた。に。いう必要がないんだから」 むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その 先生はようやく得心《とくしん》したらしい様子であった。しかし私にはその言葉を思い出して、理由《わけ》もない不満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先意味がまるで解《わか》らなかった。 を去らなかった。下女《げじょ》の顔を見て少し躊躇《ちゅうちょ》してそこに 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々《?サベラなに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまなに》の墓だの、神僕《しんぼく》ロギンの墓だのという傍《かたわら》に、?た内《うち》へはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さ切衆生悉有仏生《いっさいしゅじょうしつうぶっしょう》と書いた塔婆《とうば》んであった。 などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫《ほ》り 私はその人から鄭寧《ていねい》に先生の出先を教えられた。先生は例月その付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「?ンド日になると雑司ヶ谷《ぞうしがや》の墓地にある或《あ》る仏へ花を手向《たむ》レとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。 けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、なら 先生はこれらの墓標が現わす人種々《ひとさまざま》の様式に対して、私ほどないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈《えしゃに滑稽《こっけい》も??ロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石《はかく》して外へ出た。賑《にぎや》かな町の方へ?,?《ちょう》ほど歩くと、私いし》だの細長い御影《みかげ》の碑《ひ》だのを指して、しきりにかれこれいも散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかといいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死というう好奇心も動いた。それですぐ踵《きびす》を回《めぐ》らした。 事実をまだ真面目《まじめ》に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。 先生もそれぎり何ともいわなくなった。 五 墓地の区切り目に、大きな銀杏《いちょう》が?本空を隠すように立っていた。 その下へ来た時、先生は高い梢《こずえ》を見上げて、「もう少しすると、綺麗 私《わたくし》は墓地の手前にある苗畠《なえばたけ》の左側からはいって、《きれい》ですよ。この木がすっかり黄葉《こうよう》して、ここいらの地面は両方に楓《かえで》を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端金色《きんいろ》の落葉で埋《うず》まるようになります」といった。先生は月《はず》れに見える茶店《ちゃみせ》の中から先生らしい人がふいと出て来た。に?度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。 向うの方で凸凹《でこぼこ》の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬《くを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉《うれ》しく思っている。人間わ》の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出を愛し得《う》る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐《ふところ》た。に入《い》ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――こ れが先生であった。 これからどこへ行くという目的《あて》のない私は、ただ先生の歩く方へ歩い て行った。先生はいつもより口数を利《き》かなかった。それでも私はさほどの 今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変 な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射《さ》すように。射すか窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。 「すぐお宅《たく》へお帰りですか」 と思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間《みけん》「ええ別に寄る所もありませんから」 に認めたのは、雑司ヶ谷《ぞうしがや》の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時で あった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍 二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。 「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。 らせた。しかしそれは単に?時の結滞《けったい》に過ぎなかった。私の心は五 分と経《た》たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲「いいえ」 「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」 の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春《こ「いいえ」 はる》の尽きるに間《ま》のない或《あ》る晩の事であった。 先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏《いちょう》 先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げ た。すると?,町《ちょう》ほど歩いた後《あと》で、先生が不意にそこへ戻っの大樹《たいじゅ》を眼《め》の前に想《おも》い浮かべた。勘定してみると、 先生が毎月例《まいげつれい》として墓参に行く日が、それからちょうど三日目て来た。 「あすこには私の友達の墓があるんです」 に当っていた。その三日目は私の課業が午《ひる》で終《お》える楽な日であっ「お友達のお墓へ毎月《まいげつ》お参りをなさるんですか」 た。私は先生に向かってこういった。 「先生,雑司ヶ谷《ぞうしがや》の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」 「そうです」 先生はその日これ以外を語らなかった。 「まだ空坊主《からぼうず》にはならないでしょう」 先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さな 六 かった。私はすぐいった。 「今度お墓参《はかまい》りにいらっしゃる時にお伴《とも》をしても宜《よ》 ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」 私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であっ た。先生に会う度数《どすう》が重なるにつれて、私はますます繁《しげ》く先「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」 生の玄関へ足を運んだ。 「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好《い》いじゃありませんか」 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶《あいさつ》をした時も、懇意に 先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけななったその後《のち》も、あまり変りはなかった。先生は何時《いつ》も静かでんだから」といって、どこまでも墓参《ぼさん》と散歩を切り離そうとする風《ふあった。ある時は静か過ぎて淋《さび》しいくらいであった。私は最初から先生う》に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかには近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。 かなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生「じゃお墓参りでも好《い》いからいっしょに伴《つ》れて行って下さい。私もに対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しお墓参りをしますから」 かしその私だけにはこの直感が後《のち》になって事実の上に証拠立てられたの 実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。だから、私は若々しいといわれても、馬鹿《ばか》げていると笑われても、それすると先生の眉《まゆ》がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それ は迷惑とも嫌悪《けんお》とも畏怖《いふ》とも片付けられない微《かす》かな 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あな不安らしいものであった。私は忽《たちま》ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けたたは幾歳《いくつ》ですか」といった。 時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。 この問答は私にとってすこぶる不得要領《ふとくようりょう》のものであった「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、が、私はその時,底《そこ》まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日他《ひと》といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻《さと経《た》たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否《いな》やい》さえまだ伴れて行った事がないのです」 笑い出した。 「また来ましたね」といった。 七 「ええ来ました」といって自分も笑った。 私は外《ほか》の人からこういわれたらきっと癪《しゃく》に触《さわ》った 私《わたくし》は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅《うろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らなち》へ出入《でい》りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎいばかりでなくかえって愉快だった。 た。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊《たっと》むべ「私は淋《さび》しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。きものの?つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際《つき「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私あい》ができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは究的に働き掛けたなら、二人の間を繋《つな》ぐ同情の糸は、何の容赦もなくそ行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打《ぶ》つの時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかっかりたいのでしょう……」 た。それだから尊《たっと》いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとした「私はちっとも淋《さむ》しくはありません」 ら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生「若いうちほど淋《さむ》しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたはそれでなくても、冷たい眼《まなこ》で研究されるのを絶えず恐れていたのでびたび私の宅《うち》へ来るのですか」 ある。 ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。 私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅《うち》へ行くようになった。私「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋《さび》しい気がどこかでしているでしの足が段々,繁《しげ》くなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。 ょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元《ねもと》から引き抜いて上げる「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」 だけの力がないんだから。あなたは外《ほか》の方を向いて今に手を広げなけれ「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔《じゃま》ばならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」 なんですか」 先生はこういって淋しい笑い方をした。 「邪魔だとはいいません」 なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の 八 範囲の極《きわ》めて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃《こ ろ》東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。先生 幸《さいわ》いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは《わたくし》は、この予言の中《うち》に含まれている明白な意義さえ了解し得皆《みん》な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。 なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内《うち》いつの間にか先「私は淋《さび》しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる生の食卓で飯《めし》を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利《き》事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」 かなければならないようになった。 「そりゃまたなぜです」 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今 まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事うですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持ったがなかった。それが源因《げんいん》かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅《うるさ》いもののように考えていた。 合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前「?人,貰《もら》ってやろうか」と先生がいった。 玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を「貰《もらい》ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。 受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについ「子供はいつまで経《た》ったってできっこないよ」と先生がいった。 て語るべき何物ももたないような気がした。 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だから これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだとさ」といって高く笑った。 解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した?部分のよ うな心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという 九 好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除《の》ければ、 つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さん 私《わたくし》の知る限り先生と奥さんとは、仲の好《い》い夫婦の?対《いについては、ただ美しいという外《ほか》に何の感じも残っていない。 っつい》であった。家庭の?員として暮した事のない私のことだから、深い消息 ある時私は先生の宅《うち》で酒を飲まされた。その時奥さんが出て来て傍《そは無論,解《わか》らなかったけれども、座敷で私と対坐《たいざ》している時、ば》で酌《しゃく》をしてくれた。先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さん先生は何かのついでに、下女《げじょ》を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。に「お前も?つお上がり」といって、自分の呑《の》み干した盃《さかずき》を(奥さんの名は静《しず》といった)。先生は「おい静」といつでも襖《ふすま》差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけた後《あと》、迷惑そうにそれを受の方を振り向いた。