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铃木朗

2012-05-10 7页 doc 120KB 23阅读

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铃木朗鈴木朖の言語観に関する考察 ――『言語四種論』『活語断続譜』『雅語音声考』をめぐって――                                 楊 琼 要旨 鈴木朖は江戸 HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E6%9C%9F" 後期の国学者・儒者である。本居宣長に学び、言語の体系的分類、活用研究にすぐれた著作を残し、日本語の活用、品詞、音声を体系的に捉えた先駆者の一人として知られている。朖は『言語四種論』(げんぎょししゅろん)『活語断続...
铃木朗
鈴木朖の言語観に関する考察 ――『言語四種論』『活語断続譜』『雅語音声考』をめぐって――                                 楊 琼 要旨 鈴木朖は江戸 HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E6%9C%9F" 後期の国学者・儒者である。本居宣長に学び、言語の体系的分類、活用研究にすぐれた著作を残し、日本語の活用、品詞、音声を体系的に捉えた先駆者の一人として知られている。朖は『言語四種論』(げんぎょししゅろん)『活語断続譜』(かつごきれつづきのふ)『雅語音声考』(がごおんじょうこう)などの著書があり、いずれも後世の学者に与えた影響は大きい。本稿は鈴木朖の生涯と三部代表作を紹介することを通じて、彼の言語観を探ることにする。 キーワード 鈴木朖 語学研究 言語四種論 活語断続譜 雅語音声考  1序 論 鈴木朖(明和元<1764>――天保八年<1837>)は尾張藩(愛知県)に生まれ、若くして荻生徂徠 門下の市川匡の門に入り、後(寛政四年<1792>)本居宣長の門人となり、晩年には藩校明論堂の国学教授となった。主著である国語学の三部作『言語四種論』『活語断続譜』『雅語音声考』が後の学者に与えた影響は大きい。『言語四種論』は言語を「体ノ詞」「形状ノ詞」「作用ノ詞」「テニヲハ」の4種に分類することを説いたものである。『活語断続譜』は用言の活用形を研究し,いわゆる活用図を作った点で画期的であった。また『雅語音声考』は言語の発生について論じたものであり,国語学史上 HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%B3%A8%E7%9B%AE" 注目されている。現代でも彼の『言語四種論』における品詞四分類と『活語断続譜』における活用研究は一部の国語研究者に注目され、評価されてきた。 2鈴木朖の生涯 鈴木朖は江戸 HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E6%9C%9F" 後期の国学者・儒者である。尾張国春日井郡の医師山田重蔵とソノの3男として生まれた。兄梁山・弟良順と共に医学を学んだが、"医は賤業"と考え、のち儒学をもって身をたてる志をもった。幼名は恒吉で、通称は常介で、字は叔清である。住んでいた部屋が母屋から離れていたところから号は離屋である。朖は名である。 12歳にして徂徠学派の市川鶴鳴に入門し、15歳のときに『張域人物志』の「文苑」に載るほど叡才を知られていた。天明1(1781)年、18歳で町儒者の祖父 HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%88%B4%E6%9C%A8" 鈴木林右衛門の家名を相続した。20歳のころから国学に関心を示し、天明5年,本居宣長の『紐鏡』を筆写し、その末に『詞の玉緒』の抄を作った。寛政4(1792)年には鈴屋 入門し、同年刊の宣長著『馭戎慨言』の序文を書いた。尾張藩士としては7年に御近習組同心として初出仕し、御記録所書役を経て、晩年の天保4(1833)年には藩校明倫堂の教授となり、国学を講じた。朖はすでに七十歳の老齢に達していたが、『日本書紀』『古今和歌集』を講義していた。性狷介で名利にとらわれず、藩主宗睦が詩歌の添削を求めたとき、本紙に黒々と遠慮なく添削した。また近所に火事があったとき、火事の心配よりも、その門に見舞として贈られた酒の量の多さを自慢した。朖は逸話に富む人で、剽軽な行動で知られる。講書の謝礼について「菓子より砂糖,砂糖より鰹節,鰹節より金」と玄関に書していたという。養生をおかしく詠んだ「味噌で飲む一ぱい酒に毒はなし煤けたかかに酌をとらせて」という狂歌がある。 天保八年六月六日(藩の記録は十二日)名古屋に歿す。享年七十四である。 3鈴木朖の著作紹介と研究概略 3.1著作紹介 〔國語國文に關するもの〕 ○言語四種論一卷 ○活語斷續譜一卷 ○雅語音聲考一卷 ○希雅一卷(雅語音聲考と合せ、文化十三年刊) ○雅語譯解一册(文化四年刊。古今集・源氏物語等から單語千三百餘を拔き出し、いろは順に排列して、簡單な口語譯を附した辭書である。因に本書を増補訂正したものに「雅語譯解大成」及び「雅語譯解拾遺」がある) ○玉の小櫛補遺一册(文政三年刊) ○少女卷抄註一册(文政十年刊。