その呼びかたが私には優《やさ》しく聞こえた。返事をしてけ取った。奥さんは綺麗《きれい》な眉《まゆ》を寄せて、私の半分ばかり注《つ》出て来る奥さんの様子も甚《はなは》だ素直であった。ときたまご馳走《ちそう》いで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと先生の間に下《しも》のようになって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が?層明らかに二人のな会話が始まった。 間《あいだ》に描《えが》き出されるようであった。 「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多《めった》にないのにね」 先生は時々奥さんを伴《つ》れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫「お前は嫌《きら》いだからさ。しかし稀《たま》には飲むといいよ。好《い》婦づれで?週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。い心持になるよ」 私は箱根《はこね》から貰った絵端書《えはがき》をまだ持っている。日光《に「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快《ゆかい》そうっこう》へ行った時は紅葉《もみじ》の葉を?枚封じ込めた郵便も貰った。 ね、少しご酒《しゅ》を召し上がると」 当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのう「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」 ちにたった?つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内「今夜はいかがです」 を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常「今夜は好《い》い心持だね」 の談話でなくって、どうも言逆《いさか》いらしかった。先生の宅は玄関の次が「これから毎晩少しずつ召し上がると宜《よ》ござんすよ」 すぐ座敷になっているので、格子《こうし》の前に立っていた私の耳にその言逆「そうはいかない」 《いさか》いの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの?人が先生だという「召し上がって下さいよ。その方が淋《さむ》しくなくって好いから」 事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音《おん》 先生の宅《うち》は夫婦と下女《げじょ》だけであった。行くたびに大抵《たなので、誰だか判然《はっきり》しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。いてい》はひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷った或《あ》る時《とき》は宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。 が、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。 「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そ 妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑《の》み込む能力を 失ってしまった。約?時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私 先生の言葉はちょっとそこで途切《とぎ》れたが、別に私の返事を期待する様は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻《さ子もなく、すぐその続きへ移って行った。 っき》帯の間へ包《くる》んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであっ「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽《こっけい》だが。君、た。私は帰ったなりまだ袴《はかま》を着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。 私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」 その晩私は先生といっしょに麦酒《ビール》を飲んだ。先生は元来酒量に乏し「中位《ちゅうぐらい》に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少い人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるし案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。 という冒険のできない人であった。 先生の宅《うち》へ帰るには私の下宿のつい傍《そば》を通るのが順路であっ「今日は駄目《だめ》です」といって先生は苦笑した。 た。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「つ「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。 いでにお宅《たく》の前までお伴《とも》しましょうか」といった。先生は忽《た 私の腹の中には始終,先刻《さっき》の事が引《ひ》っ懸《かか》っていた。ちま》ち手で私を遮《さえぎ》った。 肴《さかな》の骨が咽喉《のど》に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君《さいくん》けてみようかと考えたり、止《よ》した方が好《よ》かろうかと思い直したりすのために」 る動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。 先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私は変なのですよ。君に分りますか」 その後《ご》も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。 私は何の答えもし得なかった。 先生と奥さんの間に起った波瀾《はらん》が、大したものでない事はこれでも「実は先刻《さっき》妻《さい》と少し喧嘩《けんか》をしてね。それで下《く解《わか》った。それがまた滅多《めった》に起る現象でなかった事も、その後だ》らない神経を昂奮《こうふん》させてしまったんです」と先生がまたいった。 絶えず出入《でい》りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生は「どうして……」 ある時こんな感想すら私に洩《も》らした。 私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。 「私は世の中で女というものをたった?人しか知らない。妻《さい》以外の女は「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのでほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ?人しかなす。つい腹を立てたのです」 い男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れ「どんなに先生を誤解なさるんですか」 た人間の?対《いっつい》であるべきはずです」 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。 私は今前後の行《ゆ》き掛《がか》りを忘れてしまったから、先生が何のため「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」 にこんな自白を私にして聞かせたのか、判然《はっきり》いう事ができない。け 先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。 れども先生の態度の真面目《まじめ》であったのと、調子の沈んでいたのとは、 いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福 十 に生れた人間の?対であるべきはずです」という最後の?句であった。先生はな ぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそ 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が?,?《ちょう》も二?もつづいた。そのれだけが不審であった。ことにそこへ?種の力を入れた先生の語気が不審であっ後《あと》で突然先生が口を利《き》き出した。 た。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありなが「悪い事をした。怒って出たから妻《さい》はさぞ心配をしているだろう。考えら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中《うち》で疑《うたぐ》らざるると女は可哀《かわい》そうなものですね。私《わたくし》の妻などは私より外を得なかった。けれどもその疑いは?時限りどこかへ葬《ほうむ》られてしまっ《ほか》にまるで頼りにするものがないんだから」 た。 私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人,差向《さしむか》いで話をものだったので、私はそれぎり何もいう勇気が出なかった。 する機会に出合った。先生はその日,横浜《よこはま》を出帆《しゅっぱん》す 私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。 る汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋《しんばし》へ送りに行って留守であ「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出てった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃《ころ》仕事をなさらないんでしょう」 の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、「あの人は駄目《だめ》ですよ。そういう事が嫌いなんですから」 あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前「つまり下《くだ》らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」 日わざわざ告別に来た友人に対する礼義《れいぎ》としてその日突然起った出来「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それった。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。 でいてできないんです。だから気の毒ですわ」 「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませ 十? んか」 「丈夫ですとも。何にも持病はありません」 その時の私《わたくし》はすでに大学生であった。始めて先生の宅《うち》へ「それでなぜ活動ができないんでしょう」 来た頃《ころ》から見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分《だいぶ》「それが解《わか》らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こん懇意になった後《のち》であった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。なに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」 差向《さしむか》いで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だか 奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。ら、今ではまるで忘れてしまった。そのうちでたった?つ私の耳に留まったもの外側からいえば、私の方がむしろ真面目《まじめ》だった。私はむずかしい顔をがある。しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。 して黙っていた。すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。 先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何も「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。そしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少し経《た》ってから始めて分っれが全く変ってしまったんです」 た。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。 「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。 先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思「書生時代よ」 想については、先生と密切《みっせつ》の関係をもっている私より外《ほか》に「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」 敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常に惜《お》しい事だと 奥さんは急に薄赤い顔をした。 いった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利《き》いては済ま ない」と答えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜《けんそん》 十二 過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で 今著名になっている誰彼《だれかれ》を捉《とら》えて、ひどく無遠慮な批評を 奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々《うんぬん》してみ知っていた。奥さんは「本当いうと合《あい》の子《こ》なんですよ」といった。た。私の精神は反抗の意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるの奥さんの父親はたしか鳥取《とっとり》かどこかの出であるのに、お母さんの方が残念だったからである。その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間にはまだ江戸といった時分《じぶん》の市ヶ谷《いちがや》で生れた女なので、奥向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。先生の顔さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟《にいには深い?種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、がた》県人であった。だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、悲哀だか、解《わか》らなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強い郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をした奥さんはそれ より以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。 「したくない事はないでしょう」 先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題「ええ」 で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何も「君は今あの男と女を見て、冷評《ひやか》しましたね。あの冷評《ひやかし》のも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈してもみた。年輩の先のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交《まじ》っ生の事だから、艶《なま》めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと慎ていましょう」 《つつし》んでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。「そんな風《ふう》に聞こえましたか」 先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、?時代前の因襲のうち「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。に成人したために、そういう艶《つや》っぽい問題になると、正直に自分を開放しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解《わか》っていますか」 するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかっ 私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。 た。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマン スの存在を仮定していた。 十三 私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描 《えが》き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っ 我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉《うれ》しそうな顔をしていた。そていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨《みじめ》なものであるこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機かは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにい会がなかった。 る。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、「恋は罪悪ですか」と私《わたくし》がその時突然聞いた。 まず自分の生命を破壊してしまった。 「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。 私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たと「なぜですか」 もいえる二人の恋愛については、先刻《さっき》いった通りであった。二人とも「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそはとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」 れ以上の深い理由のために。 私は?応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思 ただ?つ私の記憶に残っている事がある。或《あ》る時,花時分《はなじぶん》いあたるようなものは何にもなかった。 に私は先生といっしょに上野《うえの》へ行った。そうしてそこで美しい?対《い「私の胸の中にこれという目的物は?つもありません。私は先生に何も隠してはっつい》の男女《なんにょ》を見た。彼らは睦《むつ》まじそうに寄り添って花いないつもりです」 の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙《そば》「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるだてている人が沢山あった。 のです」 「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。 「今それほど動いちゃいません」 「仲が好《よ》さそうですね」と私が答えた。 「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」 先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外《ほか》に置くような方角「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」 へ足を向けた。それから私にこう聞いた。 「恋に上《のぼ》る楷段《かいだん》なんです。異性と抱き合う順序として、ま「君は恋をした事がありますか」 ず同性の私の所へ動いて来たのです」 私はないと答えた。 「私には二つのものが全く性質を異《こと》にしているように思われます」 「恋をしたくはありませんか」 「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なの 私は答えなかった。 です。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられな いでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動い 年の若い私《わたくし》はややともすると?図《いちず》になりやすかった。て行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」 少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の 談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであ 私は変に悲しくなった。 った。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりも「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそん な気の起った事はまだありません」 ただ独《ひと》りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。 「あんまり逆上《のぼせ》ちゃいけません」と先生がいった。 先生は私の言葉に耳を貸さなかった。 「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得ら「覚《さ》めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があれない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていった。その自信を先生は肯《うけ》がってくれなかった。 「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭《いや》になります。私ますか」 私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれか ら先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」 生のいう罪悪という意味は朦朧《もうろう》としてよく解《わか》らなかった。 その上私は少し不愉快になった。 「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」 「先生、罪悪という意味をもっと判然《はっきり》いって聞かして下さい。それ「私はお気の毒に思うのです」 「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」 でなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然 解るまで」 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色 をぽたぽた点じていた椿《つばき》の花はもう?つも見えなかった。先生は座敷「悪い事をした。私はあなたに真実《まこと》を話している気でいた。ところが 実際は、あなたを焦慮《じら》していたのだ。私は悪い事をした」 からこの椿の花をよく眺《なが》める癖があった。 先生と私とは博物館の裏から鶯渓《うぐいすだに》の方角に静かな歩調で歩い「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しない んです」 て行った。垣の隙間《すきま》から広い庭の?部に茂る熊笹《くまざさ》が幽邃 《ゆうすい》に見えた。 その時,生垣《いけがき》の向うで金魚売りらしい声がした。その外《ほか》 には何の聞こえるものもなかった。大通りから二,?《ちょう》も深く折れ込ん「君は私がなぜ毎月《まいげつ》雑司ヶ谷《ぞうしがや》の墓地に埋《うま》っ ている友人の墓へ参るのか知っていますか」 だ小路《こうじ》は存外《ぞんがい》静かであった。家《うち》の中はいつもの 先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答え通りひっそりしていた。私は次の間《ま》に奥さんのいる事を知っていた。黙っ て針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知ってられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると 先生は始めて気が付いたようにこういった。 いた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。 「また悪い事をいった。焦慮《じら》せるのが悪いと思って、説明しようとする「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。 と、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。こ 先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。 の問題はこれで止《や》めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないかそうして神聖なものですよ」 ら、人も信用できないようになっているのです。自分を呪《のろ》うより外《ほ 私には先生の話がますます解《わか》らなくなった。しかし先生はそれぎり恋か》に仕方がないのです」 を口にしなかった。 「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」 「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非 十四 常に怖《こわ》くなったんです」 私はもう少し先まで同じ道を辿《たど》って行きたかった。すると襖《ふすま》 の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何ったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。 だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の間《ま》へ呼んだ。二人の これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白してい間にどんな用事が起ったのか、私には解《わか》らなかった。それを想像する余た。ただその告白が雲の峯《みね》のようであった。私の頭の上に正体の知れな裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。 い恐ろしいものを蔽《おお》い被《かぶ》せた。そうしてなぜそれが恐ろしいか「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自私にも解《わか》らなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の分が欺《あざむ》かれた返報に、残酷な復讐《ふくしゅう》をするようになるも神経を震《ふる》わせた。 のだから」 私は先生のこの人生観の基点に、或《あ》る強烈な恋愛事件を仮定してみた。「そりゃどういう意味ですか」 (無論先生と奥さんとの間に起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から「かつてはその人の膝《ひざ》の前に跪《ひざまず》いたという記憶が、今度は照らし合せて見ると、多少それが手掛《てがか》りにもなった。しかし先生は現その人の頭の上に足を載《の》せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けに奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世《えんせい》ないために、今の尊敬を斥《しりぞ》けたいと思うのです。私は今より?層,淋に近い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前に跪《ひざまず》い《さび》しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自たという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載《の》せさせようとする」とい由と独立と己《おの》れとに充《み》ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてった先生の言葉は、現代?般の誰彼《たれかれ》について用いられるべきで、先みんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」 生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。 私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。 雑司ヶ谷《ぞうしがや》にある誰《だれ》だか分らない人の墓、――これも私 の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知ってい 十五 た。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の 中にある生命《いのち》の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。け その後《ご》私《わたくし》は奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥れども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命《いのさんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さち》の扉を開ける鍵《かぎ》にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由んはそれで満足なのだろうか。 の往来を妨げる魔物のようであった。 奥さんの様子は満足とも不満足とも極《き》めようがなかった。私はそれほど そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならな近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋い時機が来た。その頃《ころ》は日の詰《つま》って行くせわしない秋に、誰も常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多《めった》注意を惹《ひ》かれる肌寒《はださむ》の季節であった。先生の附近《ふきん》に顔を合せなかったから。 で盗難に罹《かか》ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であ 私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来った。大したものを持って行かれた家《うち》はほとんどなかったけれども、はるのだろうか。ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生があだろうか。先生は坐《すわ》って考える質《たち》の人であった。先生の頭さえる晩家を空《あ》けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地あれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろう方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外《ほか》の二、三名と共か。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。に、ある所でその友人に飯《めし》を食わせなければならなくなった。先生は訳火に焼けて冷却し切った石造《せきぞう》家屋の輪廓《りんかく》とは違っていを話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。 た。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏《ま と》め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切 十六 り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くな 私《わたくし》の行ったのはまだ灯《ひ》の点《つ》くか点かない暮れ方であを見るのが嫌《きら》いになるようです」 ったが、几帳面《きちょうめん》な先生はもう宅《うち》にいなかった。「時間 こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風《ふう》も見えなかっに後《おく》れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、たので、私はつい大胆になった。 私を先生の書斎へ案内した。 「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」 書斎には洋机《テーブル》と椅子《いす》の外《ほか》に、沢山の書物が美し「いいえ私も嫌われている?人なんです」 い背皮《せがわ》を並べて、硝子越《ガラスごし》に電燈《でんとう》の光で照「そりゃ嘘《うそ》です」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっらされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団《ざぶとん》の上へ私を坐《すしゃるんでしょう」 わ》らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行「なぜ」 った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」 私は畏《かしこ》まったまま烟草《タバコ》を飲んでいた。奥さんが茶の間で何「あなたは学問をする方《かた》だけあって、なかなかお上手《じょうず》ね。か下女《げじょ》に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って空《から》っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも折れ曲った角《かど》にあるので、棟《むね》の位置からいうと、座敷よりもか嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同《おん》なじ理屈で」 えって掛け離れた静かさを領《りょう》していた。ひとしきりで奥さんの話し声「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」 が已《や》むと、後《あと》はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空《から》の凝《じっ》としながら気をどこかに配った。 盃《さかずき》でよくああ飽きずに献酬《けんしゅう》ができると思いますわ」 三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、 奥さんの言葉は少し手痛《てひど》かった。しかしその言葉の耳障《みみざわ軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪《しかつめ》り》からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手にらしく控えている私をおかしそうに見た。 認めさせて、そこに?種の誇りを見出《みいだ》すほどに奥さんは現代的でなか「それじゃ窮屈でしょう」 った。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見え「いえ、窮屈じゃありません」 た。 「でも退屈でしょう」 「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」 十七 奥さんは手に紅茶茶碗《こうちゃぢゃわん》を持ったまま、笑いながらそこに 立っていた。 