源氏物語少女卷の一節に、「湖月抄」及び「玉の小櫛」の説と自分の説とを併せ註したものである) 〔漢學に關するもの〕 ○大學參解一班(文化十年成る) ○論語參解三册(文政三年刊。右二書とも句讀訓點に注意して國語上に誤りのない樣にし、古註を參酌要約したものである) ○讀書點例二册 ○改正讀點例一册(天保六年成る) ○讀書説(現存十四卷。名古屋圖書館藏) 〔雜著〕 ○離屋學訓一冊(文政十一年刊) ○離屋集初篇(同年刊) ○養生要論一册(天保五年成る) ○續養生要論一册(同十一年刊) ○離屋文稿七册(名古屋圖書館藏。以下同じ) ○離屋文草一册 ○離屋歌稿六册 O離屋雜綴七册 ○離屋雜記一册 ○離屋見聞集九册 ○離屋隨筆一册 ○離屋雜纂六册 ○海東異録 著書は、国語・国文学関係のものに『言語四種論』『活語断続譜』『雅語音声考』『雅語訳解』『少女巻抄注』など、また漢学関係に『希雅』『大学参解』『論語参解』『読書点例』などがあり、そのほか『離屋学訓』『離屋集』『養生要論』等々がある。漢学 HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%96%A2%E4%BF%82" 関係もあるが,著しい成果を挙げたのは国語学の分野である。 『活語断続譜』 まずは『活語断続譜』の内容について略述する。宣長の『てにをは紐鏡』『活用言の冊子』(『御国詞活用抄』のもととなる)の強い影響を受けて成立した書である。『紐鏡』は係り結び の法則を示したものであり、用言についてはどのような形で結ぶかを問題にしているが、朖は「結び」(「断」)だけではなく、切れずに続いていき形(「続」)をも問題にした。最初に作成した『活語断続図説』は『紐鏡』に似た一枚の表であり、用言の結び形・続く形をともに掲げている。これから発表した『 活語断続譜』は、『活用言の冊子』第一会から第二十七会の分類に従い、それぞれの「会」の代表的な語について、終止用法(「断」)と終止しないで下に続くよう法(「続」)によって変化する形、すなわち活用形を八等に分類して示している。「一等」(現在終止形)は終止用法等、「二等」(連体形)は「ぞ・の・や・何」の結び・「は」「も」等の助詞・「なり」へ接続する場合、「三等」(終止形)は助動詞「べし」「らし」等に接続する場合、「四等」(連用形)は中止法・助動詞「き」「つ」等に接続する場合、「五等」(已然形)は「こそ」の結び・助詞「ど」等に接続する場合、「六等」(命令形)は命令する場合、「七等」(未然形)は助動詞「む」「ず」・助詞「ば」等に接続する場合、「八等」は未然形で助動詞「しむ」等に接続する場合である。七等と八等に、「此二等ワクルニオヨバズ、一ツニスベシ」と記している。 活用形を、結びの形だけでなくその文法的な機能によって分けているのであって、宣長より進んだ考え方である。また、柳園叢書本によつて考へれば、明かに「言葉の八衢」と「和語説略圖」の説を利用して居り、而もその結果は「八衢」や「和語説略圖」よりも劣るもので、國語學史上特にその價値を云々しなければならぬほどのものではないが、神宮文庫本によつて考へれば、前記の如く「八衢」や「略圓」の影響はなく、却つて「八衢」や「略圖」に影響を及ぼして居るものと考へられる。本書の箸作年代は明かではないが、神宮文庫本が、「言葉の八衢」より先に出來たものであらうことは想像するに難くない。而して本書の活用形とその斷續の圖は「脚結抄」の「裝圖」の影響を認めなければならない。是に於て本書は「御國詞活用抄」の説に「脚結抄」の説を加へ、これを「言葉の八衢」に傳へたものと見ることが出來る。此處にこの書の歴史的價値が存する。 鈴木朖が用言の断続についての研究は、宣長の係結、留り切れを主とする「テニヲハ」研究、成章の文の分解による語の接続の研究、この二つの異なった研究は鈴木朗によって融合統一され、やがて春庭、義門の活用研究の展開への道を開いた。  『言語四種論』  語をその機能によって「体ノ詞」、「形状ノ詞」、「作用ノ詞」、「テニヲハ」の四種に分類した。  「体ノ詞」は「動カヌ詞」とされ、名詞である。従来「用ノ詞」「ハタラク詞」などと呼ばれて一括されてきた「形状ノ詞」と「作用ノ詞」の区別について、朖は「形状ノ詞」は終止形が「イ」の韻(具体的には「シ・リ」)で終わるもの、「作用ノ詞」は「ウ」の韻で終わるものとする。 「形状ノ詞」は、現在の形容詞の他にラ変の動詞(アリ・ヲリ等)を含める。「作用ノ詞」はラ変以外の動詞である。以上の三種の語を「詞」とし、「テニヲハ」はこれと対立するものとし、「詞」に添えて文法的な働きをさせるものと考えた。詞とテニヲハの違いについては「三種ノ詞ハサス所アリ、テニヲハゝサス所ナシ、(中略)三種ハ物事ヲサシアラハシテ詞トナリ、テニヲハゝ其詞ニツケル心ノ声也」などと述べている。具体的には、現在の助詞・助動詞のほか、感動詞・副詞・接続詞・活用語尾などを含めている。 彼の品詞分類は伝統的な分類で、また漢語学の分類に基づいて形成されたとは言われ、そしてテニヲハに対する考えにも伝統的な考え、本居宣長の影響も見受けられる。しかし、朖はこれらの先行研究を受け継ぐのみならず、「三種ノ詞」 は物事をさして表している詞で、テニヲハはその詞につける「心の声」であると考えている。てにをはをもって「心の声」であるとする考えは、朖独自のテニヲハ論であると思われる。  名詞・形容詞・動詞等の「詞」に対して「テニヲハ」の機能を考えた朖の説は、後の時枝誠記 のの言語過程説にも影響を及ぼし、時枝文法論に深い影響を与えた。 