私《わたくし》はまだその後《あと》にいうべき事をもっていた。けれども奥「ここは隅っこだから番をするには好《よ》くありませんね」と私がいった。 さんから徒《いたず》らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴《ちょうだい》。ご退屈《たいくつ》慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗《こうちゃぢゃわん》の底を覗《のぞ》いだろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜《よろ》しけれて黙っている私を外《そ》らさないように、「もう?杯上げましょうか」と聞いばあちらで上げますから」 た。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。 私は奥さんの後《あと》に尾《つ》いて書斎を出た。茶の間には綺麗《きれい》「いくつ, ?つ, 二ッつ,」 な長火鉢《ながひばち》に鉄瓶《てつびん》が鳴っていた。私はそこで茶と菓子 妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れるのご馳走《ちそう》になった。奥さんは寝《ね》られないといけないといって、砂糖の数《かず》を聞いた。奥さんの態度は私に媚《こ》びるというほどではな茶碗に手を触れなかった。 かったけれども、先刻《さっき》の強い言葉を力《つと》めて打ち消そうとする「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛《でか》けになるんですか」 愛嬌《あいきょう》に充《み》ちていた。 「いいえ滅多《めった》に出た事はありません。近頃《ちかごろ》は段々人の顔 私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。 「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。 「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」 「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱《しか》り付けられそうですから」「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生はと私は答えた。 世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃《ちかごろ》では人間が嫌いにな「まさか」と奥さんが再びいった。 っているんでしょう。だからその人間の?人《いちにん》として、私も好かれる 二人はそれを緒口《いとくち》にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通なはずがないじゃありませんか」 興味のある先生を問題にした。 奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑《の》み込めた。 「奥さん、先刻《さっき》の続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんに は空《から》な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上《うわ》の空《そ 十八 ら》でいってる事じゃないんだから」 「じゃおっしゃい」 私《わたくし》は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでらしくないところも私の注意に?種の刺戟《しげき》を与えた。それで奥さんはしょうか」 その頃《ころ》流行《はや》り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わな「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外《ほか》に仕かった。 方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」 私は女というものに深い交際《つきあい》をした経験のない迂闊《うかつ》な「奥さん、私は真面目《まじめ》ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬《どうけい》の目えなくっちゃ」 的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺《なが》め「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」 るような心持で、ただ漠然《ばくぜん》と夢みていたに過ぎなかった。だから実「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現わくよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」 れた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力《は「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好《い》いじゃありませんか」 んぱつりょく》を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」 普通,男女《なんにょ》の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起ら「まあそうよ」 なかった。私は奥さんの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでし評家および同情家として奥さんを眺めた。 ょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくな「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといっったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。て、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃあなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」 なかったんだって」 「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れません「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」 が)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも「どんなだったんですか」 知れませんよ。そういうと、己惚《おのぼれ》になるようですが、私は今先生を「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんで人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があってす」 も私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだから「それがどうして急に変化なすったんですか」 こうして落ち付いていられるんです」 「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」 「その信念が先生の心に好《よ》く映るはずだと私は思いますが」 「奥さんはその間《あいだ》始終先生といっしょにいらしったんでしょう」 「それは別問題ですわ」 「無論いましたわ。夫婦ですもの」 「じゃ先生がそう変って行かれる源因《げんいん》がちゃんと解《わか》るべきにもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。 はずですがね」 奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的《えんせいてき》だから、その結「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛《つら》いんですが、果として自分も嫌われているのだと断言した。そう断言しておきながら、ちっと私にはどう考えても、考えようがないんですもの。私は今まで何遍《なんべん》もそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、かえってその逆を考えていた。あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」 先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭《いや》になったのだろうと推測「先生は何とおっしゃるんですか」 していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事がで「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったきなかった。先生の態度はどこまでも良人《おっと》らしかった。親切で優しかんだからというだけで、取り合ってくれないんです」 った。疑いの塊《かたま》りをその日その日の情合《じょうあい》で包んで、そ 私は黙っていた。奥さんも言葉を途切《とぎ》らした。下女部屋《げじょべや》っと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見にいる下女はことりとも音をさせなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまっせた。 た。「あなたどう思って,」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたの 「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。 いう人世観《じんせいかん》とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さず「いいえ」と私が答えた。 いって頂戴《ちょうだい》」 私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在して「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだか ら」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなか った。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。 いるつもりなんです」 「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が「私には解《わか》りません」 保証します」 奥さんは予期の外《はず》れた時に見る憐《あわ》れな表情をその咄嗟《とっ 奥さんは火鉢の灰を掻《か》き馴《な》らした。それから水注《みずさし》のさ》に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。 水を鉄瓶《てつびん》に注《さ》した。鉄瓶は忽《たちま》ち鳴りを沈めた。 「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生 自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘《うそ》を吐《つ》「私はとうとう辛防《しんぼう》し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪 い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すかない方《かた》でしょう」 ると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだとい 奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。 うんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」 事自分の悪い所が聞きたくなるんです」 「先生がああいう風《ふう》になった源因《げんいん》についてですか」 「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだ 奥さんは眼の中《うち》に涙をいっぱい溜《た》めた。 けでも私大変楽になれるんですが、……」 十九 「どんな事ですか」 奥さんはいい渋って膝《ひざ》の上に置いた自分の手を眺めていた。 始め私《わたくし》は理解のある女性《にょしょう》として奥さんに対してい「あなた判断して下すって。いうから」 た。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さん「私にできる判断ならやります」 は私の頭脳に訴える代りに、私の心臓《ハート》を動かし始めた。自分と夫の間「みんなはいえないのよ。みんないうと叱《しか》られるから。叱られないとこには何の蟠《わだか》まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。ろだけよ」 それだのに眼を開《あ》けて見極《みきわ》めようとすると、やはり何《なん》 私は緊張して唾液《つばき》を呑《の》み込んだ。 「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好《い》いお友達が?人あったのよ。そげ》の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとしての方《かた》がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」 注意深く眺《なが》めた。もしそれが詐《いつわ》りでなかったならば、(実際 奥さんは私の耳に私語《ささや》くような小さな声で、「実は変死したんです」それは詐りとは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷《センチメント》といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であっを玩《もてあそ》ぶためにとくに私を相手に拵《こしら》えた、徒《いたず》らた。 な女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほ「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後《のち》なんでど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見す。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らなて、むしろ安心した。これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。 いの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って 先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞い た。それから「来ないんで張合《はりあい》が抜けやしませんか」といった。 来たと思えば、そう思われない事もないのよ」 「その人の墓ですか、雑司ヶ谷《ぞうしがや》にあるのは」 帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいとこ ろを暇を潰《つぶ》させて気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはい「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を?人亡くし ただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪《たらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥さんはそういいながら、先ま》らないんです。だからそこを?つあなたに判断して頂きたいと思うの」 刻《さっき》出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれ 私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。 を袂《たもと》へ入れて、人通りの少ない夜寒《よさむ》の小路《こうじ》を曲 折して賑《にぎ》やかな町の方へ急いだ。 私はその晩の事を記憶のうちから抽《ひ》き抜いてここへ詳《くわ》しく書い 二十 た。これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子 私《わたくし》は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。を貰《もら》って帰るときの気分では、それほど当夜の会話を重く見ていなかっ た。私はその翌日《よくじつ》午飯《ひるめし》を食いに学校から帰ってきて、奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ 問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根《おおね》を攫《つ昨夜《ゆうべ》机の上に載《の》せて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中か らチョコレートを塗った鳶色《とびいろ》のカステラを出して頬張《ほおば》っか》んでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂《ただよ》う薄い雲に似た疑 惑から出て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかた。そうしてそれを食う時に、必竟《ひっきょう》この菓子を私にくれた二人のった。知れているところでも悉皆《すっかり》は私に話す事ができなかった。し男女《なんにょ》は、幸福な?対《いっつい》として世の中に存在しているのだ と自覚しつつ味わった。 たがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、ゆらゆらしていた。 ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束《おぼつか》ない私の 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅《うち》へ出《で》判断に縋《すが》り付こうとした。 はいりをするついでに、衣服の洗《あら》い張《は》りや仕立《した》て方《か 十時,頃《ごろ》になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今た》などを奥さんに頼んだ。それまで繻絆《じゅばん》というものを着た事のなまでのすべてを忘れたように、前に坐《すわ》っている私をそっちのけにして立い私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時かち上がった。そうして格子《こうし》を開ける先生をほとんど出合《であ》い頭らであった。子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌《た《がしら》に迎えた。私は取り残されながら、後《あと》から奥さんに尾《つ》いくつしの》ぎになって、結句《けっく》身体《からだ》の薬だぐらいの事をいいて行った。下女《げじょ》だけは仮寝《うたたね》でもしていたとみえて、つっていた。 いに出て来なかった。 「こりゃ手織《てお》りね。こんな地《じ》の好《い》い着物は今まで縫った事 先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しががないわ。その代り縫い悪《にく》いのよそりゃあ。まるで針が立たないんですた奥さんの美しい眼のうちに溜《たま》った涙の光と、それから黒い眉毛《まゆもの。お蔭《かげ》で針を二本折りましたわ」 こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒《めんどう》くさいという顔を 先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑しなかった。 いたくなった。 「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平《まっぴら》です。 二十? 先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく解《わか》ります」 「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹《かか》りたいと思ってる」 冬が来た時、私《わたくし》は偶然国へ帰らなければならない事になった。私 私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金のの母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今無心を申し出た。 が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てく「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまれと頼むように付け足してあった。 え」 父はかねてから腎臓《じんぞう》を病んでいた。中年以後の人にしばしば見る 先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の通り、父のこの病《やまい》は慢性であった。その代り要心さえしていれば急変茶箪笥《ちゃだんす》か何かの抽出《ひきだし》から出して来た奥さんは、白いのないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現に父は養生のお蔭《か半紙の上へ鄭寧《ていねい》に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。 げ》?つで、今日《こんにち》までどうかこうか凌《しの》いで来たように客が「何遍《なんべん》も卒倒したんですか」と先生が聞いた。 来ると吹聴《ふいちょう》していた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものでかしている機《はずみ》に突然,眩暈《めまい》がして引ッ繰り返った。家内《かすか」 ない》のものは軽症の脳溢血《のういっけつ》と思い違えて、すぐその手当をし「ええ」 た。後《あと》で医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろう 先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事という判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結び付けて考えるようになったのでが始めて私に解った。 ある。 「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。 冬休みが来るにはまだ少し間《ま》があった。私は学期の終りまで待っていて「そうさね。私が代られれば代ってあげても好《い》いが。――嘔気《はきけ》も差支《さしつか》えあるまいと思って?日二日そのままにしておいた。するとはあるんですか」 その?日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼「どうですか、何とも書いてないから、大方《おおかた》ないんでしょう」 に浮かんだ。そのたびに?種の心苦しさを嘗《な》めた私は、とうとう帰る決心「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。 をした。国から旅費を送らせる手数《てかず》と時間を省くため、私は暇乞《い 私はその晩の汽車で東京を立った。 とまご》いかたがた先生の所へ行って、要《い》るだけの金を?時立て替えても らう事にした。 二十二 先生は少し風邪《かぜ》の気味で、座敷へ出るのが臆劫《おっくう》だといっ て、私をその書斎に通した。書斎の硝子戸《ガラスど》から冬に入《い》って稀 父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床《とこ》の上《まれ》に見るような懐かしい和《やわ》らかな日光が机掛《つくえか》けの上に胡坐《あぐら》をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝《じに射《さ》していた。先生はこの日あたりの好《い》い室《へや》の中へ大きなっ》としている。なにもう起きても好《い》いのさ」といった。しかしその翌日火鉢を置いて、五徳《ごとく》の上に懸けた金盥《かなだらい》から立ち上《あ《よくじつ》からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。が》る湯気《ゆげ》で、呼吸《いき》の苦しくなるのを防いでいた。 母は不承無性《ふしょうぶしょう》に太織《ふとお》りの蒲団《ふとん》を畳み「大病は好《い》いが、ちょっとした風邪《かぜ》などはかえって厭《いや》なながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といものですね」といった先生は、苦笑しながら私の顔を見た。 った。私《わたくし》には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなか った。 が。 私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万?の事がある場合でなけれ 第?というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、ば、容易に父母《ちちはは》の顔を見る自由の利《き》かない男であった。妹は事実は決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたっ他国へ嫁《とつ》いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられた二通の手紙しか貰《もら》っていない。その?通は今いうこの簡単な返書で、る女ではなかった。兄妹《きょうだい》三人のうちで、?番便利なのはやはり書あとの?通は先生の死ぬ前とくに私,宛《あて》で書いた大変長いものである。 生をしている私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放《ほう》 父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、り出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。 ほとんど戸外《そと》へは出なかった。?度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山《ぎょうりた事があるが、その時は万?を気遣《きづか》って、私が引き添うように傍《そ ば》に付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑さん》な手紙を書くものだからいけない」 父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床《とこ》って応じなかった。 を上げさせて、いつものような元気を示した。 「あんまり軽はずみをしてまた逆回《ぶりかえ》すといけませんよ」 二十三 私のこの注意を父は愉快そうにしかし極《きわ》めて軽く受けた。 「なに大丈夫、これでいつものように要心《ようじん》さえしていれば」 私《わたくし》は退屈な父の相手としてよく将碁盤《しょうぎばん》に向かっ 実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩た。二人とも無精な性質《たち》なので、炬燵《こたつ》にあたったまま、盤を暈《めまい》も感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、櫓《やぐら》の上へ載《の》せて、駒《こま》を動かすたびに、わざわざ手を掛これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格別それを気に留めなかっ蒲団《かけぶとん》の下から出すような事をした。時々,持駒《もちごま》を失た。 《な》くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が灰 私は先生に手紙を書いて恩借《おんしゃく》の礼を述べた。正月上京する時にの中から見付《みつ》け出して、火箸《ひばし》で挟《はさ》み上げるという滑持参するからそれまで待ってくれるようにと断わった。そうして父の病状の思っ稽《こっけい》もあった。 「碁《ご》だと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないたほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気《はきけ》も皆無な 事などを書き連ねた。最後に先生の風邪《ふうじゃ》についても?言《いちごん》が、そこへ来ると将碁盤は好《い》いね、こうして楽に差せるから。無精者にはの見舞を附《つ》け加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。 持って来いだ。もう?番やろう」 父は勝った時は必ずもう?番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう? 私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で 父や母と先生の噂《うわさ》などをしながら、遥《はる》かに先生の書斎を想像番やろうといった。要するに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差し たがる男であった。始めのうちは珍しいので、この隠居《いんきょ》じみた娯楽した。 が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経《た》つに伴《つ》れて、若い私「こんど東京へ行くときには椎茸《しいたけ》でも持って行ってお上げ」 「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」 の気力はそのくらいな刺戟《しげき》で満足できなくなった。私は金《きん》や 香車《きょうしゃ》を握った拳《こぶし》を頭の上へ伸ばして、時々思い切った「旨《うま》くはないが、別に嫌《きら》いな人もないだろう」 私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。 あくびをした。 私は東京の事を考えた。そうして漲《みなぎ》る心臓の血潮の奥に、活動活動 先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件 と打ちつづける鼓動《こどう》を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙を含んでいなかった時、驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれ たんだと私は思った。そう思うと、その簡単な?本の手紙が私には大層な喜びにな意識状態から、先生の力で強められているように感じた。 私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きなった。もっともこれは私が先生から受け取った第?の手紙には相違なかった ているか死んでいるか分らないほど大人《おとな》しい男であった。他《ひと》 東京へ帰ってみると、松飾《まつかざり》はいつか取り払われていた。町は寒に認められるという点からいえばどっちも零《れい》であった。それでいて、こい風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかっの将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かた。 つて遊興のために往来《ゆきき》をした覚《おぼ》えのない先生は、歓楽の交際 私《わたくし》は早速《さっそく》先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあ《しいたけ》もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、母がこれをまりに冷《ひや》やか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなかに先生の力差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置いた。椎茸は新しが喰《く》い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといってい菓子折に入れてあった。鄭寧《ていねい》に礼を述べた奥さんは、次の間《ま》も、その時の私には少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父でへ立つ時、その折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子あり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、こと《おかし》」と聞いた。奥さんは懇意になると、こんなところに極《きわ》めてさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚い淡泊《たんぱく》な小供《こども》らしい心を見せた。 た。 二人とも父の病気について、色々,掛念《けねん》の問いを繰り返してくれた 私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々,中に、先生はこんな事をいった。 陳腐《ちんぷ》になって来た。これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが?様に経験「なるほど容体《ようだい》を聞くと、今が今どうという事もないようですが、する心持だろうと思うが、当座の?週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほ病気が病気だからよほど気をつけないといけません」 や歓待《もてな》されるのに、その峠を定規通《ていきどお》り通り越すと、あ 先生は腎臓《じんぞう》の病《やまい》について私の知らない事を多く知ってとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもいた。 ののように粗末に取り扱われがちになるものである。私も滞在中にその峠を通り「自分で病気に罹《かか》っていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解《わか》らない変なところの特色です。私の知ったある士官《しかん》は、とうとうそれでやられたが、全を東京から持って帰った。昔でいうと、儒者《じゅしゃ》の家へ切支丹《キリシく嘘《うそ》のような死に方をしたんですよ。何しろ傍《そば》に寝ていた細君タン》の臭《にお》いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調《さいくん》が看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょ和しなかった。無論私はそれを隠していた。けれども元々身に着いているものだっと苦しいといって、細君を起したぎり、翌《あく》る朝はもう死んでいたんでから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留《と》まった。私はつす。しかも細君は夫が寝ているとばかり思ってたんだっていうんだから」 い面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。 今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。 「私の父《おやじ》もそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」 父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。 念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらっ「医者は何というのです」 「医者は到底《とても》治らないというんです。けれども当分のところ心配はあてもやはり私の知っている以外に異状は認められなかった。私は冬休みの尽きる るまいともいうんです」 少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も母も反 対した。 「それじゃ好《い》いでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付 かずにいた人の事で、しかもそれがずいぶん乱暴な軍人なんだから」 「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。 「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。 私はやや安心した。私の変化を凝《じっ》と見ていた先生は、それからこう付 私は自分の極《き》めた出立《しゅったつ》の日を動かさなかった。 け足した。 「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆《もろ》いものですね。 