『雅語音声考』 語の第一義を音声に置き、言語の写声的起源論を説いたものである。本書は、古典の用例から発音と意味とが結び付いた理由を説明できる語彙を集めて簡単な解説を施したものである。ふつう、言葉は発音と意味とが理由なく結び付いているが、擬音語や擬態語と呼ばれるものは、発音で、あるものや意味を象徴する。よく観察すると、一般の語彙にもそのような言葉がある。展示した最初の頁では鳥や虫の鳴き声がその名称になった例があげられている。後の方の頁には、息を吹くのはぷっと言う動作であるなどと書かれている。 『雅語音声考』において、音声を「鳥ケモノノ声」「人ノ声」「万物ノ声」「万ノ形有様意シワザ」の四つに分類している。 上の四種類の声を紹介する箇所の前に、朖は「言語は音声なり、音声に形あり姿あり心あり」と書いている。島田昌彦(1992)には、「形」「姿」「心」それぞれを物事を表す「体の詞」、物事の有様を表す「形容の詞」「作用の詞」、人間の精神を伝える「テニヲハ」であると論じた。 朖は「音象徴」という現代言語学の課題の一つに気付いていたのである。頁の右側、総説の末尾の部分には、石川雅望 が同様の考え方(おそらく『雅言集覧』になったもの)を述べているが、これは自分が先に唱えた説である旨が書かれている。朖の学問に対する背筋を伸ばした姿勢がよくわかる。   3.2研究概略 鈴木朖は国学・儒学を兼ね、漢文をよくし、算数・医学・謡曲・狂言の類に通じたが今日主として国語学の業績を以て認められ、主に品詞・活用・語源などの研究に努めた。 鈴木朖は日本語を品詞分類した先駆者のひとりである。 品詞については、『言語四種論』で、言語を「体ノ詞」「形状(ありかた)ノ詞」「作用(しわざ)ノ詞」「テニヲハ」の四つに分けた。「テニヲハ」とほかの三種の詞との本質的差異を明言して品詞分類上注目すべき考察を行った。 活用については、『活語断続譜』では、師匠の本居宣長が動詞・形容詞を活用のしかたによって『御国詞活用抄』 (みくにことばかつようしょう)で27種にわけたその語例を列挙し、活用を一等から八等に分けた。宣長の文の脈絡終止の研究と冨士谷成章の語の接続の研究とを総合して、用言とテニヲハとの関係としての活用という現象を具体的に明らかにするとともに、あとの本居春庭および義門の活用研究を導いた。  語源については、『雅語音声考』において、言語の写生的起源を説いた。これは『四種論』における言語の発生的考察や語構成の論とあわせてみるべきものである。  要するに本居学派と冨士谷学派とを統一し、その後の研究に大きな影響を与えた。 4後世への影響 朖はもと儒者であつて、その方面の著書も少くなく、且つそれらは相當高い價値を有するものである。が學界に於ける業績としては、國語學に於けるものが遙に大である。國語學上の研究は、漢學の知識を母胎としてゐるものであることは、注意すべきである。その國語學め業績としてまず挙げるべきのは、「言語四種論」に見える國語の品詞論である。作用・形状・字面等の區別から出たものであって、缺陷はあるが、國語品詞論としては前人未発の卓見であり、又東條義門の品詞論に、大きな影響を與へたもので、品詞の研究史上頗る注意すべきものである。  これに次いでは、「雅語言聲考」及び「希雅」に記されたところの語源の研究である。前者は國語の.後者は漢語の寫聲的起原説を唱えたものであって、一々の用例には附會と思われるものがあるが、全體としては頗る卓見で、國語學史上特筆大書すべきものである。この時代から國語學界の一部に.五十音の一音一音に、音義ありと説く音義説なるものが起り、後に出た音義學者堀秀成 は、音義説は朖に始まったものであると言って居る(「言靈妙用論」)が、言語の寫聲的起源説と音義説とは、似て非なるものである。  第三には「活語斷續譜」に見える活用の研究である。もし鈴木朗の活用研究を無視して、春庭の業績だけを見るならば、誰しもその天才的な組織能力に驚嘆しないわけにか行かない。 『活語断続譜』は本居宣長の長男、本居春庭の『詞八衢』(ことばのやちまた)に影響を与える。すでに鈴木朗は成章の研究を基礎として、これに宣長の研究を加え、用言の接続を主体とする活用図を組織した。『詞八衢』は『活語断続譜』をとって、更にこれに一段の整理を加えたものである。 また、時枝誠記の詞辞論は鈴木朗の理論を継承したものと評価されている。 この他、中古文學の訓詁的研究として、「玉の小櫛補遺」「少女卷抄註」「雅語譯解」等も.また相當注意に値するものである。 5結 論 鈴木朖のこの三著については、三著の関連を有機的に見てくことができる。鈴木朖の言語観の形成が活用研究、即ち『活語断続譜』から始まると言われる。活用研究を通じて、品詞分類へ展開され、終止形の形態的差異により、「イノ韻」を持つものを「形状(アリカタ)の詞」、「ウノ韻」をもつものを「作用(シワザ)ノ詞」とするのである。 それが宣長の語学研究の影響をうけるのである。また、『活語断続譜』の「形状(アリカタ)の詞」「作用(シワザ)ノ詞」の分別から、『言語四種論』の詞の四種の分類へ、さらに『言語四種論』の「テニヲハ」と「詞」の別を「声」と「詞」として捉えることから、人の心は音声に現れるが、それがテニヲハの原点である。テニヲハが他の品詞が成り立つ基礎となるのは、万物に対する人間の心の動きが言語を形成することを支配しているからである。テニヲハは言語の基礎、中心である。また、音声から万物はその名称をつけられ、それが体ノ詞の初めとなる。音声からできた体の詞とテニヲハがあわせて用いられる時、それはひとつ者に結合され、これが用ノ詞の初めである。「声」から「詞」へと言語が形成されていく実態で、鈴木朖の言語観の基底は、「言語ハ声也」という点にある。ここに朖の言語観の根本を見て取ることができるのである。朖の語学研究は、その軌跡の中で捉えるべきであることを主張する。 参考文献: 1.馬渕和夫,出雲朝子.国語学史―日本人の言語研究の歴史[M].笠間書院.1999 2.国語学会編,国語学辞典[Z].東京堂.昭和30年8月20日 3.時枝誠記,国語学史[M].岩波書店.昭和15年12月 4.趙菁, 鈴木朖の国語学史上における評価の変遷について[J].金沢大学学術情報リポジトリ 5.陈雨贤, 鈴木朖语法初探[J].1994-2011 China Academic Journal Electronic Publishing House p.340-347 6.佐藤宣男, 鈴木朖の言語観—テニヲハの問題を中心に[J] 7. 趙菁,「心ノ声」小論-鈴木朖の『言語四種論』をめぐって[J].金沢大学学術情報リポジトリ 8.松繁弘之, 鈴木朖『活語断続譜』と本居宣長の語学研究[J].NII-Electronic Library Service � 荻生徂徠(おぎゅうそらい、� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%96%87" \o "寛文" �寛文�6年� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8816%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)" \o "2月16日 (旧暦)" �2月16日�(� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/1666%E5%B9%B4" \o "1666年" �1666年�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8821%E6%97%A5" \o "3月21日" �3月21日�) - � HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AB%E4%BF%9D" \o "享保" �享保�13年� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8819%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)" \o "1月19日 (旧暦)" �1月19日�(� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/1728%E5%B9%B4" \o "1728年" �1728年�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8828%E6%97%A5" \o "2月28日" �2月28日�)は、� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3" \o "江戸時代" �江戸時代�中期の� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E5%AD%A6%E8%80%85" \o "儒学者" �儒学者�・� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6" \o "思想家" �思想家�・� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%8C%AE%E5%AD%A6" \o "文献学" �文献�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E8%80%85" \o "学者" �学者�である。名は双松(なべまつ)、字は茂卿(しげのり)、通称は総右衛門、徂徠と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、又蘐園と号した。� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A7%93" \o "本姓" �本姓�は� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F" \o "物部氏" �物部氏�。父は5代� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D" \o "征夷大将軍" �将軍�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%B6%B1%E5%90%89" \o "徳川綱吉" �徳川綱吉�の� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D%E5%8C%BB" \o "侍医" �侍医�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%8D%BB%E7%94%9F%E6%99%AF%E6%98%8E&action=edit&redlink=1" \o "荻生景明(存在しないページ)" �荻生景明�。