二十四 いつどんな事でどんな死にようをしないとも限らないから」 「先生もそんな事を考えてお出《いで》ですか」 「いくら丈夫の私でも、満更《まんざら》考えない事もありません」 点について毫《ごう》も私を指導する任に当ろうとしなかった。 先生の口元には微笑の影が見えた。 「近頃《ちかごろ》はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間学校の先生に聞いた方が好いでしょう」 《ま》に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 先生は?時非常の読書家であったが、その後《ご》どういう訳か、前ほどこの「不自然な暴力って何ですか」 方面に興味が働かなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、「何だかそれは私にも解《わか》らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。 使うんでしょう」 「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭《かげ》ですね」 「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらく「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 ならないと思うせいでしょう。それから……」 その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。「それから、まだあるんですか」 先生のいった自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限り「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かの浅い印象を与えただけで、後《あと》は何らのこだわりを私の頭に残さなかっれたりして知らないと恥のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないとた。私は今まで幾度《いくたび》か手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論いう事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を文を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。 読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだ のです」 二十五 先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味《くみ》を帯 びていなかっただけに、私にはそれほどの手応《てごた》えもなかった。私は先 その年の六月に卒業するはずの私《わたくし》は、ぜひともこの論文を成規通生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに帰った。 《せいきどお》り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、 それからの私はほとんど論文に祟《たた》られた精神病者のように眼を赤くし三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑《うたて苦しんだ。私は?年,前《ぜん》に卒業した友達について、色々様子を聞いてぐ》った。他《ほか》のものはよほど前から材料を蒐《あつ》めたり、ノートをみたりした。そのうちの?人《いちにん》は締切《しめきり》の日に車で事務所溜《た》めたりして、余所目《よそめ》にも忙《いそが》しそうに見えるのに、へ馳《か》けつけて漸《ようや》く間に合わせたといった。他の?人は五時を十私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろう五分ほど後《おく》らして持って行ったため、危《あやう》く跳《は》ね付けらという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽《たちま》ちれようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといった。私動けなくなった。今まで大きな問題を空《くう》に描《えが》いて、骨組みだけは不安を感ずると共に度胸を据《す》えた。毎日机の前で精根のつづく限り働いはほぼでき上っているくらいに考えていた私は、頭を抑《おさ》えて悩み始めた。た。でなければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻《みま私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏わ》した。私の眼は好事家《こうずか》が骨董《こっとう》でも掘り出す時のよ《まと》める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当うに背表紙の金文字をあさった。 な結論をちょっと付け加える事にした。 梅が咲くにつけて寒い風は段々,向《むき》を南へ更《か》えて行った。それ 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選が?仕切《ひとしきり》経《た》つと、桜の噂《うわさ》がちらほら私の耳に聞択について先生の意見を尋ねた時、先生は好《い》いでしょうといった。狼狽《ろこえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭《むち》ううばい》した気味の私は、早速《さっそく》先生の所へ出掛けて、私の読まなけたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、ればならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に先生の敷居を跨《また》がなかった。 与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの 二十六 々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだら上《の ぼ》りになっている入口を眺《なが》めて、「はいってみようか」といった。私 私《わたくし》の自由になったのは、八重桜《やえざくら》の散った枝にいつはすぐ「植木屋ですね」と答えた。 しか青い葉が霞《かす》むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠《かご》 植込《うえこみ》の中を?《ひと》うねりして奥へ上《のぼ》ると左側に家《うを抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を?目《ひとめ》に見渡しながら、自ち》があった。明け放った障子《しょうじ》の内はがらんとして人の影も見えな由に羽搏《はばた》きをした。私はすぐ先生の家《うち》へ行った。枳殻《からかった。ただ軒先《のきさき》に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いてたち》の垣が黒ずんだ枝の上に、萌《もえ》るような芽を吹いていたり、柘榴《ざいた。 くろ》の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映して「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」 いたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見る「構わないでしょう」 ような珍しさを覚えた。 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅《つつ 先生は嬉《うれ》しそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結じ》が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色《かばいろ》の丈《た構ですね」といった。私は「お蔭《かげ》でようやく済みました。もう何にもすけ》の高いのを指して、「これは霧島《きりしま》でしょう」といった。 る事はありません」といった。 芍薬《しゃくやく》も十坪《とつぼ》あまり?面に植え付けられていたが、ま 実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了《けつりょう》だ季節が来ないので花を着けているのは?本もなかった。この芍薬,畠《ばたけ》して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。の傍《そば》にある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた。私は先生のはその余った端《はじ》の方に腰をおろして烟草《タバコ》を吹かした。先生は前で、しきりにその内容を喋々《ちょうちょう》した。先生はいつもの調子で、蒼《あお》い透《す》き徹《とお》るような空を見ていた。私は私を包む若葉の「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少し色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺《なが》めると、?々違っても加えなかった。私は物足りないというよりも、聊《いささ》か拍子抜けの気味いた。同じ楓《かえで》の樹《き》でも同じ色を枝に着けているものは?つもなであった。それでもその日私の気力は、因循《いんじゅん》らしく見える先生のかった。細い杉苗の頂《いただき》に投げ被《かぶ》せてあった先生の帽子が風態度に逆襲を試みるほどに生々《いきいき》していた。私は青く蘇生《よみがえ》に吹かれて落ちた。 ろうとする大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。 「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変,好《い》い心持です」 二十七 「どこへ」 私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴《つ》れて郊外へ出たかった。 私《わたくし》はすぐその帽子を取り上げた。所々《ところどころ》に着いて ?時間の後《のち》、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別のいる赤土を爪《つめ》で弾《はじ》きながら先生を呼んだ。 付かない静かな所を宛《あて》もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい「先生帽子が落ちました」 葉を※,,「てへん,劣」、第3水準1-84-77,《も》ぎ取って芝笛《しばぶえ》「ありがとう」 身体《からだ》を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片を鳴らした。ある鹿児島人《かごしまじん》を友達にもって、その人の真似《ま ね》をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であ付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。 「突然だが、君の家《うち》には財産がよっぽどあるんですか」 った。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩 「あるというほどありゃしません」 いた。 やがて若葉に鎖《と》ざされたように蓊欝《こんもり》した小高い?構《ひと「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」 「どのくらいって、山と田地《でんぢ》が少しあるぎりで、金なんかまるでないかま》えの下に細い路《みち》が開《ひら》けた。門の柱に打ち付けた標札に何 んでしょう」 「好《よ》ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 先生が私の家《いえ》の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。ませんよ」 先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑《うた「そうですか」 ぐ》った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普露骨《あらわ》な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつで通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いても控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いいた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生に触れた。 自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 二十八 先生は平生からむしろ質素な服装《なり》をしていた。それに家内《かない》 は小人数《こにんず》であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれ「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないとどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかいけないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、であった。要するに先生の暮しは贅沢《ぜいたく》といえないまでも、あたじけ貰《もら》うものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万?の事があなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 ったあとで、?番面倒の起るのは財産の問題だから」 「そうでしょう」と私がいった。 「ええ」 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産 私《わたくし》は先生の言葉に大した注意を払わなかった。私の家庭でそんな家ならもっと大きな家《うち》でも造るさ」 心配をしているものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、?人もないと私は信じ この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐《あぐら》をかいていたが、こういていた。その上先生のいう事の、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚い終ると、竹の杖《つえ》の先で地面の上へ円のようなものを描《か》き始めた。かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。 それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直《まっすぐ》に立てた。 「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣「これでも元は財産家なんだがなあ」 《ことばづか》いをするのが気に触《さわ》ったら許してくれたまえ。しかし人 先生の言葉は半分,独《ひと》り言《ごと》のようであった。それですぐ後《あ間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らないものだかと》に尾《つ》いて行き損なった私は、つい黙っていた。 らね」 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て 先生の口気《こうき》は珍しく苦々しかった。 微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかった「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。 のである。すると先生がまた問題を他《よそ》へ移した。 「君の兄弟《きょうだい》は何人でしたかね」と先生が聞いた。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 先生はその上に私の家族の人数《にんず》を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる叔父《おじ》や叔母《おば》の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。 為替《かわせ》と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟《しゅせき》であっ「みんな善《い》い人ですか」 たが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであ「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵,田舎者《いなかもの》った。この種の病人に見る顫《ふる》えが少しも筆の運《はこ》びを乱していなですから」 かった。 「田舎者はなぜ悪くないんですか」 「何ともいって来ませんが、もう好《い》いんでしょう」 私はこの追窮《ついきゅう》に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる 余裕さえ与えなかった。 先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなった「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、ので、私はついにその要領を得ないでしまった。先生の気にする財産,云々《う君の親戚《しんせき》なぞの中《うち》に、これといって、悪い人間はいないよんぬん》の掛念《けねん》はその時の私《わたくし》には全くなかった。私の性うだといいましたね。しかし悪い人間という?種の人間が世の中にあると君は思質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩っているんですか。そんな鋳型《いかた》に入れたような悪人は世の中にあるはます余地がなかったのである。考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なり、また実際その場に臨まないためでもあったろうが、とにかく若い私にはなぜんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。か金の問題が遠くの方に見えた。 だから油断ができないんです」 先生の話のうちでただ?つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際 先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとに、誰でも悪人になるという言葉の意味であった。単なる言葉としては、これだした。すると後《うし》ろの方で犬が急に吠《ほ》え出した。先生も私も驚いてけでも私に解《わか》らない事はなかった。しかし私はこの句についてもっと知後ろを振り返った。 りたかった。 縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍《そば》に、熊笹《くまざ 犬と小供《こども》が去ったあと、広い若葉の園は再び故《もと》の静かさにさ》が三坪《みつぼ》ほど地を隠すように茂って生えていた。犬はその顔と背を帰った。そうして我々は沈黙に鎖《と》ざされた人のようにしばらく動かずにい熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十《とお》ぐらいの小供《こどた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹《き》はも》が馳《か》けて来て犬を叱《しか》り付けた。小供は徽章《きしょう》の着大概,楓《かえで》であったが、その枝に滴《したた》るように吹いた軽い緑のいた黒い帽子を被《かぶ》ったまま先生の前へ廻《まわ》って礼をした。 若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響き「叔父さん、はいって来る時、家《うち》に誰《だれ》もいなかったかい」と聞がごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日《えんにち》いた。 へでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想《めいそう》「誰もいなかったよ」 から呼息《いき》を吹き返した人のように立ち上がった。 「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」 「もう、そろそろ帰りましょう。大分《だいぶ》日が永くなったようだが、やっ「そうか、いたのかい」 ぱりこう安閑としているうちには、いつの間にか暮れて行くんだね」 「ああ。叔父さん、今日《こんち》はって、断ってはいって来ると好《よ》かっ 先生の背中には、さっき縁台の上に仰向《あおむ》きに寝た痕《あと》がいったのに」 ぱい着いていた。私は両手でそれを払い落した。 先生は苦笑した。懐中《ふところ》から蟇口《がまぐち》を出して、五銭の白「ありがとう。脂《やに》がこびり着いてやしませんか」 銅《はくどう》を小供の手に握らせた。 「綺麗《きれい》に落ちました」 「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」 「この羽織はつい此間《こないだ》拵《こしら》えたばかりなんだよ。だからむ 小供は怜悧《りこう》そうな眼に笑《わら》いを漲《みなぎ》らして、首肯《うやみに汚して帰ると、妻《さい》に叱《しか》られるからね。有難う」 なず》いて見せた。 二人はまただらだら坂《ざか》の中途にある家《うち》の前へ来た。はいる時「今,斥候長《せっこうちょう》になってるところなんだよ」 には誰もいる気色《けしき》の見えなかった縁《えん》に、お上《かみ》さんが、 小供はこう断って、躑躅《つつじ》の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻十五、六の娘を相手に、糸巻へ糸を巻きつけていた。二人は大きな金魚鉢の横か尾《しっぽ》を高く巻いて小供の後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいのら、「どうもお邪魔《じゃま》をしました」と挨拶《あいさつ》した。お上さん年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。 は「いいえお構《かま》い申しも致しませんで」と礼を返した後《あと》、先刻 二十九 《さっき》小供にやった白銅《はくどう》の礼を述べた。 門口《かどぐち》を出て二、三,町《ちょう》来た時、私はついに先生に向か って口を切った。 そうして綺麗《きれい》に刈り込んだ生垣《いけがき》の下で、裾《すそ》をま「さきほど先生のいわれた、人間は誰《だれ》でもいざという間際に悪人になるくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。 んだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」 「やあ失敬」 「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃ 先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込める事を断念しないんだ」 た。私たちの通る道は段々,賑《にぎ》やかになった。今までちらほらと見えた「事実で差支《さしつか》えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際広い畠《はたけ》の斜面や平地《ひらち》が、全く眼に入《い》らないように左という意味なんです。?体どんな場合を指すのですか」 右の家並《いえなみ》が揃《そろ》ってきた。それでも所々《ところどころ》宅 先生は笑い出した。あたかも時機《じき》の過ぎた今、もう熱心に説明する張地の隅などに、豌豆《えんどう》の蔓《つる》を竹にからませたり、金網《かな合いがないといった風《ふう》に。 あみ》で鶏《にわとり》を囲い飼いにしたりするのが閑静に眺《なが》められた。「金《かね》さ君。金を見ると、どんな君子《くんし》でもすぐ悪人になるのさ」 市中から帰る駄馬《だば》が仕切りなく擦《す》れ違って行った。こんなものに 私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰《つま》らなかった。先生が調子に始終気を奪《と》られがちな私は、さっきまで胸の中にあった問題をどこかへ振乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出しり落してしまった。先生が突然そこへ後戻《あともど》りをした時、私は実際そた。いきおい先生は少し後《おく》れがちになった。先生はあとから「おいおい」れを忘れていた。 と声を掛けた。 「私は先刻《さっき》そんなに昂奮したように見えたんですか」 「そら見たまえ」 「そんなにというほどでもありませんが、少し……」 「何をですか」 「いや見えても構わない。実際,昂奮《こうふん》するんだから。私は財産の事「君の気分だって、私の返事?つですぐ変るじゃないか」 をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大 待ち合わせるために振り向いて立《た》ち留《ど》まった私の顔を見て、先生変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっはこういった。 ても忘れやしないんだから」 三十 先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその その時の私《わたくし》は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにいた。しかし先生の方では、そ先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。れに気が付いていたのか、いないのか、まるで私の態度に拘泥《こだわ》る様子私は先生の性質の特色として、こんな執着力《しゅうじゃくりょく》をいまだかを見せなかった。いつもの通り沈黙がちに落ち付き払った歩調をすまして運んでつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうして行くので、私は少し業腹《ごうはら》になった。何とかいって?つ先生をやっ付その弱くて高い処《ところ》に、私の懐かしみの根を置いていた。?時の気分でけてみたくなって来た。 先生にちょっと盾《たて》を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくな「先生」 った。先生はこういった。 「何ですか」 「私は他《ひと》に欺《あざむ》かれたのです。しかも血のつづいた親戚《しん「先生はさっき少し昂奮《こうふん》なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでせき》のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父のいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多《めった》に見た事がないんですが、今前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否《いな》や許しがたい不徳義漢日は珍しいところを拝見したような気がします」 に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供《こども》の時から今日 先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応《てごた》えのあったようにも《きょう》まで背負《しょ》わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでし思った。また的《まと》が外《はず》れたようにも感じた。仕方がないから後《あょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐《ふと》はいわない事にした。すると先生がいきなり道の端《はじ》へ寄って行った。くしゅう》をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやって いるんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを持っていたその手が少し顫《ふる》えた。 を、?般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」 「あなたは大胆だ」 私は慰藉《いしゃ》の言葉さえ口へ出せなかった。 「ただ真面目《まじめ》なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」 三十? 「私の過去を訐《あば》いてもですか」 その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私《わたくし》はむし 訐くという言葉が、突然恐ろしい響《ひび》きをもって、私の耳を打った。私ろ先生の態度に畏縮《いしゅく》して、先へ進む気が起らなかったのである。 は今私の前に坐《すわ》っているのが、?人の罪人《ざいにん》であって、不断 二人は市の外《はず》れから電車に乗ったが、車内ではほとんど口を聞かなかから尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼《あお》かった。 った。電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れる時の先生は、「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果《いまた変っていた。常よりは晴やかな調子で、「これから六月までは?番気楽な時んが》で、人を疑《うたぐ》りつけている。だから実はあなたも疑っている。しですね。ことによると生涯で?番気楽かも知れない。精出して遊びたまえ」といかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるよった。私は笑って帽子を脱《と》った。その時私は先生の顔を見て、先生ははたうだ。私は死ぬ前にたった?人で好《い》いから、他《ひと》を信用して死にたして心のどこで、?般の人間を憎んでいるのだろうかと疑《うたぐ》った。そのいと思っている。あなたはそのたった?人になれますか。なってくれますか。あ眼、その口、どこにも厭世的《えんせいてき》の影は射《さ》していなかった。 なたははらの底から真面目ですか」 私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。し「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」 かし同じ問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々《まま》 私の声は顫えた。 あったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領《ふとくようり「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話ょう》に終った。その日二人の間に起った郊外の談話も、この不得要領の?例として上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなして私の胸の裏《うち》に残った。 たに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増《まし》かも 無遠慮な私は、ある時ついにそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑っていた。知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。私はこういった。 適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」 「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと解《わか》ってるくせに、 私は下宿へ帰ってからも?種の圧迫を感じた。 はっきりいってくれないのは困ります」 三十二 「私は何にも隠してやしません」 私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。「隠していらっしゃいます」 それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭《かびくさ》くなった古「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考い冬服を行李《こうり》の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみえているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏《まな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗《あつラシャ》の下に密と》め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。け封された自分の身体《からだ》を持て余した。しばらく立っているうちに手に持れども私の過去を悉《ことごと》くあなたの前に物語らなくてはならないとなるったハンケチがぐしょぐしょになった。 と、それはまた別問題になります」 私は式が済むとすぐ帰って裸体《はだか》になった。下宿の二階の窓をあけて、「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置遠眼鏡《とおめがね》のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけのくのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになりま世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大のす。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないので字なりになって、室《へや》の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧す」 みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って?区切りを付けている この卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思 先生はあきれたといった風《ふう》に、私の顔を見た。巻烟草《まきタバコ》 われた。 しょう」といってくれた。私は突然病気の父の事を考えた。早くあの卒業証書を 私はその晩先生の家へ御馳走《ごちそう》に招かれて行った。これはもし卒業持って行って見せてやろうと思った。 したらその日の晩餐《ばんさん》はよそで喰《く》わずに、先生の食卓で済ます「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。 という前からの約束であった。 「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞い 食卓は約束通り座敷の縁《えん》近くに据えられてあった。模様の織り出された。 た厚い糊《のり》の硬《こわ》い卓布《テーブルクロース》が美しくかつ清らか「ええ、たしかしまってあるはずですが」 に電燈の光を射返《いかえ》していた。先生のうちで飯《めし》を食うと、きっ 卒業証書の在処《ありどころ》は二人ともよく知らなかった。 とこの西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸《はし》や茶碗《ちゃわ 三十三 ん》が置かれた。そうしてそれが必ず洗濯したての真白《まっしろ》なものに限飯《めし》になった時、奥さんは傍《そば》に坐《すわ》っている下女《げじょ》られていた。 を次へ立たせて、自分で給仕《きゅうじ》の役をつとめた。これが表立たない客「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、?層《いっそ》始《はに対する先生の家の仕来《しきた》りらしかった。始めの?、二回は私《わたくじ》めから色の着いたものを使うが好《い》い。白ければ純白でなくっちゃ」 し》も窮屈を感じたが、度数の重なるにつけ、茶碗《ちゃわん》を奥さんの前へ こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であった。書斎なども実に整然《き出すのが、何でもなくなった。 ちり》と片付いていた。無頓着《むとんじゃく》な私には、先生のそういう特色「お茶, ご飯《はん》, ずいぶんよく食べるのね」 が折々著しく眼に留まった。 奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。しかしその日「先生は癇性《かんしょう》ですね」とかつて奥さんに告げた時、奥さんは「では、時候が時候なので、そんなに調戯《からか》われるほど食欲が進まなかった。 も着物などは、それほど気にしないようですよ」と答えた事があった。それを傍「もうおしまい。あなた近頃《ちかごろ》大変,小食《しょうしょく》になった《そば》に聞いていた先生は、「本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。