弟は� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%90%89%E5%AE%97" \o "徳川吉宗" �徳川吉宗�の侍医で� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E" \o "明" �明�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E6%B3%95" \o "律令法" �律�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%94%E7%A9%B6" \o "研究" �研究�で知られた� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E7%94%9F%E5%8C%97%E6%B8%93" \o "荻生北渓" �荻生北渓�。 � � HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%88%B4%E5%B1%8B" �鈴屋�:本居宣長(もとおりのりなが)の� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%9B%B8%E6%96%8E" �書斎�の名。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%83%A8%E5%B1%8B" �部屋�に鈴がかけてあったところからいう。三重県松阪市に� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E4%BF%9D%E5%AD%98" �保存�されている。 � 朝日日本歴史人物事典の解説を参照された。<参考文献>鈴木朖� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%A1%95%E5%BD%B0" �顕彰�会『鈴木朖』 �神宮文庫所藏の寫本(言語四種論と合册)と柳園叢書第一卷所收の刊本(書語四種論と合珊)の二種がある。後者は奥書に「右以離屋先生(鈴木朖)自筆稿本寫之一校了」とある。兩者は内容に大きな相違がある。即ち柳園叢書本には、「言葉の八衢」や「和語説略圖」が引用してあるが、神宮文庫本には「八衢」や「和語説略圖」の影響は少しも見られない。神宮文庫本はその稿本であらう。鈴木朖は「八衢」や「和語説略圖」の刊行された後まで生きてゐたから、これ等の書の説を自著に書き入れたことはあらう。それが柳園叢書本に收められたものと思はれる。 �「係り結び」とは、文語において、文中に係助詞または疑問詞が用いられた時、それに呼応して文末の活用語が一定の活用形をとる現象のことをいう. 具体的には、「ぞ」(� HYPERLINK "http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E4%B8%8A%E4%BB%A3" \o "上代" �上代�には「そ」)、「なむ」(「なん」、上代には「なも」)、「や」(反語)、「か」(疑問;単独の� HYPERLINK "http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%96%91%E5%95%8F%E8%A9%9E" \o "疑問詞" �疑問詞�の場合もある)に対しては結びが� HYPERLINK "http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E9%80%A3%E4%BD%93%E5%BD%A2" \o "連体形" �連体形�、「こそ」に対しては結びが� HYPERLINK "http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E5%B7%B2%E7%84%B6%E5%BD%A2" \o "已然形" �已然形�になる。 例: 音 聞こゆ(� HYPERLINK "http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%B5%82%E6%AD%A2%E5%BD%A2_(%E6%96%87%E6%B3%95)" \o "終止形 (文法)" �終止形�)→音ぞ聞こゆる(連体形) 今 別れむ(終止形)→今こそ別れめ(已然形) また、「は」、「も」は結びが� HYPERLINK "http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%B5%82%E6%AD%A2%E5%BD%A2" \o "終止形" �終止形�になる係助詞である。 � 古田東朔「『活語断続図説』から『活語断続譜』へ」(『国語学』四三、一九六一・二)  本書は初稿本に当たる『活語断続図説』から再稿本、三稿本(黒川本・神宮文庫本等)、四稿本(柳園叢書本)という段階を経ているとされる。 � 鈴木朖「言語四種論」の中に「用の詞、はたらく詞、活語なんと、古來一つに言來れるをば、今形状(ありかた)作用(しわざ)と、分ちて二種の詞とせるは、終りに附きてはたらくてにをはの、本語にてきれ居(す)わりたるもじの、第にの[い]の韻なると、第三の[う]の韻なるとの差別也、第二の韻なるは、[し][り]の二つ也、[し]は、[きら/\し][すか/\し]なんどの[し]にて其意しらる、即俗に[何々しい]と云[しい]のこころにて、其有樣を形容(かたどり)いへる詞なり、[けし]、[しずけし、はるけし]、[たし]、うれたし、めでたし]、[めかし]、[ふるめかし、おぼめかし]、なんどの[し]も其類にて[高し][卑し][善し][惡し][悲し][樂し]のたぐひの[し]、皆同意也、[り]は[有り]也、[あ]は[あり/\]、[あざやか]、[あらはる][あきらか]の[あ]にて、物につゞく寸は省《はぶ》かれ消ゆる也、[居《をり》]は、[ゐあり]也、[聞けり][見たり]は、[聞あり]、[見てあり]也、[往けり]、[還れり]は[ゆきあり]、[かへりあり]也、かく[り]もじを終りにつくる時は、本|作用の詞なるも、皆其|形状になる也、さればこの[し][り]の二もじにてとまる詞は、すべて皆物事の形状なり」が記している。(原文片仮名) �時枝誠記は朖が言った「三種の詞」を「表現対象を概念化、客体化したもの」、「テニヲハ」を「話し手の立場を直接表現したもの」と解釈している。 � 時枝誠記(ときえだもとき)(1900―1967):国語学者。文学博士。東京・神田生まれ。江戸代以前の国語研究の態度、意識、方法を探索することを研究の出発点とし、その研究は、実証的研究というよりも、基礎的理論を樹立するという方向にあり、研究分野は国語学のほぼ全領域にわたっている。 � 原文:言語は音声なり。音声に形あり姿あり心あり。されば言語には、音声をもって物事を象どりうつすこと多し。(略)その類ひを四つに分かつ。  一つには鳥、獣の声を写す。  二つには人の声を写す。  三つには万物の声を写す。  四つには万づの形、有様、意、しわざを写す。 これなり。 �石川雅望(いしかわ まさもち、� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6" \o "宝暦" �宝暦�3年� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8814%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)" \o "12月14日 (旧暦)" �12月14日�(� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/1754%E5%B9%B4" \o "1754年" �1754年�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%887%E6%97%A5" \o "1月7日" �1月7日�) - � HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%94%BF" \o "文政" �文政�13年� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8824%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)" \o "3月24日 (旧暦)" �閏3月24日�(� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/1830%E5%B9%B4" \o "1830年" �1830年�� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8816%E6%97%A5" \o "5月16日" �5月16日�))は、� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3" \o "江戸時代" �江戸時代�後期の狂歌師、� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AD%A6%E8%80%85" \o "国学者" �国学者�、� HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%AF%E4%BD%9C%E8%80%85" \o "戯作者" �戯作者�(げさくしゃ)。 � 上田万年は『国語学史』(1897年講述 1974年2月出版 教育出版)に於いて、朗を体系的文法を説く冨士谷成章に次ぐ第二人者と称している。 � 『御国詞活用抄』:� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%B1%9F%E6%88%B8" �江戸�� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%9C%9F" �中期�の文法書。1巻。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7?dic=daijisen" �本居宣長�著。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%98%8E" �天明�2年(1782)ごろ� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%88%90%E7%AB%8B" �成立�。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%8B%95%E8%A9%9E" �動詞�・� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%BD%A2%E5%AE%B9%E8%A9%9E" �形容詞�など� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%B4%BB%E7%94%A8" �活用�語の語尾変化の型を五十音順に� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%85%8D%E5%88%97" �配列�。語例が� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E8%B1%8A%E5%AF%8C" �豊富�で、のちの活用� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E7%A0%94%E7%A9%B6" �研究�に資するところ大であった。 � 堀秀成(ほりひでなり):1820*-1887 � HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%B1%9F%E6%88%B8" �江戸�� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E6%9C%9F" �後期�-� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%98%8E%E6%B2%BB" �明治�� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E4%BB%A3" �時代�の国学者,� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E8%81%B7" �神職�。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E6%94%BF" �文政�2年12月6日生まれ。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8B%E7%B7%8F" �下総�(しもうさ)� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E6%B2%B3" �古河�(こが)藩(茨城県)� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E8%97%A9%E5%A3%AB" �藩士�。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%AF%8C%E6%A8%AB" �富樫�(とがし)(鬼島(きじま))広蔭(ひろかげ)にまなび,音韻学に� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E7%B2%BE%E9%80%9A" �精通�した。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E7%B6%AD%E6%96%B0" �維新�後,� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE" �伊勢神宮�,金刀比羅(ことひら)宮で� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E5%B8%AB" �教師�をつとめ,おおくの� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E8%91%97%E4%BD%9C" �著作�をのこした。明治20年10月3日� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%AD%BB%E5%8E%BB" �死去�。69歳。名は別に茂足。� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E9%80%9A%E7%A7%B0" �通称�は� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E8%A8%98" �内記�,八� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80" �左衛門�。号は琴舎。著作に「� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E4%BB%AE%E5%90%8D" �仮名�� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E7%BE%A9" �本義�考」「� HYPERLINK "http://kotobank.jp/word/%E8%AA%9E%E6%A0%BC" �語格�全図」「言靈妙用論」など。 �時枝誠記の『本居春庭の活用研究の継承と展開』による評価である。 PAGE 7
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