そのね」 れで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿《ばかばか》しい性分《しょうぶ「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」 ん》だ」といって笑った。精神的に癇性という意味は、俗にいう神経質という意 奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めて??スクリームと水菓味か、または倫理的に潔癖だという意味か、私には解《わか》らなかった。奥さ子《みずがし》を運ばせた。 んにも能《よ》く通じないらしかった。 「これは宅《うち》で拵《こしら》えたのよ」 その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布《たくふ》の前に坐《すわ》った。 用のない奥さんには、手製の??スクリームを客に振舞《ふるま》うだけの余奥さんは二人を左右に置いて、独《ひと》り庭の方を正面にして席を占めた。 裕があると見えた。私はそれを二杯,更《か》えてもらった。 「お目出とう」といって、先生が私のために杯《さかずき》を上げてくれた。私「君もいよいよ卒業したが、これから何をする気ですか」と先生が聞いた。先生はこの盃《さかずき》に対してそれほど嬉《うれ》しい気を起さなかった。無論は半分縁側の方へ席をずらして、敷居際《しきいぎわ》で背中を障子《しょうじ》私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのに靠《も》たせていた。 が、?つの源因《げんいん》であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉《う 私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという目的れ》しさを唆《そそ》る浮々《うきうき》した調子を帯びていなかった。先生は《あて》もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師,」と笑って杯《さかずき》を上げた。私はその笑いのうちに、些《ちっ》とも意地の聞いた。それにも答えずにいると、今度は、「じゃお役人《やくにん》,」とま悪い??ロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲《く》み取る事た聞かれた。私も先生も笑い出した。 ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいた「本当いうと、まだ何をする考えもないんです。実は職業というものについて、がるものですね」と私に物語っていた。 全く考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善《い》いか、どれが悪 奥さんは私に「結構ね。さぞお父《とう》さんやお母《かあ》さんはお喜びでいか、自分がやって見た上でないと解《わか》らないんだから、選択に困る訳だ と思います」 はずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞《いとまご》いの言葉を「それもそうね。けれどもあなたは必竟《ひっきょう》財産があるからそんな呑述べた。 気《のんき》な事をいっていられるのよ。これが困る人でご覧なさい。なかなか「また当分お目にかかれませんから」 あなたのように落ち付いちゃいられないから」 「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」 私の友達には卒業しない前から、中学教師の口を探している人があった。私は 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て来る必要もなかった。しかし暑い腹の中で奥さんのいう事実を認めた。しかしこういった。 盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。私には位置を求めるた「少し先生にかぶれたんでしょう」 めの貴重な時間というものがなかった。 「碌《ろく》なかぶれ方をして下さらないのね」 「まあ九月,頃《ごろ》になるでしょう」 先生は苦笑した。 「じゃずいぶんご機嫌《きげん》よう。私たちもこの夏はことによるとどこかへ「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるう行くかも知れないのよ。ずいぶん暑そうだから。行ったらまた絵端書《えはがき》ちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はなでも送って上げましょう」 らない」 「どちらの見当です。もしいらっしゃるとすれば」 私は先生といっしょに、郊外の植木屋の広い庭の奥で話した、あの躑躅《つつ 先生はこの問答をにやにや笑って聞いていた。 じ》の咲いている五月の初めを思い出した。あの時帰り途《みち》に、先生が昂「何まだ行くとも行かないとも極《き》めていやしないんです」 奮《こうふん》した語気で、私に物語った強い言葉を、再び耳の底で繰り返した。 席を立とうとした時、先生は急に私をつらまえて、「時にお父さんの病気はどそれは強いばかりでなく、むしろ凄《すご》い言葉であった。けれども事実を知うなんです」と聞いた。私は父の健康についてほとんど知るところがなかった。らない私には同時に徹底しない言葉でもあった。 何ともいって来ない以上、悪くはないのだろうくらいに考えていた。 「奥さん、お宅《たく》の財産はよッぽどあるんですか」 「そんなに容易《たやす》く考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症《にょう「何だってそんな事をお聞きになるの」 どくしょう》が出ると、もう駄目《だめ》なんだから」 「先生に聞いても教えて下さらないから」 尿毒症という言葉も意味も私には解《わか》らなかった。この前の冬休みに国 奥さんは笑いながら先生の顔を見た。 で医者と会見した時に、私はそんな術語をまるで聞かなかった。 「教えて上げるほどないからでしょう」 「本当に大事にしてお上げなさいよ」と奥さんもいった。「毒が脳へ廻《まわ》「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅《うち》へ帰って?るようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃないわ」 つ父に談判する時の参考にしますから聞かして下さい」 無経験な私は気味を悪がりながらも、にやにやしていた。 先生は庭の方を向いて、澄まして烟草《タバコ》を吹かしていた。相手は自然「どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありませ奥さんでなければならなかった。 ん」 「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆか「そう思い切りよく考えれば、それまでですけれども」 れるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜《い》いとして、あなたはこれから 奥さんは昔同じ病気で死んだという自分のお母さんの事でも憶《おも》い出し何か為《な》さらなくっちゃ本当にいけませんよ。先生のようにごろごろばかりたのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いた。私も父の運命が本当に気の毒していちゃ……」 になった。 「ごろごろばかりしていやしないさ」 すると先生が突然奥さんの方を向いた。 先生はちょっと顔だけ向け直して、奥さんの言葉を否定した。 「静《しず》、お前はおれより先へ死ぬだろうかね」 三十四 「なぜ」 私《わたくし》はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国する「なぜでもない、ただ聞いてみるのさ。それとも己《おれ》の方がお前より前に 片付くかな。大抵世間じゃ旦那《だんな》が先で、細君《さいくん》が後へ残る「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっのが当り前のようになってるね」 ちまったんですもの」 「そう極《きま》った訳でもないわ。けれども男の方《ほう》はどうしても、そ この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。 ら年が上でしょう」 「どうしてそう?度に死なれたんですか」 「だから先へ死ぬという理屈なのかね。すると己もお前より先にあの世へ行かな 奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれを遮《さえぎ》った。 くっちゃならない事になるね」 「そんな話はお止《よ》しよ。つまらないから」 「あなたは特別よ」 先生は手に持った団扇《うちわ》をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥「そうかね」 さんを顧みた。 「だって丈夫なんですもの。ほとんど煩《わずら》った例《ためし》がないじゃ「静《しず》、おれが死んだらこの家《うち》をお前にやろう」 ありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」 奥さんは笑い出した。 「先かな」 「ついでに地面も下さいよ」 「え、きっと先よ」 「地面は他《ひと》のものだから仕方がない。その代りおれの持ってるものは皆 先生は私の顔を見た。私は笑った。 《みん》なお前にやるよ」 「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」 「どうも有難う。けれども横文字の本なんか貰《もら》っても仕様がないわね」 「どうするって……」 「古本屋に売るさ」 奥さんはそこで口籠《くちごも》った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ち「売ればいくらぐらいになって」 ょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔をあげた時は、もう気分 先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死というを更《か》えていた。 遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定さ「どうするって、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定《ろうしょうふじょう》れていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしっていうくらいだから」 く見えた。それがいつの間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。 奥さんはことさらに私の方を見て笑談《じょうだん》らしくこういった。 「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍《なんべん》おっしゃるの。 後生《ごしょう》だからもう好《い》い加減にして、おれが死んだらは止《よ》 三十五 して頂戴《ちょうだい》。縁喜《えんぎ》でもない。あなたが死んだら、何でも あなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか」 私《わたくし》は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の 先生は庭の方を向いて笑った。しかしそれぎり奥さんの厭《いや》がる事をい相手になっていた。 わなくなった。私もあまり長くなるので、すぐ席を立った。先生と奥さんは玄関「君はどう思います」と先生が聞いた。 まで送って出た。 先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固《もと》より私に判断のつく「ご病人をお大事《だいじ》に」と奥さんがいった。 べき問題ではなかった。私はただ笑っていた。 「また九月に」と先生がいった。 「寿命は分りませんね。私にも」 私は挨拶《あいさつ》をして格子《こうし》の外へ足を踏み出した。玄関と門「こればかりは本当に寿命ですからね。生れた時にちゃんと極《きま》った年数の間にあるこんもりした木犀《もくせい》の?株《ひとかぶ》が、私の行手《ゆをもらって来るんだから仕方がないわ。先生のお父《とう》さんやお母さんなんくて》を塞《ふさ》ぐように、夜陰《やいん》のうちに枝を張っていた。私は二、か、ほとんど同《おんな》じよ、あなた、亡くなったのが」 三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被《おお》われているその梢《こずえ》を見「亡くなられた日がですか」 て、来たるべき秋の花と香を想《おも》い浮べた。私は先生の宅《うち》とこの 木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記買って、そのなかに?切《いっさい》の土産《みやげ》ものを入れて帰るように憶していた。私が偶然その樹《き》の前に立って、再びこの宅の玄関を跨《また》と、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。ぐべき次の秋に思いを馳《は》せた時、今まで格子の間から射《さ》していた玄私には母の料簡《りょうけん》が解《わか》らないというよりも、その言葉が?関の電燈がふっと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へはいったらしかった。私は?種の滑稽《こっけい》として訴えたのである。 人暗い表へ出た。 私は暇乞《いとまご》いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽 私はすぐ下宿へは戻らなかった。国へ帰る前に調《ととの》える買物もあった車で東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意し、ご馳走《ちそう》を詰めた胃袋にくつろぎを与える必要もあったので、ただを受けた私は、?番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、賑《にぎ》やかな町の方へ歩いて行った。町はまだ宵の口であった。用事もなさそれが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想像しそうな男女《なんにょ》がぞろぞろ動く中に、私は今日私といっしょに卒業したて気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場《バー》へ連れ込んだ。私はそきものと覚悟していたに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、こで麦酒《ビール》の泡のような彼の気※,,「諂のつくり,炎」、第3水準1-87私は父の到底《とても》故《もと》のような健康体になる見込みのない事を述べ-64, 《きえん》を聞かされた。私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。 た。?度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい?度 顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にい るのは定《さだ》めて心細いだろう、我々も子として遺憾《いかん》の至《いた》 三十六 私《わたくし》はその翌日《よくじつ》も暑さを冒《おか》して、頼まれものりであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際心に浮ぶままを書い た。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。 を買い集めて歩いた。手紙で注文を受けた時は何でもないように考えていたの が、いざとなると大変,臆劫《おっくう》に感ぜられた。私は電車の中で汗を拭 私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変《ふ》きながら、他《ひと》の時間と手数に気の毒という観念をまるでもっていりやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫 婦の事を想《おも》い浮べた。ことに二、三日前,晩食《ばんめし》に呼ばれたない田舎者《いなかもの》を憎らしく思った。 私はこの?夏《ひとなつ》を無為に過ごす気はなかった。国へ帰ってからの日時の会話を憶《おも》い出した。 「どっちが先へ死ぬだろう」 程というようなものをあらかじめ作っておいたので、それを履行《りこう》する に必要な書物も手に入れなければならなかった。私は半日を丸善《まるぜん》の 私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。二階で潰《つぶ》す覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍棚の前に立っそうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。しか しどっちが先へ死ぬと判然《はっきり》分っていたならば、先生はどうするだろて、隅から隅まで?冊ずつ点検して行った。 買物のうちで?番私を困らせたのは女の半襟《はんえり》であった。小僧にいう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外《ほ か》に仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、うと、いくらでも出してはくれるが、さてどれを選んでいいのか、買う段になっ この私がどうする事もできないように)。私は人間を果敢《はか》ないものに観ては、ただ迷うだけであった。その上,価《あたい》が極《きわ》めて不定であ った。安かろうと思って聞くと、非常に高かったり、高かろうと考えて、聞かずじた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。 , にいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見ても、どこか ら価格の差違が出るのか見当の付かないのもあった。私は全く弱らせられた。そ うして心のうちで、なぜ先生の奥さんを煩《わずら》わさなかったかを悔いた。 私は鞄《かばん》を買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも 金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇《おど》かすには充分であ った。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を
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